ようこそ不死鳥の舞う教室へ 作:Gemini&指示出す人間
五月を迎えて数日。各クラスが突きつけられた「実力至上主義」の残酷な真実に直面し、焦燥と混乱の渦に巻き込まれている中、1年Aクラスだけは静かな、しかし確かな熱気を孕んだ平穏を保っていた。
すべては、絶対的支配者である不士鳥リアヴェルと、彼を補佐する天才悪魔少女・坂柳有栖の統治によるものである。
「——というわけで、Bクラスは一之瀬帆波が上手くクラスをまとめているようです。Cクラスの龍園翔は情報収集に徹しており、Dクラスは……未だに自壊の傷を舐め合っているような状況ですね」
放課後のカフェテリア。
優雅に紅茶を傾ける有栖の向かいで、愛想の良い笑みを浮かべながら報告を行っているのは、クラスメイトの橋本正義だった。彼の隣には、不機嫌そうにストローを噛む神室真澄が座っている。
「ご苦労様、橋本くん。他クラスの動向調査、とても助かります」
「いやいや、坂柳さんのため、引いては不士鳥の旦那のためならこれくらい安いもんさ。俺もAクラスで勝ち残りたいし、あわよくば不士鳥財閥の特等席を狙いたいからね」
おどけた調子で野心を隠そうともしない橋本に、有栖はふふっと上品に微笑んだ。
(ええ、その俗物的な思考、とても扱いやすくて助かります。裏切りを常に視野に入れているからこそ、彼には『圧倒的な恐怖と利益』を与え続ければ最も忠実な猟犬になる。情報収集能力も申し分ありません)
有栖は橋本の能力を見定め、次に視線を神室へと移した。
「神室さんも、いつも橋本くんのサポートありがとうございます。退屈してませんか?」
「……別に。私はただ、逆らって目をつけられるのが面倒なだけ」
神室はそっぽを向いたが、その瞳の奥には有栖に対する得体の知れない畏怖が潜んでいた。杖をつき、誰よりも弱々しかったはずの少女が、今や自身の足で悠然と歩き、クラスを操っている。その異質さに、神室の動物的な本能が警鐘を鳴らしているのだ。
(神室さんは、手持ち無沙汰で刺激に飢え、しかし自ら動く勇気はない。追い込んで弱みを握れば、汚れ仕事を任せる実行部隊『
表面上は和やかな談笑。しかし有栖の頭脳は、彼らがいずれ『悪魔の駒』として転生させるに足る器かどうか、あるいは人間として使い潰すかどうかの冷酷な計算を終えていた。
彼らにはまだ、魔法や悪魔の真実を明かす段階ではない。今はただ、自身の優秀な「手足」として機能させればそれでいい。
「では、引き続き他クラスの監視をお願いしますね。リアヴェルくんの覇道に、無駄なノイズは不要ですから」
橋本と神室と別れた後、有栖は足早に特別棟の裏手、監視カメラの死角となる路地へと向かった。
悪魔として新生した彼女の肉体は、以前の虚弱さが嘘のように軽く、満ち溢れる魔力が彼女の知能と連動してかつてない高揚感をもたらしていた。
「——お待ちしておりました、坂柳様」
路地裏の薄暗がりで有栖を待っていたのは、Bクラス、Cクラス、そして上級生である2年生の、一見して目立たない、名前も知られていないようなモブ生徒数名だった。
彼らの瞳孔は焦点が定まっておらず、まるで魂が抜けたかのような虚ろな表情で直立不動の姿勢をとっている。
「ええ。ご機嫌いかがですか、私の可愛いお人形たち」
有栖は彼らを見渡し、ぞっとするほど冷酷で妖艶な笑みを浮かべた。
彼らは、有栖が作り上げた『子飼いのスパイ』である。
リアヴェルから悪魔の基礎として教わった『記憶操作』と『暗示』の魔法。それは、悪魔が長きにわたり人間界の歴史の裏側で暗躍し、正体を隠匿し続けるための絶対的な技術だった。
『人間の脳は極めて脆い電気信号の集合体に過ぎない。魔力でその海馬に直接干渉し、改ざんと刷り込みを行う。特に君のような知略に長けたタイプには、この手の魔法は息をするより簡単だろう?』
リアヴェルの言葉通りだった。
有栖の持つ膨大な魔力と、それを精密にコントロールする天才的な計算能力は、記憶操作の魔法と恐ろしいほどの親和性を見せた。
彼女は実験がてら、放課後の死角で他クラスの孤立した生徒を捕らえ、その精神を魔法で書き換えていった。「Aクラスへの敵対心を消去すること」「自クラスの重要な動向を無意識のうちに記憶し、定期的に有栖へ報告すること」「有栖の命令を絶対とすること」。
「さあ、報告を聞かせてもらいましょうか。Bクラスの一之瀬帆波の裏の顔、あるいはCクラスの龍園翔が企てている次の手……。あなたたちが仕入れた情報を、すべて私に教えなさい」
有栖が指を鳴らすと、スパイたちの口から機械のように情報がすらすらと語られ始めた。
