The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第2話:届かぬもの(前半)

列は、混ざっていた。

 

北の連中が来た日から、ベテランの左に帝国の盾は無い。今そこに立っているのは、盾を持っていない男だ。毛皮の肩当てから腕が出ていて、その腕が彼の腿ほどある。名は訊いていない。訊かれてもいない。言葉を交わす必要のある場面が、一度も無かった。盾の縁を合わせろという意味の顎の動かし方だけは、二日目に覚えた。

 

伝わってしまえば、それで足りた。

 

右には、若い兵がいる。

 

まだ、いる。

 

                 ◇

 

最初の二日は、東へ動いた。

 

北から下りてきた連中は、線を作らなかった。作らないまま前へ出て、出た先で当たり、当たったところを開けて、また出る。開いたところへ帝国の列が入っていく。入ってしまえば、そこはもう味方の場所になった。

 

ベテランは、その二日で溝をまたいだ。

 

掘ったのは自分たちだ。掘って、越えられて、後ろへ置いてきた溝だった。西から東へまたぐのは、初めてだ。

 

またぐとき、彼は下を見なかった。

 

見れば、そこに何が溜まっているかを知ることになる。知る必要のあるものではない。

 

二日で、失った分の半分ほどが戻った。

 

半分だ。全部ではない。北の連中は全部を戻すつもりでいたようだったが、帝国の列は途中で足が止まった。士気の問題ではない。前に出すぎた隊がどうなるかを、この軍は十数年ぶんの記録として持っている。

 

ベテランも、止まった側だった。

 

止まって、東を見て、そこにまだ埃が上がっているのを確かめた。

 

減っていない。

 

                 ◇

 

三日目の朝、空が裂けた。

 

裂けたという言い方が正しいのかどうかは、下から見ていた者には決められない。東の空の、雲より少し下のあたり。そこに、何も無い場所ができた。

 

何も無いということが、周りの何かある場所と同じ明るさで見えていた。

 

そこから、火が出た。

 

落ちてきたものは、相手を選ばない。

 

東の軍にも飛びかかったし、南西から伸びてきていた透き通ったものにも飛びかかったし、こちらの列にも同じだけ飛びかかってきた。角の生えたやつ。這うやつ。皮が焼けたまま治らないやつ。

 

北の連中が、そこで潰れた。

 

前へ出ていた隊ほど、早く消えた。線を作らずに進むというやり方は、後ろから来るものを勘定に入れていない。勘定に入れていないものが、上から降ってきた。

 

二日で戻した半分が、一日で無くなった。

 

無くなり方が、それまでと違っていた。

 

押されて下がるのではない。線が、線でなくなった。前と後ろが同じだけあって、どちらを向いて立てばいいのかを、誰も決められない。号令は届く範囲にしか届かず、届く範囲がどんどん狭くなる。

 

ベテランは、溝をもう一度またいだ。

 

今度は、東から西へ。

 

またぐとき、彼は下を見た。見て、そこに溜まっているものがどちら側のものかを数えようとして、途中でやめた。

 

                 ◇

 

そこから先は、日付が数えられなくなった。

 

足元には、焼けた死体が幾つも転がっている。人のものもあるし、人でないものもある。角の生えたやつは、死んでも熱を持っていて、踏むと沓の底が焦げた。縫い目から落ちてきた連中だ。落ちてきては殺し、殺されては、そこで乾いていく。

 

三つの敵がいた。

 

東から来る軍。南西から寄ってくる透き通ったもの。そして、空の割れ目から落ちてくる火。

 

三つが互いを殺してくれるおかげで、この列はまだ在った。数を数えれば、それは幸運と呼ぶべきものだった。

 

                 ◇

 

その朝から、透き通ったものが来なくなっていた。

 

道の南寄りで止まったまま、伸びてこない。灰色の騎士の姿も、前の日より少ない。落ちてくる火も減っていた。

 

理由は、誰も言わなかった。

 

代わりに、東の空の色が変わりはじめていた。

 

                 ◇

 

