The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第2話:答えた場所(前半)

雲の腹が、下がってきた。

 

下がったのではない。何かがその中で動いていて、動いたぶんだけ雲が押し下げられていた。腹の色が、円を描いて濁っていく。円は広がりながら南へ流れ、流れきる前に、また新しい濁りがその内側にできる。

 

戦場の音が、順に減っていった。

 

前のほうから減る。斧が止まり、剣が止まり、悲鳴が止まる。止めた者たちは、みな同じ方向を見上げていた。

 

シグヴァルドは、斧の柄を握ったまま動かなかった。

 

「……ルーデウス」

 

「は」

 

「弓は、まだ何束ある」

 

側近は答えなかった。答えられる数え方を、この場ではもう誰も持っていなかったからだ。

 

雲が、裂けた。

 

裂け目から出てきたものは、長かった。

 

翼で空を打つ形ではない。細く、長く、体そのものをうねらせて空を進んでくる。頭のあたりから左右へ、髭とも角ともつかないものが後ろへ流れていた。鱗が一枚ごとに違う角度で光を返し、返した光が地上まで届いて、兵たちの顔を順に照らしていく。

 

美しかった。

 

美しいと思った者が何人かいて、そう思ったことを、そのあと恥じた。

 

『――遅い』

 

声が、来た。

 

音として来たのではない。地面から来た。踏んでいる土が震え、震えが足首を上がってきて、膝の裏で言葉になった。

 

『時は、我が腹の中にある』

 

長いものは、戦場の上でとぐろを巻いた。巻いて、止まった。止まったところで、風が止んだ。

 

『竜と名乗るものが、この世に幾つあった。喰らった。喰らって、腹に納めた。納めたものは、我のものとなる』

 

シグヴァルドの隣で、若い兵が膝を折った。折ってから、自分で立ち上がった。

 

『時の流れも同じことだ。誰かが流していたものを、我が流す。それだけのことに、なぜ名が要る』

 

長いものの頭が、ゆっくりと下を向いた。

 

見下ろされた者たちは、見下ろされたことに気づかなかった。あまりに大きいものが上にあると、それが自分を見ているのかどうかは、下からはわからない。

 

『新たな理を、我が敷く。古きものは、これより我の腹の中で、我の時を流すがよい』

 

そして、空気を切る音がした。

 

骨の翼だった。

 

雲の下を横から抜けてきたそれは、長いものの頭のずっと上を、大きな弧を描いて過ぎていく。

 

上に、男が乗っていた。

 

「傲慢だな」

 

それだけ言った。

 

                 ◇

 

最初に鳴ったのは、男のほうだった。

 

『Yol- Toor- Shul』

 

言葉が、形を持った。

 

橙の帯が、空を横に走る。走った先で長いものの首に当たり、当たったところで散った。散った火の粉が下へ落ちていき、地上に届く前に消える。

 

首は、そのままだった。

 

焦げてもいない。

 

『――ほう』

 

長いものが、首をもたげた。

 

『声で語るか。懐かしいことをする』

 

顎が開く。

 

開いた奥に、赤が溜まっていた。

 

『焚- 天- 灰』

 

音が、違った。

 

男のそれは、喉から出て前へ飛んでいくものだった。長いもののそれは、出た瞬間には空の全部を占めていた。前も後ろもない。ただ、そこが赤くなった。

 

骨の竜は、右の翼を落として横へ滑る。

 

滑りきる前に、赤が来た。

 

熱ではなかった。熱はそのあとに来た。先に来たのは、空気そのものが押し固められて板になったような、殴られる感触だ。骨の翼が軋み、肋の間で風が鳴る。

 

『クァーナーリン!』

 

「掴んでる」

 

男は首の骨に片手をかけたまま、上体だけを風の下へ入れていた。

 

赤が過ぎた。

 

過ぎたあとの空には、雲が無い。あった場所の空気が、上下に分かれて、まだ揺れていた。

 

「――あれは、竜の吐き方じゃないな」

 

『違う』

 

骨の竜の声が、低く割れていた。

 

『あれは、空を焼いておるのではない。空を潰しておる』

 

                 ◇

 

地上では、誰も動けなかった。

 

