「行きますよ、コハル…大丈夫ですか?」
「…スゥーーーー…ぅん…うん…」
先ずはコハルを外へ連れ出さねば。
と言っても、愚直に炎を抜けて正面出入り口から脱出する必要はなし。
幸いここは、窓際のテーブル席なのだから。
「ふっ!」
爆風で粉々になっていた窓ガラスに身を投げ出し、直接外へ脱出します。
爆散したガラス片から離れた位置まで移動し、胸に抱いたコハルをゆっくりと下ろします。
「怪我は無いですね?では、手筈通り連絡をお願いします」
「ぅ、うん、ありがとうルーシー…ま、待ってよ、何処に行くのルーシー?そっちは燃えて…」
踵を返してコハルに背を向ける私。
そんな私の腕を、彼女は掴んで離しません。
心配、困惑、思慮、様々な物が含蓄されたその瞳、心が揺らいでも、私の決意は変わりません。
「厨房に人がいるかも知れません、動けない状態なら、助けなくては」
「ダメ…ダメだってルーシー!危ないわよ!救護騎士団に任せた方が…」
少しだけ、コハルの握力が強まります。
絶対に行かせたくない、そんな思いがありありと現れた行動。
しかし、私には立ち止まる選択肢はないのです。
こんな言い方しか出来ない不器用な私を、許して下さい。
「…コハル、行かせてください、出来る事をしなくては」
「ルーシーを…ルーシーをあんな風に言った奴らじゃない!?…なんで…なんで…!」
私を射抜くコハルの瞳が、炎の煌めきに反射してゆらゆらと光を灯します。
大粒の涙が彼女の頬を伝って初めて、泣いているのだと気付きました。
しかし、言葉はそれ以上続きません。
コハルは詰まった言葉を嚥下する様に、噛み締める様に口を閉じ、瞼を下ろします。
目から溢れた涙は玉となっていくつも地面へ滴り、彼女はポツリと呟きました。
「…分かってるわよ…!ルーシーは優しいもん…!」
「…コハ、ル」
コハルの握る力が、徐々に弱まり、私の腕から滑り落ちてきいます。
名残惜しそうに、指先だけで触れる彼女。
「…どうせ、私も行くって言っても、連れてってくれないでしょ」
「…危険です、ですから——」
「分かってる、だからルーシー」
彼女は、私を見上げて、私の目を見て、言います。
「お願い、無事に帰ってきて」
「…言われずとも、そのつもりですとも」
なんて、真っ直ぐな瞳。
彼女にここまでの心配をさせてしまっている自分に負い目を感じ、直ぐに私は目を逸らしてしまいました。
そのまま、彼女に背を向け、私は炎吹き出す店の中へと走り出します。
さぁ、彼女にここまで言わせたのです。
男ならば、有言実行。
いざ鎌倉。
◆◆
「…っ!」
店の中へ突入したは良いものの、やはり煙と炎の勢いが凄まじい。
黒煙と延焼が至る所に広がり、高級な家具は黒い煤に覆われ、内観はオレンジ色の炎が反射してテラテラと濡れている。
この延焼速度から察するに、これは油火災。
それも台所が出火原因の爆発ではなく、爆薬とガソリンが使用された放火だと断定出来ます。
火災で真に恐ろしいのは、煙。
炎程度なら何とでもなりますが、黒煙を吸い込んで生じる中毒はどうにも出来ません。
なればこそ、迅速に助けなければ。
「…すぅ…っ」
煙を吸い込まない様に短く息を吸い、そのまま呼吸を止めます。
無呼吸でも、五分間の全力運動は難なく可能。
そう、五分、その間に全てを終わらせましょう。
「…っ!!」
確認するべき場所は、火の勢いの強い厨房近く。
私達以外に店外へ脱出した人は居ないことから、少なくともウェイトレスと店長の二人がまだ店の中に居る事は確定、加えて未だ避難していない様子を見るに、現在動けない状態にあると推察出来ます。
恐らく、厨房からの爆発の直撃を受け、昏倒してしまったのではないでしょうか?
あくまで仮説。
最悪に近い考察ですが、考慮に入れて動かねば。
「…ぐう…」
…熱い、加えて視界も悪い。
倒壊も時間の問題、慎重に行くのは猶予が足りない。
仕方が無い、方針は決まりました。
真っ直ぐ直進、炎を恐れず進みます。
通路や扉は無視、火災で脆くなっている事もあり、真っ直ぐ全てを蹴散らして進みます。
「…づぅ…!…」
途中、焼け落ちた照明が頭部に直撃し、続いて衣服にベタついた何かが染み込みました。
天井から降ってくるには些か場違いな感触、疑問を抱くのも束の間、瞬時に爆発的な燃焼を起こし、私は上半身の服を脱ぎ捨てました。
今のは…剥がれた塗料の類…いや、ガソリンに近い…?
