The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
若い兵が、盾を拾いに行く。
拾って、戻ってきて、縁を合わせた。合わせた位置は、正しい。
◇
左翼が、割れた。
音でわかった。剣戟ではない。もっと湿った音だった。
ベテランは、そちらを見た。
獣の皮を被った一団が、皮を脱いでいた。
脱いでいるのではない。
背が伸びる。伸びる途中で、背骨の並びが皮の下から浮き上がり、その並びが順に外へ折れていく。肩の骨が音を立てて開き、腕が伸び、伸びた先で指の間が裂けた。顔が前へ突き出す。突き出しながら、口のあたりが縦に割れていく。
メキ、と鳴った。
木ではない。骨だ。骨がああいう音を立てるということを、彼はこの日に知った。
十数人が、同時に。
立ち上がったものは、人の倍あった。
ベテランは、腰の短剣に手をかけた。
新しい敵が来たのだと思った。四つ目だ。空から火が落ちてくるなら、地面から獣が出てきてもおかしくはない。
獣は、こちらへ来なかった。
東へ行った。
◇
止まらなかった。
盾を構えたアカヴィリの列へ、真正面から入っていく。盾を叩くのではない。盾ごと、その後ろの人間ごと、腕の一振りで横へ運んでいく。運ばれたものは、着地する前に別の一頭に噛まれた。
虎の顔をした兵が、下から入ろうとする。膝より低い高さで。
そこには、もう獣の膝は無い。獣は四つになって、同じ高さから迎え撃った。
首を掴む。牙を入れる。振る。
蛇の顔をした兵の一団が、槍を並べて構えた。構えた並びの上を、一頭が跳び越えていった。跳び越えた先は、その並びの後ろだ。並びは後ろから壊れた。
血が、雨のように上がっている。
その中で、獣は笑っているように見えた。口の形がそうなっているだけかもしれない。だが、あれは追い詰められている生き物の口ではなかった。
ベテランは、それを見ていた。
味方だ。
味方であることが、ちょうど同じだけ怖かった。
隣で、毛皮の男が吠えた。言葉の形をしていない。形をしていないまま、彼は前へ出た。
その向こうで、帝国の兵が二人、剣を拾い直している。
ベテランは、自分の腕を見た。
短剣を握っていた。いつ抜いたのかを、覚えていない。
◇
それでも、上には届かなかった。
胴は動かない。動かないまま、二度目の息を吸いはじめていた。
戦線は、押されていく。獣が開けた穴は、開けたぶんだけ塞がれた。東から来る数は減らない。減らないうえに、上から線が一本降りてくれば、それで済んでしまう。
じり貧という言い方を、ベテランは知らない。
知らないが、そういうものであることは、足の裏でわかった。
◇
音が、西から来る。
シグヴァルドが、最初に顔を上げた。
空気を裂く音だった。管でも、角笛でも、獣でもない。何か固いものが、風の中を無理に押し分けてくる音。
「……あれは」
彼は目を細めた。
「あれはドラゴンか?」
答えた者はいない。
そのとき、それは指揮所の上を通り過ぎていた。
骨だった。
肉の無い翼が、光を透かしている。眼窩の中に青いものが二つ入っていて、その青が、東の胴へまっすぐ向いていた。
背に、人が乗っている。
◇
骨の竜は、高度を落とさない。
落とさないまま、東の胴の上を横切った。
すれ違いざま、背の男が口を開けた。
◇
声だった。
言葉ではない。あるいは言葉だったのかもしれないが、この列の誰も、その意味を知らなかった。
音が、来た。
ベテランの胸の奥で、骨の裏側を内から押されるような感覚があった。奥歯の根が痺れる。口の中に鉄の味がした。彼は思わず膝を落とし、耳を押さえる。押さえたところで、外から来ている音ではなかった。
胴が、動く。
初めて動いた。
雲の下の首が、横へ振られた。振られて、鱗の並びが波打ち、そこで一枚が浮く。
そして、退いた。
雲の中へ、胴が引かれていく。ゆっくりではなかった。あの大きさのものが、あの速さで引くのを、地上の誰も見たことがなかった。
雲が閉じた。
東の空に、何も無くなっている。
◇
一拍、誰も声を出さなかった。
出せなかった。
「ドヴァキンか!」
指揮所から、声が飛んだ。
「真なる竜の帰還だ!」
そこから先は、音の壁だった。
ノルドたちが吠えた。武器を打ち鳴らし、盾を叩き、名前を呼び、名前ではないものも呼んだ。地面が揺れた。さっき龍が来たときとは、揺れ方が違っていた。
ベテランは、立ち上がった。
立ち上がって、東を見ている。
さっきまで、あそこには触れられないものがあった。矢が逸れ、魔法が縮み、列の左が硝子になった。
それが、怯んだ。
十数年やってきて、彼が学んだことは多くない。その多くないもののうちの一つが、
◇
骨の竜が、旋回した。
一度、二度。旋回しながら高度を落とし、東から来た軍の頭上へ入る。
背の男が、また口を開けた。
今度は下へ向けて。
『Fus- Ro- Dah』
三つだった。三つで足りるらしかった。
