The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第3話:並ばないもの(前半)

音は、四つになっていた。

 

一つは、彼の呼吸。

 

二つは、地面を踏む音。踏むたびに、踏んだ場所の草が潰れ、足を離すと元へ戻る。戻るときにも、小さな音がした。

 

三つは、刃と刃。

 

四つ目は、低い。ずっと下のほうから、規則正しく来ている。あれがいつから鳴っていたのかを、彼はもう覚えていない。

 

四つとも、鳴り続けている。

 

彼は数えていなかった。

 

                 ◇

 

石柱は、根のところで一枚になっていた。

 

もう柱と呼べる形をしていない。地面から生えているのではなく、地面のほうが柱の続きになっていた。踏む場所を選ばなければ、そこは歩けない床だ。

 

その中心に、それはいた。

 

高さは、木より上だった。木の高さがどれくらいなのかは、もうこの一帯では意味を持たない。木もまた、同じ角度の面で出来ている。

 

形は、決まっていなかった。

 

決まっていないというより、決めている途中に見えた。角が伸びる。伸びた角の先が割れて、割れたところからまた別の角が出る。出るたびに、全体の釣り合いが取り直される。取り直されるたびに、少しずつ人の形に近くなっていた。

 

近くなってはいるが、まだ人ではない。

 

『――そこか』

 

声が、した。

 

声というより、音の並びだった。高さが一定で、切れ目が均等で、強さが変わらない。同じ言葉をもう一度言えば、たぶん一分の狂いもなく同じものが出る。

 

『長く、合わなかった』

 

結晶の面の一つが、彼のほうを向いた。

 

『この一帯の総和が、合わなかった。数え違いか、取りこぼしかと考えた。どちらでもなかった』

 

角が一本、伸びる。

 

『お前だ』

 

ネレヴァリンは、答えなかった。

 

答える言葉を持っていなかったのではない。答える必要のある問いだと、思わなかっただけだ。

 

彼は剣を抜いた。

 

抜いて、右足を半歩引いた。腰から下の構えは、この百年ほど変わっていない。変える理由が無かった。

 

『何故、並ばぬ』

 

音の並びが、続いた。

 

『この一帯にあるものは、すべて同じ角度を持つ。草も、水も、獣も。並べば、乱れは消える。乱れが消えれば、痛みも消える。お前には、消すべき痛みが無いのか』

 

ネレヴァリンは、前へ出た。

 

                 ◇

 

一合目で、彼の左の肋が二本折れた。

 

結晶の腕が振られただけだ。当たったのは腕そのものではなく、腕が押しのけた空気のほうだった。

 

彼は横へ跳び、着地して、そこで一度咳をした。

 

血が出た。

 

出た血は、地面に落ちる前に六角の粒になり、粒は落ちた場所で他の粒と同じ角度に並んだ。

 

肋は、繋がりはじめていた。

 

赤黒い繊維が、折れた端と端を探して伸びていく。伸びて、掴んで、引き寄せる。痛みは、繋がるときのほうが強い。折れるのは一瞬だが、繋がるのには段が要る。

 

彼は、それを待たなかった。

 

待つ習慣が無い。

 

                 ◇

 

二合目。

 

彼は結晶の腕の内側へ入った。

 

外側から打っても、砕けた面がすぐに埋まる。埋まる速さは、彼の再生と同じくらいだった。だから内側へ入る。

 

入って、剣を胴の面へ差し込んだ。

 

入った。

 

三寸ほど。

 

そこで、止まった。

 

刃の先の向こうで、面が組み替わっていた。差し込まれた形に合わせて、周りの粒が並び直している。刃を包んで、その角度で固めようとしていた。

 

彼は剣を捨てなかった。捨てれば、もう抜けない。

 

体重を後ろへ落とし、両足で相手の胴を蹴った。

 

抜けた。

 

抜けたが、刃の先が三寸ぶん、向こうに残っていた。

 

『無駄だ』

 

音の並びは、変わっていない。

 

『壊れた分は、埋まる。埋まる速さは、お前が壊す速さより速い』

 

「知っている」

 

彼は言った。

 

一言だけだった。

 

                 ◇

 

そのとき、面が揺れた。

 

一斉にだ。

 

この一帯にあるすべての面が、同じだけ角度を外した。外したところで止まり、それからゆっくりと元へ戻る。戻りきるのに、少しかかった。石柱の一本は、戻りきる前にもう一度外れた。

 

