ただ空は青く、ひたすらに青かった。
雨は降らせないと言ってるようにアビドスを照らす太陽が一番てっぺんに登って、雲一つ無い快晴の中、ジリジリと日差しの刺す旧校舎の屋上。
腕枕をして、空を眺めていた私の視線を遮るように影の問いかけが降る。
「ねぇホシノちゃん、こんな暑い所で日向ぼっこしてると熱中症になっちゃうよ?」
「大丈夫ですよ、ユメセンパイ」
私が答えると影は一歩引いて自分の左脇のポーチを漁り、「はい」と、右手に持った飲料水を手渡して来て、影の綺麗な緑青色の長髪がゆらりと揺れる。腕枕を解いて起き上がり右手で飲料水を受け取った。
「ありがとうございます」
一言、私は言った。
飲料水は少し微温く容器の表面に水滴が付いている。ミネラルウォーターより安いからと、よく飲んでいた粗悪品の薬の匂いがする黒い液体を体に流し込んだ。
影が満足そうに淡い黄色の瞳をゆったりと歪めて笑う。これが私たちのいつもの日常。いつもの関係。
影はいつもお人好しで、破天荒で、不器用な人で、私は影のやる事なすことを呆れながら止めていたのを、ふと思い出す。
影は何が楽しいのか「ふふ」と、笑い声を出して私の肩越しに、両腕を胸に回して来る。服越しに胸の厚みが後頭部に乗り、影のじんわりとした熱がジュクジュクと私の中に浸透してきた。
「ユメセンパイ、危ないのでいきなり後ろから抱き締めないでください」
「ホシノちゃんは可愛いね」
同じ言葉を喋ってる筈なのに、話が一切通じない。
私は文句を垂れつつもキュっと飲料水の入った容器のキャップを閉める。
数分経った時、満足したのか、影が抱きつくのをやめ、離れた体温に少し名残惜しいと何となくそう思った。
「そうだ、校舎の中に行こう」
影が言う。
「分かりました」
私は相槌を打って立ち上がる。
ギラギラと揺らめく太陽から目線を落として影について行く。校舎に影が入って、私も後に続こうとした時、後ろが気になって振り返る。
男が一人佇んでいた。
清潔感のある病院服を着て、体は痩せ細ってる。衰弱を感じさせない黒い瞳を私に向けて居た。その視線は「忘れるな」と、訴えてる気がしたが「ホシノちゃん、どうしたの?」と、影の音に促され、私は正面を向く。「何でも無いですよ」と、答えて私は校舎の中に入って行く。
何も問題は無い。
*
外の光が遮られた、旧校舎の中は静寂に満ちている。二人だけの時間。二人だけの空間。
この静けさを私はーー。
いつも時間が無く、なかなか掃除出来なくて埃が廊下の隅に溜まっている。歩みを進める度に空気に乗って埃が舞っていた。
昔は頼りないと思っていたけれど、後輩達が入学してきて印象が変わった、前を歩く影の後ろ姿を見つめる。
影が振り返りもせずに呟いた。
「私はこの何も無い感じ好きだなぁ」
私は何も答えずに着いて行く。
「私が消えちゃった時、ホシノちゃんに迷惑かけたよね?あの時は、本当にごめんね」
一瞬、私は歩みを止めそうになるが無視して進む。
来た道は引き返せない。
「ホシノちゃんに、私の情け無い姿晒しちゃったよね」
影が淡々と前だけを向いて喋り続けている。
「最後の姿は、出来れば忘れて欲しいんだ」
私は何も言えなかった。いや、言う資格は何処にも無かった。
「本当は、アビドス砂祭りを二人でやりたかったんだよ?」
少しだけ影の声色が高くなる。
影はいつもそうだ。優しい癖に、私が一番言われたくない言葉を投げ掛けてくる。
私は居た堪れなくなり、一度だけ、窓の外を見た。外は雲一つない、茜色に染まっていた。視線を元に戻すと、影が音も無く姿を消していた。
私は1度だけ後ろを振り返り、何事も無く廊下を進んで行った。
まだ大丈夫。
*
時折、ガラスが割れている窓を横切り、廊下を進んだ先。教室の後ろに一纏めにされた机や椅子を無視して、何をするでも無く開いた窓の側により、外を眺めている。夕焼け色に染まる教室の中、緑青色の長髪を風にたなびかせながら、影は居た。
「いきなり居なくなら無いでください」
「私が居なくて心配しちゃったのかな?ホシノちゃん」
「別に、そんなわけ無いですよ」
私がそう答えると影は「そっかぁ」と、悲しそうに萎れた声を出す。
「ユメセンパイ、こっちを向いて下さい」
私は影に声を掛けたが無視された。影は陽が沈み始めるといつもこうだ。まるで、進む先に、道は無いと意地悪をしている。
私が教室に一歩踏み出した時、影は振り返りもせずに私に問いかける。
「ホシノちゃんは、何処かに行きたいのかな?」
何処かに行く。それは、決まって無い事だった。
「ホシノちゃんは、後輩とアビドス砂祭りしてたのを覚えてる?」
影が喋るのと同時に、もう一歩、進んだ。
「ノノミちゃん、セリカちゃん、アヤネちゃん、シロコちゃん」
私は何も答えずに、さらに一歩、進む。
「あの時は本当に楽しそうだったね?」
影はそう言うとやっと、後ろを振り返り私を見た。窓から垂れる夕焼けで、顔は見えない。多分、泣いてるとなんとなく感じる。
「ユメセンパイ以外と、アビドス砂祭りはやらないです。勝手に記憶を捏造しないで下さい」
私が言い切ると影は嬉しそうにかけ寄り、抱きしめて来る。影の体温は感じなかった。
影は私を抱きしめて、抱きしめて、抱きしめて、いつの間にか消えていた。
きっと平気。
*
月明かりが照らす廊下を私は歩いて居た。
いつものルーティンのパトロールの一環。静けさが場を支配する校舎内を見て回り、最後に屋上に出て、外の様子を伺う。それが私の存在意義。
今回も屋上を見て終わると思っていた。
校舎内から屋上に出ると真っ白な病院服を着ている、痩せた男が一人、胡座を描かいて座って居た。
私はその男が気になって左隣まで進み、正座で座る。
男は喋らない。
私も喋らない。
数秒。数十秒。数分。数十分が経った時、私はようやく男に声を掛けた。
「先生」
男は何も答えずに私の方に顔を回した。相変わらず、何も答えない。
その男の眼は喋らないけれど、力強く言葉を物語っていた。
「うへ〜、もう決心は付いたよぉ」
私は力を抜いて男の問いかけに答えた。
そして、黒幕が降りてきてパチリと音がした。
*
そして、黒幕が降りてきてパチリと音がした。
私の目の前に、私がいつかあげたお下がりの水色をしたマフラーを首に巻いている。
ボロボロに汚れ、所々破れている、アビドスの制服を纏う銀髪の少女が居た。
「シロコちゃん」と言おうとして「パン!」と1回、乾いた音が鳴った。
泣いてるように雨がポツリと降ってきてアビドスの太陽をどこまでも覆い隠して、薄暗い曇天の中、シトシトと日差しの無い砂の上。
ただ空は暗く、ひたすらに暗かった。