The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第7章「揺れないもの」
第1話:水面


ニュー・シェオスの玉座の間には、水が張ってある。

 

玉座の右手、床が一段だけ低くなったところだ。差し渡しは人の背丈ほど。縁は磨かれた石で囲われているが、囲い方が几帳面すぎて、この宮殿のどの壁とも合っていない。誰がいつ据えたものかを、この島で訊ける相手はいない。

 

深さは、わからない。

 

覗き込んでも底が見えないのに、指を入れれば爪の付け根までしか濡れない。そういうことになっている場所だった。

 

水面は、揺れなかった。

 

風が無いからではない。この間には風が吹く。吹くのに、この水だけが動かない。動かないまま、そこに別の場所を映していた。

 

                 ◇

 

映っていたのは、山の麓だった。

 

尖った峰が北に立ち、その足元を東西に一本、道が貫いている。道の上には人が並び、並びの向こうに埃が上がっていた。

 

シェオゴラスは、玉座の肘掛けに片肘を乗せ、頬を掌に預けて、それを見ている。

 

もう片方の手には杯。中身は赤い。

 

背後では、狂人たちが縄跳びをしていた。跳んでいるほうは楽しそうだったし、縄になっているほうも、それなりに楽しそうだった。数は前より二人ぶん増えている。増えた二人は、どちらも同じ顔をしていた。

 

「ハスキル」

 

「はい」

 

「東を見ろ」

 

灰色の上衣の男が、水の縁へ一歩近づいた。

 

水面の右のほうで、色が変わりつつあった。

 

赤ではない。橙でもない。焼けた土の色が、少しずつ別の何かに置き換わっていく。地面の割れ目が、どれも似た形に割れている。長い菱形が並び、その並びが同じ方向へ傾いていた。

 

道に転がった屍が、皆、東を向いている。

 

倒れた向きを誰かが直したわけではない。倒れる前から、そちらを向いていたのかもしれない。

 

進んでくる軍の足並みも、揃っていた。虎の顔をした者と、鱗の顔をした者と、猿の顔をした者が、同じ拍で足を出している。号令は無い。号令が要る段階を、あの軍はもう通り過ぎている。

 

「つまらん」

 

シェオゴラスが言った。

 

「あやつのやり方はな。全部を自分にするだけだ。……ハスキル、覚えておけ。何かを一つにしたがる者は、必ず退屈な結末を用意しておる」

 

「大公は、以前もそれをおっしゃいました」

 

「言ったか」

 

「三度」

 

「では四度目だ」

 

シェオゴラスは杯を持ち上げ、匂いを嗅ぎ、飲まずに下ろした。

 

「あやつは龍になった。なってしまえば、もう変わりようがない。哀れなものだよ、ハスキル。生き物が『成った』ときにな、そこで終わっておるのだ。あとは、そのままの姿で腐っていくだけだ」

 

                 ◇

 

「南西を」

 

水面の左のほうが、静かになった。

 

静かというのは、映っているものの話ではない。水そのものが、そちらだけ薄い膜を張ったように見えた。もともと揺れていない水が、さらに揺れなくなる。そういう見え方が有り得るのかどうかは、覗いていた者にしかわからない。

 

映っているのは、透き通ったものだった。

 

森だった場所に、六角の粒が積み上がっている。木は同じ高さに切り揃えられ、葉が一枚ずつ置き換わっていく。置き換わる音はしない。道の南側にあった小屋は、まだ小屋の形をしていたが、屋根の勾配だけが直されていた。

 

その景色が、少しずつ東へ寄ってくる。

 

這っているという速さではない。這うものには、休むところがある。あれは休まなかった。

 

シェオゴラスは、水面へ指を伸ばした。

 

伸ばして、左のあたりを一度だけ弾く。

 

弾かれた水は、波を作らなかった。指の当たったところに丸い凹みができて、その凹みが、そのまま形を保っている。

 

「……ふん」

 

彼は指を引いた。

 

凹みは、しばらくそこにあった。

 

                 ◇

 

二つが、当たる。

 

先に来たのは、音だった。

 

