The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
近すぎる距離のまま、しばらく何も起きなかった。
後ろでは、灰色の上衣が結晶の腕を躱し続けている。躱すたびに、躱された腕が地面へ落ちて、落ちたところの面が組み替わった。組み替わる音だけが、規則正しく鳴っていた。
私は、何故ここにいるのか。
彼は、そう考えた。
器ではない。あれは置いてきた。置いてくるとき、体は何も起こさなかった。呼ぶ声も、もう無い。無いことを確かめたわけではないが、無いのだろうと思う。
ならば、何故ここにいる。
考えて、答えは出なかった。
出なかったが、困らなかった。理由なら、これまでも無かった。
「何故、デイドラの王子であるアンタが来た」
言ってから、彼は少し驚いた。
驚いたのは、内容にではない。訊いたことにだ。
彼は、久しく何も訊いていなかった。
「何故?」
杖を担いだ男が、聞き返した。
「ああ」
彼は続けた。
「狂乱の王子。予測も不可能なアンタが、タムリエルに干渉する理由があるのか」
男は、目を細めた。
細めて、それから杖の先を空へ向けた。何も出なかった。出す気も無かったらしい。
「理由や意味など、何故必要なのだ」
杖が、下りる。
「意味など無いものは、そのへんに溢れかえっておるではないか。石が転がる。虫が死ぬ。誰も見ておらん。あれに理由を付けて回る者がおるか。おらんだろう。おらんのに、世界は今日も回っておる」
「……」
「意味など、後からついてくる」
男は、そこで初めて笑った。
「最初に意味を求めてしまえば、そこが終着点になる。歩く前に着いてしまうのだ。それを人は納得と呼ぶ。ワシは、あれがいちばん嫌いだ」
そして、彼を指した。
「貴様ら定命の者は、いつもそうだ」
◇
腹が、立った。
立ったことに、彼は気づいた。
久しぶりだった。
――私は、自らの意思で生きているのではない。
彼は、そう処理した。
――死ぬことを、許されていないだけだ。あれと同じ括りに入れられる筋合いは無い。
処理は、済んだ。
済んだので、彼はそれ以上考えなかった。
杖を担いだ男は、訂正しなかった。
◇
「のぅ」
男が、言った。
「死ねないダンマーよ」
杖の石突きが、地面を突く。
「貴様は、器だから戦ってきたのか」
彼は、答えようとした。
そうだ、と。
答えは、口の手前まで来ていた。来ていて、そこで止まった。
止まった理由が、わからなかった。
わからないものは、確かめればいい。確かめることだけは、この数百年で減らなかった。彼は、いつも通りにそれをやった。
――器だから戦った。
では、器でなくなった今、私は何故ここにいる。
一つ。
――呼ばれたから来た。
誰に呼ばれた。北の男か。あれは呼んでいない。「足止めぐらいなら、してやる」と言ったのは、私のほうだ。誰も頼んでいない。誰も期待していなかった。それでも口が動いた。
二つ。
――船。
あの浜に、粗末な小舟が打ち捨てられていた。誰の物でもない。私はそれを、いつのまにか引き寄せていた。
何のために、とは考えなかった。
考えなかったのは、考える必要が無かったからだ。理由は、後から貼った。故郷が西にあったから、と。
だが、貼ったのは、乗った後だ。
三つ。
四つ目を数える前に、彼は数えるのをやめた。
やめた理由も、確かめなかった。
「それとも」
男の声が、続いていた。
「貴様にも、何か欲があったか」
杖が、揺れる。
「貴様の狂気は、どこにある」
◇
彼は、答えなかった。
答えの持ち合わせが無かったからではない。
彼は、剣を握り直した。
それだけだった。
「ふん」
男は、鼻を鳴らした。
「つまらんヤツめ」
言い方は、突き放していなかった。
むしろ、機嫌が良さそうだ。
◇
そのとき、面が揺れなかった。
彼は、それに気づいた。
もう長いこと、東から来ていたものが、来なくなっている。いつ止んだのかはわからない。止んだあとで気づくものは、たいてい止んだ時刻を持たない。
「おや」
杖を担いだ男が、東を見た。
「静かになったな」
見て、それから肩をすくめた。
「吠えるほうが残ったか。……まあ、そうなるわ。喚くほうは、喚いておるうちは強そうに見えるものでな」
彼は、東を見なかった。
見ても、何も変わらないからだ。
◇
「ハッ」
男が、急に大声を出した。
「埒があかんな!」
