The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
アカヴィルのどこか、名も持たぬ浜辺でのことだったのかもしれない。そこで何が起きたのかを、後の世へ伝えた者はいない。
*
この集落の族長は、砂の上に伏していた。カ・ポ・トゥン。岩を毛皮で包んだような巨躯が、もう動かない。その脇に、一人のダンマーが立っている。腹には、深々と剣が突き立ったままだった。
ネレヴァリンは柄をつかむ。ゆっくりと、引き抜いた。
刃が肉を擦る鈍い音。血が、こぼれ落ちる。
「……猿なら、話が通じるんだがな」
タン・モーであれば、言葉を交わす余地もあったろう。虎も、蛇も、雪の魔物も、人を見れば牙を剥く。この地で交わせる言葉は、剣のそれだけだった。
血が流れる。ひとしきり流れて、止まった。
赤黒い繊維が、彼の意思とは無関係に蠢いて、互いを手繰り寄せていく。
その間、彼は砂を見ていた。
塞がるのを待つ以外に、することが無い。
神の病、と人は言う。かつては、これに殺されかけた。いまは、これに殺させてもらえない。
幾度目かは、とうに数から落ちている。
◇
族長の腰に、水袋が下がっていた。
外して、口を開け、匂いを嗅ぐ。まだ悪くない。自分のと入れ替えて、古いほうを砂に置いた。
鎧の留め具の革紐が、二本とも新しかった。片方だけ抜く。
二本とも抜けば、この体は崩れる。
崩れて困る者は、この浜にいない。
それでも、一本だけにした。
首に、金の輪がかかっていた。細工が細かい。この浜の集落で作れるものではないだろう。
彼は、それには触れなかった。
値のつくものだ。値のつく場所まで運ぶ理由が、彼には無い。
◇
荷の底に、油紙に包んだ書状が一通ある。
蝋の印は、第三紀のものだ。
渡す相手は、決まっていた。渡せば、こちらの意が伝わることになっていた。伝わったあとのことまでは、預けた側も考えていなかったのだろう。
彼が着いたとき、その相手はもう、そういうものではなくなっていた。
断られたのではない。受け取る形をしたものが、無くなっていた。
包み直して、底へ戻す。
それから、帰るための舟を探さなかった。
探す理由を、一つも思いつかなかった。
思いつかないまま、数百年が経っている。
◇
刃を鞘へ収め、海岸へ目を向けた。
港にあったはずの大船が、無い。水平線の際を、黒い船影の群れが最後尾を引きずるようにして遠ざかっていく。
舳先の向く方角を、彼はしばらく見ていた。
海の、向こう。故郷の方角だった。
モロウウィンド。その名を思い浮かべる。何も湧かない。
あの土地を救いたいのか、と己に問うた。
別に、と返ってきた。
それでも、浜に打ち捨てられた粗末な小舟を、彼は一艘引き寄せていた。何のために、とは考えない。そちらへ流れていくのが自然であるかのように、櫂を握った。
◇
夜が来る。
波に揺られる小舟の上で、ネレヴァリンは仰向けに寝転がり、星を見上げていた。アカヴィルの星も、タムリエルの星も、区別はつかない。
遠い記憶の端が、指先に触れるように近づいてくる。レッドマウンテンの深淵。煮えたぎる熱気。ロルカーンの心臓へ刃を突き立てた、あの瞬間。
彼はその輪郭を、途中まで手繰り寄せた。
そこで、手を止める。
思い出したところで、何も動かない。悔いも、痛みも、誇りも出てこない。起きたことが起きた、という事実だけが横たわっている。
手を離した。記憶は、また沈んでいく。
瞬きをひとつして、星へ目を戻した。
◇
どれだけ流されていたのかは、わからない。潮に運ばれるまま、小舟はモロウウィンドの岸へ乗り上げた。
灰の匂いがする。遠くに、赤い山の稜線。
かつて幾度も踏みしめた道だった。
胸は静かなままだ。何ひとつ、揺れない。
◇
道で、西から来た老婆とすれ違った。
背負った荷のほうが、老婆より大きい。
軍勢の去ったほうへ足を向けるネレヴァリンを見て、老婆は皺だらけの手を伸ばし、掠れた声を絞り出す。
「およしなさい……そっちには、アカヴィリの軍がいる。海の向こうから来た、化け物どもが」
ネレヴァリンは足を止め、老婆を見た。その目には、恐れも、憐れみもない。
「そうか」
それだけだった。彼はもう一度前へ顔を戻し、また歩き出す。
老婆は、しばらくその背を見ていた。
◇
あの軍勢が刻んだ痕は、大地に深々と残されていて、たどるのに苦労はいらなかった。焼け落ちた村。潰えた街道。逃げ遅れた者たちの、成れの果て。
その一切を、ネレヴァリンは踏み越えていく。
救いたいわけではない。守りたいわけでもない。ただ——この時代、この地に、なぜ自分がふたたび立っているのか。その理由がもし、あの黒い船団の行き着く先にあるのなら。
摩耗しきった瞳の、そのさらに奥で。彼が渇いていたものは、ただひとつ。
終わりのある、生。
それだけを求めて、ダンマーは、破壊の痕を西へとたどっていく。摩耗しきった瞳のまま、ただ一歩、また一歩と。その足取りが、いつか本当に「終わり」へたどり着くのかどうかは——このときはまだ、神々でさえ、知らなかったのかもしれない。