真菜が私服に着替えて戻ってくると、光は既にインプレッサにエンジンを掛けながら真菜を待ちかまえ。中津社長に見送られながら高崎を出発しては、秋名山方面へと車を走らせる。
渋川市
「光。本当、運転上手だよねぇ」
「当たり前だろ。運転免許取ったんだからこれくらい当然だし。もし下手くそだったりしたら、お前の親父さんにこっぴどく叱られるからな」
「それもそうね。光の運転もいいけど、パパの車って乗り心地が気持ち良いよね。なんか眠くなっちゃいそう」
「まあ、スバル車は水平対向エンジン(ボクサーエンジン)が積まれてるからな。お前がそ思うのも当然だ」
インプレッサは、スバル独自の水平対向エンジン(ボクサーエンジン)を搭載している。
直列型エンジンやV型エンジンに比べて、左右のピストンが水平方向に動き合い、互いの振動を打ち消しあう構造の為、安定した走りを実現する。
そのおかげで乗り心地が良く、独特の低く唸るようなボクサーサウンドを響かせながら、軽快に加速していく。
しかし、水平対向エンジンには、それなりの欠点もある。
「光、メーターのランプが点滅してるんだけど…それってどういう意味?」
「点滅…?げっ、ガソリンがもう切れかかってるじゃねぇか!!」
真菜に言われてすぐメーターを確認すると、先程まで余裕を見せた光の顔付きが慌ただしくなる。
「ちょっと!?どうして行く前にガソリン入れてこなかったのよ!!」
「仕方ねえだろ、ただでさえスバル車は燃費が悪く、チューニングしてる分、ガソリンを食っちまうからよ」
そう。水平対向エンジン(ボクサーエンジン)には燃費が悪いという大きな欠点があるのだ。
スポーツカーの中でも特にガソリンを食うことで有名で、チューニングを入れたインプレッサのような仕様になると、その消費は激しくなる。
その為、スバル車を好んで乗る人間は、金銭的に余裕があるか、燃費なんて気にしない走り屋気質の人間ばかりだと言われる所以だった。
「とにかくスタンドを探さないと…。この辺りで一番近いのは…」
「光、あそこにスタンドがあるよ。でも、もう閉店間近だから行って大丈夫かな?」
「本当か!?よし、そこでハイオク満タン入れてもらうぞ!!」
光はアクセルを深く踏み込み、インプレッサを飛ばしてスタンドに滑り込むと。丁度閉店準備をしていた中年の男性が顔を出した。
「お客さん。うちはもう閉めるところだったんですよ。急に来られると、困りますよ」
「す、すみません…!ガソリンがどうしても必要でしたんで、急いで来てしまいました」
光が深く頭を下げると、中年男性はため息をつきながら頬をポリポリと掻いた。
「ま、いっか。こんな時間に飛び込んで来るのは、文太もよくやるからな。とりあえずハイオク満タンで入れますから、車を横に移動して貰えますか?」
「本当ですか…ありがとうございます!」
光が礼を言うと、真菜も助手席から頭を下げ。
給油を終えると、中年男性こと立花祐一はインプレッサを眺めながら二人に尋ねる。
「ところで、お客さん。見たところ免許取って間もない様に見えますけど、今夜はどこへ行くつもりで?」
「あたし達、今から秋名山へ走りに行くところだったんです。この車はあたしのパパが貸してくれたんですよ」
「なるほどな…。インプレッサみたいな車は、君達には中々手に届かんからな。親が貸してくれたとなれば、乗れるのも頷けるよ」
「えへへ。あたしのパパ、高崎で車屋をやってまして、地元の走り屋達の間では結構有名なんですよ♪」
「そうか、走り屋達御用達の車屋か…。ん?さっきここの前を見たこともない車が数台、秋名に向かっていったな…」
「え…?」
「その車、どんな車種だったかわかります?」
「う〜ん…。俺が知る限りじゃ、先頭を白のFCとFDが走っていたのは覚えてるが、見たところ…他所から来たとみてまず、間違いないな」
「FCにFDって何のこと?」
「多分、新旧RX-7のことだろうな。その二台が揃って来るところからして、立花さんが見た走り屋は、赤城レッドサンズのことじゃないかな」
