拓海とイツキがバイトするガソリンスタンドに紺色の車がやって来ると、スタンドの経営者である祐一に声を掛ける。
「やぁ祐一。久しぶりだね」
「おぉ中津か。どういう風の吹き回しだ?お前さんがうちのスタンドに来るなんざ珍しいじゃねぇか」
スタンドに来たのは真菜の父親である中津で。中津は久しぶりにあった祐一に来た理由を語る。
「何っ、ガソリンを入れてもらうついでに、お礼を言いに来たんだよ。この前、うちの娘とその友達である光君がお世話になったからね」
「お前の娘だぁ…?。そうか、前にあの娘から父親が高崎で車屋をしてるって聞いたときはもしやと思ったんだが、まさかお前さんの娘だったとは…」
「はははっ。真菜は自分の事を包み隠さず誰にも話してしまう子だからね。僕に似ず妻に似てしまったよ」
「そういうことか、お前さんも元気そうで何よりだな。っとそうだった、ガソリン入れに来たって言ってたが、今乗っているそいつが、お前の愛車なのか?」
「そうだよ。今乗ってるレガシィが僕の愛車さ。前に真菜達が乗っていたインプレッサと比べたら車重は重いけど、走りが良くて気持ちいいから今の僕にはこれくらいが丁度いいんだ」
スバル レガシィ RS(BC5)
スバルが誇るフラッグシップ機であるが、WRCにおいて僅か一勝しかせず、途中インプレッサにその座を譲ってしまうもその走りは健在で、スバリストからは根強い人気を誇る車である。
「OK。じゃあ今から入れてやるからちょっと待ってろよな」
「あぁ頼んだよ祐一。ハイオク満タンでよろしく」
レガシィにガソリンを入れてもらい、給油が終わるのを待っている間、すぐ近くにいた拓海達がドリフトについて話をしていたのを耳にした中津は拓海達の話に耳を傾ける。
「なぁなぁ拓海。お前ドリフトってどういうことか知ってるか?日本中の走り屋が大好きな用語だぞ」
「それぐらい俺だって知ってるよ」
「じゃ言ってみろよ」
「それは…えーとカーブで」
「カーブって言うなーダセーから…走り屋はコーナーって言うんだ」
「あっそ。だからそのコーナーでさ…内側にコーナーが行き過ぎないように前のタイヤを外に流すんだろ…こうやって…」
「「はああ?」」
「(ほぉ。そう来たか…)」
祐一がレガシィにガソリンを給油する横で、中津は拓海が言うドリフトの意味がわかったのか、関心を示す。しかし、それを聞いた池谷とイツキはというと、
「「だーはっはっはっはっはっ」」
「勘弁してくれよ拓海」
「前輪が流れるのはそりゃアンダーっていって一番カッコ悪い下手くその代表だよ」
二人は笑い転げながら拓海を馬鹿にしていたのだった。
「ドリフトってのは
池谷が拓海にドリフトについて偉そうに語るも、それを近くで聞いていた中津は呆れ返る。
「(池谷君って言ったかな、ドリフトのことを分かってないのは君の方さ。ドリフト中のマシンてのは基本的にアンダーステアだからね。それに、さっき拓海君が言ったのは4輪ドリフトをマスターしていないと答えられない高度な回答なんだよ」
そう中津が呟いている途中。スタンドに激しいエンジン音を響かせ、派手なリアウィングをつけた車が来店すると、拓海が応対する。
「いらっしゃいませ」
「ハイオク満タンだ…」
店に入ってきたのはレッドサンズの高橋啓介で。拓海と池谷はそれに気付くも、客として振る舞う。
「随分熱心ですねお客さん…」
「んっ」
啓介は車に給油してもらっている途中、スタンドの端に止めてあるS13を見ては池谷に聞く。
「どっかで見たようなS13だと思ったら…。スピードスターズの…」
啓介の言うことを無視して懸命にFDの窓を拭いていく池谷だが、啓介はあることを聞く。
「ひとつ…聞いてもいいかな…。あんたなら多分知ってるだろ…」
「?」
「秋名山には幽霊が出るんだろう?」
「(ん…幽霊?彼は一体何を言って…)」
「鬼みてぇに馬鹿っぱやいハチロクの幽霊さ…」
「からかうのはやめてくれませんかねお客さん」
