ようこそ不死鳥の舞う教室へ   作:Gemini&指示出す人間

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第二十四話「不死鳥と上陸」

 豪華客船のプロムナードデッキから続く豪奢な回廊。不士鳥リアヴェルは、海風を孕んだ潮の香りを背にしながら優雅な足取りで歩を進めていた。

 先ほどのカフェテラスでの出来事——櫛田桔梗という、承認欲求という名の極上の欲望を腹に抱えた仮面の少女との遭遇は、彼にとって船内散策における、ちょっとしたスパイスとなった。

 この船に乗船している一年生たちの大半は、目前に迫る『無人島での特別試験』の存在など露知らず、学校側が用意した贅沢なバカンスに浮かれている。

 その無知で無防備な有象無象の姿は、リアヴェルから見れば、屠殺場へ向かうことも知らずに与えられた極上の餌を食む哀れな家畜そのものであった。

 

(さて。無能な人間たちの狂想曲を鑑賞するのはこのくらいにしておくか。私の優秀なクイーンが、どのような盤面を構築して待っているか……見せてもらうとしよう)

 

 リアヴェルは有栖の部屋の前に立ち、躊躇なく扉を開いた。

 

「——リアヴェルくん。お帰りなさいませ」

 

 室内に入ると、優雅にティーカップを傾けていた有栖が、透き通るような声で出迎えた。

 悪魔として新生し、病魔という枷から完全に解放された彼女の姿は、豪奢な客室の調度品すらも霞ませるほどの気品と魔性の美しさを放っている。

 

「あ、リアヴェル、くん……お帰り、なさい」

 

 有栖の斜め後ろに控えるようにして立っていた山村美紀も、深く頭を下げた。

 彼女は『騎士』の悪魔の駒を受け入れて以来、有栖の指導の下で諜報技術に磨きをかけ、今では文字通り「誰にも認識されない影」としての役割を完璧にこなしつつある。今も、リアヴェルが部屋に入るまでは、その気配を完全に部屋の空気に溶け込ませていたのだろう。

 

 そして、その洗練された二人の悪魔とは対照的に、ソファに深々と腰を沈め、ひどく退屈そうに、あるいは居心地悪そうに足を組んでいる少女がもう一人いた。

 神室真澄である。

 彼女は悪魔ではない。純粋な人間でありながら、有栖にその扱いやすさと実行力を買われ、Aクラスにおける兵士として重用されている特異な立ち位置の生徒だ。

 

「……相変わらず、あんたの周りだけ空気の重さが違うわね。船の中を散歩してただけで、なんでそんな威圧感を振り撒いてんのよ」

 

 神室は、リアヴェルの姿を視界に収めるなり、忌々しげに溜息をついた。

 彼女はリアヴェルたちが悪魔であることなど知る由もない。ただ、「不士鳥財閥の規格外の御曹司」と「冷酷無比な天才少女」という人間界の強者として彼らを認識し、逆らえば破滅するという生存本能から従っているに過ぎなかった。

 ゆえに、この部屋における暗黙のルールとして、神室がいる前では、リアヴェルも有栖も美紀も『悪魔』や『魔法』に関する超常の単語は一切口にしない。すべては「財閥の力」と「天才的な頭脳」という、人間界の枠組みで説明がつく形で会話が進行する。

 

「ただの散歩だよ。だが、どうやら有象無象の無防備な顔を見すぎて、少しばかり捕食者としての気分が高揚していたらしい」

 

 リアヴェルは神室の軽口を意に介さず、有栖の対面にあるソファへと優雅に腰を下ろした。美紀が音もなく歩み寄り、主の前に淹れたての紅茶をそっと差し出す。

 

「さて、有栖。報告を聞こう」

「はい。この優雅なバカンスの裏で蠢く、他クラスの動きについて、総括した情報をお伝えしてしますね」

 

 有栖はソーサーをテーブルに置き、冷酷な知略を孕んだ声で話し始めた。

 

「結論から申し上げます。Cクラスの龍園翔くんが六月から密かに働きかけていたBクラスとの同盟交渉ですが……いよいよ、締結に至ったようです」

「ほう。あの一之瀬帆波が、あの野蛮な男と手を組んだというのか?」

 