これは…この店の至る所に可燃性の液体が配置されている…?
一体、誰が…
いや、違う、そんなことを気にしている場合ではありません。
厨房は最早目の前 辛うじて視認出来ている扉は、恐らく満足に開かない、壁をぶち破って侵入します。
「…ぅぐぅ…!?」
壁を破壊し、中に突入した瞬間、吹き飛ばされる様な爆炎が私を襲いました。
反射的に身を伏せ、炎から逃れますが…一体何が…いや、そうか、厨房の中は燃え続け、酸素が不足し始めていた。
そこで私が壁を突き破り、充分な酸素を供給してしまった事で爆発的な燃焼を引き起こしてしまった…?
これは知識だけの素人が突入した報いでしょうか…
幸い火傷を負ったのみ、大した支障はありません。
頭上を炎が駆け回る中、厨房をぐるりと見回すと…居た!!!
地面に倒れ伏す二人の姿。
半密閉された部屋で、炎に焼かれながら、一、二分…短時間でもどんな症状が残るかも分かりませんが、不味いという事だけは確か。
倒れているおかげで煙の吸入は最小限と思いたいですが…
「…失礼」
後は、私が通った道を最速で戻るだけ。
二人を両脇に抱え、元来た道を真っ直ぐ進みます。
視界が悪くとも問題無し、私が破壊した道筋が足元に浮かんでいます。
10秒も掛からぬうちに、私達は店の外へと脱出出来ました。
「っふぅ!!ッスーーー…フーーー…!!」
止め続けた呼吸を思い切り稼働し、新鮮な空気を山ほど肺に送ります。
地べたに下ろしてしまうのは気が引けますが、脇に抱えた二人をゆっくりと下ろし、その状態を確認しながら、私も息を整えます。
ふむ、大事には至っていない、至る所が煤けていますが、呼気はあり、脈も止まっていない。
瞬間、背後から大木が折れる様な軋み音が響きました。
「…なんと…」
振り返ると、そこには一階部分が丸ごと潰れ始め、倒壊を始める店の姿が。
炎の勢いに耐えきれなくなったのでしょう、どうやらギリギリで間に合った様です。
「ッルーシー!!大丈夫!?」
「フフ、なんとか」
「何が『なんとか』よ!絶対無事に帰ってきてって言ったのに…!こんな…!!」
十人二十人と増えてきた野次馬を押し退けて、コハルが私の目の前に飛び込みます。
ペタペタと遠慮がちに私の肌に触れ…あぁ、そう言えば、上の服はあの店の中で脱ぎ捨てたのでした。
今の私は上裸、恥ずかしい限りです。
「…!!」
瞬間、全身の血の気が引く感覚がしました。
…私の、帽子、は。
恐怖、悪寒、心配、濁流が心を支配し、生唾を飲み込みます。
恐る恐る頭に手をやると———
「…っ…ふぅ…」
いつものツバ、しっかりとした生地の感触。
ある、ある、ある。
破損していない、取れていない、ちゃんと隠せている。
あぁ、心底、安堵します、特別丈夫に作って頂いた甲斐がありました。
こうなると、上裸の帽子男は奇怪な見た目になってしまいますね。
平静を取り戻した私は、軽く自分の体の確認をしました。
肌は黒く煤け、所々に火傷が走っている、自慢の銀髪は痛んでいますね。
『無事に帰ってきて』と言われたのに、この有様では合わせる顔もありません。
しかし、胸に少しの衝撃が。
すぐ真下に視界を下げると、彼女のピンクの髪とベレー帽かありました。
彼女は服が煤で汚れるのを厭わずに、私の胸に顔を埋めていたのです。
炎よりも断然熱い、彼女の涙が私の胸に流れ落ちます。
「…ほんとに、良かった…!帰ってきて…!!」
「…すみません、コハル、心配させました」
「…すぐ病院に行かせるから、そこの二人も合わせて」
「えぇ、彼女の言う通り、貴方達三人共救護します」
…おや?なんだか違和感。
視線を上げると、目の前に美しい碧眼が。
「うわぉ!な、何者ですか!?」
「失礼、私は救護騎士団団長、青森ミネと申します」
赤十字のナースキャップに騎士の如き出で立ち。
目の前には、あの噂に名高い救護騎士団団長、青森ミネ先輩が居たのです。
肌に感じるのはツルギ先輩とはまた別種の覇気、瞳の強い光が眩しい。
「偶然近くに駐在していたため、先んじて参りました、しかし———」