橋本たちのような「自意識を持った人間」に調べさせる情報と、こうした「自我を奪われた傀儡」が内側から盗み出す絶対的な一次情報。この二つを照らし合わせることで、有栖は学校全体の動向を神の視点から俯瞰することが可能となったのだ。
「ふふっ……素晴らしいですね。魔法というものは、これほどまでに真実を容易く暴き、支配できる。人間のちっぽけな心理戦など、もはや児戯に等しいですね」
報告を終えたスパイたちに、有栖は再び魔力を放った。
「あなたたちは先ほどまで一人で図書室で自習をしていました。私と会った記憶は一切ありません。さあ、戻りなさい」
有栖の言葉に従い、虚ろだった彼らの目に再び人間らしい光が宿る。彼らは有栖の存在を完全に忘却したまま、何事もなかったかのようにその場を去っていった。
記憶操作により証拠は完全に隠滅される。監視カメラすらも、悪魔の魔力によって一時的に映像をループさせることで誤魔化している。
高度育成高等学校という鉄壁の箱庭において、坂柳有栖の狂気的な情報網は、誰にも気づかれることなく完成しつつあった。
その頃。
有栖が有能なクイーンとしての務めを果たすべく暗躍している一方で、主であるリアヴェルは、退屈しのぎに校内を散策していた。
彼が歩けば、すれ違う女子生徒たちはその超絶的な美貌に顔を赤らめ、男子生徒たちは道を開ける。誰もが彼を認識し、目を奪われる。
しかし、超越者であるリアヴェルの感覚は、自らに向けられる視線の中に、極めて異質な「無」が混ざっていることに気づいていた。
(……ほう?)
放課後の誰もいない階段の踊り場。
リアヴェルはピタリと足を止め、虚空に向かって声をかけた。
「そこにいるのだろう。息を潜めるのは上手いが、私の目を誤魔化すには少々もの足りないな」
「…………ひゃっ!?」
リアヴェルの言葉に、空間そのものがビクッと震えたかと思うと、階段の影から小柄な少女が姿を現した。
極限まで自身の存在感を消している少女。同じ1年Aクラスの生徒、山村美紀であった。
「や、山村……です……。あ、あの、不士鳥くん……どうして、私がここにいるって……」
彼女は怯えた小動物のように肩を震わせた。
無理もない。彼女の「影の薄さ」は、単なる陰キャや無口といったレベルを凌駕している。クラスメイトはおろか、教師でさえも彼女がそこにいることに気づかないことが多々あるほどだ。
(なるほど。有栖のような圧倒的な知性とはベクトルが違うが……これはこれで、極めて特異な『
リアヴェルは興味深げに目を細めた。
隠密行動。気配遮断。悪魔の世界において、アサシンや諜報員として活躍する者たちが血の滲むような修行の末に身につける技術を、この人間の少女は生まれつき、無意識のうちに発動し続けているのだ。
それを自覚せずに「存在感がない」と卑下しているのだとすれば、宝の持ち腐れにもほどがある。
「なぜ気づいたか、か?簡単なことだ。君の存在の消し方が、あまりにも『見事』だったからだよ」
リアヴェルは優雅な足取りで山村へと近づき、壁際に追い詰めるようにしてその前に立った。
圧倒的なオーラと美貌の接近に、山村の顔が限界まで赤く染まり、パニックで息が止まりそうになる。
「み、見事……?」
「ああ。多くの人間は自己を主張することに必死だが、君は自身の気配を周囲の環境に溶け込ませ、認識の死角を突くことに特化している。これは立派な才能だ。戦場において、君のような存在は、敵の喉元に最も音もなく刃を届かせることができる極上の暗殺者になり得る」
「あ、暗殺者……!? わ、私、そんな恐ろしいこと……」
「比喩だよ」
リアヴェルはくすりと笑い、山村の長い髪を指先でそっとすくい上げた。
彼女の瞳は、怯えながらも、初めて自身の在り方を「肯定」してくれた目の前の絶対者に対して、強い引力を感じていた。
「どうだろう、山村。君のその見事な才能、私のために使ってみる気はないか?」
「え……?」
「誰にも気づかれない孤独な影として生きるか。それとも、私の盤面で、誰にも止められない不可視の刃として重宝されるか。……私のもとへ来れば、君のその特性を、世界で最も価値のある能力へと昇華させてやろう」
女誑しにして絶対的な支配者である不死鳥の囁き。
それは、クラスで誰からも認識されず、透明な存在として生きてきた少女にとって、劇薬のような救済であった。
「わ、私で、お役に立てるなら……」
「素晴らしい返答だ。期待しているよ、私の可愛い影」
リアヴェルが山村に甘い笑みを向けたその瞬間、また一つ、Aクラス内に強固な「駒」のフラグが成立した。
有栖による盤面外からの情報支配。そしてリアヴェルによる、眠れる才能の発掘と掌握。人間たちの知らないところで、二人の悪魔による高度育成高等学校の完全攻略は、恐るべき速度で進行していた。