The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
白金の塔の地下に、部屋があることを知る者は少ない。
部屋と呼べるのかも、はっきりしない。塔の根が石を押しのけた跡に、あとから床を張っただけのものだ。天井は無い。見上げれば、上へ向かってすぼまっていく縦の空洞が、闇の中へ消えている。
そこに、二十人ほどのアルトマーがいた。
輪になって立っている。等間隔で。一人ひとりの足の位置に、床の目地を合わせてある。
唱和が続いていた。
低い。言葉の切れ目が無い。息を継ぐ者が順に一人ずつずれているので、輪の全体としては、一度も途切れない。誰かが吸っているあいだ、残りが出している。
輪の中心に、杭があった。
八本目だ。
七本は、もう根まで入っている。床から出ているのは、爪の先ほど。色は白いが、白いものが持っている艶が無い。光が当たっても、当たった場所が明るくならなかった。
八本目は、まだ半分残っていた。
――ゴン。
木槌が、杭の頭を打つ。
強い打ち方ではない。打ち込むための音ではないからだ。杭は、木槌で入るものではない。唱和が続いているあいだ、少しずつ沈んでいく。木槌は、その速さを揃えるために鳴らされている。
――ゴン。
同じ間隔で。
輪の五番目に立っていた男は、掌を腿で拭った。
拭ってから、拭ったことに気づいた。癖だ。子供の頃から直らない。アルケイン大学にいた頃、教官に何度も指摘された。手が濡れていては印が滑る、と。
いまは印を結んでいない。ただ声を出しているだけだ。それでも、掌は濡れていた。
彼には名前がある。
ここへ来てから、それを呼ばれたことは一度も無い。
――ゴン。
輪の三番目が、膝から落ちた。
音は小さかった。膝が床に触れ、それから肩が触れ、それだけだ。声が一つ抜けたぶん、輪の音が薄くなる。薄くなったところへ、隣にいた者が半歩だけ横へ動いて、抜けた場所の空気を埋めた。
唱和は、切れなかった。
倒れた者の襟を、後ろにいた別の者が掴んだ。掴んで、輪の外へ引きずり出す。踵が床の目地を擦っていく音が、唱和の下を通っていった。
――ゴン。
輪の五番目に立っていた男は、三番目へ動くように、手で示された。
彼は動いた。動きながら、声の高さを合わせた。前の者が出していた音の途中から、そのまま続きを出す。継ぎ目は無い。
三番目の位置は、杭に近い。
近くで見ると、白い柱の表面には、細い線が入っていた。線は動いている。ゆっくりと、上から下へ流れていく。流れて、床に触れるところで消える。
沈んだ。
爪の幅ほど。
――ゴン。
それを、あと何度繰り返すのか。彼は数えかけて、やめた。数えると、声が乱れる。ここへ来た初日に、そう教わっていた。
◇
八本目が根に触れたのは、木槌が九十を過ぎたあたりだったろう。
音が変わった。
それまで、木槌は木を打つ音を返していた。それが、水の張った甕の縁を叩いたような、後ろへ長く伸びる音になった。
床が、一度だけ膨らんだ。
膨らんで、戻った。膨らんだあいだ、部屋にいた全員の耳が詰まる。詰まって、抜ける。
唱和が、止まった。
止めたのではない。全員の声が、同時に出なくなった。
誰も、何も言わなかった。
輪の外で、木槌を持っていた者が、それを床に置いた。置いてから、両手を握ったり開いたりしている。
三番目に立った男は、床を見ていた。
八本目の頭が、七本と同じ高さで、そこにある。爪の先ほど。艶は無い。
歓声は、上がらなかった。上げる決まりが無かったし、上げようとした者もいなかった。
彼は、また掌を腿で拭った。
「よい」
声が、階段の上から降りてきた。
◇
オンカノは、上から二段目のところで足を止めていた。
長衣に埃がついている。裾が焦げていた。焦げた匂いは、この部屋の空気には無い匂いだ。それが、階段の上のほうから流れ込んできて、輪の何人かが、そちらを見た。
「よい。よく、そこまで運びました」
オンカノは階段を降りきると、輪の中へは入らずに、縁のところで立ち止まった。
右の掌を、上へ向ける。
そこに、珠があった。
