The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

12 / 46
第3話:置いてきた物

北──ウィンターホールド近郊

 

北の空は、低い。

 

スカイリムの北端では雲が地面のすぐ上を流れる。海から上がった湿気がそのまま凍り、細かい氷の粒が絶えず舞っていた。晴れる日もある。晴れたところで日は低く、伸びるのは影ばかりだった。

 

痕跡を追う前に、寄るところがあった。

 

ダーネヴィールが高度を落とす。町からは離れた斜面で、崖の縁に近いあたり。骨の翼が雪煙を巻き上げ、それが収まるのを待ってから、ドヴァキンは背を降りた。

 

布の衣一枚だった。ソヴンガルデで着ていたものだ。北風はその繊維の隙間を素通りしていく。

 

家は、雪に半分埋まっていた。

 

屋根の稜線だけが白の中に一本、黒く走っている。壁の板は反り、隙間が開いていたが、倒れてはいない。踏み跡は無い。獣のものも、人のものも。

 

扉には、彼が自分でかけた錠がそのままかかっていた。

 

錠を落とす。蝶番が鳴いて、扉は思ったより素直に開いた。

 

中は、暗い。

 

冷たい空気が押し出されてきて、そこに埃の匂いが混じっている。窓から入る光が床に細長く落ち、その帯の中を、開いた扉に押されて舞い上がった粒が、ゆっくりと上がっていく。

 

床には埃が積もっていた。均一に、厚く。誰も踏んでいない厚さだ。

 

炉は冷たい。灰がそのまま残っている。卓の上に木の器が一つ伏せてあり、その底に埃が溜まっていた。椅子は引かれた形のまま止まっている。出て行った日、そのままだ。戻るつもりだったのかどうかは、椅子の向きからは出てこない。

 

ドヴァキンは中を見回さなかった。

 

まっすぐ奥の壁へ歩く。積もった埃に、初めての足跡が付いていく。

 

壁の板の、下から三枚目。左端から数えて四枚目。指を当てて、下へ押し込みながら右へ滑らせる。考えてはいない。手が先に動いていた。

 

板の向こうで、木の栓が抜ける音がした。

 

壁の一部が、内側へ倒れる。

 

狭い。人ひとりが立てるだけの空間だった。差し込んだ光が届かず、目が慣れるまで少しかかる。慣れると、輪郭が浮かんできた。

 

鎧は、革帯が固くなっていた。油を塗ったまま何十年も置いたので、表面が固まって、爪を立てても跡が残らない。指で押すと、爪の跡だけが残った。

 

その隣。

 

二本の受けに、それは横たえてあった。

 

ウースラドは、抜けば重い。

 

刃の縁に、まだ研ぎの筋が残っている。柄を握って持ち上げると、その重さが肩から背中を通って踵まで落ちていった。斧が重いのではない。重さを支えるものが、こちらにあるだけだ。

 

一度、素振りをした。

 

風を切る音が、狭い部屋の中でやけに大きく鳴る。埃が渦を巻いて舞い上がり、光の帯の中を横切っていった。

 

鎧を身に着ける。固くなった革帯は、通すたびに小さく音を立てて折れ、通してしまえばそれで用は足りた。留め具の位置は変わっていない。

 

最後に、下の棚へ手を伸ばす。

 

指が、何にも触れなかった。

 

見た。

 

棚板の上には、埃が積もっている。それだけだ。

 

そこには二つ、置いてあったはずだった。青緑の刃を持つ短剣と、片手の籠手。どちらもずいぶん前に手に入れて、結局一度も使わなかった。使い道が無かったから奥へ置いた。それだけの物だった。

 

ドヴァキンは指で棚板を擦った。

 

指の腹に灰色が付く。板の上には、その跡がまっすぐ一本残った。

 

擦った跡の左右を見る。同じだった。厚みも、色も、どこも同じ。何かがそこにあって持ち去られたのなら、下だけ薄いはずだ。輪郭が出るはずだ。

 

