The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

21 / 46
第2話:土産

廊下は、思っていたよりも静かだった。

 

灰色の上衣の男は振り返らない。歩幅も変えない。それでもカイラスがよろめいて壁に手をつくたび、男との距離はちょうど追いつける分だけしか開いていなかった。速さを変えた様子は無い。

 

「……あなたは」

 

「ハスキル、と申します」

 

「あの方に、お仕えを」

 

「長く」

 

それだけだった。

 

扉が開く。

 

最初に耳へ入ったのは、湿った音だった。

 

跳んでいるのは五人。縄は彼ら自身の腹から引き出されたもので、跳ぶたびに濡れた音を立てる。誰も痛がってはいない。五人とも、同じ顔をしていた。

 

カイラスは、その光景から目を逸らせなかった。逸らすという動作を、体のほうが思いつかなかったのかもしれない。

 

「おお!」

 

声は、天井のあたりから降ってきた。

 

「来たか! 来たな! よく来た! 三度言えば本当になる!」

 

玉座から降りてくる。ステップを踏んでいる。片手にチーズ、片手に杖。杖を持つほうの手でも器用に拍子を取っていた。陽気だ。陽気さというものを、この神は一度も休まずに続けている。

 

「顔を上げよ、カイウス」

 

「……カイラス、と申します」

 

「そう言った」

 

シェオゴラスは、彼の正面で止まった。

 

近い。

 

そこで初めて、カイラスは自分の膝が笑っていることに気づいた。怖いと思ったからではない。怖いと思う前に、体のほうが先に済ませていた。目の裏が押される。舌の付け根が、勝手に乾いていく。この距離にいる物が何であるかを、頭より下の部分が正確に測っていた。

 

指一本で足りるだろう、とカイラスは思う。

 

思っただけで、続きは考えなかった。考えたら終わる気がした。

 

「腕が焼けておるな」

 

「……はい」

 

「痛いか」

 

「痛いです」

 

「よい返事だ!」

 

シェオゴラスが手を叩く。チーズが床に落ちた。拾わない。

 

「して、お前は何をしに来た」

 

「申し上げます。私は帝国の伝令兵で——」

 

「知っておる」

 

「……は」

 

「焼け跡で頷いたであろう。老いぼれに二度頼まれて、二度目で頷いた」

 

カイラスの喉から、音が出なくなった。

 

「あれをな。儂は決断とは呼ばん」

 

片脚を上げ、くるりと回る。

 

「お前は頷いたのではない。首を横に振れなかっただけだ。違うか?」

 

違わなかった。

 

「東の海でもそうだ。逃げたのではない。走る馬の上に乗っていただけであろうが」

 

「……」

 

「お前は生まれてこのかた、一度たりとも、何かを選んだことが無い」

 

言い終えると、シェオゴラスは実に嬉しそうに笑った。

 

「だからな。楽にしてやろう」

 

杖の先が、カイラスの胸に触れた。

 

「委ねよ」

 

その瞬間、痛みが引いた。

 

引き潮のようだった。骨の内側の炎が小さくなり、指に通されていた串が一本ずつ抜けていく。膝の震えが止まる。息が、深く入った。

 

視界の色が、増えた。

 

縄跳びの五人が、急におかしくなった。おかしくてたまらない。あんな音を立てて跳んでいるのに、誰も痛がっていないのだ。滑稽ではないか。笑える。笑ってしまえば、たぶんもう、何も痛くない。

 

口の端が、上がりかけた。

 

上がりかけたことに、彼は気づいた。

 

右手が動く。

 

伸びた先は、いつもの肘ではなかった。焼けただれた肉そのものを、カイラスは掴んだ。

 

戻ってきた。

 

全部、戻ってきた。

 

膝が石を打つ。息が詰まる。増えたばかりの色が一度に抜け落ちて、あとに残ったのは灰色と、掌の中の赤だけになった。

 

「……お断り、します」

 

掠れていた。掠れていたが、声にはなった。

 

「ほう」

 

「私は、たいした者ではありません」

 

息が上がっている。「英雄でも、神話でもありません。ここへ来たのも、仰る通りです。断る言葉が、見つからなかっただけです」

 

「では、何が不服だ」

 

焼け跡で、竜の血を引く男に言われたことがあった。思ったことを口にしろ、と。

 

「……理由もなく死んでたまるか、と」

 

言ってから、彼は反射で頭を下げた。

 

「失礼しました。そう、思っただけです」

 

縄跳びの音が、止まっていた。

 

五人が、五人とも同じ方向を見ている。

 

シェオゴラスは動かない。さっきまで止まらなかった足が止まり、杖の先も拍子を取っていなかった。顔から陽気さが消えたわけではない。陽気なままで、目だけが動かない。

 

長い。

 

「……ハスキル」

 

「はい」

 

「今のを聞いたか」

 

「聞きました」

 

「なんと言った」

 

「『失礼しました』と」

 