音が、消える。

 

管の音も、地面の震えも、東からの雄叫びも。全部が、上から蓋をされたように途切れた。

 

途切れたあと、風が吸われた。

 

ベテランは、それを頬で感じた。押されるのではない。引かれる。埃が地面から立ち上がり、東へ向かって斜めに流れていく。旗が、東へ向かって張った。

 

誰かが、上を指した。

 

雲だと思った。

 

厚い雲が東の空に垂れて、その端が地平のあたりまで下りてきている。ただ、雲は動く。あれは動かなかった。動かないまま、こちらへ近づいてくる。

 

近づいてきて、初めて、それが長いものだとわかった。

 

胴だった。

 

先も、後ろも、雲の中にある。見えている部分だけで、ブルーマの山塊の裾ほどある。鱗の一枚が、家の屋根ほどだった。並びは、道の割れ目に浮いていたあの菱形と、寸分違わない。

 

首が、下がってくる。

 

眼が二つ、雲の下へ出た。

 

ベテランは、そこで初めて理解した。あれは近づいてきていない。

 

あれは、はじめからここまで来ていて、姿だけを後から見せている。

 

トシュ・ラカ。

 

その名を、この列の誰も知らなかった。

 

                 ◇

 

矢が、上がった。

 

前の方で誰かが号令をかけたらしい。数百本が、同時に。上がっていく途中で、束はきれいに開いた。

 

届いた。

 

届いて、当たって、逸れた。

 

刺さったのは一本も無い。鱗の面に触れた矢は、触れた瞬間に向きを変え、そのまま鱗の並びに沿って横へ流れていった。落ちてきた矢は、揃って同じ方向を向いて地面に刺さった。

 

魔法が、上がった。

 

火の球が三つ。あの高さの半分も行かないうちに、球のほうが縮んで消えた。消えたのではなく、行くのをやめたようにも見えた。

 

「……ああ」

 

隣の男が、そう漏らした。

 

言葉ではない。ただ、それが感心している音であることはわかった。

 

そういう類の生き物ではなかった。

 

                 ◇

 

息を吸う音が、先に来る。

 

大きな器に水を入れるときの音に似ていた。似ているだけで、量が違う。吸われているあいだ、あたりの空気が薄くなり、耳の奥が詰まる。

 

ベテランは、伏せた。

 

なぜ伏せたのかを、後で考えても答えは出なかった。号令は無かった。周りの多くは立っている。ただ、十数年ぶんの何かが、そのとき膝を折らせた。

 

隣の男の腰を掴んで、引き倒す。

 

来た。

 

光ではない。音でもない。線だった。

 

列の左寄りを、太い線が一本、横に通っていった。通ったあと、そこには何も無い。焼けた跡が残るのが火で、砕けた跡が残るのが槌だ。あれは、跡を残さなかった。

 

盾も、鎧も、人も。そこにあったものが、そこに無い。

 

地面だけが残っていて、その表面は硝子になっていた。硝子の面には、菱形の並びが焼き付いていた。同じ形、同じ向き、同じ間隔で、その帯の全部に。

 

その帯の中で、伏せた者と、地面の窪みにいた者だけが残った。

 

ベテランは、顔を上げなかった。

 

上げるより先に、二度目が来ないことを確かめる必要があった。

 

                 ◇

 

北の指揮所。

 

シグヴァルド・ストームクロークは、立っていた。

 

伏せなかった側だ。伏せる意味が無いところに立っていたので、伏せずに済んだ。線は指揮所の二百歩ほど南を通っていった。

 

通ったあと、そちらから音が来なくなった。

 

「……ルーデウス」

 

「は」

 

「今の、何歩ぶんだ」

 

「……五十、ほどかと」

 

「二度目が来たら」

 

「は」

 

「同じだけ減る」

 

側近の声が震えている。シグヴァルドは、それを咎めなかった。震えていないほうが、この場では不自然だ。

 

「旗は、いくつ立っている」

 