「(あぁ、そういうことか。確かにあれは普通のハチロクとは言えないしね)」
中津は啓介の言うハチロクが文太の車だと理解して再び耳を傾けると。啓介はその幽霊とやらについて、話を続ける。
「幽霊ってのは冗談だけどな白黒のパンダトレノだ。見た目は普通のハチロクだけど中身は多分途方もないモンスターだろ。地元が知らねー筈がねぇぜあれだけの車を…」
「何言ってたんだ…!?」
池谷は啓介の言ってることに驚くも未だに半信半疑になる。
「ばっくれやがって…まぁいいさ。土曜日の交流戦の秘密兵器のつもりならこっちも望むところだぜ!!あのハチロクのドライバーに伝えておけ…。この前負けたのはコースに対する熟練度の差と俺の油断だ。俺は同じ相手に二度負けねぇってな」
「!?」
啓介は池谷に宣戦布告するかのようにハチロクを連れてこいとでも言うが、池谷は困惑する一方で。
ガソリンを入れ終えたFDのエンジンを始動し、ロータリーエンジンを響かせながらスタンドを走り去る。
「ありがとうございましたー」
拓海が過ぎ去っていく啓介に頭を下げて見送った後。池谷は啓介が言ったことが余程信じられなかったか、その場で呆然とする。
「(高橋啓介が一度負けただぁ…!?何のことだ…そんなハチロク知らないぞォ、俺だって)」
「(……)」
「(まさか…。だけど拓海ん家のハチロクも確かパンダトレノだ……!!店長の言ってたことは眉唾じゃないってのか…。今でも下り最速のハチロクは
池谷は前に祐一が言っていたことを思い出し、例のハチロクが本当にあるのかと信じられない気持ちになるのだった。
「なぁ拓海…。池谷先輩とレッドサンズのFD。何か話してたろ?何話してたか聞いてたか?」
「さぁなー…俺も聞いてなかったよ」
拓海はイツキからの質問に素っ気なく返し、仕事に戻るも、今の話を聞いていた中津は拓海に関心を示す。
「(ほぅ…拓海君がFDを打ち負かす程の実力を持っていたとは…文太の奴、彼を一体どこまで鍛え上げるつもりなんだ…。まぁこのことは彼らが自分で気付くまで黙っておくとするか)」
「おい中津、いつまでいる気なんだよ。ガソリンはとっくに入れ終わったぞ」
「へ?あぁ、すまなかったね祐一。じゃあ、また今度来る時があれば、やっかいになるよ」
「おう、また来いよな」
中津は祐一に見送られるやレガシィのエンジンを掛け、は啓介に続くようにスタンドを走り去っていくのだった。
秋名山
「(ダメだ…。こんな恐ろしい思いをしてもタイムはちっとも縮まってない。俺は今までアクセルさえ開ければタイムは縮まると思ってたけどそんな甘いもんじゃない…。俺達は今までこんなトライをしたことがなかったからな…)」
この日の夜。池谷はストップウォッチを片手に一人で秋名をギリギリまで攻め込んでタイムを縮めようとするが、その記録は一向に変わりはせず。時間と走った分のガソリンを無駄にするしかなかった。
「(レッドサンズや光達はモータースポーツの経験者だからタイムの削り方をよく知っている…。このままじゃとても太刀打ちできねぇ…。俺のテクニックなんてこの程度だったのか…!!)」
池谷は自分の無力さに悔しがるも、この場には池谷に寄り添う人がおらず。池谷は秋名の峠で嘆く他なかった。
藤原豆腐店
ピピピピピ カチッ
「……」
早朝の3時過ぎ。目を覚ました拓海は顔を洗って服を着替え、豆腐が積まれたハチロクに乗り込む。
「うし、今日の水はこんなもんか…」
父である文太が紙コップに適量の水を入れてそれを拓海に渡し、ハチロクの缶ホルダーに入れる。
「いいか、こぼすんじゃねぇぞ」
「わかってるよ」
拓海はハチロクのエンジンを掛け、リトラクタブル・ヘッドライトを点灯させ、豆腐の配達をするのに秋名のホテル街へと向かい車を走らせる。峠を上ってゆく途中で紙コップの水を見ながら零さないように気を使い、秋名の峠を走り続けていくのだった。