「赤城レッドサンズ?」
「ああ、レッドサンズっていうのは、前橋市にある赤城山をホームとする走り屋チームで、その殆どが実力者で固められた強豪って噂だ」
「その話なら俺も聞いたことがあるぞ。特にリーダー格を務める高橋兄弟はプロからも注目されてると、前に雑誌に載っていたな。ま、いくらインプレッサに乗ってるとはいえ、君達みたいな若者が、レッドサンズを相手に関わることは、おすすめできんぞ」
「そうですか…了解しました。じゃあ、真菜。ガソリンも一杯になったことだし、行こうか」
「うん。立花さん、急に来て本当にすみませんでした。また御礼を言いに来ますね」
「あぁ。気を付けて行くんだぞ」
「「ありがとうございました」」
光はガソリン代を支払い、インプレッサに乗り込むと、エンジンをかけ。ボクサーサウンドを響かせながら、秋名山へと走り出し。
スタンドに残った立花祐一は、去っていく青いインプレッサのテールランプを見つめながら小さく呟いた。
「…久々に血が騒いできたな。あのインプレッサ、見る限り、車に詳しい奴が弄ってた様に見えたんだが…そうか、あのインプレッサはあいつが用意した車か。ふっ、文太といいあいつも未だに現役でやってるな…。ちょっくら久々に電話でもしてみるとするか」
秋名山 麓
「待たせたな和樹」
「おっす、やっときたか。俺も今着いたところだ」
光と真菜はインプレッサに乗ってスタンドを出発し、渋川市の近くに位置する秋名山に着くや、赤い車の横にいた和樹と合流する。
「和樹。その車は何?」
「お、よくぞ聞いてくれたな真菜。こいつが昼休みに言ってたランエボだぜ!!」
「ら、ランエボ…?これがそうなの…」
「そ、正式には三菱 ランサーエボリューションⅥ GSR。WRCであのトミ・マキネンが優勝した時使ってたエボⅥなんだ!!」
「え、エボシックス…?」
三菱 ランサーエボリューションⅥ GSR
三菱がWRCで勝つために作り上げた車で、ボディサイズがワイド化して3ナンバーになっているが、その分空力性能と冷却機能がアップし、走りに磨きがかかった至極の一台だ。
「どうだ光、こいつならお前の乗ってきたインプレッサなんざ敵じゃないぜ!!真菜はこいつの凄さがわかるだろ?」
「え、えぇ…。なんとなくだけど…」
「和樹。一人で盛り上がってるところ悪いが、真菜は話についていけないからか混乱してるぞ」
「え?そうなの?」
光と和樹は車好きだからランエボについてわかるものの、真菜は車について知らない為、和樹の話についてこれないのは当たり前である。
「それよりも折角秋名山まで来たんだ。早速頂上まで車を走らせるか」
「いいね。じゃあどっちが先に頂上まで着くか競争しようじゃねぇか!!」
「ちょっと待って二人共。立花さんの話だと、ここに赤城レッドサンズってチームが来てるって言ってなかった?」
「え、マジなのか光!?あのレッドサンズがここへ来てるって言うのかよ!?」
「あぁ。来る前にちょっとスタンドに寄ったんだが、そこの店長の立花さんの話によるとレッドサンズが秋名に来てるって言ってたぞ」
「そうか。ヘヘっ…丁度いいや、俺の実力をあのレッドサンズに見せびらかしてやろうじゃねぇか」
「お前なぁ、レッドサンズはそこら辺の走り屋とは質が違ってプロからも注目される程の凄腕の集まりなんだぞ。実際レッドサンズは峠だけじゃなくサーキットやジムカーナもやってるって雑誌にも載ってたんだから、油断できない相手であることに変わりないんだぞ」
和樹が調子に乗っていたのを光が甘く見ないよう警告する。しかし、和樹はそれを全く意に求めず、ますます調子に乗る。
「心配すんなって!!俺はこう見えてカートじゃかなりの好成績を治めてきたんだ。それくらいの差なんざ、あっという間にひっくり返してやろうじゃんかよ!!」
「え?その話、本当なの?」
「あぁ、普段の和樹の姿しか見てない真菜には信じられないだろうが、こいつの言ってることは本当だ。和樹はカートレースの大会じゃ数多くの実績を残していてな。前にカートの世界大会が行われた際、俺と勝負をしたんだが。その腕はプロ顔負けであることは、俺が保証するよ」
