世界を管理する最弱女神は、滅びた世界をデバッグする 作:パンダプリン
「巫女様、魔物は去ったようです」
「ええ。そのようね……」
それだけの力がこの結界にはあったということ?
……いえ、そんなはずはない。そのことは、結界を管理する巫女の私が一番わかっている。
結界は汚染を防ぐので精一杯。それどころか、汚染が日々押し寄せては結界は縮退している。
生贄を捧げてももはや間に合うことはない。私たち海人は緩やかに衰退するだけの種族となってしまった。
「もしかして、あの子が結界の礎となったからかしら?」
「そうかもしれませんね……。彼女が犠牲になってくれたので、私たちは生き延びたのかもしれません」
汚染に巻き込まれ、その命が尽きることとなった海人の少女。
あの子は、死ぬくらいなら結界のために命を使うはず。
そうして新たな魔力が補給されたことで、結界の効果が一時的に上がったのかもしれないわね。
……ああ、また私は仲間を犠牲に生きながらえる道を選んでいる。
いっそこんな結界などなければ、なんて罰当たりなことさえ考えてしまう。
私たちを守ってくれる結界。それは疑う余地はない。
だけど、この結界のためにどれだけの命を引き換えにしてきただろう。
それでもそれ以外の生き方はない。私たち海人は、結界に命を捧げるために生まれてきたのかしら……。
「やっぱり、結界の力だけが私たちを守ってくれる……」
「ええ。私たちは結界を巫女様にすべてを捧げればそれでいい」
「どのみち死ぬのなら、あんな穢れ切った海ではなく結界の礎になりたい……」
本心からなんでしょうね。
だけど、そうやって逃避する以外の道がなかったから……。
海人にとっての救いが結界になっている。私たちを生かすための結界が、私たちよりも大切なものとして認識されてしまっている。
でも、その認識を変えるには私には力が足りなすぎる。
巫女、ね……。結界の奴隷のことをそう呼ぶのかしら?
「ちょっといいですか?」
「だ、誰!?」
暗い歓喜の声に気分が澱んでいると、場違いな淡々とした声がそこに交ざった。
いつのまにかそこにいたのは、見るからに海人ではない別の種族。
白い翼が生えた私と同い年くらいの女の子……?
ほ、本当に誰? いえ、その前にどうやって結界の中に入ってきたの?
「み、巫女様。この者はいったい……」
「ああ、それなんですけど。私も巫女なので紛らわしいです。そちらのあなた、名前は?」
「え……ネルシアだけど」
「ではネルシア。あなたは海の巫女です」
提案でさえない。有無を言わさずあまりにも一方的なのに、なぜか自信に満ちているせいで納得している自分もいる。
一つだけ嬉しかったのは、結界の巫女と呼ばれなかったことかしら……。
「ちょ、ちょっと待て。お前は誰なんだ。巫女様はネルシア様だけだぞ? そもそも、お前は海人でもないじゃないか」
「海人族です」
「は?」
「あなたたちは今日から海人ではなく、海人族と名乗りなさい。神様はあなたたちをそう呼んでいます」
「神……?」
種族名を改めろって神様が?
……いえ、さすがにその言葉を信じるのは無理でしょ。
この瞬間私たちの中で、この少女は荒廃した世界の犠牲になり頭がおかしくなった子、という認識へと変わった。
「私は神様に仕える巫女です。神様に代わりあなたたちにお言葉を伝えに来ました」
「そ、そうか……。お前も大変だったんだな」
「いえ、神様に与えられた役割です。大変なことなんて何もありません」
どうしよう。
この子の頭がおかしくても、おそらく外の世界から来たことには間違いない。
海人以外の人間は存在しないはずなのに、この子はどう見ても海人じゃないし。
外部の人間を招いた経験なんて当然ないから、どのように接すればいいかわからない。
「まず、神様は結界を問題視しています」
「はあ?」
どこまでもマイペースに、もう確定した事項として淡々と伝えられる。
……結界を問題視している。彼女はたしかにそう言った。
その言葉を聞いた仲間たちは、皆一様に動揺している。
「神様はこの歪な生存可能圏を憂いておられます」
……!