「考えたね文太。水の入った紙コップを使って走らさせるなんて、いいアイディアじゃないか」
その様子を店の近くで停まっていた車がハチロクとすれ違い。ハチロクが走って行くのを確認したある人物が、店の中に入ろうとした文太に声をかける。
「あ?なんだお前かよ…。こんな朝早くからうちに来るなんざ、一体何の用があって来たんだ?」
店の側で文太が拓海に水の入った紙コップを渡すところを見ていた中津は拓海が乗ったハチロクを見送った後、文太に近付くと。店に来た理由を話す。
「昨日の昼、レッドサンズっていう赤城のチームのFDが祐一の経営するスタンドに来てね。前に秋名でお前のハチロクに抜かれたと言っていたから、拓海君にどういう鍛え方をさせたのか気になってちょっと見させてもらったんだ」
「けっ、あれを見ただけでわかる奴なんざお前か祐一ぐらいしかいねぇしな。で、ここに来た理由はそれだけか?」
「そんなわけないだろ。ついさっきホテルに豆腐を持っていったってことは作り立ての豆腐が店にあるんだろ?それを買いに来たんだよ」
「あ、そう。なら好きなだけ持っていけよ。どうせ、うちの豆腐はそんな美味くねぇからな…」
「おいおい。今の発言はお前んとこの豆腐を買ってくれている方々に失礼じゃないか」
互いに愚痴を溢し合って談話をする二人ではあったが。中津は文太の店で豆腐を買っては高崎へと戻り、拓海が豆腐を卸し終えて下ってきた時の時間帯は4時過ぎとなっており、既に朝日が昇り始めるのだった。
「よぉ光。相変わらず不躾な顔をしてるなお前は」
「悪かったな。この顔付きは生まれつきなんだよ」
その日の朝。学校に登校する光は、教室の前にて和樹から無礼な挨拶をかけられ、不機嫌そうにする。
「そういやそうだったな。で話は変わるけどよ、今度の土曜日に秋名で行われる交流戦。お前はどうするつもりなんだ?」
「どうもこうもねぇよ。あの高橋啓介から絶対に来いって言われた以上行かないわけにもいかんしな」
「へっ?なんで高橋啓介がお前にそんなことを言ったんだ…?」
「この前、真菜と一緒に秋名に寄った際高橋啓介とバトルしてな。結果は引き分けに終わったが、その後、今度の交流戦に来るように釘を刺されたんだよ」
「マジか!?あの高橋啓介からそんな事言われるなんざお前、相当期待されてるみたいじゃねぇか!くぅ〜俺にとって永遠のライバルである筈のお前が、地元で有名な走り屋に羨認められるなんざ、羨ましくて性がねぇぜ…!」
和樹はやけに興奮して光を羨ましがるが、光に至ってはあまり乗り気でなく。厄介事に巻き込まれたと思うばかりだった。
「で、どうなんだ、今の心境は?」
「そうだな…、俺としても、この間のバトルはまだ、走りたりなかったが、今は目の前のことに集中するだけだし、交流戦に関してもその時に考えるよ」
「っしゃあ、今度の土曜日が待ち遠しく思うぜ。あー俺も早く秋名でランエボを走らせたいぜ全くー!」
「(こいつ、この前秋名であれだけのことをしたくせに全然懲りてないみたいだな)」
「おはよう光、和樹…」
「お、どうしたんだ真菜。朝から元気がねぇぞ。何かあったのか…?」
いつもは元気そうな顔を見せる真菜がどういうわけか、げんなりとしており、顔がどんよりとしている。
「今朝早くからパパが豆腐を沢山買ってきてね。それを今週の間に全部食べないといけないくて、朝から晩まで豆腐尽くしでうんざりしてたとこよ」
「(豆腐?あの人がこのタイミングで豆腐を買うとするなら、拓海ん家の豆腐屋に行った以外に思い当たらんが)」
真菜の父親が豆腐を買ったと聞いた光は、拓海の実家の藤原とうふ店に行ったのではないかと予想するも、その目的が何なのか、この時の光は気づかないのだった。
「いらっしゃい」
文太が営んでいる藤原豆腐店に一人の男がやってきた。
「(この人が秋名下り最速のハチロク乗り…。あの高橋啓介のFD-3Sをちぎるほどの走り屋か…!!)」
