The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第4話:韻(後半)

止まったあとの部屋は、静かではなかった。

 

音が無いのと、静かなのは違う。二十人ぶんの息が、それぞれ勝手な場所で止まっていた。止まったものは、いつかまた動く。動くまでのあいだ、部屋にはその気配だけが詰まっていた。

 

カイラスは、床に手をついたままだった。

 

頭が下がっている。

 

顔は、見えない。

 

「……何をした」

 

黒と金が、言った。

 

初めて、声に張りがあった。張ったつもりは無かったのだろう。それでも、さっきまでとは違う出方をしていた。

 

答えは、無い。

 

「何をしたと訊いております」

 

杖が、上がった。

 

上がりきったところで、振り下ろされる。

 

打つ先は、下がったままの頭だった。

 

                 ◇

 

音は、高かった。

 

金属が金属を弾く音だ。

 

杖は、床に落ちた。二度跳ねて、輪の縁まで転がっていって、そこで止まった。

 

黒と金の右手が、空を握ったままの形で止まっている。

 

カイラスの右手が、上がっていた。

 

剣が、そこにある。

 

さっきまで、その手は指が言うことを聞かず、離せないから握っていただけだった。いま、その手は肩の高さで止まっている。止まり方に無駄が無い。振り抜いていない。当てて、止めた。

 

そういう止め方をする腕を、この男は持っていない。

 

持っていないものが、そこにあった。

 

                 ◇

 

顔が、上がった。

 

鼻から、血が出ていた。

 

口の端からも。

 

目からも出ていて、それは頬を伝って顎で合流し、そこから床へ落ちていった。落ちた場所に、丸ができる。

 

目は、開いている。

 

開いた目が、黒と金を見た。

 

見た、というのが正しいのかはわからない。視線というものには、たいてい距離が入っている。これには入っていなかった。近くのものも、遠くのものも、同じ扱いをする見方だった。

 

そして、笑った。

 

                 ◇

 

音ではない。

 

部屋の空気が、笑い声の形に押し出された。縦の空洞を、それが上っていく。上っていって、途中で壁に当たり、当たったところから戻ってきて、また上っていった。

 

床の白いものが、震えた。

 

八つとも。

 

長衣の一人が、耳を押さえた。押さえた手の下から、赤いものが出た。

 

笑い声は、続いた。

 

長い。

 

長すぎた。人が一息で出せる長さではない。どこかで吸わなければならないはずの場所を、それは通り過ぎていった。切れ目が無い。

 

さっきまで、この部屋には切れ目の無い音があった。

 

いま、別のものが、同じ場所を占めていた。

 

                 ◇

 

内側で、カイラスは自分の喉が裂けるのを聞いた。

 

聞いたが、痛くない。

 

痛みが無いのではない。痛みが届く先に、彼がいなかった。

 

彼は、自分の右手を見ていた。

 

見ているのは目だ。目は彼の目で、いま見えているものも彼が見ているものだった。だが、右手を上げたのは彼ではない。

 

上げようと思った覚えが、無い。

 

彼は、指を動かそうとした。

 

動かなかった。

 

動かないのではない。

 

彼の言葉が、そこまで届いていなかった。

 

                 ◇

 

長衣たちが、動いた。

 

一人ではない。輪だったものが、いっぺんに崩れて、崩れた形のまま二十の手が上がった。

 

光が、来た。

 

白。青。橙。それぞれ違う形をしていて、それぞれ違う速さで飛んだ。狭い部屋の中で、それが二十本、同時に。

 

すべて、落ちた。

 

床に。

 

右腕が、一本。

 

上から、下から、横から、返して、また返して。剣は一度も止まらず、止まらないのに、次のものが来る場所に必ず先に着いていた。

 

弾いているのではない。

 

飛んでくる線の、始まる場所と終わる場所が最初からわかっていて、そのあいだのどこか一点に刃を置いているだけだった。置いた場所が正しいので、それ以上は動かない。

 

左腕は、下がっていた。

 

黒い。

 

肩から先が、色を失っている。爪の先まで一様に黒く、動きに合わせてぶら下がり、ぶら下がったまま、体が向きを変えるたびに遅れて振られた。

 

誰も、それを見ていなかった。

 

                 ◇

 

一歩目で、床の上のものを踏んだ。

 

さっき落ちてきた兵だ。

 

体は、踏んだことに気づかなかった。踏んだ場所が柔らかかったので、足の運びが少し変わった。変わった運びを、次の一歩で戻した。

 

それだけだ。

 

カイラスは、それを見た。

 

見て、初めて、自分の背中のあたりが冷たくなるのを感じた。

 

さっきまで、彼の中には別のものがあった。

 

――届く。

 

そう思っていた。

 

この男たちに、届く。あの祠を潰した者たちに。土台の石だけを残していった者たちに。あの議場の高みから、こちらを見もしなかった者たちに。

 

届いている。いま、確かに。

 

その熱が、足の裏の柔らかさで、すっと引いた。

 

                 ◇

 

二人目は、逃げようとした。

 

逃げる方向を、体は先に知っている。

 

三人目は、壁に背をつけた。つけて、両手を前へ出した。手のひらを、こちらへ向けて。

 

魔術の形ではない。

 

体は、速さを変えた。

 

速くなった。

 

そのことに、カイラスは気づいた。抵抗をやめたものに向かうときだけ、この体は速くなる。理由はわからない。わからないが、そこには何かがあった。

 

そして、彼はそれを、自分の胸のあたりで感じていた。

 

感じていることが、いちばん恐ろしかった。

 

                 ◇

 

「――こいつは……まるで」

 

