ようこそ不死鳥の舞う教室へ 作:Gemini&指示出す人間
図書室での密やかな邂逅から数日。リアヴェルと櫛田桔梗は、連絡先を交換して以来、毎日のように端末のメッセージアプリを通じてやり取りを重ねていた。
『今日もクラスの空気がピリピリしてて、間を取り持つのにすごく疲れちゃった。でも、みんなが笑顔になってくれたから、頑張った甲斐があったかな!』
学生寮の自室。ソファに深く腰を掛けながら、リアヴェルは可愛らしい絵文字が添えられたメッセージを見て、薄暗い部屋の中で蠱惑的な笑みを深めた。
指先を滑らせ、的確に、そして残酷なまでに彼女の「核」を射抜く返信を打ち込む。
『君はいつも他人のために自分を犠牲にしすぎだ、桔梗。周りの連中は君の笑顔に甘えているだけだが、私は知っているよ。その完璧な笑顔の裏で、君がどれほど血の滲むような努力と気遣いをしているかを。君の本当の価値は、誰にも見せないその隠された苦労にこそある。あまり無理はするな。君はすでに、私の目には誰よりも完璧に映っているのだから』
送信ボタンを押して数秒後。画面にはすぐさま『既読』の文字がつき、「入力中…」のアイコンが激しく点滅し始めた。
『リアヴェルくん……っ。そんな風に言ってくれたの、リアヴェルくんが初めてだよ。なんだか、涙が出そうになっちゃった。私、リアヴェルくんの言葉にすごく救われてる。本当に、ありがとう……!』
その返信を見て、リアヴェルは喉の奥でククッと低い笑い声を漏らした。
櫛田桔梗という少女は、異常なまでの承認欲求の怪物である。彼女が最も欲しているのは、単なる「可愛い」や「優しい」といった表面的な賛辞ではない。自分が裏でどれほどの労力をかけ、どれほど優れた自制心で周囲をコントロールしているか。その『隠された凄絶な努力と有能さ』を、絶対的な強者に認められ、賞賛されることなのだ。
リアヴェルは、彼女の自尊心をピンポイントでくすぐり、おだて、褒めそやし、日々の苦労を労う言葉を惜しげもなく与え続けた。
(せいぜい私に依存するがいい。自分が私をコントロールしていると錯覚したまま、その強靭な自制心が甘い毒に溶かされ、私の言葉なしでは生きられない身体になるまでな)
リアヴェルの与える快感に、櫛田の心は確実に溶かされ始めていた。
彼女自身は、Aクラスの王をその美貌と愛嬌で籠絡しているつもりなのだろう。だが現実は、彼女の心の最も柔らかい部分に、リアヴェルという楔が深く、後戻りできないほどに打ち込まれている最中であった。
そんな水面下の精神支配を片手間にこなしつつ、リアヴェルの日常は退屈を持て余していた。
中間試験も終わり、Aクラスの完全支配も完了。次の特別試験までの期間、何か暇つぶしになるものはないかと思案していた彼は、自身の女王である坂柳有栖が、過去に上級生たちからポイントを巻き上げるために行っていた「遊戯」を思い出した。
「——というわけで、私が勝った。約束通り、ポイントを頂こうか」
放課後の第一体育館。
道着姿の屈強な上級生たちが床に呻き声を上げて転がる中、リアヴェルは道着に乱れ一つない涼しい顔で立っていた。
彼の足元には、柔道部を束ねる主将が、完全に息を上げ、信じられないものを見る目で彼を見上げている。
「ば、化け物か、お前は……っ。たった一人で、ウチのレギュラー全員を……無傷で……」
「世辞は不要だ。さあ、賭け金の支払いだ。まさか上級生ともあろう者が、下級生相手の賭け金を踏み倒すような真似はしないだろう?」
着替えを済ませた後。リアヴェルが優雅に端末を差し出すと、主将は震える手で自身の端末を重ね、約束のポイントを送金した。
有栖が知略によるチェスやカードでポイントを荒稼ぎしていたのに対し、リアヴェルは自らの圧倒的な身体能力を用いて、正面から堂々と運動部に道場破りまがいの勝負を吹っかけていた。
無論、運動部のみならず、個人的に将棋などの頭脳戦を望む者も相手にし、多額のプライベートポイントを賭けては、文字通り手も足も出させずの圧勝。ゲーム感覚の気まぐれな勝負であったが、その噂は瞬く間に上級生たちの間に広まり、リアヴェルの名は、一種の畏怖の象徴として校内を席巻し始めていた。
「少しは運動になったが、やはり人間の規格では限界があるな」
数百万ポイントという莫大な戦利品を端末に収め、リアヴェルは夕陽が差し込む校舎の廊下を悠然と歩いていた。窓の外は茜色に染まり、影が長く伸びている。
そんな彼の歩みを止めるように、廊下の先から一人、特徴的な金髪を揺らしながら歩いてくる上級生の姿があった。
「——噂には聞いていたが、本当に派手に暴れ回っているみたいだな。1年の不士鳥リアヴェル」