灰色の上衣が、躱しながら顔だけを向けた。
「わたくしは、当初よりそう申し上げております」
「聞いておらん」
男は自分の足元を見た。
影がある。この一帯の光の当たり方からして、そこに影があるのはおかしかった。おかしいまま、影は男の足元で、少し膨らんでいた。
彼は、そこへ手を突っ込んだ。
「おい、ペラギウス」
引きずり出されたのは、人だった。
痩せている。上等な服を着ているが、着方が間違っていた。片方の袖に両腕が入っている。目は開いていて、開いたまま、何も見ていない。口は動いていた。ずっと動いている。声は出ていない。
引きずり出されたその人は、まず縄跳びをはじめた。
縄は無い。
「そればかりだな貴様は」
男は、その肩を掴んだ。
「よい。今日は別の芸だ。お前の大好きな血筋の輝きを見せてやれ」
そして、杖を振った。
◇
光が、出た。
杖の先から出たのではない。痩せた人の内側から出た。
輪郭が、外へ膨らんでいく。膨らんだ先で形が決まっていき、決まった形には翼があった。
竜だった。
金色でも白でもない。光そのものが竜の形をしているというだけで、色は無い。輪郭の内側に何も詰まっておらず、向こう側の石柱が透けて見えた。
ずっと昔に、一度だけ空へ現れたことのある形だ。
そのときは、誰かが自分の全部を差し出して現した。
いまは、狂った王の魂が、杖の一振りで押し込められている。
竜が、鳴いた。
鳴き声は、悲鳴に近かった。
そして、結晶へ向かって落ちていった。
◇
『――そのようなものは』
音の並びが、初めて乱れた。
『そのようなものは、無い。順が、無い。前が、無い。あれは、どこから来た』
結晶の面が、一斉に組み替わろうとした。
組み替える先が、決まらなかった。
光の竜が結晶の肩へ食い込む。食い込んだ場所の粒が、並ぶべき角度を見失った。見失った粒は、隣の粒を巻き込んで並ばなくなり、それが胴のほうへ広がっていく。
胴の中心に、空きができた。
面が閉じきらない一区画。
「おい、急げ」
杖を担いだ男が、初めて張った声を出した。
「そいつは保たん。魂を押し込んで竜の形にしておるだけだ。器が竜用に出来ておらんのだからな。……ほれ、もうほどけかけておる」
光の竜の後ろ足のあたりが、実際に薄くなっていた。輪郭が二重に見え、二重に見えた部わから、糸のようなものが後ろへ流れ出している。
◇
彼は、走らない。
止まった。
止まって、背の袋へ手を回した。
出したのは、籠手だった。左手用。金属で、重い。
彼はそれを膝で挟み、右手だけで左手を押し込んだ。押し込んで、留め具に指をかけた。
一つ。
指が滑った。血で滑ったのではない。手が、少し震えていた。
光の竜の後ろ足が、片方消えた。
二つ。
秩序の騎士が、横から来た。灰色の上衣がそれを畳んだ空気へ吸い込む音が、遠くで鳴った。
「――間に合いませんな」
灰色の上衣の声には、抑揚が無かった。
三つ。
留め終わった。
彼は、数え終わっていた。
腰の布に、右手を伸ばす。
布を解く。
中から出てきたものは、短かった。
刃は、石だった。
青みの差した緑で、光にかざせば向こうが薄く透ける。表面は割れた面の集まりで出来ていて、割れ方に法則が無い。この一帯を埋めている粒と、色はよく似ていた。
似ているのに、一枚として同じ角度をしていなかった。
根元には、鈍い金色の板が二枚、鋲で留めてある。板の縁から、細い棘が外へ向かって何本も出ていた。突くための棘ではない。何かを寄せつけないための、出方をしていた。
板の側面に、渦が一つ彫ってある。
渦の中心に、小さな点があった。遠目には、目に見えなくもない。
柄は赤い。血の色ではなく、血の色をした石だ。黒い筋が、その中を走っている。
柄の端は、鉤になっていた。細い月を横に倒したような形で、先が内側へ曲がっている。何かを引っ掛けるための形だ。引っ掛けたものを外す造りには、なっていなかった。
持っただけで、右手の側の空気が薄くなる。
籠手を嵌めた左手で、彼はそれを握った。
握って、地面を蹴った。
◇
刺さった。
胴の中心の、閉じきらない一区画へ。
抵抗は、無かった。
無かったのが、いちばん恐ろしかった。
彼の背後で、光の竜がほどける。
ほどけたので、隙は無くなった。
結晶は、彼を弾かない。
払いもしなかった。
そういう動作を、持っていないのだろう。
