The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
「ジャガラグ、と申します」
老人はそう言った。名を置いただけで、説明はまだ始まっていない。
火が爆ぜる。その名に心当たりのある顔は、無かった。
——一人を除いて。
「……その名では、読んだことがありませんわ」
セラーナだった。確信のある声ではない。
「ですが、似た話でしたら。デイドラ公が一柱、他の公らに寄ってたかって形を変えられた、と。名は伏せてありましたけれど」
「よくご存じで」
「三行ですの」
指先が、灰の上で何かをなぞるように動いた。「三行で済ませてある時点で、書いた者も知らなかったのでしょうね」
「その三行が、いま立っております」
「秩序のデイドラ公にございます。整えることを司る方だ。……ですが、この方には、ご自分の領域がございません」
「持たないのか」ドヴァキンが言う。
「持っておられません」
即答だった。それ以上を、老人は足さない。
「ですので、こちらを使うおつもりです」
杖の先が、地面へ向いた。地面というより、この大陸そのものを指す指し方だった。
「タムリエルを丸ごと整えて、整え終えたところを、そのままご自分の領域になさる」
セラーナが片眉を上げる。「整える、とおっしゃいますと」
「揃える、ということです」
その言葉が、カイラスの中で勝手に絵になる。
コロールの街道の脇に、崩れた荷馬車があった。砕けた木材は木材だけ。折れた鉄具は鉄具だけ。馬だったものは塵になって、それぞれが種類ごとに、塵ひとつ混じらぬよう几帳面に積み分けられている。壊れた物が、壊れたなりに正しく整えられていた。とても綺麗な残骸だった。
あれを、生き物にもやる。
「シロディールには、すでに柱が立ちはじめております。少しずつ、しかし確実に」
「飲まれたら、どうなる」
ネレヴァリンだった。
「秩序の騎士になります。……なる、と申しますより、そう作り直されます。草も、獣も、人も。区別なく」
訊いたのはネレヴァリンだったが、答えを聞いても、彼は何も続けなかった。変わらないものにされる、という話がこの男の中でどう響いたのかは、その場の誰にもわからない。
「止める手はあるのか」
ドヴァキンが訊いた。
「あちらは理屈で出来ております」アルセリウスは答える。「ですから、理屈でないものをぶつけるほかありません」
一拍。
「シェオゴラス公のご降臨が、鍵にございます」
「狂乱のデイドラ公が、手を貸してくださるとは思えませんが」
セラーナが言った。呆れというより、事実を確かめる声だった。
「その通りです」
アルセリウスはあっさり肯定する。それから、言い方をわずかに変えた。
「……ですが、『今の』シェオゴラス公なら、あるいは」
「『今の』とは、どういう意味だ」
ネレヴァリンが訊く。
「多くは申し上げられません」
間が無い。老人は目も逸らさなかった。「かの大公は、人をもてあそぶ天才にございます。下手な前知識を持って行かれることは、避けたほうがよろしいでしょう」
「答えになっていないな」
「はい」
これも即答だった。
ネレヴァリンは、それ以上訊かない。
「しかし」と、彼は続けた。「誰が、シェオゴラスのオブリビオンへ行く」
火の爆ぜる音が、やけに長く続いた。
ドヴァキンは炎を見ている。セラーナは自分の指先を見ている。骸の竜は、最初から誰の話も聞いていないような姿勢で、崩れた壁のほうへ首を向けたままだった。
誰も、行くとは言わない。
「カイラス殿。お願いできますかな」
顔が、いっせいにこちらを向いた。
三つの顔と、一つの頭蓋。
同じことが、帝都の議場でもあった。あのときも、末席の彼のところで全員の目が止まった。違うのは、あのときの彼は報せを運んできた側だったということだ。今度は、運ぶ先が世界の外にある。
「……私、ですか」
声が掠れた。「私のような者に、シェオゴラスが興味を持つとは思えませんが」
「いえ」
またしても、間が無い。
「大いなる流れに『巻き込まれた』あなただからこそ、あの方は興味を持たれるはずです」
カイラスは、その言葉を頭の中で二度ほど転がしてみた。転がしても、形が変わらない。反論のための取っかかりが、どこにも付いていない言い方だった。
繋ぐ、と言われていた。強すぎる者たちが同じ場所にいられるよう、間に何も持たない者が挟まっている必要がある。そう聞かされて、ここまで来た。挟まっているだけなら、なんとかなる気がしていた。
挟まるのではなく、一人でどこかへ行けと言われるとは、思っていなかった。
三十歩ほど離れたところに、馬が二頭。まだ耳を伏せている。あれに跨って、来た道を戻ることは出来る。降りられます、誰も咎めません——雪の上で、この老人は確かにそう言った。
言ったきり、今は言わない。
右手が、勝手に左の肘へ伸びていた。押さえても、感覚は無い。無いということだけが、確かに手のひらへ返ってくる。
アルセリウスは急かさなかった。ただ、待っていた。
火が、また爆ぜる。
「頼めますかな」
二度目だった。
「……わかりました。行ってみます」
頷いてしまってから、カイラスは自分が頷いたことに気づいた。
決めた覚えは無い。腹を括った覚えも、誰かのために立ち上がった覚えも無い。ただ、この場で首を横に振るための言葉を、彼は最後まで見つけられなかった。それだけのことだったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。神話の住人に囲まれた焼け跡で、まともな判断のできる人間がどれだけいるものなのかを、確かめた者はいない。
「よき、お返事だ」
アルセリウスは目を細めた。同じ言葉を、この老人は帝都でも言っている。
火は、そのあいだも同じ高さで燃えていた。誰も薪を足してはいない。燃やすものなら、この街にはいくらでも残っている。