高い。ずいぶん高い。人の耳が音として受け取れる高さの、そのさらに上のあたりで鳴っていて、それが下がってこない。玉座の間の硝子が、いくつか同時に割れた。狂人たちの縄跳びが止まり、跳んでいたほうも、縄になっていたほうも、耳のあたりを押さえて床に伏せた。

 

水面が、跳ねる。

 

初めて跳ねた。石の縁を越えて、床へ少しだけこぼれる。こぼれた分は、床に落ちる前に消えた。

 

映っているものの真ん中に、線が入っていた。

 

線ではない。線に見えているだけで、そこには何も無い。何も無いということが、周りの何かがあるものと同じ明るさで見えている。景色の縫い目が、そこで解けていた。

 

解けた口から、火が出た。

 

                 ◇

 

出てきたものは、多い。

 

数えられる出方をしていなかった。角のある者。這う者。四つ手の者。皮が焼けたまま治らない者。どれも同じ火の匂いをまとって、縫い目の口からこぼれるように地上へ落ちていく。

 

落ちて、すぐに殺しはじめた。

 

相手を選ばない。人間の列にも、東から来た軍にも、透き通ったものが送り出した灰色の騎士にも、等しく飛びかかっていった。

 

シェオゴラスが、身を起こした。

 

「おぉ」

 

肘掛けを掌で叩く。

 

「おぉ! おぉ、面白くなってきているではないか!」

 

「メエルーンズ・デイゴンの眷属でございます」

 

「見ればわかる」

 

「本人は出て来られませぬな」

 

「出て来られんとも。あの縫い目は、あやつが通れる太さではない」

 

シェオゴラスは杯を高く掲げ、水面へ向けて振ってみせた。

 

「デイゴンのアホウめ。余程、自分のおもちゃを壊されたくないらしい!」

 

                 ◇

 

映っているものが、四つに割れた。

 

割れたというより、四つが同じ場所に詰まっていた。

 

デイドラの火が、灰色の騎士の胸へ当たる。当たったところが白く光り、光ったまま止まり、それから内側へ崩れた。崩れた粉は落ちていく途中で凍りつき、宙に浮いたまま止まった。止まった粉に、次の火が当たって砕ける。

 

虎の顔をした兵が一体、身を低くして地を走った。膝より下の高さで入り、騎士の脚の内側へ潜り込む。潜り込んでから、下から上へ跳ねた。跳ねた先に騎士の首があり、それは落ちた。

 

その兵の背へ、別の騎士の結晶の槍。

 

人間の列は、両側から挟まれていた。前は東から来た軍。後ろから、縫い目から落ちてきたものの火。盾を前に向けている者と、後ろへ向けている者が、同じ列の中で隣り合っている。合わせ目が、二人ぶんだけ開いていた。

 

その開いたところへ、火が入った。

 

シェオゴラスは笑っていた。

 

声を出して。腹の底から。玉座の背に体を預け、片足を肘掛けの上へ投げ出して、水面の中で人が焼けるのを見ながら。

 

「ハスキル、見ろ。四つとも、自分が正しいと思うておる」

 

「そのようで」

 

「四つとも、相手が間違っておると思うておる。……ここでな、いちばん笑えるのはどこだ」

 

「……存じませぬ」

 

「四つとも当たっておるところだ」

 

彼は笑いを収めないまま、杯を口へ運びかけて、また下ろした。

 

「燃やすのも、固めるのもな、要は同じだ。どちらも、二度と変わらん」

 

                 ◇

 

「大公」

 

ハスキルが言った。

 

「あちらの結晶が、進んでおりませぬ」

 

シェオゴラスの目が、水面の左へ動いた。

 

透き通ったものの縁は、道の手前で止まっていた。止まったというより、伸ばそうとするたびに、そこへ火が落ちてくる。落ちてきた火が置き換わりを壊し、壊れたところを直す前に、また次が落ちる。

 

直すには、まず片づけねばならない。片づけたそばから散らかされていた。

 

「あれでは、進めぬな」

 

「進めませぬ」

 

「他のものも、呑まれずに済んでおる。人間どもも、東の軍も。……あの騒がしさの中では、誰も整えられん」

 