 リアヴェルが興味深げに眉を上げる。

 有栖の卓越した頭脳と、彼女が構築した絶対的な情報網によれば、Cクラスの王である龍園は、一学期中間試験でAクラスの圧倒的な力を痛感して以来、単独での打倒を諦め、水面下で他クラスの取り込みに動いていた。

 

「ええ。一之瀬帆波さん自身は、根っからの善人であり、龍園くんのような暴力と恐怖でクラスを支配する手法には強い嫌悪感を抱いています。ですが、彼女もただのお人好しではありません。この不自然な豪華客船の旅、そして学校側のこれまでのやり口から、近く『クラス単位での大規模な何か』が開催されることを察知したのでしょう」

 

 有栖は、まるで一之瀬の脳内を直接覗き込んだかのように、彼女の心理を的確に分析していく。

 

「彼女は、副官である神崎隆二くんたちと慎重に協議を重ねたはずです。神崎くんは極めて現実的で堅実な思考の持ち主。彼らは、我々Aクラスという巨大な脅威に対抗するためには、今回起こるであろう『未知の何か』においてのみ、Cクラスと一時的な共闘関係を結ぶことが最適解であると判断したのでしょう。龍園くんも、自クラスの情報を一部開示するなどの譲歩を見せ、一之瀬さんたちの警戒を巧みに解いたはずです」

「なるほど。Bクラスのポイントと組織力、そしてCクラスの狡猾な暴力。それらが合わされば、確かに見栄えの良い軍隊にはなるな」

「はい。ですが、所詮は烏合の衆。龍園くんがBクラスを対等なパートナーと見なすはずがありません。彼は一之瀬さんたちの善意を利用し、最終的には彼らを裏切ってポイントを独占する腹積もりでしょう」

 

 有栖はくすりと笑い、冷酷に断じた。

 

「……ちょっと待ちなさいよ」

 

 二人の会話を黙って聞いていた神室が、呆れたような、そしてどこか薄ら寒いものを見るような目で口を挟んだ。

 

「あんた、なんでそんな他クラスのトップ同士の極秘会談の内容まで、正確に把握してんのよ。いくらなんでも情報が筒抜けすぎない?」

「ふふっ。不思議なことではありませんよ、神室さん」

 

 有栖は神室へと視線を向け、悪びれる様子もなく微笑んだ。

 

「各クラスには、私が密かに飼い慣らしている『スパイ』が複数名存在しているのです。彼らは、自クラスの動向、特にリーダー格の動きを詳細に監視し、定期的に私へと報告を上げるよう訓練されていますから」

「……スパイって。あんた、他クラスの連中をどうやって寝返らせたわけ? クラス対抗戦の学校で、自分のクラスを売るなんて……リスクが高すぎるでしょ」

「簡単なことです。人間の欲と恐怖を天秤にかけさせただけです」

 

 有栖は、人間の尊厳など欠片も認めていないような、絶対的な支配者の論理を口にした。

 

「中間試験で我々が9名もの退学者を出させた事実。そして、リアヴェルくんが初日に提示した『不士鳥財閥による未来の保証』。……これらを提示されれば、沈みゆく泥船で無駄な足掻きをするよりも、自ら進んで我々Aクラスに有益な情報を売り渡し、個人の安全と将来を確約してもらおうと考える賢しい人間は、必ず一定数現れます。私は、そうした『自ら望んで裏切り者となった生徒たち』を、有効活用しているに過ぎません」

 

 もちろん、その中には魔法による『暗示』で完全に自意識を奪われた人形も多数含まれているのだが、有栖はそれを巧みに伏せ、すべてを人間の強欲さの産物として説明し切った。

 

「……信じられないわね。自分のクラスの仲間を売ってまで、あんたたちに媚びを売る連中がいるなんて。他クラスの状況には呆れるしかないわ」

 

 神室は、人間という生き物の醜悪さに心底嫌気が差したように、深くため息をついた。

 彼女自身も有栖の命令で動いている身だが、自ら進んで他者を売るスパイたちの精神性には、到底理解が及ばなかった。

 

