The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第2話:世界

繋がった。

 

朝から増え続けていた線が、天のどこか一点で互いに触れ、触れたところから先は速かった。枝が枝と噛み合い、噛み合った先がまた別の枝を呼ぶ。

 

そして、空が開いた。

 

音は、しなかった。

 

あれだけのものが開いて、音がしない。裂けるものには、たいてい音がある。布にも、木にも、皮にも。あれには無かった。

 

開いた向こう側には、何も無い。

 

黒くもない。黒は色だ。色があるということは、そこに何かがあるということだ。あれには、それすら無かった。

 

そこから、降りてきた。

 

                 ◇

 

戦場は、静かになった。

 

止めろと言った者はいない。

 

歓声が、上がっている途中で消えた。斧を掲げていた腕が、掲げたまま下りてこない。名前を叫んでいた者は、口を開けたまま次の音を出さなかった。

 

翼が、開いている。

 

黒い。今度は色があった。だが、光を返さない黒だった。あれだけの面積が空にあって、その一面だけが空から切り抜かれたように見える。

 

一度、打った。

 

ゆっくりだ。急いでいない。急ぐ必要のあるものが、この空のどこにも無いという打ち方だった。

 

打つたびに、下の空気が押される。押されて、地面の埃が円を描いて外へ逃げた。円は広がりながら薄くなり、消える前に、次の円が内側にできる。

 

音は、しない。

 

あれだけのものが空気を叩いて、その音だけが来なかった。

 

近づくにつれて、他の音も減った。

 

風が鳴らない。人が動かない。誰かが動けば、鎧が鳴るはずだ。鳴らなかった。

 

これまで、この戦場でいちばん大きな音を立てていたものは、空にいた。

 

いま空にいるものは、何の音も立てていない。

 

                 ◇

 

丘の上に、男が立っていた。

 

立つのに、少しかかった。

 

左の膝が、まだ言うことを聞かない。彼はそれを二度やり直し、三度目に、両足を地面に置いた。置いたときに胸のどこかで嫌な音がしたが、それは彼にしか聞こえていない。

 

右手の斧が、下がっていく。

 

下ろしきって、刃先を地面に置いた。

 

そして、彼は上を見た。

 

「……怖くないんですの?」

 

隣に、女が立っている。

 

弓は下ろしていた。矢もつがえていない。右手を、少し後ろへ回している。

 

「出来ることなら」

 

男は、上を見たまま言った。

 

「あのツラを拝みたくは無かったな」

 

そして、少し笑った。

 

女は、それについて何も言わない。

 

                 ◇

 

それは、丘の上で止まった。

 

止まったというより、そこで降りるのをやめた。地面には着いていない。着く必要が無いのだろう。

 

首が、下がってきた。

 

近い。

 

男の頭の上に、その顔がある。

 

目が、二つ。

 

そこに、怒りは無かった。

 

憎しみも無い。侮りも、面白がる色も無い。生きているものが他のものを見るときには、たいてい何かが入る。あれには入っていなかった。

 

ただ、見ていた。

 

決めるために見ている、という見方だ。

 

                 ◇

 

しばらく、動かなかった。

 

それから、目が動いた。

 

丘の下だ。

 

そこに、王が立っている。兜は無い。額から顎まで、血が乾いて一本の線になっている。斧の柄を杖にして、立っていた。立っているだけで精一杯なのが、上からでもわかる。

 

その男は、逃げなかった。

 

見上げて、そのまま立っていた。

 

目が、また動いた。

 

街道のほうだ。

 

捲れ返った石の上で、倒れていたものが起き上がろうとしている。一つ。三つ。五つ。数が増えていく。増える速さは遅い。肘をつき、膝を立て、そこで一度休んで、また立つ。

 

立って、上を見る者もいた。見ない者もいた。見ない者は、次に立たせる相手を探していた。

 

熊の毛皮を掛けた大男が、うつ伏せになっていた兵の腰帯を掴んで、片手で引き起こしている。引き起こされたほうは軍団の胸当てを着けている。二人は互いに何も言わなかった。言うだけの息が、どちらにも残っていない。

 

目が、もう一度動いた。

 

土手の東側の斜面だった。

 

そこに、二人いる。

 

一人は、若い。右の足に何も履いていない。足首のところに、蝋を引いた麻の紐が、まだ残っている。その足で立とうとして、立てずにいた。

 