出ていない。

 

戻って、扉を見た。錠は今しがた自分で落としたものだ。壁の栓も、押し込むまで抜けていなかった。床の埃には、彼の足跡だけが付いている。

 

しばらく、そこに立っていた。

 

「……まあいい」

 

そう言って、出た。

 

外は白かった。目が痛む。ダーネヴィールが首を巡らせ、眼窩の青が斧の上で止まる。

 

『その斧か』

 

「ああ」

 

『他には』

 

「二つ足りん」

 

『探すのか』

 

「いや」

 

それだけだった。竜も、それ以上は訊かない。この男が「いや」と言ったものについて重ねて訊いて、何かが出てきたためしが無い。

 

ドヴァキンは骨の背へ跨り、南を向いた。

 

翼が雪を叩き、巨躯が持ち上がる。斜面の家は、白の中の黒い一本に戻り、やがてそれも見えなくなった。扉は開いたままだったかもしれないし、閉めたのかもしれない。どちらだったかを、後で誰かが確かめに来ることはなかった。

 

                 ◇

 

スカイリムとモロウウィンドの境あたりは、その季節、朝も夜も霧だった。

 

濃さは日によって違う。その日は、伸ばした手の先が白く霞む程度には濃かった。道があるのかどうかも判然としない。それでも男は歩調を変えない。方角を間違えたところで、いずれ海か山に突き当たる。突き当たってから考えればいい。急ぐ理由も、間違えて困る理由も、彼には無かった。

 

軽装の鎧は、留め具のいくつかが失われている。革の縁は擦り切れ、腹のあたりに一箇所、刃の通った裂け目が残っていた。裂け目の下の肉はとうに塞がっている。鎧だけが、刺されたことを覚えていた。

 

腹は減っていた。減っているという感覚がまだ残っていることに、ときどき驚く。

 

前方の霧が、薄く色を持ち始めた。

 

紫とも橙ともつかない。夕暮れのいちばん短い時間にだけ現れる色だ。霧の粒のひとつひとつが内側から光り、男の足元に長い影が伸びる。

 

男は立ち止まった。

 

驚いたからではない。光の中をそのまま歩けば、しばらく目が眩む。それが面倒だっただけだ。

 

「久しいな、ネレヴァリン」

 

声は、耳から入ってこなかった。

 

「……アズラか」

 

男は光の方を見ない。霧の向こうで星の輝きが一つ、また一つと数を増していったが、そのどれにも視線をやらなかった。

 

「何をしに来た。私にはもう用は無いはずだが」

 

「あなたにはまだ果たすべき運命がある」

 

囁きだった。慈しみのようにも聞こえるし、ただ事実を置いただけのようにも聞こえる。神の声にはたいてい両方が混ざっていて、どちらの割合が多いのかを確かめる方法は、定命の側には無い。

 

男は少し黙った。

 

「まだあるのか」

 

答えは無い。

 

「何を果たせば終わるのかを、そちらは言わない。前もそうだった」

 

霧の色は変わらない。星の数も減らない。

 

「なら、こちらで勝手にする」

 

歩き出す。光は追ってきた。伸びた影の長さが変わっただけだった。

 

「私が私でなくなればいいだけのことだ」

 

背中に何か言われたのかもしれない。男は聞き返さなかった。聞き返せば答えが返るかもしれず、返ってきた答えにまた縛られるのは、もうたくさんだった。

 

霧が、その輪郭を順に飲んでいく。光はしばらく残っていたが、やがて夕闇に紛れて、あとには何も無かった。あるいは、最初から何も無かったのかもしれない。それを確かめた者は、その場にいなかった。

 

                 ◇

 

その西。夜が来ても、空の一方だけが薄く赤い。

 

リフテンは焼けていた。

 

