暗闇でも、その白い姿はよく見える。
夜の街で自分の存在を見せつけるヒーローの白と、それを汚す致命的なまでの赤。
服が汚れるのも構わず、キッドが糸の切れた人形のような状態のスパイダーマンを抱えていることに目を見張る。
降谷は今夜、組織の仕事の都合で大阪に来ていた。
同時に入ってきた、エッグを狙うキッドをスコーピオンが狙っているという情報。
騒ぎになるようなら介入しようとしていた降谷の前で始まった、スパイダーマンとスコーピオンの戦いを援護しなかったのは、きっとどこかに楽観があったからだ。
彼なら勝てるだろう、なんて。
スパイダーマンの力ばかりを警戒していた降谷は判断を誤った。
───華奢な身体が玩具のように振り回されていた。
本来なら、庇護される立場にいるはずの幼い少年が、凶悪な犯罪者に蹂躙され、凶弾を何発も執拗に撃ち込まれる。
目を逸らすことは許されなかった。
そして、正気に戻った降谷が動き出すよりも早く白い閃光が炸裂し、気付けば糸の切れた人形のような状態の少年を抱えるキッドが空を飛んでいた。
「キッド───!?」
必死で車を加速させる降谷の胸には嫌の予感が広まっていく。
少なくとも、発電所の爆破といい、普段のキッドとは何か違うと思っていたが、自分の知らないところで、何か恐ろしいことが起こっているのは確かだった。
「クソ、間に合え…!」
怪盗キッドが続けざまに落ち始めたことに血相を変え、大阪湾にたどり着いた降谷が見たのは、傷ついた鳩と力なく崩れ落ち血を流し続けるスパイダーキッズ。
見れば、鳩の傷は落下の衝撃によるものだけで、唯一力が入っていた拳には一発の銃弾が握りしめられていた。
…彼は気絶していながら、人を助けたのだ。
その執念に降谷は思わず息を呑む。
「息は…ある。脈は消えかけ…くそ!」
腕に肩、太ももに破った布を巻き付けて止血するが、毒のせいか腹部の出血が止まらない。
今、降谷の前には2つの選択肢があった。
───彼を病院に連れて行くか、見捨てるか。
病院に連れて行けば、スパイダーキッズの正体は明るみに出ることになるだろう。
どれだけ口止めしても人の口に戸は立てられないのだから。
そうなってしまった時、命が助かっても彼の人生の平穏は奪われてしまうことになるということを、正体を隠して3つの顔を使い分けながら生活している降谷はしっかりと分かっていた。
ずっと戦い続けている少年を、ヴィランたちが許すはずもない。
…命懸けで人助けをする彼の正体が明るみに出る、なんてことはあってほしくないと個人的には思っている。
同時に自分の冷徹な部分が、このまま正体を暴いて強固な首輪をつけたらいいと告げている。
子どもが世間から好奇の目に曝され、無遠慮に好き勝手に傷つけられるなんていう未来が許されていいわけがない。
束の間の休息すら奪うことを、正義だとは思えない。
…だが、そもそも。
命には変えられないのもまた真実だった。
「……あり…がと…」
「スパイダーキッズ!!意識が…!」
「まよってくれ、て…」
「……!」
「だいじょうぶ……まだ、やつがいる……にげ……て」
この期に及んで人の心配をするヒーローの言葉に迷いを捨て、降谷は血まみれの手で携帯を取り出す。
そして。
●
目の前で、小さな子どもが穏やかな寝息を立てている。
場所は大阪。
公安のセーフティハウスに一つに、降谷は少年を連れ込んでいた。
「ようやく一段落ってところか…」
「……ええ…峠は越えたと先生から」
「強い子だ…強すぎる。悲しいくらいに…」
二人の目線の先で眠る少年の手はあまりにも小さい。
子どもだ。
子どもなのだ。
命懸けで街の日常を守っているのはただの子ども。
何度も思い、その度に胸に鋭い痛みが走るその真実は、現実となってそこに横たわっている。
治療の際、顕になった身体には新しい傷以外も多数刻まれていた。
たった3年で、この少年はどれほどの数の犯罪者たちと戦ってきたのだろうか。
『ぼくの……せぃ…ごめんなさい…ぜンブ…ぼく……のせいで…』
