The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
馬は、二日目の朝に拾った。
拾ったというより、繋がれたまま残されていた物を連れて行っただけだ。街道沿いの厩の柱に手綱が結んであり、飼葉桶は空だった。結び目は人の手で結ばれている。解いた者はいない。西へ逃げた連中に、ここへ寄る余裕が無かったということだ。
ネレヴァリンは鞍に跨り、頭を西へ向けた。
眠らなかった。眠る必要が無かったからだが、必要が無いから眠らないというのは、理由としてはたぶん弱い。
コロールが近づくにつれ、風が減った。
減る、という言い方が正しいのかどうかはわからない。吹かなくなったのではない。吹いているのだが、草のほうがそれに応えなくなっていく。街道脇の穂が、風の来る側へ傾いだまま止まっている。傾いだまま、いつまでも。
前方に、線があった。
線というより、そこから先だけ色が違う。土の色も、草の色も、光の当たり方も。境目は定規で引いたように真っ直ぐで、その真っ直ぐさだけで、これが自然にできたものでないことがわかった。
馬は、二十歩ほど手前で足を止めた。
腹を蹴っても動かない。首を振り、後ろへ下がろうとする。泡を噛んでいた。
ネレヴァリンは降りた。
腹帯を緩め、鞍を外し、轡を抜いてやる。馬具は道の脇へまとめて置いた。それから尻を一度だけ叩く。
馬は東へ走っていった。
振り返らずに、彼は線を跨いだ。
◇
音が、減った。
正確には、音の種類が減った。
風の音が無い。葉の擦れる音が無い。虫も、鳥も、遠くで何かが軋む音も、水の流れる音も。
残ったのは二つだけだった。
自分の足音と、自分の呼吸。
一歩ごとに踵が地面を打つ音が、思っていたよりもずっと大きく響く。息を吸えば、その音が頭の内側で鳴った。自分が呼吸をしているという事実に、彼はしばらくぶりに気がついた。気がついただけで、それ以上のことは何も起きない。
丘の稜線に、それは立っていた。
シロディールの、なだらかな丘。オークの林。夏の終わりの色をした草地。その真ん中に、黒に近い灰色の石柱が一本、天へ向かって突き刺さっている。
一本ではなかった。
顔の向きを変えるたび、別の稜線にもう一本ずつ増えていく。数えるほどの数ではない。ただ、どこを向いても視界の端に必ず一本は入るような、そういう立ち方をしていた。
草を踏む。
潰れた。青い匂いはしない。足を上げると、潰れた葉は瞬きの間に元の形へ戻った。折れ目も、汁の痕も残らない。
もう一度、踏んでみる。
同じだった。
林の縁に、鹿がいた。
草を食んでいる。首を下げ、四度噛み、首を上げる。また下げ、四度噛み、首を上げる。
十歩まで近づいても、逃げなかった。
五歩。
鹿は首を下げ、四度噛んだ。
ネレヴァリンは手を伸ばし、その首筋に触れた。毛の下に体温がある。心臓も動いている。それだけだった。
手を離す。
鹿は首を下げ、四度噛んだ。
「抗うな」
自分の声が、思ったよりも近いところで鳴った。
「感情を手放せば、この秩序の一部として石に変わる」
言い聞かせる相手は、ほかにいない。
私は死ねない、と彼は思う。死ねないものは、この理の外側にある。だから呑まれない。
そう考えることにしていた。確かめる手立てが無い以上、そう考えておくのがいちばん手間がかからない。
◇
道は、途中で無くなった。
正確には、道の上にも同じものが伸びていて、土と見分けがつかなくなっていた。透き通った六角の粒が、路面の凹凸を一つずつ埋めながら西へ続いている。
ネレヴァリンはしゃがみ、掌で地面を払った。
轍が出てくる。二本。西へ向かっている。
彼はまた歩き出した。
日暮れごろ、村があった。
日暮れごろ、と言えるのかどうかもわからない。光は弱くなったが、影の向きは変わらなかった。
家が並んでいる。
どれも同じ高さだった。屋根の勾配も、戸の位置も、窓の大きさも。元は違った。傾いだ小屋もあれば、継ぎ足しを重ねた家もあったはずだ。今はどれも等しく、道の両側に、寸分違わぬ間隔で並んでいる。
人はいない。
戸の開いたままの家が一軒あった。
中を覗く。卓の上にパンが一つ。切りかけで、脇にナイフが添えてある。乾いてもいないし、黴てもいない。
この先も、たぶん。
ネレヴァリンは戸を閉めなかった。閉める理由が思いつかなかった。
◇
丘を一つ越えるごとに、石柱の間隔が狭くなっていく。
空の色が、少しずつ抜けていった。青が薄まり、灰になり、その灰からも粒が抜けていく。頭上を覆っているのが空なのか、それとも別の何かに置き換わったあとなのかは、見上げていてもわからない。
音は、まだ二つだった。
足音と、呼吸。
ネレヴァリンは前を見据えたまま歩いている。目に映るものは、何一つ彼の中で像を結ばない。結ばないまま、視界を通り過ぎていく。
盾になるものは一つだけあった。
終わらない、ということ。それが空虚であること。空虚は削られない。削るための取っかかりが、どこにも付いていないからだ。
中心は、まだ見えなかった。
見えなかったが、方角だけは間違えようがない。音のいちばん少ないほうへ歩けばいい。
その足音は、いつまでも同じ間隔で鳴り続けていた。聞いていた者がいたのかどうかは、わからない。あの土地には、聞くという働きを残されたものが、もうほとんど無かった。