言いかけたのは、輪の三番目に立っていた男だった。

 

背が低い。他の者より若い。

 

言う直前に、彼は掌を腿で拭った。

 

拭った手を、まだ腿から離していない。

 

言葉の続きは、来なかった。

 

刃が、額の生え際から入って、顎の手前で止まった。止まったのは、それ以上進む必要が無かったからだ。

 

体は、その男を見なかった。

 

見る前に、次へ移っていた。

 

                 ◇

 

そこから先を、カイラスは全部見ていた。

 

見ないという選択が、無い。

 

彼は瞼を閉じようとした。二度。

 

瞼は、動かなかった。

 

彼の目は、そこにある全部を映し続けた。映すことしかできなかった。

 

音が、増える。

 

悲鳴が三つ重なり、四つになり、六つになって、それから減っていく。減り方は速くなかった。この部屋には出口が枠一つしか無く、その枠のほうへ行こうとした者は、みな途中で止められた。

 

床の白いもののあいだを、赤いものが流れていく。

 

八つを、順に囲んでいく。

 

囲まれた白いものは、色を変えなかった。

 

                 ◇

 

黒と金は、最後まで残っていた。

 

残ったのは、彼が強かったからではない。

 

体が、後回しにしていた。

 

その意味に、彼は途中で気づいたらしい。気づいてから、彼は走った。走って、枠のほうへ向かい、枠の手前で足が止まった。

 

止めたのは、床だった。

 

床に何かがあったのではない。彼が自分で止まった。前に、何も無いことを見てしまったからだ。

 

「――お待ちを」

 

振り返って、彼は言った。

 

「お待ちください」

 

声が、震えている。

 

「何なのです、あなたは。……いや。よろしい。何であっても、よろしいのです。話ができます。私は、話ができる者です。ご存じでしょう。私はこの国の――」

 

体が、歩いた。

 

急いでいなかった。

 

「――お待ちを。差し上げます。何でも。この珠を。これは、あなた方の側のものでございましょう。お返しいたします。ご覧ください、ここに」

 

掌が、こちらへ突き出された。

 

珠が、そこにある。

 

瞬いている。

 

間隔は、まだ揃っていない。

 

                 ◇

 

一本目は、肘の少し上だ。

 

黒と金の口が、開いた。開いたが、そこからは何も出なかった。出る前に、体が待った。

 

待つ必要は、無い。

 

待ったのは、待つことに意味があるからだ。

 

カイラスは、その意味を知っていた。

 

さっき、この床の上で教わったばかりだ。

 

                 ◇

 

二本目のあと、珠が落ちた。

 

支える手が無くなったので、落ちた。

 

床で二度跳ね、それから転がりはじめる。目地に沿って、傾いているほうへ。赤いものの縁まで行って、そこで速さを落とし、それでもまだ少し進んで、止まった。

 

止まった場所で、それは瞬いていた。

 

誰も、そちらを見なかった。

 

                 ◇

 

「……ぁ」

 

黒と金は、膝をついていた。

 

肩から先が、両方とも無い。

 

「あ……ああ、あ」

 

言葉の形をしていない。

 

さっきまで、この男の言葉には、いつも一分の隙も無かった。丁寧で、静かで、聞き取りやすかった。いま出ているものには、子音が入っていない。

 

体は、それを聞いていた。

 

聞いていることが、カイラスにはわかった。急いでいないからだ。

 

「……ぉ、ねが」

 

首が、下がった。

 

「お願い……いたし、ま」

 

そこで、上がった。

 

顔が、上がった。

 

血だらけの目が、こちらを見た。見て、その目の中で、何かが最後に一つだけ形を取った。

 

「――忌まわしき」

 

声が、戻っていた。

 

「エルフ殺しの、大罪人め」

 

                 ◇

 

刃が、落ちた。

 

音は、小さかった。

 

人はたいてい、思ったより小さな音しか立てない。

 

                 ◇

 

体が、止まった。

 

止まって、立っていた。

 

右手の剣が、下がっていく。ゆっくりと。下がりきって、切っ先が床に触れた。触れた先の赤いものが、少しだけ揺れた。

 

部屋には、もう音が無い。

 

さっきまでこの部屋を埋めていた、切れ目の無い音も。悲鳴も。笑い声も。

 

何一つ、残っていなかった。

 

カイラスは、立っていた。

 

立っているのは彼の足だ。

 

彼は、それを確かめようとして、確かめる方法が思いつかなかった。指を動かそうとして、動くのかどうかもわからなかった。試して、動かなかったときのことを考えると、試せなかった。

 

彼の目は、部屋を見ている。

 

見たいところを見ているのではない。体が向いているほうを、そのまま映していた。

 

床。

 

八つの白いもの。

 

赤いもの。

 

その縁で瞬いている珠。

 

そして、いちばん最初に落ちてきた、あの兵の靴。

 

                 ◇

 

その日、あの部屋で起きたことは、初めてではなかった。

 

同じ形のことが、この塔の下で、ずっと昔に一度あったという。

 

そのときは、床に横たわっていたほうが違っていた。

 

数えた者がいたかどうかも、わからない。数えたとして、その数を書き残した者がいたかどうかも。ただ、形というものは、置き場所さえあれば何度でも同じように立ち上がるものらしい。置く者がいなくても、勝手に立つ。

 

立った形の中に、誰が入っているのかは、外から見てもわからない。

 

その日、あの部屋で立っていたものが何であったのかを、生きて見た者は一人もいなかった。

 

内側から見ていた者が、一人だけいた。

 

彼は、それについて、何も言わなかった。

 

言葉が、まだ返ってきていなかったからだ。

 

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