「それが人間の本質というものだよ、神室。美しい友情や絆など、絶対的な力と利益の前では、いとも容易く砕け散るガラス細工に過ぎない」

 

 リアヴェルが楽しげに言葉を引き継ぐ。

 

「それで、有栖。龍園の策はBクラスとの同盟だけで終わるはずがないだろう。あの男のことだ、手駒は一つでも多く揃えようとするはずだが?」

「ご名答です、リアヴェルくん。龍園くんの魔の手は、当然ながらDクラスにも伸びていました。しかし……そちらの交渉は、未だ暗礁に乗り上げているようです」

「ほう。Dクラスはポイントも底を尽き、背に腹は代えられない状況のはずだが?」

「ええ。龍園くんは、現在Dクラス内で実質的なリーダーとして振る舞い、人望を集めている櫛田桔梗さんに狙いを定め、水面下で接触を図っていました」

 

 櫛田桔梗。

 つい先ほど、リアヴェルがプロムナードデッキで言葉を交わしたばかりの少女だ。

 

「ですが、彼女との話し合いの場に、Dクラスの未だ折れていない生徒が乱入し、交渉を完全に決裂させているのです。堀北鈴音さんと、幸村輝彦くんです」

「ああ、あの無駄にプライドばかりが高い女と、学力しか取り柄のない男か」

「はい。堀北鈴音さんは、龍園くんの手法を真っ向から否定し、自分たちだけの力でAクラスに勝つことを目標としているようです。また幸村輝彦くんも、Cクラスのような不良の集まりと手を組んだところで、無意味なことだと認めようとしないそうです。彼らが櫛田さんの交渉に割り込み、龍園くんに噛みついて激しい口論となるため、Dクラスは未だにクラス内の意思統一すらできず、同盟は結べず仕舞いという有様です」

 

 有栖は、Dクラスの滑稽な内紛を嘲笑うように、銀の瞳を細めた。

 

「櫛田さんは表面上は『みんなの意見を尊重したい』と立ち回っていますが、彼女の内心の焦りと苛立ちは想像に難くありません。彼女一人では、強烈な自我を持つ堀北さんたちを抑え込むことは不可能なのです」

「ククッ……見事な自壊だな。外に巨大な敵がいるというのに、内輪揉めで自ら孤立を選ぶとは。流石は底辺に集められた欠陥品どもだ」

「そのうえで、私の心理分析とこれまでの情報を統合し、結論を申し上げます」

 

 有栖は、これからの特別試験における、他クラスの動きを完璧に予測してみせた。

 

「BクラスとCクラスは、来たるべき試験において強固な共闘体制を敷いて我々に挑んでくるでしょう。そして、龍園くんは同盟を結べなかったDクラスを諦めたわけではありません。彼は、孤立して窮地に陥るであろうDクラスを、極限状態まで追い込み……最終的には彼らを『鉄砲玉』として利用するはずです」

「鉄砲玉?」

「はい。捨て身の特攻です。ポイントも失い、希望もないDクラスの残党に、我々Aクラスへの憎悪を煽り立て、ルール違反ギリギリの暴力行為や妨害工作を行わせる。最悪の場合、Dクラスを丸ごと犠牲にしてでも、我々Aクラスを道連れにしてポイントを削り取ろうと仕掛けてくるはずです」

 

 有栖の放った冷酷な予測に、神室の背筋にゾクッと冷たい汗が流れた。

 

「……正気? 自分たちが勝つために、他のクラスの人間を物理的に潰す弾除けとして使うってこと? 龍園って奴、完全に頭がイカれてるじゃない……」

「それが弱者の生存戦略というものです。ですが、ご安心を。彼らがどのような策を弄そうと、私の盤面の上ではすべて計算の範疇に過ぎません」

 

 有栖は、神室の恐怖を鼻で笑い飛ばし、主であるリアヴェルへと深い忠誠の眼差しを向けた。

 

「リアヴェルくん。B・Cクラスの同盟も、Dクラスの特攻も、すべて私が完封し、彼らに絶対的な絶望と敗北を与えてみせます。リアヴェルくんは、ただその滑稽な喜劇を眺め、楽しんでいただければと存じます」

