The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
音は、四つになっていた。
一つは、彼の呼吸。
二つは、地面を踏む音。踏むたびに、踏んだ場所の草が潰れ、足を離すと元へ戻る。戻るときにも、小さな音がした。
三つは、刃と刃。
四つ目は、低い。ずっと下のほうから、規則正しく来ている。あれがいつから鳴っていたのかを、彼はもう覚えていない。
四つとも、鳴り続けている。
彼は数えていなかった。
◇
石柱は、根のところで一枚になっていた。
もう柱と呼べる形をしていない。地面から生えているのではなく、地面のほうが柱の続きになっていた。踏む場所を選ばなければ、そこは歩けない床だ。
その中心に、それはいた。
高さは、木より上だった。木の高さがどれくらいなのかは、もうこの一帯では意味を持たない。木もまた、同じ角度の面で出来ている。
形は、決まっていなかった。
決まっていないというより、決めている途中に見えた。角が伸びる。伸びた角の先が割れて、割れたところからまた別の角が出る。出るたびに、全体の釣り合いが取り直される。取り直されるたびに、少しずつ人の形に近くなっていた。
近くなってはいるが、まだ人ではない。
『――そこか』
声が、した。
声というより、音の並びだった。高さが一定で、切れ目が均等で、強さが変わらない。同じ言葉をもう一度言えば、たぶん一分の狂いもなく同じものが出る。
『長く、合わなかった』
結晶の面の一つが、彼のほうを向いた。
『この一帯の総和が、合わなかった。数え違いか、取りこぼしかと考えた。どちらでもなかった』
角が一本、伸びる。
『お前だ』
ネレヴァリンは、答えなかった。
答える言葉を持っていなかったのではない。答える必要のある問いだと、思わなかっただけだ。
彼は剣を抜いた。
抜いて、右足を半歩引いた。腰から下の構えは、この百年ほど変わっていない。変える理由が無かった。
『何故、並ばぬ』
音の並びが、続いた。
『この一帯にあるものは、すべて同じ角度を持つ。草も、水も、獣も。並べば、乱れは消える。乱れが消えれば、痛みも消える。お前には、消すべき痛みが無いのか』
ネレヴァリンは、前へ出た。
◇
一合目で、彼の左の肋が二本折れた。
結晶の腕が振られただけだ。当たったのは腕そのものではなく、腕が押しのけた空気のほうだった。
彼は横へ跳び、着地して、そこで一度咳をした。
血が出た。
出た血は、地面に落ちる前に六角の粒になり、粒は落ちた場所で他の粒と同じ角度に並んだ。
肋は、繋がりはじめていた。
赤黒い繊維が、折れた端と端を探して伸びていく。伸びて、掴んで、引き寄せる。痛みは、繋がるときのほうが強い。折れるのは一瞬だが、繋がるのには段が要る。
彼は、それを待たなかった。
待つ習慣が無い。
◇
二合目。
彼は結晶の腕の内側へ入った。
外側から打っても、砕けた面がすぐに埋まる。埋まる速さは、彼の再生と同じくらいだった。だから内側へ入る。
入って、剣を胴の面へ差し込んだ。
入った。
三寸ほど。
そこで、止まった。
刃の先の向こうで、面が組み替わっていた。差し込まれた形に合わせて、周りの粒が並び直している。刃を包んで、その角度で固めようとしていた。
彼は剣を捨てなかった。捨てれば、もう抜けない。
体重を後ろへ落とし、両足で相手の胴を蹴った。
抜けた。
抜けたが、刃の先が三寸ぶん、向こうに残っていた。
『無駄だ』
音の並びは、変わっていない。
『壊れた分は、埋まる。埋まる速さは、お前が壊す速さより速い』
「知っている」
彼は言った。
一言だけだった。
◇
そのとき、面が揺れた。
一斉にだ。
この一帯にあるすべての面が、同じだけ角度を外した。外したところで止まり、それからゆっくりと元へ戻る。戻りきるのに、少しかかった。石柱の一本は、戻りきる前にもう一度外れた。