ルーデウスが、南の斜面へ目を走らせた。数えるのに、思っていたほど時間がかからなかった。

 

「……十一です。線の内側で」

 

「朝は」

 

「十九でした」

 

シグヴァルドは、それについて何も言わなかった。

 

                 ◇

 

「弓は」

 

「二度、放ちました。一本も刺さっておりません」

 

「魔道兵は」

 

「帝国のブレトン師団が三度。……高さが足りませぬ。あの雲の下まで届く術者は、この戦場にはおらぬかと」

 

「退がるなら、どこまで退がれる」

 

ルーデウスが口を開いて、閉じた。

 

答えは、この場の全員が知っている。この街道を空ければ、次は帝都だ。

 

帝都は端ではない。真ん中だ。真ん中を取られた国は、どの方角へも守れなくなる。

 

それに、あの軍は東から来て、モロウウィンドを抜け、スカイリムの南を舐めてから、ここへ下りてきた。通ってきた道は、そのまま帰り道になる。逃がした年寄りと子供は、その道の向こう側にいる。

 

「夜を待つのは」

 

「……あれが眠るかどうかを、存じません」

 

「眠らんだろうな」

 

シグヴァルドは、斧の柄を握り直した。

 

柄には傷が二つ入っている。一つは祖父の代のもの。一つは父の代のもの。彼自身がつけた傷は、まだ無い。

 

見上げた。

 

雲の下に、胴が横たわっている。動かない。急ぐ理由が無いから急いでいない、という動かなさだった。

 

届くものを、彼は一つも持っていない。

 

その事実に、彼は思っていたよりも早く行き当たった。

 

                 ◇

 

「帝国からの返書は」

 

「……まだ、ございません」

 

シグヴァルドは、南を見た。二百歩先。さっき、そこで帝国の術が三度、届かなかった。

 

「同胞団は」

 

ルーデウスが、そちらを見た。

 

「左翼の後ろに。……まだ、下がっております」

 

「呼べ」

 

返事が、一拍遅れた。

 

「王よ」

 

「呼べ」

 

「……出せば、戻りませぬ」

 

「知っている」

 

シグヴァルドは、東を見たままだった。

 

「金は要らぬと言ってきた連中だ」

 

言い値で出すと伝えろ、と彼が命じたのはソリチュードでのことだ。返ってきたのは、要らぬ、の三文字だけだった。あのとき彼は、その返事が何を意味するのかを察して、それ以上は訊かなかった。

 

訊かずに済ませた。

 

済ませたので、今、代金を払っていない。

 

「受け取っていれば、買ったことにできた」

 

彼は言った。

 

「できんかった。……行け」

 

「は」

 

ルーデウスは、走った。

 

走る前に、なぜ、とは訊かなかった。ホワイトランでは訊いた男だ。帝国へ鳥を飛ばせと言われて、正しいことかわかりませんと言った首長もいた。

 

今は、誰も訊かない。

 

訊く者がいなくなったのか、訊く意味が無くなったのかは、シグヴァルドにとってはどちらでもよかった。

 

                 ◇

 

やがて、左翼の後ろが動いた。

 

獣の皮を被った一団が、前へ出ていく。

 

歩いていた。走ってもいないし、急いでもいない。前で何が起きているかを知らないわけがないのに、その歩き方をしていた。

 

シグヴァルドは、それを見ていた。

 

「ルーデウス」

 

「は」

 

「あれを、よく見ておけ」

 

「……は」

 

「あとで誰かが、嘘だと言うだろうからな」

 

そして、笑った。

 

「いよいよソヴンガルデか」

 

「王よ——」

 

「悪くはない」

 

彼は笑いを収めないまま、東を見ていた。

 

「祖父も父も、ここに立ったことは無い。俺が初めてだ。……初めてのことに、俺は目がなくてな」

 

近くにいた兵が一人、それを聞いて笑った。

 

咎める者はいなかった。

 

この先に何が待っているかを聞かされて笑える者たちを、彼の祖父はかつて幾千と集めている。集めた理由は違う。笑い方だけが、同じだった。

 

