The Elder Scrolls : Dawn of Order   作:蛾の司祭

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第3話:乾くまで

匂いで、部屋の広さがわかる。

 

狭い部屋は、匂いが濃い。この部屋は濃かった。

 

卓の上に、栓を抜いたままの瓶がある。シロディールのブランデーだ。年数は聞いていない。もらい物で、渡した者が「開けるなら、理由のある日に」と言った。

 

理由のある日が来たのかどうかは、まだわからない。

 

それでも、彼は開けた。

 

                 ◇

 

羽根ペンは、右手にある。

 

左は無い。袖は縫い留めてあって、そこだけ布が新しい。

 

片手でものを書くには、順番がいる。

 

羊皮紙を先に置く。文鎮を先に置く。それから栓を抜く。抜いたら、栓を置く場所を先に決めておく。一つでも順を違えると、どこかで手が足りなくなる。

 

初めのうちは、よく足りなかった。

 

いまは、足りる。

 

                 ◇

 

この頃は、首から何かを下げている者を見かける。

 

服の下からではなく、外へ出して。

 

咎める者は、まだいる。咎められた者が、以前ほど素直に外さなくなった。違いは、それだけだ。

 

北との話も、まとまってはいない。まとまってはいないが、書簡の往復は速くなった。

 

速いというだけで、以前とは違う。

 

                 ◇

 

卓の左側に、別の綴じがある。

 

清書ではない。聞いたことを、聞いた順に書き留めただけのものだ。

 

聞けた名と、聞けなかった名がある。

 

「マリウス」

 

一行。それだけ。

 

この名は、本人から聞いた。北の門の普請場で石を担いでいるところを呼び止めて、断られて、次の月にもう一度行った。

 

                 ◇

 

その下に、名の無い行がある。

 

年上の兵だ。同じ普請場にいた。マリウスと二人で、同じ石を反対の端から持っている。

 

あの日、土手の斜面で肩を貸したのはこの男だという。名を訊いたのもこの男のほうで、自分の名は言わなかったという。

 

カイラスは、その男にも訊いた。

 

男は、石を下ろしてから答えた。

 

「そいつは、書くのか」

 

「はい」

 

「……なら、なおさらだ」

 

それきり、また石を持ち上げた。

 

マリウスが、笑った。

 

「変わりませんね」

 

「訊いたことが、おありですか」

 

「何度か」

 

そう言って、彼も端を持ち上げた。

 

                 ◇

 

カイラスは、その行を空けたままにしている。

 

埋めようと思えば、書きようはある。年上の兵、でもいい。石を担いでいた男、でもいい。

 

書かなかった。

 

そこは、名を書く欄だからだ。

 

                 ◇

 

名の無い行は、ほかにもある。

 

そちらは、聞いた話ではない。

 

坂を駆け下りた二人。鼻の骨が曲がったほうと、髭の生えていないほう。

 

顔は書ける。書いた。

 

名のところだけが、二行とも空いている。

 

                 ◇

 

彼が書いているのは、神の話ではない。

 

無敵の英雄の話でもない。

 

恐怖に震え、泥に塗れ、それでも理不尽に抗い続けた者たちの話だ。

 

最後の一節を、彼はこう書いた。

 

――凡人ですら、神の駒であるかもしれない。

 

――星霜の書には、きっと一人一人の過去も未来も書き込まれているのだろう。

 

――神話であろうとなかろうと、この世界に生きる者は誰も、書かれた運命から完全には自由になれないのかもしれない。

 

                 ◇

 

神話については、短くしか書いていない。

 

――神話は、神話に帰って行った。

 

それだけだ。

 

一人については、そのあとに一行だけ足した。

 

――ネレヴァリンと呼ばれた男は、ただのダンマーへ。

 

もう一人については、書けることが少なかった。

 

――どこかの山から聞こえてくるシャウトは、『ドラゴンボーン』かもしれない。

 

かもしれない、と書いてから、彼はそこを消さなかった。

 

消せる材料が、どこにも無い。

 

                 ◇

 

シェオゴラスについては、一行も無い。

 

書こうとして、使える言葉が一つも出てこなかった。

 

出てこなかったことを、彼はそのままにした。

 

たぶん、そのほうがいい。

 

理由は、うまく言えない。

 

                 ◇

 

書き終えて、羽根ペンを置いた。

 

置く場所は、決めてある。

 

インクが乾くまでは、触れない。触ればにじむ。片手では、にじんだところを押さえられない。

 

だから、待つ。

 

待つあいだに、彼は杯を空けた。

 

窓の外が、明るくなりはじめている。

 

朝焼けだ。

 

雲の形は、どれも違っていた。端のほうだけが、妙に赤い。

 

きれいだった。

 

彼は、目を細めた。

 

誰かに命じられたわけでもない。

 

                 *

 

ニュー・シェオスの玉座の間で、同じ頁がめくられていた。

 

どうやってそこにあるのかを、訊く者はいない。

 

「『凡人ですら、神の駒であるかもしれない』だと?」

 

シェオゴラスは、頁から目を上げた。

 

「ハッ! 笑わせる!」

 

哄笑が、天井を叩いた。

 

膝の上には、エイダールチーズがひと塊。最高級のやつだ。

 

かじる。かじってから、また笑う。笑いながらかじるので、粉が頁の上へ落ちた。

 

落ちた粉を、彼は払わなかった。

 

                 ◇

 

「過去も未来も」

 

頁を、逆さにした。

 

「右も左も」

 

横にした。

 

「上も下も」

 

もう一度回して、そのまま読み続ける。

 

「神も人も、変わらん!」

 

チーズの粉が、頁から滑り落ちた。

 

「……ふむ。逆さのほうが上手いな」

 

                 ◇

 

「駒かもしれん」

 

かじる。

 

「そうじゃないかもしれん」

 

もうひと口。

 

「……その余白よ」

 

三口目のところで、動きが止まった。

 

「その余白こそ、チーズより味わい深い」

 

止まっていたのは、ほんの一瞬だった。

 

「いや、チーズが上かもしれん。そうであろう、ハスキル」

 

玉座の脇の灰色の上衣が、わずかに顔を上げる。

 

「御意にございます」

 

「答えになっておらんぞ」

 

「はい」

 

                 ◇

 

シェオゴラスは、立ち上がった。

 

立ち上がって、杯を高く掲げる。

 

「シロディールを守り抜いた、愚かで、愛すべき凡人どもに!」

 

誰も応えない。

 

「……もう一度いくぞ」

 

「シロディールを守り抜いた、愚かで、愛すべき凡人どもに!」

 

やはり、誰も応えない。

 

彼は満足したらしく、座った。

 

                 ◇

 

それから、彼は懐へ手を入れた。

 

出てきたのは、金貨だった。

 

縁が擦れている。

 

目の高さまで上げて、ほんの少しだけ、見た。

 

見て、池へ投げ込んだ。

 

水面は、揺れなかった。

 

金貨は落ちていく。途中まで見えて、そこから先は見えない。

 

どちらの面が上を向いていたのかを、見た者はいない。

 

                 ◇

 

「大公」

 

「なんだ」

 

ハスキルは、水のほうを見ていた。

 

「……いえ」

 

シェオゴラスは、玉座へ戻った。

 

戻る途中で、一度だけ、指で頁の端を弾いた。

 

                 ◇

 

その横で、ペラギウス三世が、今日も自分の腸で縄跳びをさせられている。

 

今日は、一人だった。

 

飽きたのかもしれない。頁をめくるあいだだけ静かにさせておいたのかもしれない。

 

どちらなのかは、わからない。

 

跳ぶ音だけが、続いている。

 

fin

 

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