毒に魘され、震えた声で懺悔する少年。
その華奢な両肩にかけられる責任の重さは、計り知れない。
「……降谷さん…」
「ああ…」
ぽつり、と呟かれた風見の言葉は最後まで続かず、降谷もまた曖昧な返事をすることしかできない。
スパイダーマンの状態は、少なくとも、血が止まらず魘され続け、全員がその命の終わりを予感し必死になっていた数時間前よりは格段に良くなっていた。
毒も抜け、呼吸も安定している。
血の凝固を阻害する毒に麻痺毒、神経毒。
生物由来の毒を複数混ぜ合わせたその凶悪な殺意は、普通なら人間どころか大型動物すら余裕で命を奪っていたことだろう。
だが、少年の身体はそれでも死神の鎌から逃げ出してみせた。
あるいはもしかしたら、スーパーヒーローらしく死神に立ち向かったりしていたかもしれない。
───実際にはそんな毒を滴らせる尾に2度刺され、さらには注射器1本ぶち込まれたことを考えるなら、死神に嫌われすぎているとすら言えた。
マスクは外していない。
降谷は口の硬さを信用のできる公安御用達の医師と風見だけを己のセーフティーハウスに呼び寄せ、治療を見届けた。
「風見、とりあえず車の準備をしてきてくれ」
「はい」
「…彼の戦いはまだ終わっていない」
固く握りしめた拳を緩めながら、降谷の頭脳は自分にできることを弾き出していた。
●
横須賀のお城。
そこに眠るもう一つの秘宝…にはもちろん興味はない。
なんだかロマンのある話に冒険心が刺激されなくもないけれど、少年はお宝より魚図鑑とかのほうが好きなタイプだった。
「───!?」
そして、少年はサプライズも嫌いではない。
秘密の通路みたいなところから飛び出してきたその女を少年は容赦なくフルパワーで殴り飛ばした。
「…げほ、ごほ……!誰!?」
「地獄からの“死者”スパイダーマン。…やぁ、スコーピオン。また会ったね。蠍星人だから知らないのかもだけど、最近日本じゃ『ながら逃亡』って罰則厳しくなったんだよ。ながらスマホと一緒に」
「スパイダー…マン…!」
「なんでかって?こういう出会い頭の事故が危ないからさ」
蹲り、むせ込む蠍の腰辺りから黒い鋼鉄の尾が持ち上がり、ヘッドギアにボディアーマーが飛び出して覆っていく。
「……ええ、気をつけるわ。日本じゃ、不意の事故で気色の悪い蜘蛛を踏みつぶしちゃうかもしれないってこと」
「出来もしないこと言うとあとで恥かくよ?不意打ちをして返り討ちに会うとか超恥ずかしいんだから!!」
今の不意打ちで、あの最低なキスの借りは返したということにしておいてやろう。
少年はそんなことを考えながら、思いっきり踏み込む。
…肉体の損傷は完治はしていない。
とはいえ、いつだか聞いたジャンボジェット理論というか、昔会ったことのある泥棒曰くとりあえず土手っ腹に空いた穴も肉をたらふく食べれば治るということで。
目が覚めた時に隣で車を運転していた公安の刑事さんがドン引きするくらい食べたので、まぁ大丈夫だろう。
───蠍と蜘蛛の三度目の正直が始まった。
●
危ないし誰かが出てきたら困る、とスパイダーマンが糸で入り口を塞いでしまったことで、全員が遠回りすることになった、という話は置いておこう。
地上に戻ったコナンが見たのは、スコーピオンとスパイダーマンが戦う姿だった。
蠍の尾が壁を引き裂き、スパイダーマンがそれを必死に飛び超えて懐に入り込み、拳を振るう。
分裂した尾が複雑な軌道を描いてスパイダーマンに襲いかかり、それら全てを拳を引いて回避したところを銃弾に撃ち抜かれる。
毒が仕込まれた鉛玉を食らった少年の動きは…鈍らない。
ぐ、と大きく足を踏み込んで少年は駆けていく。
「スーツが赤くなっちゃったじゃんやめてよ!赤色のスーツを着ていいのは本物のスーパーヒーローだけって知らないのかな、これだからにわかは困る!」
「…このまま嫐り殺してあげる!その血化粧をより厚塗りにして、ね!」
血が流れるのも厭わずに、果敢にヴィランに向かって行くスパイダーマンに、コナンは胸が締め付けられるような痛みを覚え。