音は、遅れて来た。
遠い。東のほうからだ。
言葉のようだった。意味はわからない。わからないのに、彼の体の内側のいちばん深いところが、その言葉に合わせて一度だけ縮んだ。
縮んだことに、彼は気づいた。
気づいて、それだけだった。
『数に入らぬ』
結晶の神が言った。
『東で、鳴っているものがある。あれは並ばぬ。並ばぬが、遠い。遠いものは、あとでよい』
角が、また一本伸びた。
『近いものから、整える』
◇
腰に、もう一本ある。
鞘は無い。布に巻いてある。布ごと帯に差してあるだけだ。あれを抜けば、たぶん違う。あれは埋まらない造りをしている。
だが、あれを握るには、先に嵌めるものがある。
背の袋に入っている。左手用の籠手だ。金属で、重く、留め具が三つある。
三つ留めるには、両手が要る。
両手が空く間が、無かった。
彼は、袋のほうを見なかった。
見る間も、無かったからだ。
◇
三合目からは、数えていない。
秩序の騎士が、いつのまにか周りに立っていた。灰色の面に継ぎ目が無い。手にした剣は、六角の粒を積み上げて作られている。
囲まれている、という気はしなかった。
囲むという行為には、逃げる相手を想定する必要がある。彼らは、そういう立ち方をしていなかった。ただ、この一帯で並んでいないものの周りに、規則正しく配置されただけだ。
一体が、前へ出る。
ネレヴァリンは、その一体の膝の裏を切った。切った直後に、後ろから来た刃が彼の右の肩甲骨の下に入った。
入って、抜けた。
抜けたところから、肉が閉じていく。
彼は振り返らなかった。振り返る前に、次が来ることを知っていた。
腕が、動いていた。
思い出して動いているのでも、考えて動いているのでもない。この体は、こういう場面での動き方をもう覚えている。覚えていることの中身に、意味は入っていなかった。
肩の裏が二度目に開かれたとき、彼は膝をついた。
ついて、すぐ立った。
『何故、立つ』
音の並びが、問うた。
『お前に、成すべきことは無い。器ではなくなった。呼ぶ声も無い。ならば、並べ』
ネレヴァリンは、剣を握り直した。
握り直した理由を、彼は考えなかった。
考える段が、無かったからだ。
◇
二度目は、大きかった。
面が外れただけでは済まなかった。積み上がった粒の一部が、外れたところから崩れた。崩れた粒は落ちて、落ちた先で並び直そうとし、並び直す前にもう一度揺すられる。
空が、遠くで白くなった。
一度。二度。七度まで数えられた。数えたのは、この場合は彼だった。数えるつもりは無かったが、七本目まで見てしまえば、数えたのと同じことになる。
『……増えている』
結晶の神は、東を向かなかった。
向くべき順序では、なかったのだろう。
そのとき、歌が聞こえた。
鼻歌だった。
音程が、ずれていた。ずれ方が一定ではない。二小節ごとに、別の曲に変わっているようにも聞こえた。
秩序の騎士たちが、一斉に同じ方向を向いた。
そちらの石柱が、一本、消えた。
消えたのではない。菓子になっていた。
飴だ。琥珀色の、こぶし大の飴が、柱のあった高さまで積み上がっている。積み上がったまま、少し傾いていた。
隣の柱が、悲鳴を上げた。
柱ではない。植物になっていた。葉の一枚ずつに口がついていて、その全部が、それぞれ違う調子で悲鳴を上げている。
音が、増えた。
四つが、数えられない数になった。
「相変わらず詰まらん奴だな」
杖を担いだ男が、そこを歩いてきた。
歩いてきた、というのは正しくない。三歩に一度、意味の無い足の運びが入る。跳ねるのでも、回るのでもない。ただ、まっすぐ歩けば済むところを、まっすぐ歩かないという歩き方だった。
『久しいな。狂気の王子』
「久しいで済むか。何年だと思っておる」
「――ハスキル」
呼んでから、まだ呼ぶ気ではなかったという顔をして、男は手を振った。
