The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
第1話:拾う順番(前半)
日は、まだ高かった。
割れた石畳の上に、影が短く落ちている。その短さだけが、この日にまだ半分残っていることを示していた。半分残っているという言い方が、この街の誰かの役に立ったかどうかは、わからない。
◇
女が、先に動いた。
包み終えた指を一度握り、開く。開いたところで、石畳の上に落ちているものが目に入った。
剣だ。
さっきまで誰かが握っていて、置かれた。置いた者は、もういない。
彼女は、そこまで歩いた。
屈んで、拾う。
裂けた指の腹に柄の革が触れ、触れたところが、少し湿った。
「……古いですわね」
目の高さまで上げる。
飾りが古い。古いというより、古い時代の趣味だった。刃には血が乾いていて、乾き方が二層になっている。今日のものと、今日より前のもの。
柄の巻きは擦り切れていた。擦り切れ方に癖がある。誰かがずいぶん長いあいだ、同じ握り方でこれを使っていた。
思い当たるものは、無い。
自分が生まれる前の物なのかどうかも、判じがつかなかった。
「誰のものですの」
訊いた声は、大きくない。
石畳の空いた場所を見ていた男が、そちらへ顔を向けた。向けて、剣を一度見る。
「知らん」
それだけだった。
女は、老魔術師のほうを見る。老魔術師は座り込んだままで、こちらを見ていない。彼女は、返事を待つのをやめた。
訊く相手は、あと一人いた。
その一人は、眠っている。
◇
女は、剣を横たわっているものの傍らへ置いた。
置いてから、刃の向きを一度直す。
それで何が変わるものでもない。
◇
老魔術師は、座ったまま右の腿を伸ばしていた。
繋いだだけの脚だ。伸ばせば痛み、曲げても痛む。どちらでも同じなので、彼は伸ばしているほうを選んでいる。
◇
石畳の少し離れたところに、包みが置いてある。
旗の布だ。今朝までは竿の先にあり、いまは地に落ちていたものを、誰かが裂いて使った。
包みは、腕の形をしていない。畳んだからだ。
「あれは」
女が言った。
老魔術師が、そちらを見る。見て、しばらく黙っていた。
「……置いておいてよいものではございませぬ」
理由は、言わなかった。
「焼くのか」
男が言った。
「はい」
男は、包みのところまで歩いた。片手で持ち上げる。重さが思っていたのと違ったらしく、持ち上げてから、一度持ち直した。
◇
火は、広場の外で焚いた。
燃やすものに困りはしない。梁が落ちている。柱が割れている。この街で今日、乾いた木ほど余っているものは無い。
匂いが立つ。
その匂いは、この街の風下に立った者が今日ずっと嗅いでいたものと、区別がつかなかった。
誰も、何も唱えない。
帝国の作法も、北の作法も、この火には使われていない。
火は低い。
低いまま、長く続いた。
◇
日が落ちてから、女が火のそばへ来た。
来て、少し離れたところに立つ。
「蛇の方々は、どうなさいますの」
男は、火を見たままだった。
「東に帰す」
「聞き入れてもらえますかしら」
「来た船が、まだ東にあるだろう」
女は、少し笑った。
笑って、それ以上は訊かなかった。
男が、なぜそうするのかを言わなかったからだ。言わない相手から理由を引き出す方法は無い。それを知るには、長く一緒にいれば足りる。
火の音だけが、しばらく続いた。
◇
朝には、男がいなかった。
告げていく質ではない。
火は、まだ少し残っている。残っているが、灰のほうが多い。
◇
塔の下へ下りる階段は、狭かった。
一段が高い。人の脚に合わせて作られていない。作った者の脚は、たぶんもっと長かったのだろう。
老魔術師は、右の腿に手を当てて下りた。一段ごとに止まり、それから次を下りる。
上から、灯りが差している。
持っている者は、下りてこなかった。
◇
下りきったところで、彼は立ち止まった。
音が、無い。
天井の無い部屋だった。上へ向かってすぼまっていく縦の空洞が、闇の中へ消えている。響かせるために作られた造りだ。
いま、響かせるものが無い。
床では、帝国の兵が働いていた。
布を敷いて、その上へ順に乗せ、端を持って運び出していく。運ばれるほうの数のほうが、ずっと多かった。
老魔術師は壁際へ寄り、それが済むのを待った。
運び出されていく一人の、ローブの腿のあたりに、跡が乾いていた。
掌の形だ。