そういう光もイギリスにいた頃はカートは勿論のこと、サーキットやジムカーナも経験しており、その実力は折り紙付きである。
「だったらさ。勝負を挑まない代わりに頂上がどうなっているかちょっとだけ見に行こうぜ」
「ったくこいつは…」
「いいじゃない光。和樹がああ言ってる以上聞く耳を持たないんだし。あたしもレッドサンズがどんな人達なのか気になるから、行きましょう」
「真菜もかよ…。仕方ない…見に行くのはいいが、あまりちょっかいを出すんじゃねぇぞ」
「「はーい」」
呑気に返事をする二人に光は呆れるも、二台はレッドサンズがいるという秋名山の頂上へと車を走らせるのであった。
トルルルル
「はい、藤原とうふ店…なんだお前か」
『やぁ久しぶりだね文太。元気にしてるか』
「俺は相変わらずだよ中津。一体どうしたんだ急に連絡なんかしてきやがって」
ここ渋川市の商店街にある藤原とうふ店の店主である藤原文太に電話を掛けてきたのは真菜の父親の中津だ。
文太は今でこそ豆腐屋の親父だが、昔は秋名で最速を誇った伝説の走り屋で、その腕は今でも健在であり。中津も数十年前までは『赤城の閃光』という異名が付けられる程有名な走り屋であったのだ。
そんな二人は未だにライバル関係ではあるものの、こうして話をする程仲がいいというわけでもある。
『はははっ。実はね文太。今晩お前のホームコースである秋名に僕の娘が友達と一緒に行っていてね。秋名に行くと聞いた時にお前を思い出しては電話したってわけなんだ』
「そういうことか。で、それがどうしたってんだよ」
文太はタバコを蒸しながら電話越しに中津に尋ねる。
『いや、ついさっき祐一から電話があって見覚えのあるハチロクを見たらしくてひょっとしたらお前なんじゃないかなと思ったんだ』
「あいつ、そんなこと言ってたのか…」
『で、実際はどうなんだ文太?』
「ついさっき祐一にも言ったんだが、それはおれじゃねえよ。今豆腐を秋名湖のホテルに卸しに行ってるのは俺じゃなくて息子の拓海がやってるんだよ」
『はっ?それってお前の一人息子である拓海君にか?』
「あぁ、そうだ」
中津は文太の息子である拓海とは関わりがないものの、祐一から自分の娘と同い年の息子がいることをあらかじめ聞いていた為、拓海のことは知っていたのだ。
『いつからやらせてるんだ文太?祐一の話だとハチロクは物凄いスピードを出していて、キレのいい走りをしていたと聞いたんだが、ひょっとしてカートかなんか習わせてたのか?』
「バカいえ、拓海にそれを習わせる程うちは金を持ってねえよ。あいつには5年前から秋名の峠を走らせているから今もバリバリで走っているぞ」
『あぁ、なるほど。5年前から車を走らせてたから、上手くなったのか…って、
実の息子に何をやらせてるんだ、お前は!!』
中津は拓海がどうして父のような走りができるか話を聞いて納得するが、聞いてすぐさま声を荒げながら文太に怒鳴る。
『大体、子供に無免許運転させるなんてことがバレたら、お前だって只で済まないんだぞ!!』
「けっ、バレはしねえよ。田舎だし夜遅くだからな。それに今はもう免許を取らせてるから時効だ」
『はぁ…。あの時からとんでもない奴だとは思ってたけど…。ここまで来ると最早クレイジーとしか言いようがないよ、お前も…』
秋名山 頂上 旧料金所跡
秋名の頂上に着いた三人の前には、レッドサンズの車が数台停まっては、反対側の駐車場に車を停めている秋名の走り屋達と話をし。それを目撃した三人は、車を両チームから離れたとこに停めては、様子を見る。
「ねぇ、レッドサンズは向こうにいる走り屋達と話をしているみたいだけど、何を話してるのかしら?」
「あれはどう見たって、レッドサンズがここをホームコースにしてる走り屋のチームに挑戦状を叩きつけてるようにしか見えないがな」
「挑戦状?」