木の街だったから、燃えるのは道理だ。だが焼け方が道理ではなかった。運河の水は干上がり、底の泥が焼き締まって亀の甲羅のように割れている。石垣の表面は飴のように垂れて固まり、垂れた形のまま冷えていた。火事なら燃え残りが出る。湿ったもの、厚いもの、水に近いもの。そういうものが、この街には一つも残っていない。

 

桟橋だったものの上に、女が一人立っている。

 

黒衣の裾が焦げた板を擦った。それ以外に音は無い。夜の生き物の声も、鼠の足音もしない。生き物が戻ってくるにはまだ早すぎるらしかった。

 

セラーナは屈んで、地面に手を伸ばす。

 

灰があった。塊ではなく、薄く広がった層として。その広がりには輪郭があり、輪郭には形があった。片腕を伸ばした形。もう一つは、小さく丸まった形。

 

指先で触れる。冷たい。とうに冷えきっている。それでも街のどこかは、まだ細く煙を上げていた。表面を舐めた火ではこうならない。深いところまで、芯まで通った熱だ。

 

「……ただ燃えたのとは、違いますわね」

 

聞く者はいない。

 

                 ◇

 

焼ける前のことも、街は少しだけ残していた。

 

宿の扉が、内側へ倒れている。蝶番ごと。押した力は、外から来ていた。

 

二階の梁に、爪の痕が四本。地面から届く高さではない。

 

通りに、細い溝が幾筋も走っていた。這った跡だ。足跡が、混じっていない。

 

門は、内側へ折れている。閂は無事だった。閂ごと、壁が抜けている。

 

セラーナは、そのどれにも名前をつけなかった。

 

つけたところで、確かめる相手がいない。

 

                 ◇

 

立ち上がって、西を見る。

 

空の縁が赤い。ただ赤いのではなく、幅がある。長く伸びた帯のような赤で、あれが一つの村や街の火だとは思えなかった。通り道が燃えている。燃えたまま、まだ冷めていない。

 

足元に目を落とすと、街道の土が異様に硬い。踏み固められたというより、押し潰されている。轍でも蹄でもない、幅の広い何かが通った跡だ。その跡は、東から来て、街を抜け、西へ向かっていた。

 

背の麻袋に手を触れる。布越しでも、中の冷たさは伝わってきた。この弓はいつもそうだ。太陽のものでありながら、握れば骨まで冷える。どれだけ年月が経っても、その一点だけは変わらなかった。

 

あれは、幾日か前のことだった。それ以上細かくは、彼女の中で分かれていない。

 

北の海に建つ城の窓硝子が、突然鳴った。硝子だけではない。石も、水も、彼女の体の内側にある何かも、同じ拍で震えた。言葉ではなかった。言葉ではないのに、意味だけが通り抜けていった。

 

手にしていた本を取り落とした。落としたことに、しばらく気づかなかった。

 

聞き覚えのある種類の声だった。人の喉から出て、竜の骨に届く声。あれを最後に聞いたのは何十年前だったか、数えようとして、数えるのをやめた。

 

東の空が明るすぎることには、その前から気づいていた。夜の暗さの量が合わない。何かが東で燃え続けている。それだけなら、彼女はまだ城にいたかもしれない。

 

だが、声を聞いた。

 

あの男なら東へ向かうだろう、と思った。それだけのことだ。理由を誰かに説明したわけではないし、説明する相手もいない。彼女は扉を閉め、南へ歩き出した。

 

焦げた板の上で、セラーナは動かなかった。

 

熱が去ったあとの街は、ひどく静かだった。この静けさは、遠からず破られる。破りに来るのが西へ抜けたものなのか、それとも別の何かなのか、この時点では誰にも判じられなかっただろう。悠久を生きた目にも、初めて見るものはある。あるいは、初めてかどうかすら、生きすぎた者にはもう判じかねるのかもしれない。

 

彼女は袋の紐を締め直し、西の赤い帯を見ていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。