布の端が持ち上げられ、跡は布の下へ入って、見えなくなった。
◇
床の目地に、擦った跡が幾筋も残っている。
重いものを引いた跡だ。目地に沿ってはいない。横切っている。
部屋の中心に、杭があった。
八本。
輪になって、床から出ている。
老魔術師は、そこまで歩いた。
膝を折るのに、少し手間がかかった。右の腿は、折り曲げることを嫌う。
指を伸ばして、杭の頭を順に撫でる。
七つは、指の腹に何も返さなかった。
床と同じ高さだ。撫でても、そこに何かがあることがわからない。
八つ目が、返した。
爪の先ほど。
それだけ、上に出ている。
老魔術師は、指を離した。
離してから、もう一度置こうとして、置かなかった。
◇
彼は、上を見る。
空洞は上へ向かってすぼまり、そこから先は闇だった。
何も無い。
◇
床の端に、赤いものが溜まっている。
乾ききっていない。縁のところで、何かが光った。
老魔術師はそこまで行って、それを摘み上げた。
珠だ。
瞬いている。
彼は、間隔を一度だけ見た。
見て、目を戻した。
拭わなかった。袖の内側へ入れて、それきり手を出さない。
◇
階段の上で、灯りを持った兵が待っていた。
「何か、ございましたか」
老魔術師は、上がりきってから答えた。
「……いえ」
そう言って、歩いていった。
歩きながら、袖の内側へ一度だけ手を入れ、すぐに出した。
◇
目が覚めたとき、最初に見えたのは天井だった。
石だ。低い。梁が横に一本通っていて、その梁がどこの梁なのかは、わからなかった。
天井があるということは、屋根の下にいるということだ。そこまではわかった。それ以上は、しばらくわからない。
外で、何かを引きずる音がしている。
石だろう。重い。引いて、止めて、また引いている。
喉が渇いている。渇きは、体のずっと先のほうにあった。
◇
起きようとした。
右の肘を立てる。同じことを左でもしようとして、そこで止まった。
痛みでは、なかった。
動かそうとしたほうに、動かすものが無い。
それだけのことがわかるまでに、間があった。
カイラスは、仰向けに戻る。
戻って、天井を見た。
梁の木目を目で追う。追って、端まで行き、また戻った。
◇
しばらくして、右手を持ち上げた。
顔の前へ持ってくる。
洗われていた。
指のあいだも、掌のくぼみも、きれいになっている。誰かが洗ったのだ。眠っているあいだに。
爪の際にだけ、落ちきらなかったものが残っている。
黒い。乾いている。
◇
この手を、一度、伸ばしたことがある。
坂の上でだ。
後ろにいた二人が前へ出て、盾を構えた。止めようとして、彼は手を伸ばした。
伸ばした手には、剣があった。
剣を持った手で、人は止められない。
気づいて、下ろした。下ろしたときには、二人は坂を駆け下りていた。
◇
一人は、鼻の骨が曲がっている。
口で息をしていた。曲がった鼻では、そうするしかないのだろう。
もう一人は、まだ髭も生えていなかった。
二人とも、何も言わなかった。
前へ出るとき、そのうちの一人が、こちらを見た。
一人だけだ。もう一人は、見なかった。
どちらが見たほうだったのかを、カイラスは思い出せない。思い出そうとすると、二つの顔が入れ替わる。
顔は、両方とも覚えている。
見たほうの顔だけが、決まらない。
◇
彼は、その坂を走り抜けた。
背を押されて。
◇
その手が何をしたのかは、覚えている。
一人は、命乞いをしていた。
言葉の形になっていない。子音が抜けている。それでも何を言おうとしているのかはわかる。わかったうえで、体は急がない。
瞼を閉じようとする。
一度。動かない。二度。動かない。
一緒に下りた兵の死体を踏む。
坂の上で、彼の背を押した男だ。
踏んだことに、体が気づかない。
◇
これらを、彼は一つの場所へ置くことができた。
置ける理由もある。あれは自分の手ではあったが、自分の意思ではなかった。誰かがそう言ってくれれば、彼はうなずいたかもしれない。
置けないものが、一つ残る。
武器を下ろした者へ向かうとき、体は速くなった。
速くなったことを、彼は胸のあたりで感じていた。
感じていた、というところだけが、どこにも置けない。
◇
天井の梁を、もう一度見る。
木目は、さっきと同じところで途切れている。
彼は、右手を下ろした。
下ろすときに、掌を伏せた。伏せる相手は、部屋にいない。
その手を、見ている者はいなかった。
見られていたとしても、何のことかはわからなかったろう。