「頼もしい言葉だ、私の女王。君の描き出す残酷な芸術を、特等席で堪能させてもらおう」

 

 リアヴェルが優雅にグラスを掲げ、二人の悪魔が互いの絶対的な勝利を確信した、その時であった。

 

——ピンポンパンポーン。

 

 客室内に設置されたスピーカーから、突如として船内アナウンスのチャイムが鳴り響いた。

 

『生徒の皆さんに連絡します。現在、本船は目的地である島を周回しております。まもなく上陸の手続きに入りますので、生徒のみなさんは速やかに指定されたデッキへ集合してください。繰り返します——』

 

「……来たようですね」

 

 有栖が静かに呟き、バルコニーの窓へと視線を向けた。

 リアヴェルも立ち上がり、窓の外を見下ろす。そこには、どこまでも広がる青い海の中に、突如として姿を現した巨大な『緑の要塞』——手付かずの大自然が残る、無人島の姿があった。

 

「ほう。あれが我々の新たな遊戯盤というわけか」

「美しい自然ですが……これよりあの島は、人間たちの欲望と悪意が渦巻く、最も醜い戦場へと変わるのでしょうね」

 

 リアヴェルと有栖は、眼下に広がる無人島を見下ろし、傲慢な笑みを交わした。

 一方の神室は、これから始まるであろう過酷な試験と、この二人の怪物が引き起こすであろう惨劇を想像し、重いため息をつきながら立ち上がった。

 

「行くわよ。遅れたら、また何を減点されるか分かったもんじゃないわ」

 

 生徒たちが、期待と不安、そして戸惑いを抱えながら、続々と下船の準備を進めていく。豪華な客船のタラップが下ろされ、眩しい太陽が照りつける白い砂浜へと、生徒たちが次々と降り立っていった。

 波の音と、鬱蒼と生い茂るジャングルの熱気が、彼らの肌を直接撫でる。

 そこは、文明の利器が一切存在しない、完全なる大自然の領域であった。

 全クラスの生徒が砂浜に整列を終えたところで、一年生の教師陣を代表し、Aクラスの担任である真嶋智也が、重々しい足取りで生徒たちの前に進み出た。

 彼の表情は、学校の教室で見せる時以上に厳格で、一切の妥協を許さない冷酷さを帯びていた。

 

「——よく聞け、お前たち」

 

 真嶋の低い声が、波の音を掻き消して砂浜に響き渡る。

 

「これまでの豪華客船でのバカンスは終了した。これよりお前たちには、この無人島を舞台とした『一週間に及ぶ特別試験』を受けてもらう」

 

 ざわっ、と。

 生徒たちの間に、隠しきれない動揺と悲鳴にも似たどよめきが広がった。

 一部の鋭い生徒たちは予想していたことだが、大半の生徒にとっては、突然の地獄への宣告に等しかったのだ。

 

「ルールは後ほど詳細に説明する。だが、一つだけ言っておく。この試験は、クラスの団結力、サバイバル能力、そしてポイントの管理能力を極限まで試すものだ。お前たちの行動一つ一つが、クラスの存亡を懸けたポイントの増減に直結する。甘えは一切許されない」

 

 真嶋は、怯える生徒たちを鋭い眼光で一瞥し、最後に絶対の宣告を下した。

 

「これより、高度育成高等学校一年生による、無人島特別試験を開始する!」

 

 その言葉と共に、過酷な一週間の幕が切って落とされた。

 動揺するBクラス。虎視眈々と牙を研ぐ龍園率いるCクラス。そして、内部崩壊の危機を抱えながらも絶望の淵に立たされるDクラス。それらの有象無象を、リアヴェルはAクラスの先頭に立ち、傲岸不遜な笑みを浮かべて眺めていた。

 

(さあ、私に最高のエンターテインメントを提供してみせろ)

 

 太陽が照りつける無人島。不死鳥の悪魔とその眷属たちが織り成す、残酷で美しき蹂躙の遊戯が、大自然の箱庭を舞台に、今、本格的に牙を剥き始めたのであった。

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