部屋の空気が、変わった。声は出ない。誰も動かない。ただ、二十人ぶんの呼吸の位置が、一斉にずれた。
「あと一つ、と申しておりましたな」
オンカノは、掌の上のものを指で一度転がした。
「一つ、揃いました」
三番目の男は、それを見ていた。
見ていて、気づいた。
珠は、瞬いている。瞬いているが、間隔が揃っていない。二度、三度、と続いたあとで、四度目までが長い。長いあいだ、掌の上には何も無いように見えた。
彼は、それを口には出さなかった。
出す理由が無い。彼は五番目から三番目へ動いたばかりの者で、輪の縁に立っている者は特使閣下であり、あれが本来どういう間隔で瞬くものなのかを、彼は見たことがない。
見たことのないものについて、何かを言う場所ではなかった。
「外が」
輪の中から、声がした。
「……外が、騒がしいようですが」
言ったのは、七番目に立っていた者だ。年嵩の、髪の白くなりかけた男だった。
たしかに、上から音が降りてきていた。縦の空洞の、ずっと上のほうから。何の音なのかは、ここまで届くあいだに崩れてしまって、わからない。ただ、規則正しくない。人の立てる音は、たいてい規則正しくない。
オンカノは、上を見た。
見て、笑った。
「関係ございませぬ」
笑い方は、静かだった。声を張らない。この人物が声を張るところを、三番目の男はまだ一度も見ていない。
「上で誰が誰を殺していようと、我々の段は変わりませぬ。ただ――」
指が、珠を一度弄ぶ。
「檻を、緩めてくれております。あれだけの数で、あれだけ乱暴に。ありがたいことでございます。我々が百年かけてやるはずのことを、あの者らは今日一日でやっておりますな」
輪の何人かが、小さく笑った。
三番目の男は、笑わなかった。
笑うところなのかどうかが、わからなかったからだ。あとになって、あれは笑うところだったのだろうかと考える機会が、彼には無い。
「特使閣下」
輪の外で、誰かが言った。
「三番の前の者が、まだ」
床に、さきほど引きずり出された者が横たわっていた。
目は開いている。開いているが、天井のほうを向いたきりだ。指が、床の目地のところで一度だけ動いた。
オンカノは、そちらへ歩いた。
歩いて、しゃがみもせずに立ったまま、懐から小瓶を出す。栓を抜き、逆さにした。
中身が、倒れた者の頭にかかった。
額から鼻へ、鼻から口へ流れる。半分ほどは床にこぼれた。こぼれたぶんが、目地に沿って広がっていく。
倒れた者が、咳をした。
「立てますな」
オンカノは空になった小瓶を床へ置いた。丁寧に、音を立てずに置いた。
「休むのは、あとで幾らでもできます。……いや」
そこで、少しだけ言い直した。
「あとで、というのは正しくございませぬな。我々にはもう、あとがございませぬ。この身を出た先に、休むという働きは要りませぬゆえ」
倒れた者は、肘をついて起き上がろうとしていた。
途中で一度、腕が滑った。
「続けなさい」
オンカノは、もう見ていなかった。
背を向けて、輪の中心のほうへ歩いていく。八本の白い頭が、床に等間隔で並んでいる。その真ん中まで来て、彼は掌を開いた。
珠が、上を向いている。
「これは、目でございます」
輪に向かって言ったのか、独り言なのかは、わからなかった。
「座るだけでは、足りませぬ。誰にも見られずに座ったものを、座ったと呼ぶ者はおりませぬゆえ」
彼は珠を見下ろしていた。
「……長いこと、我々は見られておりました。あちら側から。次は、こちらが」
そこで言葉が切れた。
切れた理由は、三番目の男にはわからない。オンカノの横顔からは、何も読めなかった。読めるほどの表情が、そこに出ていなかった。
「唱和を」
それだけだった。
輪が、声を出しはじめた。
さっきまでと同じ高さ、同じ切れ目の無さで。三番目の男も、掌を腿で拭ってから、口を開いた。
◇
その日、あの地下で規則正しく鳴っていたものは、二つ。
一つは、床の上で鳴っていた。
その一つが、どこから来ていたのかを、そこにいた二十人のうち誰も考えなかった。考えるようには出来ていなかったし、考えたところで、彼らに残された段は、そう多くもなかったのだろう。