軽薄そうに見えて、その奥に野心と冷酷なカリスマを隠し持った鋭い瞳。生徒会副会長にして、2年を完全に統率する男——南雲雅であった。
「たしか、生徒会の……」
「南雲雅だ。生徒会副会長をやらせてもらってる。お前の噂は、俺の耳にもバンバン届いてるぜ。入学初日にシステムを暴き、1年Aクラスを完全掌握。就職のスカウトに、退学者の増産。そして今日は各部活に乗り込んでポイントを賭けた道場破りまでやってたそうじゃないか」
南雲は口の端を吊り上げ、面白がるような、しかしどこか見定めるような視線をリアヴェルに向けた。
「上級生を利用したり、部活動の連中を叩きのめしたり……お前、やり方が随分とアグレッシブだな。だが、俺はそういうルールに縛られない実力主義のやり方は嫌いじゃないぜ?」
「私に何か用かな、副会長殿。私に勝負を挑んでポイントを巻き上げ返そうとでも言うのなら、相手になるが?」
リアヴェルが傲岸不遜な笑みを浮かべると、南雲は肩をすくめ、小さく笑った。
「まさか。俺が来たのは、そんなチケチな喧嘩のためじゃない。お前みたいな飛び切りの『実力者』を、野放しにしておくのはもったいないと思ってな」
南雲は一歩、リアヴェルへと距離を詰めた。
彼から放たれるのは、2年生全体を支配する王としての強烈な覇気。通常の生徒であれば、そのプレッシャーだけで言葉に詰まるだろう。
「単刀直入に言おう。不士鳥、生徒会に入れ。そして、俺の力になれ」
「……ほう?」
「今の生徒会長である堀北先輩は、古臭い規律に縛られた人だ。だが、来年には俺がこの学校の生徒会長になる。俺は、この高度育成高等学校を、完全なる実力至上主義……強い奴がすべてを奪い、弱い奴が淘汰される本当の弱肉強食の学校に作り替えるつもりだ」
南雲の瞳に、狂気にも似た野望の炎が宿る。
「お前のその圧倒的な力と、ルールを無視する傲慢さ。それは、俺が理想とする生徒会にこそ相応しい。俺の生徒会に入り、俺の右腕になれ。そうすれば、お前にはこの学校で最高の地位と、退屈しない極上のエンターテインメントを約束してやる」
勧誘。そして、服従の要求。
南雲雅は、リアヴェルという劇薬を自らの手駒として取り込み、自身の権力基盤をさらに強固なものにしようと企んでいたのだ。彼にとって、どれほど優秀な下級生であろうと、最終的には自身が使いこなす「駒」でしかない。
沈黙が落ちた。
夕陽に照らされた廊下で、南雲は余裕の笑みを浮かべ、リアヴェルの返答を待つ。
数秒後。
リアヴェルの口から漏れたのは、南雲の想定していた「承諾」でも「反発」でもなく——。
「…………くっ、ふははははっ! あははははははははっ!!」
腹の底から湧き上がるような、嘲笑と歓喜の入り交じった大爆笑だった。
「……何がおかしい」
「いや、失礼。あまりにも滑稽な冗談を聞かされたものでね」
リアヴェルは笑いを収めると、先ほどまでの余裕の態度をかなぐり捨て、神々しいまでの威圧感と、絶対零度の冷酷な眼差しで南雲を見下ろした。
その瞬間、南雲の全身に、目に見えない巨大な山がのしかかったかのような強烈な重圧が走った。
「私が、君の右腕になる? 君の理想の学校作りの手伝いをする? 勘違いするなよ、人間」
リアヴェルの碧眼が、人間ならざる魔性の光を放つ。
「この私が、誰かの下につくことなどあり得ない。君は生徒会長になり、この小さな箱庭の王になりたいようだが……私から見れば、君の野望など、蟻が砂場で城を作って喜んでいるのと何ら変わりはない」
「てめえ……っ!」
「私は生まれながらの支配者だ。君が私の退屈しのぎになるというのなら、せいぜいその砂の城から私に挑んでくるといい。君のその矮小な野心ごと、私が完膚なきまでに蹂躙してやろう」
圧倒的な、王と王の対峙。しかし、その実態は、ちっぽけな人間の独裁者と、次元の違う悪魔の支配者との残酷なまでに格の違う相対図であった。
南雲の顔から余裕の笑みが完全に消え去り、ギリッと歯を食いしばる。
「……後悔するぜ、不士鳥。俺の誘いを蹴ったこと、いずれ必ずその綺麗な顔を歪ませて思い知わせてやる」
「楽しみにしているよ、副会長。せいぜい私を退屈させないことだ」
南雲は忌々しげに踵を返し、夕陽の廊下を足早に去っていった。
残されたリアヴェルは、去っていくその背中を眺めながら、不敵な笑みを深めた。
(Aクラスの支配、下位クラスの蹂躙、そして今度は上級生からの宣戦布告か。……素晴らしい。人間界での遊戯も、徐々に盤面が温まってきたというものだ)
不死鳥の悪魔と、生徒会の独裁者。
交わることのなかった二人の王がまみえたこの日、高度育成高等学校における全学年を巻き込んだ巨大な闘争の火種が、静かに、そして確実に燃え上がり始めていた。