ミネ先輩が話す途中、気付かぬ内にコハルが私からスススと離れていきます。
はて、顔を赤くしてどうしたと言うのでしょうか。
私としてはもっと側に居てもらっても構わないのですが…
ハッ、もしかして汗臭かったでしょうか…
「私では一足間に合わなかったご様子、緊急時の救護、貴殿への多大な協力として深く感謝の意を表します」
「いえ、その様に頭を下げる必要は…」
直角90度、その姿はもはや敬礼に近い。
私には恐れ多い、頭を上げて頂きたいと声を上げる寸前、ぐんと彼女の頭が上がります。
目の前に飛び込むエメラルドの瞳、そこには目を丸くした私の姿が。
「しかし、火災の危険性を軽視し過ぎです、その様子では何の装備も無しに火に飛び込んだのでしょう、火への恐怖を乗り越え、彼女らを救った貴方に敬意を表するとしても、その行動は蛮勇と断じるに些かの憂慮もありません、そこで貴方には救護騎士団への入団を薦めます、貴方には救護の意思を感じる、必要な知識を携えれば、きっと多くの人々を救護出来ます」
「お、おぉ…?」
徐々に熱を帯びるミネ先輩の固い言葉の数々。
息継ぎの間も無く繰り出されるそれは、まるで本題に早く入ろうと急いでいるかの様でした。
その本題と言わんばかりに、彼女の言葉の中で、『入団を薦めます』と言う単語が強く強調されます。
もう一度ミネ先輩の目を見ると…
うぅ、有無を言わせぬ眼光、絶対に逃したくないと言う意思を感じます。
う、うーむ、私如きに…
とても嬉しいですが、同時に恐れ多い。
そう戸惑う中で、誰かが私の腕を掴んで前に躍り出ました。
「だっ、だめっ!!ルーシーは、私と一緒でっ、正実の部員なんだからっ!!」
徐々に距離をとっていたはずの、コハルです。
シャーと威嚇するかの様に吠えて数秒。
ミネ先輩は目を丸くし、次いで少しばかり耳を赤くして口元を隠します。
「…重ねて失礼、少々興奮してしまいました、間もなく救急車が到着します、こちらの二人とともに、病院で然るべき処置を受けさせて頂きます…私も付き添いたいところですが、別の救護を求める方の元へ向かいます…もし前向きに考えて頂けるなら、本部までお越しください、では」
「え、ええ…熟考させて頂きます」
踵を返して走り去っていくミネ先輩。
台風一過、まさに嵐のような方でしたね…
正実に入部する前ならば、確実に救護騎士団に籍を置いていた、そんな思いすらあります。
それ程までに、彼女の期待の圧力は高かった。
承認欲求とでも言いましょうか、この身を求められることに悪い気はしません。
そんな私の考えを見越してか、コハルが私の服をぎゅうと引っ張ります。
「ね、ねえ…ルーシーは救護騎士団に行かないよね…?」
「…勿論ですとも」
「ほんとよね!?約束だからねっ!?」
強引に絡められる私とコハルの小指。
かすかに近付く救急車のサイレンをBGMに、私達の約束は相成ります。
『正実で一緒に活動する』、と。
ええ、辞めなどしませんよ。
安心してくださいコハル、約束などしなくとも、私達は一緒ですから。
それでも足りなければ、この『指切りげんまん』に誓いましょう。
◆◆
「報告します、本日ゲヘナ学園所属、黒館ハルナが市街地に侵入し、飲食店を爆破した件について、犯人は逃走中、正義実現委員会が行方を追っていますが、まもなくトリニティとゲヘナとの境界線に逃げ込まれるとの予測です」
「…面倒ですね」
華々しい庭園。
優美なティーセット。
三つのうち一つが埋まった椅子。
扉の前で頭を下げる生徒。
少女とは思えない極まった所作、最早そこはただのお茶会とは呼べず、形式ばった会議に近しい重々しさを纏っていた。
ティーパーティホスト。
それが信任して間も無い彼女に課せられた肩書きであり、早々に遅刻を犯しただらしない者と、体が弱く病院で床に臥せる者の代わりに押し付けられた称号である。
「エデン条約の構想が固まってきたこのタイミングで…まったくゲヘナは…ミカも早く来ると良いのですが…まずは店への補填について詰めておくとしましょう」
紅茶を口に運びながら眉間を揉むのは、当代フィリウス分派の長、桐藤ナギサ。
