The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
幾夜を駆けたのかを、彼は数えていた。
数えていたが、四日目にどこかで一度眠って、そこから合わなくなった。
馬は帝都の門をくぐる前に倒れ、二度と立たなかった。そこからは、自分の足だった。
左腕は、道中のどこかで感覚を手放している。肩から垂れたそれは、歩くたびに遅れて振れた。括りつけられた他人の腕のように。火傷の痕は黒ずみ、乾いた血と煤の混じった臭いが、歩幅ごとに立つ。
◇
白亜の帝都は、いつもの顔をしていた。
市場に物売りの声が立ち、水路に陽が揺れ、広場では子らが石を蹴っている。
すれ違う者が、彼の腕を見た。
見てから、目を逸らした。
何の報せなのかを訊いた者は、一人もいなかった。
◇
元老院議事堂。
円形の議場は、蜂の巣をつついたような騒然の只中にあった。各属州から血相を変えて駆けつけた議員たちが、めいめいに声を張り上げ、書簡を振りかざし、互いを怒鳴りつけている。天窓から差し込む午後の光が、その混乱をやけに白々と照らしていた。
円卓を、椅子が囲んでいる。
輪は、閉じていた。
床には、椅子の脚の跡が残っている。いま椅子の並んでいる輪より、ひとまわり外側に。石の色が、そこだけ濃い。
抜けたぶんだけ詰めて、また輪にしたのだろう。輪にしておけば、欠けて見えない。
詰めたぶん、輪と壁とのあいだが広く空いている。
カイラスは、その空いたところに立った。座るところは無い。末席というのは、そもそも席ではない。
壁沿いに、石の柱が円卓を囲んでいる。することが無かったので、彼は数えた。
九本。
最後に数えた一本は、円のいちばん向こう側にあった。
◇
命じられるまま、彼は見たものを報告した。
東海岸の、沸き立つ海。海を埋め尽くした船団。雲を裂いて現れた、竜のようで竜でない何か。そのひと息で炭になった同僚。
腕を見せろとは、誰も言わなかった。
議場が、一段と重く沈む。
◇
その沈黙へ、新たな伝書使が駆け込んできた。悲鳴じみた叫びだった。
「ブラックマーシュの東海岸にも——アカヴィリの別働隊と思われる、大艦隊が侵攻いたしました!」
どよめきが、広間を揺らす。
だが、伝書使はなお、息を継いで続けた。奇妙な、続報を。
「ですが……トカゲども——アルゴニアンの軍勢が、狂暴化し、侵略者どもを、信じがたい力で完全に撃退。奴らの進軍を、水際でへし折ったとのことです!」
一瞬の、静寂。
それから、年老いた議員の一人が、椅子から腰を浮かせた。
「おお……!ならば、ブラックマーシュに援軍を要請できぬか!あのトカゲどもの武力があれば、東の蛮族どもを——!」
「愚か者が」
中央に座した、白髪の老議員だった。
「アルゴニアンに、他国を救う義理などあるものか。かつてのオブリビオンの動乱の折も、そうだった。あの冷酷なトカゲどもは、彼らの神たる『ヒスト』が、己の縄張りを守るために、軍勢を操ったに過ぎん。帝国のため、他州のために、あの泥沼から這い出てくるはずがない。彼らからの援軍など——一兵たりとも、期待できるものか」
腰を浮かせた議員が、座った。
◇
「では……では、北のスカイリムはどうだ。ウルフリックの子孫が統べる、あの大地なら。精強なノルドの軍勢が——」
「我が方とは、今なお停戦中だぞ」
言下に、切り捨てられる。
「タロス信仰こそ取り戻したものの、帝国への禍根はいまだ深い。関係は、険悪なままだ。彼らが、我々のために血を流すなど——天地がひっくり返っても、有り得ん」
三つ目を口にする者は、いなかった。
議員たちは、手元の書簡へ目を落とした。落として、めくらなかった。
閉じた輪の中に、次を言う者はいない。
◇
その沈黙の底へ、ひとつの声が落ちた。
「――ずいぶんと、お困りのご様子だ」
議員たちが、いっせいにそちらを向く。
円卓の外、柱の陰。
カイラスが最後に数えた、九本目だった。
金の刺繍をあしらった漆黒の長衣に身を包んだ、一人のハイエルフが、石の柱に背を預けて立っていた。サルモール特使、オンカノ。かつてウィンターホールドを内から食い荒らした、あのアンカノの血脈を引く男だった。
いつからそこにいたのか、気に留めていた者は、誰もいなかった。
この議場で椅子を使っていない者は、彼と、壁際の伝令兵の二人だけだった。
「僭越ながら」
オンカノは、悠然と言葉を継ぐ。
「東の蛮族に、頼れる隣人もなく、剣を執る者もない。……このままでは、この麗しい帝都も、遠からず灰燼に帰しましょう。惜しいことです。実に、惜しい」
議員たちは、口を噤んだまま、その言葉の続きを待った。
「ご入用とあらば」
オンカノの唇が、かすかに吊り上がる。
「我らサルモールが、手を貸して差し上げてもよろしいのですよ。アルドメリ自治領の魔導の力があれば、あるいは、この窮地も——」
言葉は、そこで途切れた。切らずとも、意味は届いていた。
◇
前の列で、二人の議員が顔を寄せた。
「……借りれば、何を取られる」
「タロスのときと、同じものだ」
「断れば」
「断ったと、あちらが言う」
それきり、二人とも黙った。
誰も、口を開かなかった。
◇
オンカノは、急かさなかった。
柱に背を預けたまま、動かない。指が一本、石の面で拍を取っていた。四つ打って、止まる。しばらくして、また四つ打つ。
円卓のほうは、見ていない。
定命の者たちが迷う音を、彼は喜劇でも聞くように聞いていた。
世界の境目が、いま、緩んでいる。円卓の者たちには、それが破滅にしか見えていない。
彼には、別の色に見えていた。
その色の名を、彼はまだ、誰にも言っていない。
◇
息詰まる沈黙が、限界まで張りつめた、そのときだった。
議場の中央に、人が一人、立っていた。
さっきまで、そこには誰もいなかった。誰もいなかったと言い切れる者も、また一人もいなかった。この広間にいた誰もが、そのあいだ自分の膝のあたりを見ていたからだ。
議員たちのざわめきが——いや、張りつめていた沈黙そのものが、ぴたりと断ち切られる。
オンカノの、氷のような目が、初めてわずかに細められた。
指が、止まった。
——それが、何を持ってきたのかも、まだ知らぬまま。