The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第4章「秩序の足音」
第1話:弦の無い弓


月は霧の上にあった。

 

下まで届くのはその残りかすで、廃墟の輪郭をようやくなぞる程度でしかない。あとは、まだ燻っている残り火が幾つか。赤い点が息をするように明るくなっては翳り、そのたびに三つの影の縁が、あるとも無いともつかぬ形で浮かんだ。骸の竜が落とす影には、隙間がある。

 

誰も口を開かなかった。開く理由が、それぞれに無かったのだろう。

 

「アカヴィリの軍勢を率いているのは」

 

男の声だった。

 

「トシュ・ラカという、龍になった者だ」

 

その名が、焼けた広場に初めて置かれた。

 

「龍になっただと」ドヴァキンが顔を上げる。「どうやって」

 

「詳しくは私も知らない」

 

短い。抑揚も無い。訊かれたから答えた、それだけの音だった。

 

男は炭の上へ腰を下ろす。座るというより、立っている必要が無くなったから下ろした、という下ろし方だ。訊かれたことには答えなかった男が、訊かれてもいないことを話しはじめている。ドヴァキンは口を挟まなかった。

 

「あちらでは、四つの種族がずっと殺し合っていた。虎も、蛇も、猿も、雪の魔物も。どれも長く、どれも決着しなかった。……あれが龍になるまでは」

 

「今は」

 

「一つだ。神が一柱、上にいる」

 

風が抜けない。焦げた匂いだけが低いところに溜まったまま、動かなかった。

 

「だが、あれの目当てはこの大陸ではない」

 

「どういうことですの」

 

セラーナが闇の中で身じろぎする。焦げた板がわずかに軋んだ。

 

「言った通りだ。ヤツは神になりたいんだ」

 

「……アカトシュに、取って変わろうとでも?」

 

「それなら呼び戻されたことにも合点がいくな」

 

ドヴァキンが低く言った。足元に伏せて置いた斧の柄を、指の背で軽く叩く。乾いた音が二つ鳴って、それきり消えた。

 

ソヴンガルデで、彼は理由を訊かなかった。訊いていれば、あの声も同じことを言ったのかもしれない。言われたところで、返事は変わらなかったろう。今夜、そこへ理由が一つ置かれた。置かれた、それだけだ。

 

「ヤツが何をどうしようとしているのかは、私にもわからん」男が続ける。「……ただ、少なくとも簡単に倒せるような奴じゃない」

 

「やりあったのか」

 

ドヴァキンだった。神の話のほうは、もう終わっているらしい。

 

「少しだけな」

 

男は自分の肩口に、一度だけ手をやった。鎧の上からだ。触れて、すぐ離す。確かめる手つきですらない。そこに何かがあったことを、手のほうが先に思い出したかのようだった。

 

「そこいらで拾った武器では、やつには届かん」

 

これまで黙っていた骸の竜が、喉の奥で骨を鳴らした。

 

『憎たらしいが……ここから感じるあれの力は、確かに並みのドヴァーのそれではない』

 

眼窩の青は、燃え上がりはしない。ただ、底のほうへ深くなっていく。

 

『アカの欠片も持たぬ、偽物風情が』

 

骨と骨のあいだから、低い軋みが漏れていた。声が終わっても、その軋みだけがしばらく止まない。力の話ではない。竜の言葉を借り、竜を騙り、竜の座を欲しがる者がいる。ただそれだけのことに、この骸は腹を立てていた。

 

男が、骨の竜を見る。何か言いかけたようにも見えたが、見えただけかもしれない。

 

遠くで、何かが崩れた。

 

三人と骸の竜が、同時にそちらを向く。土でも木でもない。石がひとりでに諦めたような、そういう音だった。

 

誰も確かめには行かない。

 

そして結局、誰も竜には応えなかった。この場で、竜を騙られて腹を立てる筋合いのある者は、一頭しかいない。ドヴァキンは竜の魂を持ってはいるが、彼が守るべきものだと思っているのは、たぶん別の何かだった。

 

セラーナは、さっきからずっと黙っていた。

 

そこいらで拾った武器では届かない。ならば、届く物のほうを数えるしかない。数えるまでもなく、それは彼女の背中にあった。

 

「……これならいかがでしょうか」

 

背へ手を回す。麻袋の紐がほどける。布の擦れる音が、この夜のどの声よりもはっきりと聞こえた。

 

出てきたのは、白銀の弓だった。

 

弦は張られていない。上下に反った白銀が、途中で途切れたまま、夜の中へ伸びている。

 

光を放つわけではない。それなのに、闇へ現れたとたん、周りの暗さのほうが深くなったように見えた。近くの夜気だけが、わずかに冷えているようでもある。

 

「アーリエルの弓か。まだ持っていたとはな」

 

ドヴァキンが笑う。

 

「神代の武器ですわよ。無くすわけがありませんわ」

 

男は、弓を見ていた。

 

目そのものは変わらない。ただ、視線が動かない時間が、それまでのどの沈黙よりも長かった。灰の上に落ちた白銀の反射を、彼はずいぶん長く追っている。

 

「確実に届くとは言えん」

 

そこで一度、言葉を切る。

 

「……だが、私から見ても、並みの武器とは思えん」

 

「とはいえ、力を引き出すには太陽神の加護がいる」

 

ドヴァキンがセラーナへ視線を向けた。

 

「ギレボルはまだ生きてるのか」

 

「何千年も一人で生きてましてよ。今更死ぬほうが難しいはずですわ」

 

セラーナは笑った。

 

その笑い声だけが、暗がりの中でやけに大きく響いた。返してくるものが何も残っていない場所で人が笑うと、音は行き場を失って、そのまま上へ抜けていくものらしい。

 

誰も、笑い返さなかった。

 

月は、まだ霧の上にある。

 

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