The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
気づいたときには、寝台の横に人が座っていた。
アルセリウスだった。
膝の上で手を組んでいて、その手つきが、待っている形をしている。どれくらい待っていたのかは、わからない。
「お目が覚めましたか」
カイラスは、返事をしようとした。
出たのは、息だけだった。
◇
杯が来た。
持ってきたのはセラーナで、彼女は杯を差し出しかけ、途中でやめて、そのまま口元まで運んだ。
カイラスは、右手を伸ばそうとした。
伸ばせば、届く。届くが、杯を持ったところで、体を起こすほうの手が無い。
「そのままで」
彼は、そのままで飲んだ。
水は生ぬるかった。それでも、喉のほうが先に片付いた。
◇
「アルセリウス様」
「はい」
「……お怪我は」
「繋いだだけでございます」
カイラスは、天井を見た。
見てから、言った。
「ドラゴンボーンやネレヴァリンは、よくこの重責に耐えられますね……」
窓のほうから、返事が来た。
「耐えるのではなく、受け入れているのではないかしら」
杯を置く音がする。
「……まあ、本人が口にしない以上、推察ですけれど」
アルセリウスは、膝の上の手を組み直した。
「英雄や神話の人間は、あなたとは違います」
カイラスは、そちらを見なかった。
「ですが、彼らもまた人です。我々にはわからぬ苦難もあれば、苦痛もあるでしょう。それを受け入れ、踏み越えて進むからこそ、彼らは『英雄』なのです」
しばらく、誰も何も言わなかった。
「貴方は、英雄でも神話でもありません」
セラーナが言った。
「ですから、悩み、苦しみながら生きていけばよろしいのではないですか。それが人らしさですもの」
「……はい」
カイラスは、そう答えた。
答えたのは、返事が要る場面だったからだ。
言われたことは、耳に入っている。入ってはいるが、置けなかったものは、まだ置けないままだった。
◇
アルセリウスが、立ち上がった。
立ち上がるのに、右手を寝台の縁につく。
つきながら、視線が下へ落ちた。
寝台の横に、剣が立てかけてあった。
誰が運んだのかを、カイラスは知らない。目が覚めたときには、そこにあった。
アルセリウスは、それを見た。
見て、しばらく動かない。
「……この剣は、どちらで」
「シェオゴラス公から、いただきました」
カイラスは言った。
「何やら、名のある騎士が使っていたと」
アルセリウスは、屈んだ。
右の腿が嫌がる角度だ。それでも屈んで、刃には触れず、柄の巻きのところだけを見ている。
「……これは、『聖騎士の剣』です」
「著名な遺物なのですか」
アルセリウスは、答えなかった。
答えるまでに、間があった。
「ペリナル・ホワイトストレーク」
「……エルフ殺しの」
息が、止まった。
「大英雄が使ったとされる剣です」
カイラスは、息を吸い直した。
吸い直したことに、自分で遅れて気づいた。
「……本当ですか」
「恐らくは」
◇
言葉が、出なかった。
神々との繋がりなど、彼には一度も無かった。神殿へは行く。祈りもする。だが、それだけだ。走り、地図を覚え、鳥を飛ばす。それが彼の全部だった。
その彼が、神話の器になった。
されたのだ。
どこまでが誰の意思だったのかは、わからない。わかるための材料が、どこにも無かった。
◇
アルセリウスは、まだ屈んでいた。
屈んだまま、何かを言っている。
声が小さい。こちらへ向けて言っているのではなかった。
「……アレッシア」
「……ドヴァーキン」
「最初のドラゴンボーンと、最後のドラゴンボーン」
間があった。
「……そしてペリナルの剣」
カイラスは、口を開いた。
開いた口から音が出る前に、アルセリウスが顔を上げた。
「すべては偶然のようで、必然なのかもしれませんな」
カイラスは、口を閉じた。
◇
老魔術師は、膝に手をついて立ち上がる。立ち上がってから、一度だけ息を吐いた。
「カイラス殿」
「はい」
「……慰めにもなりませんが、恐らく答えは、考えたとて見つかるものではないでしょう」
「はい」
「いまは、ご自身の体を休めることに務める時です」
◇
カイラスは、セラーナのほうを見た。
「ネレヴァリンと、ドラゴンボーンは」
「わかりませんわ」
言い方に、呆れが混じっている。
「あちらの方は、あの場で行かれましたのよ。あなたの腕を落として、剣を置いて、それだけで」
「……あの場で」
「はい。日のあるうちに」
「ドヴァキンは」