「もう一点、報告書が御座います、お納め下さい、例の生徒についての調査書に御座います」
「えぇ、ありがとうございます、退出して頂いて結構」
ホストへの報告役を担う彼女は、決して薄くない封筒を恭しく献上すると、これまた極まった所作で優雅に扉の向こう側へと消えていった。
そして残ったのは、優美な刺繍を誂えた封蝋を切るナギサ一人。
「…ふむ」
紅茶片手に、十数枚に及ぶ報告書に目を通す。
それは、ある生徒の身辺調査。
「やはり、何の変哲も無い…何の、問題も」
ティーパーティの持つ強権を利用し、一生徒では知り得ない情報まで調べ上げた。
出生病院、出身、保育園から中学校に至るまでの学歴、部活経験や起こした事件に至るまで。
必要があればその交友関係までも調べ尽くす。
決してヴァルキューレには知られてはいけない記録だ。
勿論、この書類は間も無くシュレッダーに掛けられ、消滅する。
「———有り得ない、何もない筈がない」
沙汰ルシル、本書類によって詳らかに暴かれし生徒の名前。
何の変哲も無く、何の過不足も無く。
知りたい情報は全て載っており、不明な部分は快晴の如く何も無し。
品行方正を地で行く、そう言外に宣言している程に玉傷のない経歴。
暴力事件を起こしても、起こされてもない。
果たしてそんな生徒が、このキヴォトスに何人居るか。
ましてや男子生徒、生じる軋轢は通常生徒の比較にもならない。
ナギサの中で、確信めいた答えが固まりつつあった。
「偽装の可能性が、高い…なら———」
「おっはよ〜!ナギちゃん!遅れてごっめ〜ん!」
バァン、豪快に開け放たれる扉。
淑女もへったくれも無く庭園に足を進めるのは彼女、聖園ミカ。
深く思案に耽っていたナギサを現実に戻すには充分な衝撃。
彼女の肩がびくりと震え、カップの中の紅茶に大きな波紋が走る。
しかし、彼女は努めて冷静だった。
「遅いですよ、ミカ」
「ごめんごめん…ところでそれ、何見てるの?」
非難を込めた視線を送っても、ミカはどこ吹く風。
ナギサは諦念をもって、再び報告書に目を落とした。
「…件の男子生徒についての報告書です」
「へぇ〜…噂の?結構悪い人なんでしょ?」
悪い人、この評価を下すには早計である、その事実はナギサには勿論分かっていた。
ミカは良くも悪くも純粋だ、既に7割方『悪い人である』という認識で行動してしまっている。
噂の出所は不明だが、どうしても報告という形で部下達から寄せられる。
曰く、正実の備品を破壊した。
曰く、正実委員長に連行された。
曰く、先輩に恐喝した。
曰く、同級生を脅している。
曰く…レストランを、爆破した。
どれもが眉唾、どれもが彼を貶しめている。
良いものなんて、何一つない。
全会一致の法則なんて理論がある、しかし、火の無いところに煙が立たぬという格言もある。
彼はどちらだろうか?
何も信じられはしない、彼の事は、何一つとして。
だから警戒するのだ、ここまでの調査を施したのだ。
いっそ、派手に問題を起こしてくれた方がやり易い。
当てにならない噂と報告書に振り回されるぐらいなら、悪事を働いてもらって退学にした方がマシ、寝不足気味のナギサはうっすらとそう思っていた。
しかし、彼女の善性はそれを認めない。
あくまで、警戒だ。
目を光らせ、迅速に処罰が熟せる様に準備を整え続ける。
「その噂の真偽は分かりませんが…何か裏があるのは確実です、もしかしたら、今日の爆破事件にすら関わっているかもしれません…仮に会う機会があったとして、警戒はしておきましょう」
「オッケ〜、もし悪い事してたら、私が懲らしめてあげるから!ナギちゃんは安心しててよ☆」
噂は広がる、じっくりと浸透していく。
それは疑念を呼び、事実を遠ざけて。
面白おかしく脚色して、気に入らないからほんの少し誇張して。
そうやって、運命が、ひたひたと歩を進める。
転がって転がって、ツギハギの虚飾を見に纏い、いつか彼に襲いかかるのだ。
正義の鉄槌として、彼を地獄に叩き落とすが為に。
ティーパーティの優秀さに泣けちゃう(涙)
楽園に侵入した蛇はちゃんと懲らしめてあげて(怒)