音は、遅れて来た。

 

遠い。東のほうからだ。

 

言葉のようだった。意味はわからない。わからないのに、彼の体の内側のいちばん深いところが、その言葉に合わせて一度だけ縮んだ。

 

縮んだことに、彼は気づいた。

 

気づいて、それだけだった。

 

『数に入らぬ』

 

結晶の神が言った。

 

『東で、鳴っているものがある。あれは並ばぬ。並ばぬが、遠い。遠いものは、あとでよい』

 

角が、また一本伸びた。

 

『近いものから、整える』

 

                 ◇

 

腰に、もう一本ある。

 

鞘は無い。布に巻いてある。布ごと帯に差してあるだけだ。あれを抜けば、たぶん違う。あれは埋まらない造りをしている。

 

だが、あれを握るには、先に嵌めるものがある。

 

背の袋に入っている。左手用の籠手だ。金属で、重く、留め具が三つある。

 

三つ留めるには、両手が要る。

 

両手が空く間が、無かった。

 

彼は、袋のほうを見なかった。

 

見る間も、無かったからだ。

 

                 ◇

 

三合目からは、数えていない。

 

秩序の騎士が、いつのまにか周りに立っていた。灰色の面に継ぎ目が無い。手にした剣は、六角の粒を積み上げて作られている。

 

囲まれている、という気はしなかった。

 

囲むという行為には、逃げる相手を想定する必要がある。彼らは、そういう立ち方をしていなかった。ただ、この一帯で並んでいないものの周りに、規則正しく配置されただけだ。

 

一体が、前へ出る。

 

ネレヴァリンは、その一体の膝の裏を切った。切った直後に、後ろから来た刃が彼の右の肩甲骨の下に入った。

 

入って、抜けた。

 

抜けたところから、肉が閉じていく。

 

彼は振り返らなかった。振り返る前に、次が来ることを知っていた。

 

腕が、動いていた。

 

思い出して動いているのでも、考えて動いているのでもない。この体は、こういう場面での動き方をもう覚えている。覚えていることの中身に、意味は入っていなかった。

 

肩の裏が二度目に開かれたとき、彼は膝をついた。

 

ついて、すぐ立った。

 

『何故、立つ』

 

音の並びが、問うた。

 

『お前に、成すべきことは無い。器ではなくなった。呼ぶ声も無い。ならば、並べ』

 

ネレヴァリンは、剣を握り直した。

 

握り直した理由を、彼は考えなかった。

 

考える段が、無かったからだ。

 

                 ◇

 

二度目は、大きかった。

 

面が外れただけでは済まなかった。積み上がった粒の一部が、外れたところから崩れた。崩れた粒は落ちて、落ちた先で並び直そうとし、並び直す前にもう一度揺すられる。

 

空が、遠くで白くなった。

 

一度。二度。七度まで数えられた。数えたのは、この場合は彼だった。数えるつもりは無かったが、七本目まで見てしまえば、数えたのと同じことになる。

 

『……増えている』

 

結晶の神は、東を向かなかった。

 

向くべき順序では、なかったのだろう。

 

そのとき、歌が聞こえた。

 

鼻歌だった。

 

音程が、ずれていた。ずれ方が一定ではない。二小節ごとに、別の曲に変わっているようにも聞こえた。

 

秩序の騎士たちが、一斉に同じ方向を向いた。

 

そちらの石柱が、一本、消えた。

 

消えたのではない。菓子になっていた。

 

飴だ。琥珀色の、こぶし大の飴が、柱のあった高さまで積み上がっている。積み上がったまま、少し傾いていた。

 

隣の柱が、悲鳴を上げた。

 

柱ではない。植物になっていた。葉の一枚ずつに口がついていて、その全部が、それぞれ違う調子で悲鳴を上げている。

 

音が、増えた。

 

四つが、数えられない数になった。

 

「相変わらず詰まらん奴だな」

 

杖を担いだ男が、そこを歩いてきた。

 

歩いてきた、というのは正しくない。三歩に一度、意味の無い足の運びが入る。跳ねるのでも、回るのでもない。ただ、まっすぐ歩けば済むところを、まっすぐ歩かないという歩き方だった。

 

『久しいな。狂気の王子』

 

「久しいで済むか。何年だと思っておる」

 

「――ハスキル」

 

呼んでから、まだ呼ぶ気ではなかったという顔をして、男は手を振った。

 

「まだよい」

 

そして、杖を担ぎ直した。

 

