The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
第1話:冷たい石
石が、冷たかった。
頬に触れる石畳の感触から、それは始まった。ハイ・フロスガーの頂。世界の喉笛と呼ばれる高みに、ひとりの男が俯せに横たわっている。どれほどそうしていたのかは、本人にもわからなかったろう。
風が肺を刺した。吸えば痛み、吐けば白く濁る。かじかんだ指先に、鈍い感覚がゆっくりと戻ってくる。冷たい。痛い。——ソヴンガルデには、無かったものだ。尽きせぬ祝宴の温もりの中で、彼はただ飢えていた。何にとも知れぬまま。今、頬を刺すこの寒さだけは、少なくとも嘘ではない。
膝をつき、身を起こす。雪の匂いに混じって、遠く、微かに焦げた匂いがした。この高みまでは届かぬはずの、東の匂いだ。
背後で、重いものが動いた。
『久しいな、ドヴァー…。ドヴァーキンよ』
大気そのものを震わせる声だった。振り返れば、白く凍てついた石壁のかたわらに、老いた竜が翼を畳んでいる。鱗のあわいには幾年もの雪が積もり、その眼だけが、変わらぬ古い熾火のように灯っていた。パーサーナックス。
「ああ。久しぶりだな」ドヴァキンは立ち上がりながら言う。「どれだけ年月が経ったのか、知らないがな」
『要件は、偽りのドヴァーか』
問いというより、確かめる響きだった。
「ああ」
短く、それだけ。老竜はしばし目を伏せ、それから世界の喉の奥を覗くように、ゆっくりと頭を巡らせた。
『あれは偽りの竜だ。竜を騙り、竜へ成ろうとする者。……だが』パーサーナックスの声が、低く沈む。『世界の喉から伝わってくるその力は、確かに竜のそれだ。竜の長子——アルドゥインにすら、比肩しかねん』
風が、二人の間を吹き抜けた。
ドヴァキンは口の端をわずかに歪め、皮肉を吐く。「ここまでタムリエルが荒れてるなら、そのうち本物の長子サマも戻ってきそうだな」
『——ドヴァーキン』
たしなめる声に、いつになく硬いものが混じっていた。『貴様の言葉にはスゥームが宿る。口にした言の葉が、そのまま現へ滲むこともある。めったなことを、舌に乗せるな』
ドヴァキンは鼻で笑った。図星を突かれた者の笑い方ではない。ただ、神々の胸先三寸で転がされることに、とうに慣れた者の笑い方だった。
歩き出す。
『もう行くのか』
「やつの痕跡を、見に行く」
振り返りもせず、ドヴァキンは大きく息を吸い込んだ。凍てついた大気が胸を満たす。そして——喉の奥から、三つの言葉を引きずり出した。
『Dur... Neh... Viir』
音が、空間に楔を打つ。頂を渦巻いていた吹雪が、その一点だけぽっかりと裂け、裂け目の奥から緑がかった燐光が滲み出す。腐臭にも似た、けれどどこか懐かしい魂の墓場の気配。骨と虚無で編まれた巨躯が、ゆっくりと現へ這い出してきた。
『クァーナーリン』骸の竜は、軋む骨を鳴らして低く笑う。『久し振りだな。またお前に呼び出される日が来るとは』
その声には、隠しきれぬ喜びがあった。ソウル・ケルンの檻を離れ、ふたたびタムリエルの風を切っている。この竜には、それで足りるらしい。
ドヴァキンは何も言わず、その背へ跨った。骨の背骨は、記憶にあるとおりの冷たさで彼を迎える。
飛び立つ寸前、ドヴァキンは一度だけ後ろを振り返った。
パーサーナックスのかたわらに、灰色の衣をまとった影が四つ、いつのまにか並んでいた。この時代のグレイビアードたち。彼らの名を、ドヴァキンは知らない。あの日、山を下りた自分を見送った者たちは、もうこの頂にいない。それでも、その佇まいには、あの日と変わらぬものが確かにあった。
ダーネヴィールが、翼を広げた。
骨の翼が大気を叩き、巨躯が宙へ躍り上がる。その刹那——
四つの喉が、いっせいに開いた。
言葉ではない。意味でもない。ただ、真なる竜の帰還を告げるためだけの、剥き出しのスゥーム。四人の声が一つに束ねられ、天へと放たれる。渦巻いていた吹雪が、内側から引き裂かれた。灰色の雲に亀裂が走り、その裂け目から、久しく忘れられていた青が覗く。
声は、ハイ・フロスガーの斜面を駆け下りた。凍った谷を渡り、松の森を揺らし、川を遡り、街道を越えて——スカイリムの隅々へ。さらにその先、白き大地の境を越え、タムリエルの全土へと。
農夫は鍬を止め、空を仰いだかもしれない。兵は柄にかけた手を、わけもわからぬまま握り直したかもしれない。悠久を生きる者は、その声の意味を正しく聞き取ったろう。長く待っていた誰かは、ようやく来たかと、静かに立ち上がったかもしれない。
何が帰ってきたのか。それを言葉にできた者は、まだ、ほとんどいなかった。