「まだよい」
そして、杖を担ぎ直した。
「しかし今日は騒がしいのう」
杖の先が、東を指す。
「あちらでは、竜が吠えておる。吠えられておるほうも吠え返しておるが、あれは吠えておるのではないぞ。喚いておるだけだ。声の大きさで格が決まるなら、赤子が世界を治めておるわ」
杖が、南東へ回った。
「あちらでは、長衣どもが穴の底で歌っておる。……下手だぞ、あれは。拍だけ揃えて、音が合っておらん。ああいうのを揃ったと言うのなら、墓場はさぞ立派な合唱団だろうな」
杖が、下りた。
先で、地面を一度突く。
「それなのに、ここだけが静かだ」
そして、結晶の神のほうへ向き直った。
「そこが気に入らん」
「まったく。せっかく開放してやったというのに、恩を仇で返すとはな」
怒っていなかった。
声を張ってもいない。ぼやいている調子に近かった。
『それには、感謝している』
「……なんだと」
『あの日、檻を開けたのは貴様だ。あるいは貴様の器だった男だ。どちらでもよい。開いた。それは事実として在る。事実には、返すべきものがある』
音の並びは、変わらない。
礼を述べる調子ではなかった。恨みを述べる調子でもなかった。述べるべき項目が一つあったので、順に述べた、という並びだった。
「……調子が狂うわ」
男は、頭を掻いた。
「恨み言のひとつも言わんのか。数千年だぞ。ワシなら言う。言うどころか、毎朝言う」
『恨みは、乱れだ』
「そうか」
『だが、この地に秩序はない』
音の並びは、変わらない。
『誰かが整えねば』
「整えてどうする」
『乱れが消える』
「そのあとは」
『……そのあとは、無い』
「ほれ見ろ」
男は杖の先で地面を突いた。突いた場所が、菓子になった。
「詰まらん」
しばらく、どちらも喋らなかった。
石柱の一本が、まだ悲鳴を上げていた。
「引かんか?」
『引けんな』
「そうか」
それだけだった。
◇
男は、指を鳴らした。
音が、乾いている。この一帯の空気で、あれだけ乾いた音が出るのは妙だった。
何も起きない。
一拍おいて、灰色の上衣の男が、そこに立っていた。
いつからいたのかは、わからない。ずっといたようにも見えるし、たったいま置かれたようにも見える。上衣に皺が無い。この場所で皺の無い布は、それだけで異様だった。
「お呼びでしょうか」
「アイツと遊んでやれ」
杖が、結晶の神を指した。
「ワシはこいつの話がある」
杖の先が、ネレヴァリンへ回る。
灰色の上衣の男は、結晶の神を見上げた。
見上げて、少し首を傾けた。
「荷が重いのですが」
「そうか」
「重いと申し上げました」
「聞こえておる」
「……では、承知いたしました」
男は袖口を直した。直す必要は、たぶん無かった。
そして、歩き出した。
結晶の腕が、上から落ちてくる。
当たらなかった。
灰色の上衣はそこにいたが、腕が届いたときには、そこにいなかった。どちらも嘘ではない。腕が振り下ろされているあいだ、彼は同じ場所に立っていたし、当たった瞬間には別の場所にいた。
『――お前は』
「執事でございます」
灰色の上衣の男は、袖から手を出した。
出した手の先で、空気が畳まれた。
畳まれたところへ、結晶の騎士が三体、順に吸い込まれていく。吸い込まれた先がどこなのかは、誰にもわからない。吸い込まれた三体は、二度と出てこなかった。
「なるべく、手短にお願いいたします」
灰色の上衣の男は、こちらを見ずに言った。
「わたくしは、戦うようには作られておりませんので」
◇
ネレヴァリンは、剣を下げていなかった。
下げる理由が、まだ無い。
杖を担いだ男が、その正面まで歩いてきて、止まった。
近い。
近すぎる距離だった。神が、こういう間合いに入ってくることに、彼は慣れていなかった。
「さて」
男は、笑っていなかった。
笑っていない顔を、この神がすることがあるとは、彼は知らなかった。