「何ぼさっとしてんだよ名探偵!お前にもできることはあるだろ──!」
聞き覚えのある声に、思わず目を見開いた。
トランプが炎を掻き分け、スコーピオンの手から拳銃をはじき飛ばす。
それに蠍が舌打ちをしながら、飛び込んでくる白い蜘蛛を迎撃するべく再連結した尾がしなり、しかしそれをスパイダーマンが引き寄せた展示品の鎧の騎士盾が弾き返した。
「……ああ、くそ!何やってんだ俺は!」
頭を振るい、もう一度前を向いたコナンは足下に落ちていた瓦礫を蹴り上げる。
それに続くように子どもたちも思い思い、小石や空き缶を投げ、スコーピオンの邪魔をする。
「スパイダーマンをいじめないで!」
「受け取って───!」
蘭が、スパイダーマンに向かって地面に落ちていた展示品の剣を投げる。
その剣を後ろを全く見ずに受け取ったスパイダーマンが、力任せに振り下ろし、スコーピオンの尾を地面へと無理矢理縫い付けた。
「実は僕アーサー王なんだよね!そんでもってこれはエクスカリバー!つまり、君には抜けないってことさ!」
「お遊戯会なら学校でやることね!ここにはあなたのママもパパも来てくれないわよ?」
…明らかに。
ボロボロなはずのスパイダーマンの動きが良くなっている。
背中を押されて、思いを背負って。
スパイダーマンは加速する。
「…ガキどもが…!邪魔なのよ、弱いくせに!」
「弱いのは僕とお前だよ、スコーピオン!!」
盾を投げ捨て彼我の差を一歩で詰めるスパイダーマンから身を守るように、剣で縫い付けられていない残りのパーツを引き寄せようとしたスコーピオンが目を見開く。
「この…蜘蛛野郎!こそこそと巣を張って…!!」
見れば、尾の関節一つ一つに糸が貼り付けられて連結が阻害されており、さらには部屋のあちこちに磁石が糸でぶら下げられていて、そのせいで連結の要である磁力がうまく伝わらず乱れている。
少年は、きちんと対策をしてきていた。
スコーピオンの磁力を使って自切と再連結を繰り返す鋼鉄の尾も、スコーピオンの殺人的な毒すらも。
解毒剤は足の裏に仕込んだ。
踏み込むことで針が少年の足を突き刺し、そこから解毒剤が血液に流し込まれるという、捨て身の作戦。
まぁ、磁石の案はどこかの公安のエースに貰った案なのだけど。
「気持ち悪い…!気持ち悪いのよ!化け物のくせに、人間のふりなんかして!自分の醜さも知らないわけ!?檻の中に引きこもってなさいよ!!」
「………わかってる」
スコーピオンがまだ隠していた拳銃を取り出す。
だが、一発の銃弾がそれを弾き飛ばした。
「───狙撃!?」
スコーピオンが顔を上げ睨みつけた先で、グレーのジャケットの裾が瓦礫の向こうに隠れて消える。
毒も尻尾もスパイダーマンに奪い取られ、姿を見せない協力者に最後の拳銃すら封じられた。
無防備になったスコーピオンの顔には恐怖が浮かび、それを見つめる少年はただまっすぐに敵を見つめる。
少年は知っている。
自分の弱さと、危険性を。
自分がどれほど醜い化け物なのかを。
「だけど」
「ひっ、やめ…!」
逃げようとするスコーピオンに拳が突き刺さり、浮き上がった身体に蹴りが叩き込まれる。
ヘッドギアも鎧も、尻尾の付け根も全てが砕けて吹き飛ぶスコーピオンは、天井へと突き刺さった。
「みんながいる」
スパイダーマンは大いなる力を持ち、大いなる責任を果たす。
どんなに苦しくても何度だって立ち上がる。
でも、その責任を一人で背負う必要だってきっと、ない。
一緒にいてくれる人がいる。
ただそれだけで、少年はどこまでだって強くなれる気がした。
それを噛み締めるように、少年は己の拳を見つめ、そして。
にわかに騒がしくなった周りに背を向けて、城を後にするのだった。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。
もしよければではあるのですが、感想や評価をいただけると励みになります。
どうぞよろしくお願いします。