「レッドサンズは高橋兄弟を筆頭に関東全域を回ってコースレコードを更新する計画を考えてるって前に社長から聞いたことがあるんだ。ああやって、地元のチームを相手にバトルを申し込んで、そこの記録を塗り変えるって言ってたぞ」
「へぇ〜レッドサンズはそこら中をただ走り回っているだけかと思ってたんだけど、めちゃくちゃ格好いい目標を持ってるじゃない」
「俺でも達成できそうにねぇ野望を持ってるなんざ、憧れてしまいそうだぜ」
「おい、静かにしろよ。ったく、折角秋名を走りにきたのに今がああなっているなら、ここを走るのは控えておくべきかもな」
『おーい、そこの君達!すまないけどちょっとこっちに来てもらっていいか?』
光がどうしようかと考えている矢先、三人の存在に気付いたのかレッドサンズのメンバーの一人が光達に声を掛けてきた。
「ちっ、バレてしまったか。仕方ない…行くとするか」
「おおっーいよいよレッドサンズとの対面か、燃えてきたぜ!!」
和樹が横で騒ぐが光はそれを無視し、車をそこに置いては、レッドサンズのメンバー達の前に近づく。
「来てもらって済まないね。俺達は赤城レッドサンズっていうチームなんだが、今晩ここを走ることになってな。もし良かったら君達も俺達レッドサンズと向こうの秋名スピードスターズと一緒に秋名を走ってみないか?」
「どうする光?」
「そうですね。俺達も今晩ここを走る予定でしたから別に構いませんよ」
「おっしゃあ!!レッドサンズの走りがどれだけのもんか早速見させて貰おうじゃんかよ!!」
「はぁ…お前って奴は、少しくらい相手の力量を見極めたらどうなんだ、このバカが」
「おい、今俺のことをバカって言ったよな!!どういうわけか詳しく聞かせろやコラァ!!」
「まぁまぁ落ち着きなよ。君達がどれだけの腕を持ってるのか知らないが、早速走らせてみようじゃないか」
そう言ってレッドサンズとスピードスターズが車を出して、秋名の峠を攻めて行き、それに続くかの如く二人も車を出すことに。
「で、どうする和樹?」
「決まってるだろ。レッドサンズの連中を後ろからブチ抜いてやるだけさ。何せ俺は最初からそのつもりでここに来たんだからな」
「ほぅ〜そこまで言うのなら俺と勝負でもするか?」
「勿論受けて立つに決まってるだろ。で、勝負内容はどうするんだ?」
「ルールは至って単純だ。俺と和樹が同時に発進して先に麓に着いた方が勝ちっていうルールだ」
「おぉ〜。勝負内容としちゃあ、とてもシンプルじゃねぇか、よし乗った!!」
「ただし、対向車が来ると分かれば、ハザードを点灯して勝負は一時中断。一般車が通った後、安全かどうか確認をしてから勝負を再開すること。それだけは絶対に守っておけよな」
「そうよね。いくら峠を走るとは行ってもここは公道だから、一般の車に迷惑を掛けないよう交通ルールはキチンと守っておかないとね」
「んなもん言われなくても分かってるよ。じゃあ真菜、カウント宜しく頼むぜ!!」
「え?カウントってどうしたらいいの?」
「真菜は駐車場の真ん中に立っててカウントを数えてくれないか。それでゼロになったら手を思いっきり振るんだ」
「わかったわ。じゃあ二人共、車を前に出して頂戴」
「おう!!」
「了解」
インプレッサとランエボをスタートラインに並べ、先に走っているであろうレッドサンズとスピードスターズを相手に勝負を行おうとする。
「それじゃあ行くよ。カウント10秒前!!」
真菜がカウントを数えていき、その間に光と和樹はエンジンを蒸していく。
「しゃあ。いよいよ公道デビューと行こうじゃんよ!!」
「俺は前に赤城で走ってたからいいけど、事故を起こすんじゃねぇぞ」
「5秒前。4…3…2…1…0。二人共いってらっしゃ~い」
カウントがゼロに切られるや、真菜は手を思いっきり振り下ろし。それと同時に二人は車を発進させ、秋名の峠を攻め始めるのであった。
「…ってちょっとぉ!なにあたし一人だけ置いて走っちゃてるのよぉぉぉぉ!!」
二台が発進した直後、真菜は自分一人だけ秋名の頂上に置いてかれたと知るや、眼の前を走り去って行った二人に大声で叫ぶのだった。