The Elder Scrolls : Dawn of Order 作:蛾の司祭
地図の上に、黒い×が一つ増えていた。
リフテン。かつて蜂蜜酒の甘い匂いと盗人どもの囁きで濁っていた湖畔の都。その名の上に、側近の誰かが炭で引いた無骨な×が、ろうそくの灯を吸って鈍く光っている。ソリチュード、青の宮殿。その執務の間。高い窓の向こうには灰色の海が横たわり、潮の匂いを含んだ風が、石の廊下の奥まで冷たく忍び込んでくる。
シグヴァルド・ストームクロークは、卓に両手をつき、その一点を見下ろしていた。
長く、息を吐く。それは疲れというより、勘定の音に近かった。リフテンが落ちたということは、リフト全域の街道が敵の喉に落ちたということだ。あの都は南東の門だった。門を破られた家が、次にどこから風を入れるか——彼の指は、地図の上を滑る。リフテンから、西へ。ヘルゲンを掠め、ファルクリースへ。指の腹が、まだ×のついていない街の名を、静かに撫でた。
無人の谷だ。ファルクリースの民は、森と死者にしか興味のない土地に暮らしている。だが土地は逃げられない。
シグヴァルドは身を起こし、卓から離れた。
壁に、一枚の肖像が掛かっている。厳めしい顔をした、熊のような肩幅の男。ウルフリック・ストームクローク。反乱を勝ち、帝国の軛からこの大地をもぎ取り、奪われた神の名を取り戻した男。祖父。——シグヴァルドが物心つく前に、すでに老いていた男でもある。
絵の中のウルフリックは、いつものように、こちらを見ていない。画工は彼を遠くの地平を睨む姿で描いた。永遠に、どこか彼方の敵を見据えている。孫の顔など、一度も見たことのない目だ。
「あんたなら、どうした」
呟いても、絵は答えない。当然だった。祖父は答えを遺す男ではなかった。ただ剣を執り、吠え、道を切り拓いて、その後始末は生き残った者に投げてよこす。取り戻したタロスの名も、帝国との消えぬ禍根も、まとめて孫の卓の上に。シグヴァルドは、肖像の睨む地平を、しばし自分も見てみようとした。そこに何があるのか、ついぞわからなかったが。
扉が叩かれた。
側近が数名、地図と伝令の紙を抱えて入ってくる。宮殿の空気は、朝からずっと張り詰めていた。戦うか、静観か。壁一枚を隔てた広間では、首長たちの声がいまも上下している。帝国は我らの敵だった。今なお、停戦の紙一枚で辛うじて刃を伏せているにすぎない。帝国が落ちるところを見たい、という声も、確かにあった。
シグヴァルドは、その波を静かに聞いていた。上に立つ者の癖で、彼は自分が最後に口を開く。
「奴らはどこへ向かった」
「領内南部を西へ。進路上には、ヘルゲン、そしてファルクリースが」部下の一人が答える。
「鳥は飛ばしたか」
「は。すでに」側近が続ける。「領民はホワイトラン、マルカルス方面へ避難を始めております」
「ご苦労」
短く労い、シグヴァルドはまた黙った。民が逃げ切れば、それでいいのか。逃がした先で、次はどうなる。この谷の家々が空になったあと、敵の穂先はどこを向く——
そのときだった。
声が、来た。
南東の空の彼方、世界の喉笛から、天を裂くほどのスゥームが放たれた。それが壁を貫き、石を貫き、シグヴァルドその人の胸を、まっすぐに通り抜けていった。言葉ではない。だが、意味は違わず届いた。彼の血の奥で、何か古いものが、応えるように熱を持った。
理由は、わからなかった。ただ、祖父の祖父のそのまた向こう、アトモーラの氷の記憶にまで遡る何かが、その声に静かに首を垂れた——気がした。
側近たちも、一様に天井を仰いでいた。
「聞こえましたか」一人が、掠れた声で問う。
シグヴァルドは、しばらく答えなかった。壁の肖像を、もう一度だけ見る。地平を睨む祖父の目。その先にあったものが、いま、帰ってきたのかもしれなかった。
「……ああ」
低く、確かに。
「我らの、神話が帰還した」
彼は一度、大きく息をついた。迷いの分だけ吸い込んで、覚悟の分だけ吐き出すように。そして振り返ったとき、その顔からはもう、地図を見下ろしていた勘定の色が消えていた。
「軍備を整えるよう、各首長に伝えろ。ホワイトラン近郊を集結地点とする」
指示が、風を得た帆のように部屋を走る。
「同胞団にも使いを出せ」シグヴァルドは付け加えた。「金なら向こうの言い値で出す。力を貸すよう、伝えておけ」
側近の一人が、紙をめくる手を止めた。
「……あの者たちは、金では動きませぬ」
「知っている」
「では」
「それでも、言い値と伝えろ」
側近は一礼して、書き取った。書き取りながら、その一行だけ、筆の速さが落ちた。
側近たちが動き出す。扉の向こうの波は、まだ止まない。戦うか、静観か——その問いに、王はまだ表向き、何も答えていない。ただ、軍だけは、静かに立ち上がり始めていた。
扉が、叩かれずに開いた。
入ってきたのは老人だった。先代の頃からこの城にいる。シグヴァルドに文字と数と、王の座り方を教えた男だ。
「集めて、どこへ向けられます」
シグヴァルドは、地図を見たままでいた。
「決めていない」
「決めずに、集められるのですか」
「そうだ」
老人は卓のそばまで来て、×の並びを上から下へ見た。見てから、指をファルクリースの上に置く。
「ここの民は、もう逃げております。逃がされたのは陛下です。焼けるのは木と墓だけでしょう」
指が、そのまま南へ滑る。地図の端。線の向こうは、もう別の国だった。
「その先は帝国です。私は、その国と戦う陛下しか存じません」
窓の桟が、風で鳴った。
「北の民を、何のために死なせます」
シグヴァルドは、答えなかった。
「お答えになれませんか」
「答えられん」
老人の口が、半分開いたまま止まった。用意してきた次の一言が、どれも使えなくなったらしい。
「それでも集める」
シグヴァルドは、そこで初めて、老人のほうを見た。
「順序が逆なのは、わかっている」
老人は、しばらく王を見ていた。やがて短く息を吐き、卓の上の羊皮紙の端を揃えてから、背を向ける。扉が閉まる音は、開いたときより小さかった。
執務の間を出るとき、シグヴァルドは肖像を振り返らなかった。祖父の目が、いまどこを見ているのか。それを確かめる必要は、もう無かったのかもしれない。