ようこそ不死鳥の舞う教室へ 作:Gemini&指示出す人間
坂柳有栖が不士鳥リアヴェルの眷属として『悪魔』に転生し、脆弱な肉体の縛りから解放された夜から、数日が経過していた。
高度育成高等学校における彼らの日常は、表面上は他の生徒たちと何ら変わらぬように見える。
朝早くに学生寮を出て通学路を歩き、1年Aクラスの教室で授業を受ける。だが、放課後のチャイムが鳴り響いた瞬間から、二人の時間は人間界の常識から大きく逸脱した「裏側の世界」へとシフトするのだった。
「——そこです」
リアヴェルの私邸、その地下に広がる広大な修練場。
大理石の床を蹴り、残像を残すほどの速度で跳躍した有栖の指先から、高圧縮された魔力の弾丸が放たれる。真紅の軌跡を描いて殺到するそれに、リアヴェルは避けることすらせず、軽く片手を掲げた。着弾の瞬間、爆音が響き渡り、土煙が舞う。しかし煙が晴れた後に立っていたのは、服の裾一つ焦がしていない無傷のリアヴェルだった。
「素晴らしい。悪魔に転生してわずか数日。まだ魔力の流れに身体が慣れていないはずだが、魔法の威力の調整、発動までのタイムラグの短縮、どれをとっても完璧だ。さすがは私の『女王(クイーン)』だな」
「お褒めにあずかり光栄です。ですが、リアヴェルくんには傷一つつけられませんでした。まだまだ、あなたの足元にも及びませんね」
ふわりと床に着地した有栖は、乱れた銀糸の髪を掻き上げながら、悔しさよりも楽しさが勝る笑みを浮かべた。
「焦る必要はない。君の頭脳はすでに、私が教えた悪魔の魔法体系を完璧に理解している。あとは肉体がそれに追いつくのを待つだけだ」
リアヴェルは指を鳴らし、修練場の空間を元通りに修復すると、有栖を連れてラウンジへと移動した。
メイドが淹れた極上の紅茶を傾けながら、二人の「座学」が始まる。
リアヴェルは冥界の情勢、七十二柱と呼ばれる純血の悪魔たちの相関図、現魔王たちの政策、さらには天使や堕天使とのパワーバランスに至るまで、詳細な情報を有栖に与えていった。元より天才的な知能を持つ有栖は、それらを乾いたスポンジが水を吸うように、またたく間に吸収していく。
「なるほど……。悪魔社会において『レーティングゲーム』が単なる娯楽ではなく、貴族間の権力闘争や政治的な発言権を決定づける代理戦争の役割を果たしているのですね」
「その通りだ。領地の賭け合いや、派閥の拡大。すべてがゲームの勝敗で決まる」
「非常に合理的かつ、エンターテインメント性に富んだシステムです。直接的な戦争による種の疲弊を避けつつ、実力主義を徹底できる。……ですが、旧体制の血統を重んじる貴族たちの中には、実力だけで成り上がる新興勢力に対して不満を抱く層もいるはず。そこを突けば、容易に盤面を引っ掻き回せそうですね」
有栖はカップを置き、チェス盤の駒を動かすように優雅な指つきで空をなぞった。たった数回の講義で、彼女はすでに悪魔社会の政治的弱点や経済の構造を分析し、自らが介入した際のシミュレーションまで行っているのだ。
「はははっ! 本当に君というやつは、どこまで私を楽しませてくれるんだ。まだ冥界に足を踏み入れたことすらないというのに、すでに古狸の貴族たちを出し抜く算段を立てているとはな」
「当然です。私はあなたのクイーンなのですから、あなたが将来、冥界の覇権を握るための布石は、今から打っておくべきでしょう?」
悪魔としての知識と魔力の扱い。それだけでも途方もない学習量だが、有栖の要求はそれだけにとどまらなかった。
「……リアヴェルくん。一つ、お願いがあります」
「なんだ? 言ってみろ」
「私に、『体術』の稽古をつけていただけないでしょうか」
その申し出に、リアヴェルは少しだけ意外そうに眉を上げた。