もう一人が、その脇の下へ肩を入れた。

 

背の高い、痩せた男だ。何か短く言った。命令の言い方だ。若いほうが何か返した。返し方は、命令に返す言い方ではない。

 

そして、二人で立った。

 

歩き出した。

 

歩く先に、特に何があるわけでもない。ただ、そこにいるよりは歩いたほうがいいと、どちらかが思ったのだろう。

 

                 ◇

 

雲が、動いた。

 

割れていない側の空だ。

 

厚い灰色の底に、一箇所だけ薄いところがあって、そこから下へ、光が一筋落ちた。

 

まっすぐだった。

 

落ちた先は、丘ではない。空にいるものでもない。街道の、いま人が立ち上がっているあたりだった。

 

光の中で、埃が上がっているのが見えた。

 

それだけだ。

 

何かが起きたわけではない。誰かが治ったわけでも、誰かが名を呼ばれたわけでもない。

 

ただ、そこが明るくなった。

 

                 ◇

 

見ていた者が、二つだけいた。

 

一つは、空にいる。

 

首が、そちらへ回った。回した先を、しばらく見ていた。目の中に、初めて何かが入った。何が入ったのかは、下からではわからない。

 

もう一つは、丘の上にいた。

 

男も、そちらを見ていた。

 

見て、口の端が少し動いた。笑ったのではない。何か言いかけて、やめた形だった。

 

立ち上がっていた者たちは、誰もそちらを見ていない。

 

明るくなったことに気づいた者も、たぶんいなかった。彼らは自分の膝と、隣の者の腕のことで手一杯だったし、この日、空を見上げる理由なら、もう十分に足りていた。

 

                 ◇

 

『フン』

 

音が、初めて出た。

 

短い。鼻を鳴らしただけだ。呆れているようにも聞こえたし、何かを認めたようにも聞こえた。どちらとも決められる出し方だった。

 

そして、首が上がっていく。

 

『ドヴァー』

 

言いかけて、止まった。

 

『……いや』

 

止めた理由を、この竜は説明しなかった。

 

『ドヴァーキンよ』

 

翼が、開いた。

 

『もう会う事もないだろう』

 

                 ◇

 

一度、打った。

 

体が持ち上がる。持ち上がった高さは、翼の大きさに対して釣り合っていなかった。あれだけ打って、それだけしか上がらない。あるいは、それだけしか上がる気が無い。

 

二度目で、丘の草が全部倒れた。

 

三度目からは、見ている者の首が追いつかなくなる。

 

戻っていくのに、来たときよりも時間がかかった。

 

そのあいだ、誰も何も言わなかった。

 

黒いものが、開いた口の中へ入っていく。

 

入りきったところで、開いていたものが閉じはじめた。

 

閉じ方は、割れ方の逆だった。枝が枝を戻し、戻った線が細くなり、細くなったものが端から消えていく。消える順序は、増えたときの逆ではなかった。どこから消えるかは、決まっていなかったらしい。

 

                 ◇

 

男は、上を見ていた。

 

見ていて、小さく息を吐いた。

 

聞こえた者はいない。

 

「じゃあな」

 

そして、続けた。

 

「……竜の長子よ」

 

後ろで、骨が鳴った。

 

『クックッ』

 

骸の竜が、喉の奥で骨を鳴らしている。

 

『追い返されておったな』

 

「そう見えたか」

 

『あれは、そういう帰り方だ。我は知っておる』

 

竜は、それ以上何も言わなかった。

 

言わずに、しばらく骨を鳴らし続けていた。

 

                 ◇

 

空は、青かった。

 

線は、一本も残っていない。

 

朝からずっとあったものが無くなると、無かったころの空がどんな色だったのかを、しばらく思い出せない。誰も口に出さなかったが、多くの者が同じことをしていた。上を見て、しばらくそのままでいる。

 

やがて、下のほうから声が上がった。

 

一つ。それから、止まらなくなった。

 

                 ◇

 

裸の男が、通りを歩いていた。

 

正しくは、通りではない。捲れ返った街道の残りだ。そこを、大きな男が一人、何も身につけずに歩いている。

 

体のあちこちに傷がある。傷は塞がっていた。塞がり方が速すぎたのか、塞がった線が皮膚の色と合っていない。

 