「そこではない」

 

哄笑が、天井を叩いた。

 

                 ◇

 

「大公。お願いが、ございます」

 

カイラスは膝をついたままだった。「シロディールに、秩序が——」

 

「ジャガラグであろう」

 

即答だった。「知っておる」

 

「……ご存じでしたか」

 

「あれのおかげでチーズが熟れんのだ」

 

心底うんざりした声だった。

 

「腐るから旨いのだろうが。熟れるまで待つ物であるから待つのだろうが。待つ楽しみを取り上げて、あとに何が残る」

 

「では——」

 

「では、とは何だ」

 

シェオゴラスは指を一本立てた。

 

「儂が困っておるからといって、お前を助ける理由になるか?」

 

カイラスは答えられなかった。

 

「ならんな」

 

懐へ手を入れる。

 

出てきたのは、一枚の金貨だった。

 

縁の丸い、古いものだ。横顔の鼻先が平らに潰れているのは、親指の腹がいつもそこに当たるからだった。

 

「これで決める」

 

「……決める、とは」

 

「表が出れば、お前たちに手を貸してやる。裏なら」

 

にっこりと笑った。

 

「お前をチーズにして、この話は終わりだ」

 

金貨が放られる。

 

カイラスは右手を出した。掌に落ちた金貨は、思っていたよりもずっと軽く、そして温かかった。誰かが長いあいだ握っていた物の温度だ。

 

「弾け」

 

「……私が、ですか」

 

「儂がやったら、儂が決めたことになるであろうが」

 

片手で硬貨を弾くのは、思っているより難しい。左手は使えない。カイラスは右の親指の爪を縁に当て、指の腹で押さえ込むようにして構えた。

 

震えている。

 

震えたまま、彼は弾いた。

 

金貨が上がる。

 

回る。回りながら、天井から落ちてくる光を短く何度も撥ね返す。

 

落ちる。

 

石の床で二度跳ね、三度目に転がって、倒れた。

 

覗き込むまでもなかった。

 

裏だった。

 

カイラスは、床の一点を見ている。

 

不思議と、何も浮かんではこなかった。怖いとも、終わったとも思わない。ただ、膝の下の石が冷たいということだけが、やけにはっきりとわかった。

 

シェオゴラスが屈み込む。

 

長い指が伸びて、金貨に触れた。

 

くるり、と。

 

「ハッ!」

 

哄笑が、もう一度天井を叩く。「今日は表の気分だ! 良かったな凡人よ!」

 

「……よろしいのですか」

 

「何がだ」

 

「今のは、その」

 

「表であろうが」

 

シェオゴラスは金貨を拾い上げ、縁の埃を吹いて懐へしまった。しまい方だけが、妙に丁寧だった。

 

「言ったであろう。今日は表の気分だと」

 

それが気まぐれなのか、最初から決まっていたのか。決まっていたとして、いつ、誰が決めたのか。カイラスにはわからなかったし、この島の中で答えを持っている者がいるとすれば、それはたった一人だけだ。

 

「あやつのところへは、儂が行く」

 

「大公が、直接——」

 

「他に誰が行く」

 

シェオゴラスは玉座のほうへ歩き出した。「理屈はな、理屈で殴っても倒れんのだ。中から腐らせるに限る」

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言うな。気持ち悪い」

 

杖が振られる。

 

「話は済んだ。帰れ」

 

カイラスは立ち上がろうとして、二度失敗した。三度目に立つ。

 

シェオゴラスは、玉座に片脚をかけたところで思い出したように振り返った。

 

「土産だ。持って行け」

 

何かが飛んできた。

 

反射で右手が出る。掴んだ。

 

剣だった。鞘に納まったまま。飾りは古いが、朽ちてはいない。柄に巻かれた革は擦り切れていたが、その擦り切れ方が、握られてきた形をしていた。

 

「え? あっ。はい」

 

「『なんとかかんとか』とか言う名のある騎士が使っていたとか、なんとか」

 

「……なんとか、と申しますと」

 

「なんとかだ。細かい男だな」

 

杖が二度振られると、カイラスの正面の空気が縦に裂けた。今度は紫でも黄色でもない。向こう側に灰色が見える。焼けた匂いのする、見慣れた灰色だった。

 

「ほれ。いつまでそこにいる。さっさと帰れ」

 

カイラスは剣を抱え、一度だけ振り返った。

 

シェオゴラスはもう彼を見ていない。ハスキルに向かって何かを喋りながら、床に落ちたままのチーズを爪先で転がしている。五人の狂王は、また跳びはじめていた。

 

この島では、自分が何をしても、誰かの話の途中でしかないらしい。

 

裂け目に足を入れる。

 

その日、玉座の主が本当は何を決めていたのかを、確かめた者はいない。金貨がどちらを向いて落ちたのかを見ていた者なら、あの部屋に何人かはいた。だが、それを覚えていられる造りをした者は、たぶん一人しかいなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。