「しかし今日は騒がしいのう」

 

杖の先が、東を指す。

 

「あちらでは、竜が吠えておる。吠えられておるほうも吠え返しておるが、あれは吠えておるのではないぞ。喚いておるだけだ。声の大きさで格が決まるなら、赤子が世界を治めておるわ」

 

杖が、南東へ回った。

 

「あちらでは、長衣どもが穴の底で歌っておる。……下手だぞ、あれは。拍だけ揃えて、音が合っておらん。ああいうのを揃ったと言うのなら、墓場はさぞ立派な合唱団だろうな」

 

杖が、下りた。

 

先で、地面を一度突く。

 

「それなのに、ここだけが静かだ」

 

そして、結晶の神のほうへ向き直った。

 

「そこが気に入らん」

 

「まったく。せっかく開放してやったというのに、恩を仇で返すとはな」

 

怒っていなかった。

 

声を張ってもいない。ぼやいている調子に近かった。

 

『それには、感謝している』

 

「……なんだと」

 

『あの日、檻を開けたのは貴様だ。あるいは貴様の器だった男だ。どちらでもよい。開いた。それは事実として在る。事実には、返すべきものがある』

 

音の並びは、変わらない。

 

礼を述べる調子ではなかった。恨みを述べる調子でもなかった。述べるべき項目が一つあったので、順に述べた、という並びだった。

 

「……調子が狂うわ」

 

男は、頭を掻いた。

 

「恨み言のひとつも言わんのか。数千年だぞ。ワシなら言う。言うどころか、毎朝言う」

 

『恨みは、乱れだ』

 

「そうか」

 

『だが、この地に秩序はない』

 

音の並びは、変わらない。

 

『誰かが整えねば』

 

「整えてどうする」

 

『乱れが消える』

 

「そのあとは」

 

『……そのあとは、無い』

 

「ほれ見ろ」

 

男は杖の先で地面を突いた。突いた場所が、菓子になった。

 

「詰まらん」

 

しばらく、どちらも喋らなかった。

 

石柱の一本が、まだ悲鳴を上げていた。

 

「引かんか?」

 

『引けんな』

 

「そうか」

 

それだけだった。

 

                 ◇

 

男は、指を鳴らした。

 

音が、乾いている。この一帯の空気で、あれだけ乾いた音が出るのは妙だった。

 

何も起きない。

 

一拍おいて、灰色の上衣の男が、そこに立っていた。

 

いつからいたのかは、わからない。ずっといたようにも見えるし、たったいま置かれたようにも見える。上衣に皺が無い。この場所で皺の無い布は、それだけで異様だった。

 

「お呼びでしょうか」

 

「アイツと遊んでやれ」

 

杖が、結晶の神を指した。

 

「ワシはこいつの話がある」

 

杖の先が、ネレヴァリンへ回る。

 

灰色の上衣の男は、結晶の神を見上げた。

 

見上げて、少し首を傾けた。

 

「荷が重いのですが」

 

「そうか」

 

「重いと申し上げました」

 

「聞こえておる」

 

「……では、承知いたしました」

 

男は袖口を直した。直す必要は、たぶん無かった。

 

そして、歩き出した。

 

結晶の腕が、上から落ちてくる。

 

当たらなかった。

 

灰色の上衣はそこにいたが、腕が届いたときには、そこにいなかった。どちらも嘘ではない。腕が振り下ろされているあいだ、彼は同じ場所に立っていたし、当たった瞬間には別の場所にいた。

 

『――お前は』

 

「執事でございます」

 

灰色の上衣の男は、袖から手を出した。

 

出した手の先で、空気が畳まれた。

 

畳まれたところへ、結晶の騎士が三体、順に吸い込まれていく。吸い込まれた先がどこなのかは、誰にもわからない。吸い込まれた三体は、二度と出てこなかった。

 

「なるべく、手短にお願いいたします」

 

灰色の上衣の男は、こちらを見ずに言った。

 

「わたくしは、戦うようには作られておりませんので」

 

                 ◇

 

ネレヴァリンは、剣を下げていなかった。

 

下げる理由が、まだ無い。

 

杖を担いだ男が、その正面まで歩いてきて、止まった。

 

近い。

 

近すぎる距離だった。神が、こういう間合いに入ってくることに、彼は慣れていなかった。

 

「さて」

 

男は、笑っていなかった。

 

笑っていない顔を、この神がすることがあるとは、彼は知らなかった。

 

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