赤が空を渡ったとき、その真下にいた者たちは、耳が詰まった。詰まって、抜けて、抜けたあとにしばらく何も聞こえない。開いた口の形だけが、そこらじゅうにあった。

 

「伏せろ!」

 

シグヴァルドが吠えた。声は出ていたが、届いた者は少なかった。

 

彼は、自分が吠えたことも半分わからないまま、土手の上を振り返った。

 

女は、伏せていない。

 

立ったまま、上を見ている。

 

弓は下ろしていた。矢もつがえていない。ただ、顔を上げて、一点を見ていた。瞬きを、あまりしていない。

 

                 ◇

 

空では、二度目が始まっていた。

 

骨の竜は上を取ろうとしていた。取れない。長いものには翼が無く、翼が無いぶん、上も下も同じ速さで動ける。骨の竜が高度を得るのに一度の旋回が要るところを、長いものは体をうねらせるだけで済んだ。

 

『上が、取れぬ』

 

「わかってる」

 

『ならば』

 

「潜れ」

 

竜は迷わなかった。翼を畳み、真下へ落ちる。

 

落ちながら、男は息を吸った。吸った空気が胸で冷えるのが、自分でもわかった。

 

『Fo- Krah- Diin』

 

白が、下から上へ噴き上がった。

 

長いものの腹に、それが当たる。

 

当たった。

 

腹の鱗が、白く曇った。曇りは端から広がり、鱗と鱗のあいだで薄い膜になって張り、張ったところから細かく割れていく。

 

長いものの動きが、そこで初めて一拍遅れた。

 

「入った」

 

『浅い』

 

骨の竜が言った通りだった。

 

曇りは、すぐに引いた。引いたのではない。内側から溶かされていた。腹の下に赤い筋が走り、その筋に沿って氷が水になり、水が湯気になって後ろへ流れていく。

 

『――冷やしたか』

 

長いものの体が、うねった。

 

『よい。冷えれば、また熱くなるだけのこと』

 

うねりが、鞭のように後ろまで抜けた。

 

抜けた先に、尾がある。

 

骨の竜は避けきれなかった。左の翼の先が、尾の側面に触れる。触れただけだったが、骨が三本、まとめて後ろへ折れた。

 

竜の体が、横倒しになった。

 

男は落ちなかった。首の骨のあいだへ右腕を差し込み、そのまま体を預けている。折れた側とは逆へ体重を移して、竜が姿勢を戻すのを助けた。

 

『済まぬ』

 

「謝るな」

 

男は前を見ていた。

 

「あと二本ある」

 

『二本しか無いのだが』

 

「十分だ」

 

                 ◇

 

三度目は、男が先に仕掛けた。

 

顎の下から回り込みながら、彼は両手を離した。膝だけで竜の首を挟み、上体を起こす。

 

空へ向けて、吠えた。

 

『Strun- Bah- Qo』

 

天が、応えた。

 

割れた空の、割れていない部分が黒くなる。黒くなった端から低く垂れ下がり、垂れた先が渦を巻きはじめる。

 

地上の風向きが、いっぺんに変わった。

 

雨は降らなかった。降る前に、上と下が繋がった。

 

白い柱が、一本。

 

二本。

 

七本。

 

長いものの体に、雷が次々と刺さっていく。刺さるたびに、その一区画だけ鱗が反り返り、反り返ったところが黒く焦げる。

 

戦場から、声が上がった。

 

歓声ではない。もっと形の定まらない、喉から勝手に出ているだけの音だ。何千という喉が、一斉にそれを出した。

 

長いものの高さが、落ちた。

 

うねりの速さが乱れ、体の後ろ半分が下がる。下がった尾が雲の底を切って、切ったところから雲が崩れた。

 

「今だ!」

 

シグヴァルドが立ち上がった。

 

「弓! 全員だ! 届く届かんは考えるな! 撃て!」

 

                 ◇

 

矢は、届いた。

 

届いたが、それだけだった。

 

数千本が同時に空へ上がる音は、それだけを聞けば見事なものだった。上がりきったところで、束が長いものの体に触れる。

 

触れて、落ちた。

 

刺さらない。折れもしない。鱗に当たった矢は、当たった角度のまま横へ滑り、滑って、そのまま下へ落ちていく。

 