彼は、地面に落ちているものを一つずつ拾っては、体に当てていた。

 

どれも小さい。

 

三つ目を当てたところで、近くにいた一団が笑い出した。腹を抱えている者もいる。裸の男は振り返り、何か言い返し、言い返しながら四つ目を拾った。

 

四つ目も、小さかった。

 

笑いは、大きくなった。

 

同じような格好の者が、街道の別のところにも二人いる。片方は、盾を前に当てて歩いている。円い盾で、狼の意匠が打ってあった。

 

「返せ」

 

盾の持ち主らしい女が、後ろから追いかけていた。

 

「あとでな」

 

「あとでとは何だ」

 

そのやりとりを、周りの者たちが囃した。

 

                 ◇

 

石畳の広いところで、輪ができていた。

 

輪の真ん中で、砂の国の外套を着た男が一人、剣を振っていた。

 

斬るための振り方ではない。刃が片側だけで、先が緩く反ったあの剣を、体の周りで回している。手首だけで返し、返した先を肘で送り、送った先をまた手首で受ける。刃が空を切る音が、一定の間隔で鳴った。

 

輪の者たちが、その間隔に手を合わせはじめた。

 

合わせているうちに、二人目が輪の中へ出た。同じ外套だ。二人は向かい合い、それぞれ勝手な速さで回しはじめる。勝手なのに、ぶつからない。刃と刃のあいだが、そのつど同じ幅だけ空いていた。

 

「――おい」

 

輪の外から、誰かが叫んだ。

 

「そういうのが出来るなら、さっき使え!」

 

砂の国の男の一人が、回しながら何か言い返した。

 

言葉はわからなかった。わからなかったが、笑いは起きた。

 

                 ◇

 

緑の肌の男が、街道の脇にしゃがんでいる。

 

前に、三つ並べてある。

 

彼は、その一つ一つに向かって話しかけていた。声は大きい。隠していない。何を言っているのかは、周りの者にも聞き取れた。聞き取れたが、誰も近寄らなかった。

 

順に、名を呼んでいる。

 

呼んで、そのあとに一言ずつ足していた。足す言葉は、三つとも違う。

 

最後の一つに言い終わると、彼は立ち上がった。

 

立ち上がって、拳で自分の胸を二度叩いた。

 

それから、歩いていく。

 

振り返らなかった。

 

                 ◇

 

土手の斜面では、二人が座っている。

 

肩を貸していたほうが、先に座った。座って、両足を投げ出し、それから隣に座らせた。

 

若いほうの右足は、まだ裸のままだ。

 

しばらく、どちらも何も言わなかった。

 

「……なあ」

 

年上のほうが言った。

 

「名前は」

 

若いほうが、顔を上げた。

 

「マリウスです」

 

「マリウス」

 

年上の男は、一度だけそれを繰り返した。

 

繰り返して、それきり黙った。

 

顔は、正面を向いている。街道のほうだ。そこには、まだ動かないものがいくつも転がっていて、そのうちのいくつかには、たぶん名前があった。

 

「……覚えとかにゃならん名前も、あるわな」

 

言い方は、独り言に近かった。

 

若いほうは、それに返事をしなかった。

 

返事のしかたが、わからなかったのだろう。

 

                 ◇

 

少し離れた場所で、一人の兵が胸に手をやっていた。

 

鎧の上からだ。

 

そこには、何も下がっていない。ここ何年か、この国で首から何かを下げている者はいない。下げていれば、面倒なことになる。

 

彼の手は、無いものの形に沿って動き、そこで止まった。

 

止まって、しばらくそのままだった。

 

それから、手を下ろした。

 

誰も、見ていない。

 

                 ◇

 

シグヴァルドが、丘を登ってきた。

 

登りきるまでに、二度止まった。二度目は、少し長かった。

 

「ドヴァキン」

 

「生きてたか」

 

「……スカイリムの民を代表して、礼を言う」

 

「やめとけ」

 

男は、上を見たままだった。

 

「アイツらが見てたのは、俺じゃない」

 

「アイツら?」

 

「ああ」

 

彼は、そこで初めてシグヴァルドのほうを向いた。

 

「神の慈悲か、ただ気まぐれだ」

 

そして、笑った。

 

シグヴァルドは、その笑い方をしばらく見ていた。

 