「おい、いくらなんでも失礼だろ。俺たちはこの結界があるから、今もこうして生きることができているんだぞ!」
「結界をどうするつもり!? まさか破壊して私たちを殺すってこと!?」
「あの女、何を言っているのかわかっているのか!」
さすがに穏やかに話を聞いてはいられない。
あの結界が壊れたら、私たち海人は皆汚れた海に蝕まれて死んでしまう。
周囲の者たちは少女を敵だと認識し、今にも襲い掛かりそうなほど激昂していた。
だというのに、少女はまるで物怖じすることもなく言葉を続ける。
「結界に殺されているだけの種族が、結界を擁護するんですか」
先ほどの言葉と同様に、私の心にはそれが刺さってしまう。
少女が言う神様とやらの言葉は、私がまさに憂慮していたことを言い当てているから……。
「ど、どういうことだよ」
信じていた結界が自分たちを殺すと少女が断言したせいか、殺気立ってた仲間たちの頭の中は疑問のほうが大きくなったみたい。
少女は……それを興味もなさそうに見つめていた。
「維持に生贄を捧げる不完全な防衛装置。それにより海人族はゆるやかに絶滅する。神様はその歪な生き方を許しません」
「だったら、どうしろっていうんだ。生贄がいなければ今この瞬間に全員で死ぬんだぞ! 生贄がいれば……生きながらえることはできるんだ」
「神様を信じなさい。神様は、そんな生き方しか選べなかったあなたたちも見捨てません」
「そんなこと言われたって……。急に神様を信じろなんて……」
「急ではありません。あなたたちは、すでに神様の奇跡を目にしています」
神様の奇跡……。
あっ! もしかして、あれが神様の御業だったということ!?
「結界の外の海の汚染が……浄化されたこと?」
「あなたは優秀ですね。神様の偉大さを正しく理解できているようです」
「ど、どうも……」
え、本当に神様が海を浄化してくれたってこと……?
「巫女様!」
「なんですか」
「何かしら?」
「あんたじゃなくて私たちの巫女様!」
「ならば海の巫女と呼びなさい。紛らわしいですよ」
言いたいことはいろいろとありそうだけど、それを後回しにするほどの報告があったみたい。
わりと大変な状況なんだけど、これ以上問題が起きるのは勘弁してほしいわ……。
「セルナが帰還しました!」
「え……」
駄目!
危ないところだった。喜ぶところだった。
だけど駄目。わかっているでしょう? あの子の惨状は私たちも見たじゃない。
あの子は穢れた海に汚染された。だからその命を諦めて結界の礎になる決意をしていた。
……いえ、私がそうしろと命じたじゃないの。
「結界の中に入れたら汚染される……」
「そ、そうだ! 巫女様の妹とはいえ、結界に入れるべきじゃない!」
結界の内部が汚染されたら私たちはもう終わり。
それだけは避けないといけない。そこに公私を混同するなどあっていはいけない。
たとえ……それが自分の妹であっても。
「ちょうどいいですね。その子ならもっと間近で見ているでしょう。神様の偉業を」
「な、なにを言って……」
「海人族の少女なら、海の汚染に巻き込まれる前に私の神様がお救いになりました」
「う、嘘……」
そんなことができるはずがない。
そんなことができるのであれば、それは本当に神の奇跡としか……。
「ね、姉さま……。わ、私、助かってしまって……。汚染が急に浄化されるなんて、ほ、本当に奇跡が起きて……」
恐る恐る私に声をかけてきた少女の姿は……穢れ一つない、別れる前の姿のままだった。
「神様……」
巫女だなんて呼ばれているけれど、私は結界の維持しかできない。
神様がいるなんて信じていない。この世界はとうの昔に神様に見捨てられたと思っていた。
……でも、神様は私たちを見捨てていなかった?
私たちは……神様を信じていいの?