やってきたのはスピードスターズのリーダーである池谷で、文太の元へ尋ねたのも、今度の交流戦に出てくれないか頼みに来たからだ。
「…何にします?お客さん」
「あ…あの、えーと…厚揚げ…下さい(何やってんだ俺は…)」
本心とは真逆に厚揚げを注文する池谷であったが、注文して直ぐ様用件を文太に伝え始めるのだった。
「あの…俺池谷っていう者ですけど…。秋名スピードスターズっていう走り屋のチームやってます!!」
「……」
「俺、実はある人から変わった噂を聞いて来たんだけど…それはどんな噂かっていうと…秋名の下りで一番速いのはハチロクに乗ってる豆腐屋の親父だって言うんです!!」
「…どこの誰が言った噂か知らねーけど…。俺じゃねぇなそれは…」
「しらばっくれないでもらいたいな…。群馬中探したってハチロクで配達する豆腐屋なんて…他には絶対ない!!」
池谷は一向に引き下がらず文太に食いつくも。文太は呆れざまに厚揚げの入った袋を渡す。
「オイオイ…お客さん。それがもし俺のことだとしたらどうだって言うんだい?まさか秋名最速を賭けて勝負してくれなんて言わねーでくれよな…。ほい、140円だよ」
池谷は厚揚げの料金を渡しては厚揚げの入った袋を貰い、話を続ける。
「いや…そんなつもりはないんですけど、ちょっと込み入った事情があって…俺の話を聞いてもらえませんか?」
「困るんだよなー仕事中だからさー」
「ヒマそうじゃないですか、客いないし…」
「失礼だなあんた…言いにくいことズバっと…」
「すいません。ちょっと俺も必死なもんで」
「そこまで言うなら話ぐらい聞いてもいいけど…」
そこから池谷が地元の秋名山に赤城レッドサンズが来ては交流戦をすることになったことを説明し、池谷の話を聞き終えた文太はタバコを口に咥えた状態で口を開く。
「なるほどなァ…。昔から赤城の走り屋はうまい奴が多かったなーそういや。何せあいつが走ってたくらいだ。あんたの気持ちはわからんでもねーがその話は断るぜ。今更俺みたいな親父が出張っても場違いってもんだろ…。それはお前ら、若いもん同士でどうにかしなきゃいけねぇー問題だぜ」
「なら…せめて俺に秋名の下りの攻め方を教えてくれませんか?」
池谷は前に光から同じ様な事を言われたのを思い出し、歯軋りするも、出てくれないならば自分に走りを教えてくれないかと文太に頼む。しかし、
「せっかくだが…それも無理な注文だな。ドラテクってのはたった2、3日でどうにかなるようなもんじゃねーんだ。どうすれば思い通りに車が動いてくれるのかを…トコトン考えてはトコトン走り込むしかない。俺なんざ現役で走ってる頃は夢の中でさえも秋名を攻めてたぜ。寝ても覚めても考えることといえば走りのことだけだったよ。それでちょっとでも思いつくことがあれば夜中でも布団から飛び出して峠で試しに行くんだ。常識では考えられないような素っ頓狂なことも試したな。10個思いついたアイデアの内9つは使いものにならなかったが、それでも懲りずに走り続けたよ」
文太の言っていることは自分の生き様を示しており、それを聞いていく池谷は口を紡ぐ他なかった。
「
池谷は店を後にしようとするが踵を返し文太に言う。
「俺は諦めてませんよ藤原さん。また来ると思います。俺は秋名で育った走り屋だから…。レッドサンズが秋名の走り屋全部をバカにしてるのが見え見えでそれが一番ムカつくんですよ。秋名にだって本当に実力のある走り屋はいるってことをあいつらに見せつけたいだけなんだ」
「……」
「あんたならそれができる…。赤城最速の高橋兄弟を一度負かしてるんですからね…」
池谷はそう言い残して自身の車へと戻り、その場で立つ文太はおでこを掻きながら呟く。
「やれやれ…ホントに俺じゃねぇんだけどな…。池谷とかいったけな…。嫌いじゃねーな、ああいう奴は…」
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