見て、頷いた。

 

                 ◇

 

「もう一つ、礼を言わせろ」

 

「言っただろうが」

 

「別のことだ」

 

シグヴァルドは、丘の縁のほうを見た。

 

そちらでは、女が土手のほうへ下りていくところだった。歩き方に無駄が無い。朝からずっとあの調子だった。

 

「アンタの連れだ」

 

「……ああ」

 

「投げた」

 

「聞いた」

 

男は、少し黙った。

 

黙ってから、言った。

 

「助かった」

 

シグヴァルドは、肩をすくめた。

 

「一度だけだ」

 

「それでもだ」

 

「それに、こっちは大勢助けられた。数で言えば、まるで釣り合っておらん」

 

「回数の問題じゃない」

 

言い方が、変わった。

 

強くなったのではない。むしろ、低くなった。

 

シグヴァルドは、そちらを見た。

 

男は、また前を向いている。

 

「アイツは、死ぬことを恐れて無さすぎる」

 

「……不死身なんだろう、あれは」

 

「関係ない」

 

風が、丘を渡っていった。

 

「怖がってほしいわけじゃないんだ」

 

そこで、切れた。

 

続きは、来ない。

 

シグヴァルドは、しばらく待った。待って、来ないとわかると、それきり訊かなかった。

 

この王が同じ相手に二度目を訊かないのは、今日で二度目だった。

 

「……そうか」

 

それだけ言って、彼は前を向いた。

 

                 ◇

 

風が、来た。

 

強い。

 

丘の上の草が一斉に倒れ、倒れた向きが揃った。

 

男は、顔を上げた。

 

風の来た方角を見る。

 

南だ。

 

遠くに、白いものが一本立っている。

 

「ん?」

 

彼は、そのまま少し目を細めた。

 

空は青い。雲は、さっきの一枚を最後に、もうどこにも無い。

 

その青の中に、光っているものがあった。

 

星だ。

 

昼だった。

 

                 ◇

 

「どうかしましたの?」

 

女が、いつのまにか戻ってきていた。

 

「……いや」

 

男は、まだそちらを見ている。

 

「誰かに呼ばれたような気がしてな」

 

女は、彼の見ているほうを見た。

 

そちらには、白いものが立っている。それだけだった。

 

「そうですの」

 

彼女の視線は、まだそちらにあった。

 

                 ◇

 

「ダーネヴィール」

 

骸の竜が、首を上げた。

 

「翼は」

 

『飛べる』

 

「訊いてないことに答えるな。翼はどうなってると訊いてる」

 

竜は、左の翼を一度開いた。

 

開いて、閉じた。

 

『繋がっておる』

 

「三本折れてただろうが」

 

『繋がっておる、と申した』

 

「いつ繋がった」

 

『……そういうものだ』

 

男は、それ以上訊かなかった。

 

訊いても、たぶん同じ答えが返ってくる。骨だけになってもまだ空を飛んでいるものに、体の道理を訊いても仕方がない。

 

彼は、その首の根元へ手をかけた。

 

かけて、一度で上がれなかった。二度目で上がった。

 

「どこへ行きますの?」

 

下から、声がした。

 

「あの塔だ」

 

「……そう」

 

女は、少し息を吐いた。

 

「あなた一人だと、何をしでかすかわかりませんから」

 

そして、彼女も上がってきた。

 

上がるのは、一度で済んだ。

 

                 ◇

 

「ドヴァキン!」

 

シグヴァルドが、下から呼んだ。

 

「落ち着いたら、ソリチュードに顔を出してくれ。酒ぐらいなら出すぞ」

 

男は、片手を上げた。

 

「ああ。そのうちな」

 

そして、少しだけ笑った。

 

                 ◇

 

翼が、開いた。

 

一度、地を叩く。

 

骸の竜は、丘の上の空気ごと持ち上がるようにして飛び立ち、右へ大きく傾いてから、姿勢を直した。直すのに、少しかかった。

 

かかったが、直った。

 

そのまま、南へ向かう。

 

下では、まだ声が上がっていた。北の言葉と、この国の言葉が混じっている。混じったまま、誰も分けようとしていなかった。

 

その日、あの戦場で何が起きたのかを、そこにいた者たちは知っている。

 

自分たちが何を見られていたのかを知っていた者は、たぶん一人もいなかった。

 

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