有栖はもともと頭脳労働を専門とするタイプだ。魔法や指揮能力の向上を求めるならわかるが、自ら肉弾戦の技術を求めるのは彼女のプレイスタイルから外れているように思えたからだ。
「構わないが、なぜだ? 肉弾戦など、いずれ他の駒を集めて任せればいい。君が最前線で拳を振るう必要はないだろう」
「……ええ、分かっています。ですが」
有栖は自身の両足を見下ろし、それから嬉しそうに、少女のように純粋な微笑みを浮かべた。
「私、今、体を動かすことが楽しくて仕方がないのです。生まれてからずっと、全力で走ることも、跳躍することも、心臓の鼓動を早めることすら許されませんでしたから。……この自由な肉体で、私がどこまで動けるのか、試してみたくてたまらないのです」
杖を手放し、自らの足で大地を踏みしめ、風を切る喜び。天才少女が抱えていた、あまりにも人間らしく、そして切実な欲求。リアヴェルは目を細め、彼女のその欲求を至極真っ当なものだと肯定した。
「いいだろう。君が望むなら、私が直接、手取り足取り教えてやろう。だが、フェニックスの格闘術は苛烈だぞ? 悪魔の治癒力があるとはいえ、決して甘い稽古にはならない」
「望むところです。私が音を上げるとでも?」
その日から、放課後から夜明けに至るまでの時間は、徹底的なスパルタ特訓へと変貌した。
悪魔となったことで睡眠時間が極端に短くて済むようになった有栖は、時間を惜しむようにリアヴェルに挑み続けた。
「遅い! 思考に頼りすぎだ、有栖! 肉体の反射で動け!」
「くっ……!」
地下修練場に打撃音が響き渡る。
リアヴェルの蹴りを腕でガードした有栖だが、その圧倒的な質量の前に弾き飛ばされ、床を転がる。しかし彼女はすぐに身を翻し反動を利用してリアヴェルの死角へと潜り込み、鋭い手刀を放つ。何度叩き伏せられても、汗にまみれ、息を乱しながらも、有栖の瞳は歓喜に燃えていた。
生きている。今、私は全力で命を燃やしている。
絶対的な強者であるリアヴェルと拳を交え、彼に教えを乞い、己の限界を更新し続ける日々。それは彼女にとって、何物にも代えがたい至福の時間だった。
そして、夜の顔が悪魔としての修練であるならば、昼の顔は——「Aクラスの統一」である。
充実した裏の日常を過ごしながらも、有栖は同時並行で、高度育成高等学校という箱庭の盤面を支配するための行動を開始していた。
入学初日にリアヴェルが「行動規範がポイントの増減に直結する」という学校の真のルールを看破したおかげで、1年Aクラスの生徒たちは初日から徹底した自己管理を行っていた。私語、遅刻、欠席は一切なく、授業態度は極めて真面目。結果として、五月のポイント支給において、Aクラスだけが初期の10万ポイントをほぼ維持するという偉業を成し遂げた。
これにより、リアヴェルの慧眼とカリスマはAクラスの中で絶対的なものになりつつあった。しかし、優秀な生徒が集まるがゆえに、一枚岩ではない。特に保守的で堅実な思考を持つ葛城康平は、リアヴェルのあまりにも傲慢で、他クラスを挑発するような態度を危惧していた。
「坂柳。少し時間をもらえないだろうか」
ある日の昼休み。教室の隅で読書をしていた有栖のもとに、葛城が険しい顔つきで歩み寄ってきた。有栖は本を閉じ、柔らかな笑みを向ける。
「構いませんよ、葛城くん。どのようなご用件でしょうか」
「不士鳥のことだ。不士鳥の見識の高さと、クラスにもたらした利益には感謝している。だが、不士鳥が全校生徒に向けて放った『自分に仕えろ』という挑発的なオーディションは、あまりにもリスクが高すぎる。他クラスからのヘイトを買い、不必要な妨害を受ける可能性もある。……坂柳は不士鳥の近くにいることが多い。お前から、不士鳥に少し自重するよう進言してくれないだろうか」