そのかわりに、整えにかかった。
◇
刃の周りの面が、組み替わろうとした。
組み替える対象が、見つからなかった。神殺しの刃には、並ぶべき角度が無い。無いものは、囲えない。
囲えないので、結晶は次に近いものへ手を伸ばした。
握っている手のほうだ。
籠手の甲に、六角の粒が乗った。
乗った粒が、金属の面へ角度を合わせにいく。合わせて、留め具のあいだへ潜り込み、そこから内側へ入っていく。手首を過ぎ、前腕を上がり、肘の内側で一度止まって、また上がった。
冷たくはない。
彼は、痛みを予期した。予期した痛みは、来なかった。かわりに、その一帯の感覚が無くなっていく。無くなった場所は、動かそうとしても動かない。動かないのではなく、動かす必要が無いという形に整えられていた。
肩まで来た。
そこで、止まった。
『――何故、並ばぬ』
音の並びが、前半と同じ言葉を出した。
同じ高さで、同じ切れ目で、同じ強さで。
彼は、答えなかった。
答えを持っていないからではない。
答えを、確かめていないからだ。
◇
離せば、終わる。
握っている手を開けば、腕は自由になる。伸びてきているものは、掴む先を失う。彼はそれを理解している。理解するのに、時間はかからない。
彼は、開かなかった。
開かなかった理由を、彼は考えなかった。
考えなかったことに、あとで気づくこともなかった。
彼は、押し込んだ。
深く。
◇
そこから先は、順序が無い。
絶対の秩序と、絶対の混沌と、その両方を殺すために作られたものが、彼の左手の中で擦れ合った。
擦れ合った先に、彼の体があった。
肩まで来ていたものが、そこで並ぶのをやめた。
やめたのではない。並べなくなった。
角度が決まらない。決まらない粒が、隣の粒を決まらなくさせる。それが腕を逆に下っていき、籠手のところで、外へ噴き出した。
背骨のあたりで、何かが外れた。
外れた、というのが正しいのかはわからない。彼の中には、数百年ぶんの檻がある。死なせないために組まれた檻だ。組まれた場所が、いま、内側から引き伸ばされていた。
肩が裂けた。
裂けた口が、閉じない。
閉じるはずだった。これまで、閉じなかったことは一度も無い。
赤いものが、腕を伝って落ちた。
落ちた血は、六角の粒にならなかった。
地面に、赤いまま溜まる。
彼は、それを見なかった。
見る余裕が無かったのか、見る必要が無かったのかは、本人にもわからなかったろう。
◇
結晶の神は、内側から壊れはじめた。
崩れるのではない。並ばなくなる。並ばなくなった粒が隣を並ばなくさせ、それが全体へ広がっていく。角が伸びるのをやめた。人の形に近づきかけていたものが、途中で止まり、止まったところから逆へ戻っていった。
『……不足だ』
音の並びは、乱れたままだった。
『整えきる前に、乱れが増えた。乱れが増える速さが、想定と合わぬ』
彼は、刃を抜かなかった。
抜けば終わると思わなかったからだ。
『――退く』
それだけだった。
結晶の巨体が、上から順に薄くなっていく。薄くなった部分の向こうに、この一帯の景色がそのまま見えた。景色は歪んでいない。あるべきものが、あるべき場所に見えている。
「おい」
杖を担いだ男が、上へ声をかけた。
急いでいなかった。玄関で靴を履いている相手に思い出したことを言う、という声の出し方だった。
杖が、南東を指す。
木々の向こう、遠くの空に赤いものが湧いている。湧いて、潰れて、また湧いていた。
「タムリエルに手を出すと、ろくな事にならんことぐらい、わかるであろう」
『貴様も、いま、この地にいる』
「ワシは遊びに来ておるのだ」
男は、心外そうな顔をした。
「手は出しておらん」
薄くなりかけた面が、いくつか、こちらを向いた。
向いたまま、しばらく何も出てこなかった。
『……ではどこに、オブリビオンを作れば』
「知らん」
『……』
「知らんと言うておる。ワシに訊くな。ワシは自分のところの土地の形すら覚えておらん」
音の並びが、一度だけ出た。
『ふむ』
その「ふむ」は、他のどの言葉とも同じ高さで出た。
同じ切れ目で、同じ強さで。考えている音のはずのものが、考えている音をしていなかった。
『また、考えてみることにしよう』
「そうせい」
そこにいたものだけが、いなくなった。
海へ帰ったのだと、彼は思った。
どの海なのかは、考えない。
彼は、聞いていた。
聞いていたが、どちらの言葉も、彼の役には立たなかった。