「明け方には、もうおりませんでしたわ」
セラーナは、杯の縁を指でなぞった。
「行き先は、聞いておりません。ただ、出ていく前に一度だけ」
「……はい」
「『生きているうちに、いまの世界を見ておきたい』と」
指が、縁で止まる。
「黙って出ていくのは、昔からですの。理由のほうを置いていったのは、初めてですけれど」
そう言って、彼女は笑った。
「そのうち、来ますもの」
「……来る、と申しますのは」
「わたくしのところへ」
セラーナは、裂けた指を見た。
「約束は、一度もございませんの。それでも来ますわ。前のときも、そうでした」
「そうですか」
◇
カイラスは、天井の梁を見た。
木目は、さっきと同じところで途切れている。
初めて会ったのは、焼けた街だった。
崩れた石の上に火が集められていて、火を必要とする者は、あの場に一人もいなかった。馬が先に気づいて、それより先へ進まなくなった。
「何者だ」
炭の上に座ったまま、あの男はそう言った。立ち上がりもしなかった。
あのとき、左腕はまだ肩から下がっていた。焼けて、何も感じず、揺れるにまかせて。
◇
その左が、いまは無い。
落としたのは、あの火のそばにいたダンマーだ。
その前に、こちらが先に斬っている。
刃は首筋から入って、途中で止まった。
止めたのは骨だ。そこまでは柔らかく、そこから先は固かった。固いところへ当たったとき、手のほうへ返ってきたものがある。
その返りを、彼はまだ持っている。
ダンマーは、避けなかった。
避けられなかったのかどうかは、わからない。
◇
そのあとのことは、ほとんど残っていない。
残っているのは、一つだけだ。
後頭部のあたりが、冷たかった。
石ではない。石はもっと広い。あれは狭くて、固くて、形があった。
それが何だったのかは、わからない。
◇
夢を見ていたのだと言われれば、そのほうが片がつく。
片はつかない。左が無いからだ。
あの二人は、この地にいた。
いた、ということだけが残っている。
◇
セラーナは、窓のところで一度止まった。
「あの二人」
止まったまま、外を見ている。
「どこか似てましたわね」
カイラスは、何が似ていたのかを訊こうとした。
訊く前に、彼女は窓から離れていた。
◇
次の朝、セラーナはいなかった。
窓の掛け金が、外れている。
それだけだった。
◇
体を起こせるようになるまでに、いくつか朝が来た。
起こせるようになると、次は立つ番だ。立ってみると、体の重さが左右で違うことがわかった。歩くたびに、右へ寄る。
アルセリウスが来たのは、そのころだった。
旅の支度をしている。杖を一本、新しく持っていた。
「島へ、戻ります」
「アルテウムへ」
「はい」
彼は、少し黙った。
「……礼を申します」
「そんな」
「それと」
そこで、また黙った。
黙ってから、言った。
「あなたを選んだのは」
言いかけて、やめた。
やめた先を、彼は言わなかった。
「……申し訳ございませんでした」
◇
カイラスは、少し笑おうとした。
うまくはいかなかったが、声は出た。
「……ずいぶん、きつい使いでした」
「はい」
「次は、もう少し近い所へお願いします」
「伝令が、あなたの本業でございましたな」
「はい」
「では、走れるようになってからにいたしましょう」
◇
カイラスは、窓の外を見た。
壊れたものが、まだそのままある。だが、崩れたままではない。積み直している者がいる。
世界は、残った。
それだけは、彼にもわかった。
◇
アルセリウスは、扉のところで一度止まる。
止まって、何か言おうとした。
言わずに、袖口を一度押さえて、出ていった。
◇
その日、街で最も多く鳴っていたのは槌だった。
引きずる音は、もう少ない。運び出すものが減ったからだ。
大通りの端で、二人の兵が石を運んでいた。
巡回の途中らしい。槍を壁に立てかけて、順番に持ち上げている。持ち上げるのが年上のほうで、受け取るのが若いほうだった。
「そっちを持て」
「はい」
石が動いた。動いて、若いほうの足元で音が鳴った。
年上の男が、その音のほうを見る。
「新しいのか」
「はい。支給されました」
「安物だな」
「……はい」
「両方あるだろう」
「はい」
「なら、いい」
それだけだった。
二人は石を積み直し、槍を取って、また歩き出した。
◇
その音を、寝台の上の男が聞いていたかどうかは、わからない。
窓は、開いていた。
槌の音が、あちらとこちらで鳴っている。
合っていない。
合わせる必要は、どこにも無かった。