シェオゴラスは、指で肘掛けを二度叩いた。

 

「儂の仕事ではないか、それは」

 

「そのように存じます」

 

「デイゴンめ。手を出すなと言うたわけでもないが、断りは入れるものであろう」

 

彼は口の端を歪めた。歪めた形が、笑っているのか腹を立てているのかは、隣に立っている者にも見分けがつかなかったのだろう。ハスキルは、それについて何も言わなかった。

 

                 ◇

 

「面白いものを見つけた」

 

しばらくして、シェオゴラスが言った。

 

「そこの、人間の列だ。後ろのほうを見ろ」

 

水面の中で、道の西寄りに立っている一列が映し直された。

 

そこは、まだ火も結晶も届いていない。刃も飛んできていない。並んで立っているだけの、退屈な場所だった。

 

その列で、兵が何人か、肩を縮めていた。

 

一人ではない。ばらばらの位置で、ばらばらの間隔で。ある者は腕をこすり、ある者は首の後ろへ手をやり、ある者は何もせずに、ただ少しだけ小さくなっている。

 

風は、吹いていない。

 

「寒がっておる」

 

シェオゴラスが言った。

 

「西からだ。あの方角から来るものを、あやつらは知らん。知らんのに、身体のほうが先に縮んでおる」

 

「人はそういうものでございます」

 

「そうだな」

 

彼は満足そうに頷いた。「知らずに縮めるのだから、上等だ」

 

そして杯を持ち上げた。

 

                 ◇

 

杯の中の赤が、動かない。

 

持ち上げたのだから、動くはずだった。持ち上げて、傾けかけたのだから、内側の面は斜めになるはずだった。

 

なっていない。

 

水平のまま、そこに在る。杯を傾けても、面だけが最初の向きを保っている。

 

シェオゴラスは、それを目の高さで見た。

 

しばらく、見ていた。

 

やがて、手首を使って、杯を大きく回した。

 

一度。二度。三度。

 

三度目で、赤が動いた。器の壁を舐めるように上がり、下がり、それきり普通の酒に戻った。

 

「……ふん」

 

彼はそれを飲んだ。飲み干して、袖で口を拭った。拭う仕草だけが、この宮殿の主にしてはずいぶん粗末だった。

 

背後で、狂人たちが縄跳びを再開している。

 

数は、また増えていた。

 

                 ◇

 

「大公」

 

「なんだ」

 

「あの者と、約束されたのではありませぬか」

 

シェオゴラスは、答えなかった。

 

答えないまま、杯を肘掛けの上に置いた。置いた場所が悪く、杯は倒れかけて、倒れる途中で止まった。止まったまま傾いている。

 

「行かれないのでございますか」

 

「行くとも」

 

「では」

 

「時間までは約束しておらん」

 

彼は指を一本立てて、それを水面のほうへ向けた。

 

「それに、面白くなるのはこれからだ」

 

                 ◇

 

ハスキルは、それ以上を訊かなかった。

 

訊かない、という選択を、この従者は数千年ぶん重ねてきている。重ねた結果として、彼は主のそばに立ち続けていた。訊いていた者たちがどうなったのかを、記録した書物はどこにも無い。

 

シェオゴラスは玉座を降り、縄跳びのほうへ歩いていった。

 

歩きながら、指を鳴らす。縄になっていた側と跳んでいた側が入れ替わり、跳んでいたほうが困った顔をした。同じ顔が、五つぶん困っていた。

 

「ペラギウス」

 

「はい」

 

「はい」

 

「はい」

 

「うるさい。一人でよい」

 

四つが消えた。残った一つが、少し安心したように見えた。

 

                 ◇

 

池は、そのまま。

 

主が背を向けたあとも、水面は映すことを止めなかった。

 

山の麓の道。四つに詰まった場所。縫い目から落ち続けているもの。西寄りの列で、まだ理由を知らずに肩を縮めている者たち。

 

誰も見ていない水面の上で、それは続いていた。

 

映すという働きだけが残っている場所で、映されるものは、見られていることを知らない。知らないほうがよかったのかどうかは、覗き込んでいた者が去ったあとでは、もう誰にも決められなかった。

 

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