The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
沈黙を破ったのは、セラーナだった。
「どちらから来ましたの?」
詰問ではない。旅の宿で隣り合った相手にするような訊き方だった。
男は少し迷ったようだ。答える義理は無い。だが、答えない理由も特に無い。
「ずっと東だ」
そこで一度切って、足元の炭を見る。
「……ここを踏みしだいた奴らと同じ。アカヴィルから来た」
その場にいた者のうち、敵がアカヴィル大陸の軍勢であると正しく知っていたのは、この男だけだった。ドヴァキンは竜に似た不快な波動を感じ取ってはいたが、それが世界のどこから来たものかは、正直なところ大して気にしていない。倒すべきものがそこにいる。彼の行動を決めるのは、いつもそれだけだ。
先に驚いたのはセラーナの方だった。
「あちらに、まだ人が生きていたなんて」
わずかに眉が動く。「ずっと昔にあちらへ移り住んだ人々は、ツァエシと呼ばれる蛇の種族に喰らい尽くされたと、古い本で読んだのですが」
「間違いじゃない」
男の声は乾いていた。「私は他の人間とは合わなかったからな。蛇どもの腹に収まることもなかった」
「よく生きていられましたわね」
そこで、視線が少しだけ揺れた。虚しさに似たものが通り過ぎ、自嘲に変わる。
「……私は死なない」
言い直す。「……いや、終わらせてもらえない、が正しいか」
セラーナの指が、背の麻袋の紐の上で止まった。
死なないダンマー。アカヴィル。
城の書庫で読み耽った古い記録が、頭の中で順に並び直していく。ダゴス・ウルを討ち果たし、終わらない病を超えて不老不死となったとされる、救世の英雄。名は――
彼女は、その名を口にしなかった。
自分から名乗らないということは、名乗りたくないということだ。長く生きていると、そのくらいの区別はつくようになる。セラーナは紐から指を離し、何にも気づかなかった者の顔で、優雅に立っていた。
ドヴァキンが男へ視線を戻す。
「アンタは何年、あのアカヴィルにいたんだ」
「さあな。時間の感覚がなくなる程度には長くいた」
男は空も廃墟も見ない。「ただ、こっちから海を渡ったのが第三紀の時代であったことだけは、記憶している」
「……俺がいた頃よりも、ずっと昔の話だな」
ドヴァキンは小さく笑った。ノルドらしい、不敵な笑い方だった。
今度は男の方が片眉を上げる。
「待て。『いた頃』というのは、どういう意味だ」
「俺は一度、死んでいる」
「では何故、肉体を持って今ここにいる?」
「さあな。アカトシュにでも聞いてくれ」
答えになっていない答えを、ドヴァキンは平然と口にしてみせた。
「難儀だな」
「神の考えなんて、俺にはわからん。どうせいつもの気まぐれだろ」
吐き捨てるように言って、笑う。
二人の佇まいは、あまりに違っていた。
どちらも神々の都合で大きな流れに放り込まれた者だ。だが片方は、その流れの中で泳ぐことを覚えた。というより、泳ぐこと以外を覚えずに済んだ。摩耗はしている。していないはずがない。ただ彼は、それを損だと思っていないらしかった。
もう片方は、同じ流れの中で足を止めることを許されなかった。救世の器として担ぎ上げられ、女神の恩寵を受け、そして手放してもらえなかった。望んで得たものではない加護に、何百年も浸かり続けている。
一人は気まぐれだと言って笑い、一人は難儀だなとだけ言う。同じものを見ていて、出てくる言葉がこれほど違った。
男の視線が、夜闇に赤く煌めく瞳へ移る。
「そっちはヴァンパイアか」
「そうですわ」
セラーナは肯定だけを返した。すると横からドヴァキンが口を挟む。
「アンタより、激動の歴史をずっと長く生きたヴァンパイアだ」
「ヴァンパイアなら、この世界そう珍しいことでもない」
男は興味なさそうに視線を逸らそうとする。ドヴァキンの笑みは崩れない。
「ドワーフを直に見たことのあるヴァンパイアが、それほどいるとは思えんがな」
男は、逸らしかけた視線を戻した。
「生きたドゥエマーなら、私も一人知っている」
ドヴァキンの眉が、わずかに動いた。
「内海の東だ。病に喰われて、床から起き上がれずにいた。数百年前の話だ。いまも在るかは知らん」
「……見たというだけでは、年の証明にならん」
「お一人ですの?」
セラーナが訊いた。確かめる調子ではなかった。答えを知っている者の訊き方だった。
「一人だ。あれで最後だと聞いている」
「そうですの」
黒衣の裾が、焦げた床板の上でわずかに鳴った。
「わたくしの覚えている限りでは、あの方たちは、道を歩いておりましたわ」
男は、何も言わない。
「市が立って、荷が運ばれて、値のことで声を荒らげる方もいて。背が低くて、髭が長くて、油の匂いがして。……珍しくもなんともない、ただの隣人でしたのよ」
男は、そこまでを黙って辿った。辿り終えるまでに、時間はかからなかった。
初めて、その目に明確な光が宿る。
ドヴァキンは、その顔を横から眺めて満足そうにしていた。言わせたのは自分だという顔だ。セラーナは冷ややかな視線を、そちらへ送った。
「……貴方、女性の年齢をそのように軽々と言葉にしてしまうのは、どうかと思いますけれど?」
「事実だろ」
反省の色も見せず、そっぽを向く。
「事実なら、何を言ってもいいわけではありませんわよ」
呆れた声だった。呆れているのに、角が無い。何十年ぶりだろうと、この応酬の間合いだけは一日も狂っていなかった。
そのやり取りを、男は黙って見ていた。
見ているうちに、腑に落ちないものが膨らんでいったらしい。口を開いたとき、その声には珍しく、はっきりした戸惑いがあった。
「……アンタたちは、それほど長く生きていて、疲れないのか」
「たち」と言ったとき、彼の頭にはもう一人いた。内海に塔を建てて、第一紀から死なずにいる男だ。何百年ぶりに寄っても、同じ顔で同じことを言う。あれが何かに参っているところを、彼は一度も見ていない。
悠久を生き、あらゆる別れを見送ってきたはずの吸血鬼が、目の前でまだこれほど瑞々しく笑っている。彼には、それが理解できなかった。
「疲れる、ですか?」
セラーナは問いをそのまま繰り返す。それから少し考えるように、夜霧の方を見た。
「……時には、胸が張り裂けそうなほどの寂しさを感じることはありますわ」
そう言って、静かにドヴァキンを見た。
ドヴァキンは焼け落ちた梁の方を向いていて、その視線には気づいていない。あるいは、気づかないことにしていたのかもしれない。この男が定命の者として一度その生涯を終えたとき、世界に取り残された側が何を味わったのかは、これまで言葉にされたことがなかった。今夜も、されなかった。
「……それでも」
セラーナは視線を戻す。「変わりゆくこの不完全な世を見つめ続けることは、決して退屈ではありませんわよ」
静かだが、確かな肯定だった。
男は何も言えなかった。
終わらないことを虚無として耐え続けてきた者にとって、それは、同じ材料からまるで違う形が組み上がるのを見せられたようなものだった。反論の言葉が出てこない。反論したい気持ちが自分にあるのかどうかも、よくわからなかった。
夜霧が、少しだけ動いた。
鎖が二本、まだ揺れている。