長いものは、何もしない。

 

避けなかった。身を捩りもしなかった。矢が体を洗っていくあいだ、うねりの速さすら変えなかった。

 

「……くそ」

 

シグヴァルドは、それでも次を叫ぼうとした。

 

叫ぶ前に、横から声が来た。

 

「いま」

 

土手の上からだった。

 

「いま、一箇所だけ、答えましたわ」

 

                 ◇

 

女は、矢を見ていなかった。

 

矢が刺さるかどうかは、最初の三十本でわかる。わかったあとの数千本は、彼女にとってはもう情報ではない。

 

彼女が見ていたのは、長いものの動きのほうだった。

 

何も避けない体だ。

 

避ける必要が無いのだから、避けない。それが正しい。数千本のうち一本も、その体に何かをしていない。

 

だから、動いたら、おかしい。

 

胸の下のあたりだった。

 

前肢の付け根から少し下がった、体の中心線の上。そこへ向かって上がっていった数十本の束が、届く手前で横へ流れた。

 

風だ。

 

風が、そこにだけ起きた。

 

長いものの体の、その一区画の周りだけ、空気が下から巻き上がって、矢を外側へ払ったのだ。

 

一度ではない。

 

二度目の束のときも、同じ場所に、同じものが起きた。

 

女は、そこを見た。

 

鱗が、一枚ある。

 

周りより小さい。色が違う。周りの鱗はどれも根元から先へ向かって流れているのに、その一枚だけが、逆を向いていた。

 

矢が当たっていない。

 

一本も当たっていないのは、そこだけだった。

 

「……あら」

 

彼女は、少し笑った。

 

笑って、弓の握りを持ち替える。

 

握りは、まだ温かい。北から来たものが、まだ抜けていない。

 

「シグヴァルド殿」

 

「なんだ」

 

「少し集中します。周りの事は、お願いしますわ」

 

シグヴァルドは、彼女の顔を見た。

 

見て、それから彼女の見ている先を、目で追った。追ったが、彼には何も見えなかった。空にいる長いものは、さっきと同じように、何も避けずに漂っている。

 

彼は、訊かなかった。

 

「ルーデウス!」

 

土手の下へ、吠える。

 

「この近くにいる手練れを集めろ! 生きてる奴なら誰でもいい、走れるやつから順に上げろ!」

 

返事は、今度は聞こえた。

 

土手の斜面を、鎧が上がってくる。

 

一人。三人。十人。

 

先頭は、狼の意匠を打った円盾を背負った女だった。片方の肩当てが無い。無いほうの腕には、他人のものらしい布が幾重にも巻いてある。上がりきると、彼女は誰にも何も言わずに、女の右前へ立った。

 

続いて上がってきた二人は、揃いの外套を着ていた。裾はもう外套の形をしていない。腰の得物が、この土地の造りではなかった。刃は片側だけで、先が緩く反っている。砂の国のものだ。二人は互いに何か短く言い合い、笑って、左側へ回った。

 

熊の毛皮を肩から掛けた大男が、四つん這いで斜面を上がってきた。立てなかったのではない。そのほうが速いと判断したらしい。上がりきると立ち上がり、自分の背丈で塞げるだけの空を塞いだ。

 

軍団の胸当てが、二枚。片方の兜には、まだ羽根飾りが残っていた。もう片方には、羽根の付いていた穴だけが残っていた。

 

緑の肌が、一つ。両手斧を持っている。刃はほとんど無い。柄さえ残っていればそれで足りると思っている顔をしていた。

 

誰も名乗らなかった。

 

名乗る場面ではなかったし、名乗ったところで、この面子の中では珍しくもなかったのだろう。

 

シグヴァルドは、それを見て、笑った。

 

腹の底からの笑い方だった。

 

「ずいぶんと生き残っているでは無いか」

 

誰も答えなかった。答える息が残っている者が、そこには一人もいなかった。

 

上がってきた者たちは、言われる前に、女を囲む形に立った。外を向いて、盾を並べる。

 

そのうちの一人が、右の足に何も履いていなかった。

 

足首のところに、蝋を引いた麻の紐だけが、まだ残っていた。

 

その前に立った男が、一列目の位置に入る。

 

女は、弓を上げた。

 

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