◇
石柱が、倒れはじめる。
一本目は、根のところから折れた。折れて、倒れる途中で粒に戻り、粒は落ちながらさらに細かくなって、地面に届くころには何も残っていなかった。
二本目。三本目。
順序は無い。近い順でも、大きい順でもなかった。
秩序の騎士たちは、倒れなかった。
立ったまま、面の継ぎ目の無い体が、端から粉になっていく。一体が崩れきるまでのあいだ、彼らは一度も動かなかった。逃げようとした者も、こちらへ来ようとした者も、いなかった。
音は、減っていく。
◇
杖を担いだ男は、そのあいだ、別のほうを見ていた。
木々の合間だ。
木は、もう六角の面をしていない。ただの木に戻った枝と枝のあいだから、遠くに白いものが一本、立っている。
男は、しばらくそれを見ていた。
「フン」
鼻を鳴らした。
それだけだった。
そして、振り返った。
「ペラギウス! いつまでふざけた格好をしておるのだ」
光の竜が、そこで止まった。
止まって、輪郭がほどけていく。ほどけた先に、痩せた人が落ちてきた。落ちて、四つん這いになり、それから立ち上がって、また縄跳びをはじめた。
「そればかりだな」
男は、その背を杖で押した。
◇
「ではな」
杖の先が、空へ向く。
向いた先の空気が、縦に裂けた。向こう側に、色が見える。この世のどこにも無い色の組み合わせだった。
「『死ねないダンマーよ』」
男は、裂け目へ足をかけながら、振り返った。
「貴様なら、ディメンシャの住人として歓迎するぞ」
彼は、答えなかった。
「返事はよい。返事をするやつは、たいてい来ん」
裂け目へ半分入ったところで、男は思い出したように止まった。
「そうだ。あの竜の男に会うことがあれば、言うておいてくれ」
「……何をだ」
「『お前が一番退屈だった』とな」
男は笑った。腹の底からではなく、思い出し笑いに近い笑い方だった。
彼には、意味がわからなかった。
訊こうとして、やめた。訊けば、答えが返ってくる。返ってきた答えのほうが、たいてい厄介だ。
男は、ステップを踏んだ。
三歩に一度、意味の無い運びが入る。その運びのまま、彼は裂け目の向こうへ行った。
灰色の上衣は、いつのまにかいなくなっていた。
いなくなる場面を、誰も見ていない。
◇
静かになった。
音は、二つに戻っていた。
一つは、彼の呼吸。
もう一つは、低い。ずっと下のほうから、まだ規則正しく来ている。
止まっていないのは、それだけだった。
◇
彼は、左手の籠手を外さなかった。
外そうとして、留め具の一つ目で手が止まり、そのまま下ろした。
肩の傷は、まだ閉じていない。
閉じるまでに、これまでよりずっと長くかかった。長くかかったが、閉じた。
彼は、歩き出した。
一歩目で、草を踏んだ。
足を離す。
草は、潰れたままだ。
戻らなかった。
彼は、そこで足を止めた。
止めて、潰れた草を見ていた。
◇
音は、二つのままだ。
一つは、彼の呼吸。
もう一つは、低い。
さっきまで、それはどこから来ているとも言えなかった。上でもなく、下でもなく、この土地の底のあたりから、ただ届いていた。方角というものが、あの音には無かった。
いま、そうではない。
減ったからだ。
石柱の伸びる音も、粒の並ぶ音も、灰色の足音も、みな無くなった。無くなったぶん、残った一つの輪郭が出た。
南東だ。
彼は、そちらを向いた。
木は、木に戻っている。戻った枝と枝のあいだの、ずっと遠くに、白いものが一本立っていた。
さっき、あの神が見ていたほうだ。
見て、一度だけ鼻を鳴らした。それだけだった。それ以上は何も言わなかったし、彼も訊かなかった。
訊いていれば、何か言ったのかもしれない。
そのことについて、彼は考えなかった。
◇
足元の草は、まだ潰れたままだった。
彼は、もう一歩踏んだ。
同じだった。
その先も、たぶん同じだろう。
面の揃った地面は、もうどこにも無い。歩ける。あの白いものの下まで、ずっと歩けるはずだった。
◇
肩が、まだ少し痛んだ。
痛みが残っているというのは、彼にとって、久しく無かったことだ。
いつ引くのかは、わからない。
引かないのかもしれない。
わからないものは、確かめればいい。
彼は、そこに立っていた。
立っていた時間がどれくらいだったのかを、数えた者はいない。その日、あの一帯にいたのは彼一人であり、彼は、そのとき何も数えていなかった。