葛城の言葉は、クラスの防衛を第一に考える彼らしい、至極真っ当な懸念だった。
しかし、有栖はくすりと笑い、ゆっくりと立ち上がった。杖をついていた頃の痛々しさはなく、その立ち姿は凛として、どこか威圧感すら漂わせている。
「葛城くん。あなたは、城壁を高くし、堀を深くすれば安全だとお考えなのですね。ですが、それでは防戦一方。いずれジリ貧になるのは目に見えています」
「防衛を固めることが、Aクラスの地位を維持する最適解だ。無駄な争いなど——」
「いいえ、間違っていますよ」
有栖の銀色の瞳が、スッと冷たさを帯びた。
悪魔としての魔力、そしてクイーンとしての絶対的な威圧感が、無意識のうちに彼女の言葉に重みを乗せる。葛城は思わず息を呑み、一歩後ずさった。
「戦いを避けて得られる平和など、かりそめのものに過ぎません。この実力至上主義の学校において、我々が真に安全を得る方法はたった一つ。『他のすべてのクラスを徹底的に蹂躙し、反逆の意志すら抱かせないほどの圧倒的な恐怖と力の差を見せつけること』。それだけです」
「な……何を言っているんだ!?それではまるで、独裁者の論理だ!」
「ええ、その通りです。そして、その独裁者として君臨するにふさわしいのは、この世界でただ一人。リアヴェルくんをおいて他にいません」
有栖は葛城に一歩近づき、決定的な言葉を放った。
「葛城くん。あなたには、リアヴェルくんを止める権利も、実力もありません。彼はすでに王としての資格を示しました。ならば、我々Aクラスの生徒が為すべきことは、彼の意志を絶対のルールとし、彼の手足となって働くこと。……それに異論があるというのなら、まずは私を打ち破り、実力で退けてからにしてください」
静かな、しかし有無を言わせぬ宣告。葛城は反論しようと口を開いたが、有栖から放たれる底知れぬプレッシャーを前に、言葉を紡ぐことができなかった。
彼女の背後には、あの圧倒的なカリスマを持つリアヴェルの影が見え隠れしている。
ここで有栖と対立することは、クラスを分断し、結果的にAクラスの自滅を招くことを、彼の理性が警告していた。
「……分かった。お前たちのやり方にすべて賛同するわけではないが、今は不士鳥の実績を認めよう。だが、クラスに実害が及ぶようなことがあれば、その時は俺が全力を挙げて不士鳥を止める」
「ふふっ。ええ、それで構いません。あなたが彼に抗える日が来るのを、楽しみにしていますよ」
葛城が引き下がったことで、Aクラスにおける最後の抵抗勢力は事実上、無力化された。
有栖は、自らが矢面に立って汚れ役や交渉役を引き受けることで、リアヴェルが玉座から動くことなくクラスを統治できる環境を完璧に整え上げたのだ。
その日の放課後。
全員が帰宅した後の教室。教卓の中心、まるで玉座のような位置に腰掛けるリアヴェルの隣で、有栖は恭しく頭を下げた。
「ご報告いたします、リアヴェルくん。葛城康平を含むクラス全員が、あなたの意志に従う体制が整いました。これでAクラスは、完全にあなたの手足として機能します」
「ご苦労だったな、有栖。君の鮮やかな盤面操作、見事だったぞ」
リアヴェルは夕陽に照らされた教室を見渡し、傲慢に、そして不敵に笑った。
「さあ、足元(陣地)は固まった。これでようやく、他のクラスの有象無象や、上級生という名の駒たちを品定めする準備が整ったというわけだ。……矮小な人間界の学園生活、せいぜい派手に楽しませてもらおうじゃないか」
「はい。どこまでも、お供いたします」
不死鳥の悪魔と、その眷属たる天才少女。
絶対的な力と知略を併せ持つ二人が、高度育成高等学校のすべてを支配し、蹂躙するための遊戯が、今、本格的に幕を開けた。