The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第2話:積もる腕

山にはまだ季節があった。

 

雪は冷たく、風は音を立て、足の下で何かが確かに潰れる。踏めば沈み、沈んだ跡はそのまま残った。あたりまえのことだ。あたりまえのはずのことに、いちいち安堵している自分に、カイラスは気づいている。

 

アカヴィリの軍勢とかち合わぬよう、二人は東寄りの山々を越える道を選んでいた。街道を行けば早い。早いが、早く死ぬ。アルセリウスはそう言って、地図も出さずに尾根を指した。

 

馬は二頭とも痩せていた。雪の深いところでは引いて歩くよりなく、そういう場所ばかりが続く。

 

カイラスの左腕には、雪が積もる。

 

払わない。払う必要を感じないからだ。冷たくないものは、そこにあるという実感を伴わない。右手の指がとうに感覚を失いかけているのに、左腕だけが何も訴えてこない。老魔術師の術が、痛みも熱も焼け爛れの進行も、すべて薄い膜の内側へ押し込めている。腕は肩からぶら下がり、歩くたび、体より一拍遅れて振れた。

 

尾根を一つ越えたところで、下に村が見えた。

 

十軒あるかどうか。屋根はどれも落ちている。黒い骨組みだけが雪の中に突き立ち、そのうちの何本かから、まだ細い煙が上がっていた。日が経っているのに燻り続けている。よほど深いところまで焼けている。

 

人影は無い。

 

死体も、思ったほどは無かった。

 

カイラスは足を止めた。老人は止まらない。雪を踏む音が二つから一つになり、そのことにアルセリウスが気づくまで、十歩ほどかかった。

 

「カイラス殿」

 

「……申し訳ありません」

 

「謝ることではありません」

 

老人は待った。急かしもせず、下の村を見ようともせず、ただ雪の上に立っている。

 

「なぜ、私なのですか」

 

風が鳴った。

 

「一度お答えしたと思いますが」

 

「はい。持たざる者だが、生き残った、と。……ですが、生き残った者でしたら、帝国に何万といます」

 

「そうですな」

 

あっさりと肯定される。カイラスは、そこからどう続ければいいのかわからなくなった。

 

アルセリウスは、ローブの内から珠を取り出しはしなかった。ただ、東の空のあたりを見た。

 

「神話が戻ってきております」

 

「……は」

 

「死ねぬ英雄が一人。竜の魂を持つ英雄が一人。この二つは名までわかります」

 

「二つ、ですか」

 

「三つ映りました」老人は言った。「ですが、三つ目は読めません」

 

「読めない、というのは」

 

「読めない、ということです」

 

それきりだった。老人は続きを足す気配も、言いよどむ様子も見せない。カイラスは、そこに何か含みがあるのだろうかと探して、探しても何も出てこないので、諦めた。

 

「竜の魂を持つ英雄には、果たすべきことがございます。命じた者がおりますゆえ。……ですが、残りの二人にはそれが無い」

 

「無い、と」

 

「無いのです。理由も、目的も、来る義理も。そういうものは、放っておけば同じ場所には集まりません。むしろ離れます」

 

帝都の議場で聞かされた話を、カイラスは思い出した。大きすぎる者同士は反発する。近づけるには、間に何も持たない者を挟むしかない。あのときは言葉の意味しかわからなかった。

 

「ですから、繋ぐ人間が要るのです」

 

老人は右手の指を三本、順に折った。

 

「あなたは、東の海で見ました」

 

一本。

 

「西の森で感じました」

 

二本。

 

「そして、北からの声を聞きました」

 

三本。

 

その仕草に、カイラスは覚えがあった。あの森で、頭を均されかけて正気に戻った直後。この老人は北を仰いで、胸の前で何かを数えるような手つきをしていた。あれか、と思う。

 

「三つとも、この短い間にです。タムリエル広しといえど、この三つを揃えた者はほかにおりません」

 

「……あの声は」カイラスは言った。「あれは、何だったのですか」

 

頭蓋の内側に亀裂を入れたような、あの音。以来ずっと、聞き返している。

 

「竜の帰還を告げる声です」

 

「竜」

 

「人の口から出たものですが、中身は竜のものです」

 

老人はそう言って、それ以上は説明しなかった。カイラスにはまるで像が結ばなかったが、聞き返したところで同じ答えが返ってくる、という気もした。

 

「では、その……マグナスの目が、私を選んだのですか」

 

「いいえ」

 

即答だった。

 

「目は選びません。ただ映すだけです。誰かに知らせようとしたのでも、誰かを遣わそうとしたのでもない。……なぜ今それを映したのか、私にもわかりませんな」

 

「わからないのですか」

 

「わかりません」老人はそこで少し笑ったようだった。「ですが、映るということ自体には意味があります。少なくとも私は、そう考えて生きてまいりました」

 

雪が鳴る。

 

カイラスは、自分がひどく心細いことに気づいた。命じた者がいるなら、命じた者を恨める。目が選んだのなら、目を恨める。だがそのどちらでもないと言われてしまうと、この左腕も、あの燻る村も、行き場所が無くなる。

 

「アルセリウス殿」

 

「はい」

 

「サイジック会は、帝国を救ってくださるのですか」

 

「いいえ」

 

二度目の即答だった。

 

「我々が守るのは理です。タムリエルでも、ニルンでもなく」

 

「……理」

 

「東から来た者は時の座を奪い、世の作りそのものを書き換えようとしております。西より滲み出る者は、変わるということを止めようとしております。どちらが通っても、理は残りません。理が無くなれば、その上に載っているものは全部落ちる。帝国も、スカイリムも、あなたも」

 

「では、結果としてタムリエルも」

 

「結果としては」

 

否定はされなかった。肯定もされなかった。順序を並べられただけだった。カイラスは、自分が今、非常に丁寧に突き放されたことを理解した。

 

老人は歩き出そうとする。

 

「……降りられるのですか」

 

言ってしまってから、自分の声の小ささに驚いた。

 

「私は伝令です。剣も大したことはありませんし、魔法も使えません。左腕はこの通りで。……もし、私が降りると言ったら」

 

「降りられます」

 

「え」

 

「誰も咎めません」

 

アルセリウスはそう言った。それだけ言った。言葉を濁さず、間も置かず、続きも足さない。

 

風が鳴っている。

 

カイラスは、老人が何か付け加えるのを待った。待ってしまってから、待っている自分に気づいた。「ですが」でも「しかし」でもよかった。何か一つあれば、それに縋るなり反発するなりできる。

 

老人は馬の首を軽く叩いて、また歩き出した。

 

咎める者がいないということは、止める者もいないということだ。誰も命じていないなら、誰も背負ってはくれない。帝都の議場で老議員たちが押しつけ合っていたあの重さが、いま、この雪の上で誰の手にも渡らずに浮いている。

 

ネクロムの海が焼けた日のことを、カイラスは思い出した。隣にいたダンマーが炭になって崩れる音を、まだ覚えている。あれが帝都で起きる。ブルーマで、コロールで、名前も知らない村で。ちょうど今、眼下で燻っているような形で。

 

そこまで考えて、それ以上は考えられなくなった。

 

歩き出す。

 

雪は膝まであった。右手の指はかじかんで、手綱を握る力がうまく入らない。左腕には、また雪が積もっていく。

 

老人は振り返らなかった。振り返る必要が無かったのかもしれないし、あるいは振り返らずにいてやることが、この老人なりの何かだったのかもしれない。どちらとも取れる背中だった。

 

雪を踏む音が、また二つになった。

 

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