風が、下から巻き上がった。アカヴィリの列が、まとめて横倒しになる。盾が飛び、槍が折れ、角の生えた連中が地面から剥がされて、そのまま東へ転がっていった。
一度で、五十歩ぶんの穴が空いた。
前線が、その穴へ流れ込んでいく。誰の号令でもない。行けるとわかったから行った。ノルドが先に出て、帝国が続いた。順番が逆になった隊もあった。
「……あれが」
隣で、若い兵が言った。
立っている。片方の足は裸のままだ。血が地面に付いていて、そこにいくつも小さな跡ができていた。
「あれが、ドラゴンボーン……」
口が半分開いたまま、目だけが空を追っている。
ベテランは、その背を叩いた。
強く。よろけるほど。
「最後まで抗うやつが生き残るんだ」
それだけを言った。
若い兵は、よろけて、踏み直して、それから前を向いた。
◇
東の列の中で、おかしなことが起きている。
蛇の顔をした一団が、止まっていた。
戦っていたわけではない。押し込まれてもいない。ただ、進むのをやめて、空を見上げている。
一体が、隣の虎の兵を刺した。
味方だ。少なくとも、ベテランの目にはそう見えていたものだった。
一体だけではなかった。蛇の顔をした兵が、次々に向きを変えていく。並びの中で、槍の穂先が内側を向く。悲鳴が、東の列の内側から上がりはじめた。
やがて、彼らは膝を折った。
空へ向けて。
骨の竜が通る下で、蛇の顔をした兵たちが、頭を垂れていた。何百か。何千か。数えられる並び方ではなかったが、向いている先は一つだった。
ベテランには、何が起きたのかわからなかった。
わからないので、考えなかった。前線が開いたなら、開いたところへ行く。それだけが彼の仕事だ。
◇
骨の竜が、降りてきた。
翼が土を叩き、埃が横へ広がる。爪が地面を掴んだ。背から、男が降りた。
近い。ベテランの列から、二十歩と離れていない。
背は高くない。ノルドとしては並みだ。革と鎧は古く、手入れはされているが新しくはない。背には両手戦斧。抜いていない。
続いて、女が降りた。
黒い髪。肌が白すぎる。この戦場に立つ服装ではなかったが、立っていることに何の無理も無いように見えた。
「やっぱりあなたは、英雄ですわね」
女が言った。東の列で頭を垂れている連中のほうを、顎で示している。
「ただのノルドだ」
男が答えた。
少しだけ、言い方が早かった。
「指揮官はいるか」
◇
「俺だ」
指揮所のほうから、声が来た。
歩いてくる。若い。斧を提げているが、構えていない。
「シグヴァルド・ストームクローク。スカイリムの上級王だ」
男の顔が、そこで動いた。
「ストームクローク」
「そうだ」
「……ウルフリックの血筋の者か」
「そうだ」
シグヴァルドは、そこで一度、息を吸った。
「あんたの話は、父王からも、祖父王ウルフリックからも聞いている。……あんたと盾を並べて戦えることを、光栄に思う」
男は、それについて何も言わなかった。
言わずに、東を見た。雲は閉じている。閉じたものは、また開く。
「足元は任せても構わないか」
「ショールにかけて」
シグヴァルドが答えた。
◇
その声が、動いた。
近くにいた者が、同じ言葉を返した。次の者が返し、その次が返す。ノルドの列を、言葉が波のように後ろへ渡っていった。渡るたびに大きくなる。
ベテランは、それを聞いていた。
隣で、若い兵が息を吸う。
六日前も、そうしていた。あのときは、吸って、そのまま吐いた。
今度は、吐かなかった。
「タロスに誓って」
若い兵が言った。
声は、大きくなかった。
大きくなかったが、周りの音がその一瞬だけ薄かったので、届いた。
◇
一人が、続く。
すぐ後ろの男だ。それから、その隣。二列前。左のほう。
内戦から数十年、どの隊のどの列でも口にされなかった名が、あちこちで同時に上がりはじめた。咎める者は、いなかった。咎める側の者が、皆それを言っていた。
八柱を数えていた従軍の神官が、今どこにいるのかを、この列の誰も知らない。
ベテランは、口を開けた。
音が出る。
出た音を、彼は自分の耳で聞いた。聞いてから、それが自分の声だとわかった。
十数年、口の中でも通したことのない名だ。通してみると、思っていたよりも短かった。
◇
「私は、地上から狙いますわね」
女が言った。背から、麻袋ではないものを下ろす。白銀が、埃の中で一度だけ光った。
「頼む」
男は骨の竜の首へ手をかけた。
かけて、振り返らずに一言だけ言った。
「生き残るぞ」
翼が、土を叩いた。
◇
空が、その男に渡された。
地上には、人が残る。
残った者たちは、それぞれの持っているもので殺し合いを続けた。獣は牙で、ノルドは斧で、帝国兵は切れない剣で。誰が誰に何を誓ったのかを、そのとき数えていた者はいない。
硝子になった帯は、まだそこにあった。
その上を、人が踏んで、前へ出ていく。踏んだ足の跡は、付かなかった。
ベテランは、三列目にいなかった。
一列目にいた。
隣に、若い兵がいる。
片方の足は、まだ裸だった。