                 ◇

 

「馬を引け。二頭だ」

 

ルーデウスの手が、止まった。

 

「……前線に出られる、と」

 

「兵は一人でも多いほうがいい」

 

「兵ではなく、王です」

 

「それは役割だ」

 

シグヴァルドは、東から目を離さないまま言った。

 

「戦わない理由にはならん」

 

ルーデウスは、それ以上言わなかった。この男は一度言えば曲がらない。二度言わせるだけ、その場の時間が減る。

 

引かれてきたのは、二頭だった。

 

「一頭で構わんぞ」

 

「お供します」

 

側近は兜の紐を締めた。

 

「ソリチュードに王を戻すのが、私の役目です」

 

「……ブレトンの母親から、そんな役目を教わったのか」

 

「魔法が使えていたら、ここにはいませんでしたよ」

 

剣を一度抜いて、戻す。

 

二人は、馬に乗った。

 

指揮所の柱に、旗が一本残っている。数える者は、もういない。

 

                 ◇

 

若い兵が、いなかった。

 

顔を上げたとき、ベテランの右は空いていた。

 

盾が落ちている。若い兵のものだ。縁の凹みの形を、彼は覚えていた。

 

その先、六歩ほど。

 

角の生えた死体の脇で、若い兵が仰向けになっていた。躓いたのだろう。あの死体は熱を持っている。掴めば手が焼ける。掴まずに転がれば、上に乗られる。

 

乗られていた。

 

虎だった。

 

顔が虎で、体が人の形をしている。人の形をしているのに、四つで地に着いていた。膝より低い高さで入ってきて、そのまま上へ乗ったのだろう。前肢——腕と呼ぶべきかもしれないが——の片方が、若い兵の胸を押さえている。もう片方が、上がっていた。

 

刃を持っている。

 

武器を持って四つで走る生き物を、ベテランは見たことがない。

 

そこまでを、彼は一息のあいだに見た。

 

走る。

 

三歩で届く距離ではない。届かないので、彼は盾を投げる。

 

当たらなかった。当たらなかったが、虎の顔がそちらを向いた。

 

向いた。

 

一拍。

 

その一拍のあいだに、ベテランは残りを詰めて、短剣を虎の首の横へ入れた。入れてから、体重を全部かけて、下へ押した。

 

毛の下は、思っていたより薄かった。

 

血が、腕にかかる。熱い。人のものとそう変わらない熱さだった。

 

虎は、二度もがいて、止まった。

 

                 ◇

 

ベテランは、若い兵の胸から前肢を押しのけた。

 

重い。押しのけて、その下から若い兵を引き出す。

 

生きていた。

 

「……立て」

 

若い兵は、立たなかった。

 

肘をついて、そこまでで止まっている。目は開いている。開いているが、どこも見ていない。

 

「立て。ここは、まだ来る」

 

「……無理です」

 

声は、思っていたよりはっきりしていた。

 

「どうせ、勝てない」

 

若い兵は言った。

 

「殺されるだけです。あの、上のやつが。……五十歩ぶん、無くなりました。次は、こっち側です」

 

ベテランは、答えなかった。

 

答える前に、若い兵の右足を見た。

 

沓が無い。

 

片方だけだ。革はどこかへ行っていた。足の裏が地面に付いていて、その裏が切れて、血が出ている。

 

蝋引きの麻紐は、足首に残っている。

 

縫うものが無くなっても、そこだけは結ばれたままだった。

 

ベテランは、それを一度だけ見た。

 

見て、目を戻した。

 

「そうかもな」

 

そう言った。

 

「……でも今じゃなかった」

 

若い兵が、彼を見上げた。

 

「今、じゃ」

 

「今じゃなかった。さっき死ぬところだったが、死んでない。次に死ぬかもしれんが、それは次の話だ」

 

ベテランは手を出した。

 

「立て。話は、そのあとにしろ」

 

若い兵は、その手を掴んだ。

 

掴む力は、思っていたよりも強かった。

 

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