The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
山にはまだ季節があった。
雪は冷たく、風は音を立て、足の下で何かが確かに潰れる。踏めば沈み、沈んだ跡はそのまま残った。あたりまえのことだ。あたりまえのはずのことに、いちいち安堵している自分に、カイラスは気づいている。
アカヴィリの軍勢とかち合わぬよう、二人は東寄りの山々を越える道を選んでいた。街道を行けば早い。早いが、早く死ぬ。アルセリウスはそう言って、地図も出さずに尾根を指した。
馬は二頭とも痩せていた。雪の深いところでは引いて歩くよりなく、そういう場所ばかりが続く。
カイラスの左腕には、雪が積もる。
払わない。払う必要を感じないからだ。冷たくないものは、そこにあるという実感を伴わない。右手の指がとうに感覚を失いかけているのに、左腕だけが何も訴えてこない。老魔術師の術が、痛みも熱も焼け爛れの進行も、すべて薄い膜の内側へ押し込めている。腕は肩からぶら下がり、歩くたび、体より一拍遅れて振れた。
尾根を一つ越えたところで、下に村が見えた。
十軒あるかどうか。屋根はどれも落ちている。黒い骨組みだけが雪の中に突き立ち、そのうちの何本かから、まだ細い煙が上がっていた。日が経っているのに燻り続けている。よほど深いところまで焼けている。
人影は無い。
死体も、思ったほどは無かった。
カイラスは足を止めた。老人は止まらない。雪を踏む音が二つから一つになり、そのことにアルセリウスが気づくまで、十歩ほどかかった。
「カイラス殿」
「……申し訳ありません」
「謝ることではありません」
老人は待った。急かしもせず、下の村を見ようともせず、ただ雪の上に立っている。
「なぜ、私なのですか」
風が鳴った。
「一度お答えしたと思いますが」
「はい。持たざる者だが、生き残った、と。……ですが、生き残った者でしたら、帝国に何万といます」
「そうですな」
あっさりと肯定される。カイラスは、そこからどう続ければいいのかわからなくなった。
アルセリウスは、ローブの内から珠を取り出しはしなかった。ただ、東の空のあたりを見た。
「神話が戻ってきております」
「……は」
「死ねぬ英雄が一人。竜の魂を持つ英雄が一人。この二つは名までわかります」
「二つ、ですか」
「三つ映りました」老人は言った。「ですが、三つ目は読めません」
「読めない、というのは」
「読めない、ということです」
それきりだった。老人は続きを足す気配も、言いよどむ様子も見せない。カイラスは、そこに何か含みがあるのだろうかと探して、探しても何も出てこないので、諦めた。
「竜の魂を持つ英雄には、果たすべきことがございます。命じた者がおりますゆえ。……ですが、残りの二人にはそれが無い」
「無い、と」
「無いのです。理由も、目的も、来る義理も。そういうものは、放っておけば同じ場所には集まりません。むしろ離れます」
帝都の議場で聞かされた話を、カイラスは思い出した。大きすぎる者同士は反発する。近づけるには、間に何も持たない者を挟むしかない。あのときは言葉の意味しかわからなかった。
「ですから、繋ぐ人間が要るのです」
老人は右手の指を三本、順に折った。
「あなたは、東の海で見ました」
一本。
「西の森で感じました」
二本。
「そして、北からの声を聞きました」
三本。
その仕草に、カイラスは覚えがあった。あの森で、頭を均されかけて正気に戻った直後。この老人は北を仰いで、胸の前で何かを数えるような手つきをしていた。あれか、と思う。
「三つとも、この短い間にです。タムリエル広しといえど、この三つを揃えた者はほかにおりません」
「……あの声は」カイラスは言った。「あれは、何だったのですか」
頭蓋の内側に亀裂を入れたような、あの音。以来ずっと、聞き返している。
「竜の帰還を告げる声です」
「竜」
「人の口から出たものですが、中身は竜のものです」
老人はそう言って、それ以上は説明しなかった。カイラスにはまるで像が結ばなかったが、聞き返したところで同じ答えが返ってくる、という気もした。
「では、その……マグナスの目が、私を選んだのですか」
「いいえ」
即答だった。
「目は選びません。ただ映すだけです。誰かに知らせようとしたのでも、誰かを遣わそうとしたのでもない。……なぜ今それを映したのか、私にもわかりませんな」
「わからないのですか」
「わかりません」老人はそこで少し笑ったようだった。「ですが、映るということ自体には意味があります。少なくとも私は、そう考えて生きてまいりました」
雪が鳴る。
カイラスは、自分がひどく心細いことに気づいた。命じた者がいるなら、命じた者を恨める。目が選んだのなら、目を恨める。だがそのどちらでもないと言われてしまうと、この左腕も、あの燻る村も、行き場所が無くなる。
「アルセリウス殿」
「はい」
「サイジック会は、帝国を救ってくださるのですか」
「いいえ」
二度目の即答だった。
「我々が守るのは理です。タムリエルでも、ニルンでもなく」
「……理」
「東から来た者は時の座を奪い、世の作りそのものを書き換えようとしております。西より滲み出る者は、変わるということを止めようとしております。どちらが通っても、理は残りません。理が無くなれば、その上に載っているものは全部落ちる。帝国も、スカイリムも、あなたも」
「では、結果としてタムリエルも」
「結果としては」
否定はされなかった。肯定もされなかった。順序を並べられただけだった。カイラスは、自分が今、非常に丁寧に突き放されたことを理解した。
老人は歩き出そうとする。
「……降りられるのですか」
言ってしまってから、自分の声の小ささに驚いた。
「私は伝令です。剣も大したことはありませんし、魔法も使えません。左腕はこの通りで。……もし、私が降りると言ったら」
「降りられます」
「え」
「誰も咎めません」
アルセリウスはそう言った。それだけ言った。言葉を濁さず、間も置かず、続きも足さない。
風が鳴っている。
カイラスは、老人が何か付け加えるのを待った。待ってしまってから、待っている自分に気づいた。「ですが」でも「しかし」でもよかった。何か一つあれば、それに縋るなり反発するなりできる。
老人は馬の首を軽く叩いて、また歩き出した。
咎める者がいないということは、止める者もいないということだ。誰も命じていないなら、誰も背負ってはくれない。帝都の議場で老議員たちが押しつけ合っていたあの重さが、いま、この雪の上で誰の手にも渡らずに浮いている。
ネクロムの海が焼けた日のことを、カイラスは思い出した。隣にいたダンマーが炭になって崩れる音を、まだ覚えている。あれが帝都で起きる。ブルーマで、コロールで、名前も知らない村で。ちょうど今、眼下で燻っているような形で。
そこまで考えて、それ以上は考えられなくなった。
歩き出す。
雪は膝まであった。右手の指はかじかんで、手綱を握る力がうまく入らない。左腕には、また雪が積もっていく。
老人は振り返らなかった。振り返る必要が無かったのかもしれないし、あるいは振り返らずにいてやることが、この老人なりの何かだったのかもしれない。どちらとも取れる背中だった。
雪を踏む音が、また二つになった。