本日2話目の投稿になります。
なぜ前回日常回を挟んだか。
スコーピオン編からここに直でいくと少年がかわいそすぎるからです。
その日、少年はきっと街で一番運の悪い子どもだった。
朝から星座占いは最下位だったし、お気に入りの靴下には穴が空いて、朝食のホットドッグのマスタードがこぼれて着替える羽目になった。
さらには道を歩けば水たまりの水がはねてずぶぬれになり、宿題は家に忘れてきたあたりで、少年はもはや諦めの境地に至っていた。
まったくもって、ついていない。
こんなにもついてないんだし、宝くじ買ったら当たるかも、なんて呑気に考えていた少年は、もっとその日を味わっておくべきだったのだ。
とっておきで、かけがえのない。
人間として許された、温かな時間を。
「かハ─────ッ!」
少年の身体がくの字に折れ、衝突の衝撃で肺から酸素が失われる。
弾丸のような勢いで吹き飛んだ小柄な身体を、巨大なトラックが受け止め、ひしゃげて凹んだ。
よろよろと、なんとか後ろ手にトラックをつかみ立ちあがろうとする少年を、一本角の生えた巨大な鎧を纏う犯罪者の鋭すぎる眼光が貫く。
「ダハハハ!弱い弱いッ、弱いなお前ェ゙!」
それは、いつも通りなんてことない銀行強盗退治のはずだった。
警報がなって、警察無線に通報が入って、それを勝手にシステムに潜り込んでいる少年の手元の端末も拾って少年に情報が届く。
誰に頼まれるでもなく少年は空を駆け、悪党と対峙する。
軽口を叩いて、悪党を翻弄して、最後は警察に引き渡して終わる。
3年もの間。
もう何度も繰り返されてきた、米花町の変わらぬ日常。
そんなもの、あるわけないのに。
「もっとォ゙!楽しませろ!!!」
「が…っぁ…ぁあああ!!」
鉄の鎧を嵌めた剛腕が、少年の細い脚を捻り上げ、まるで赤子がぬいぐるみにそうするように、乱雑に地面へと叩きつけられる。
目を保護するための特殊ガラスが粉砕され、少年の素顔が微かに露わになった。
「動くな!」
「その子を離せ!!」
駆けつけた数人の警官が必死に拳銃で応戦するが、梨の礫だ。
鉄の鎧を纏う男は全くもって意に介さず、瓦礫を警官の方へ蹴り飛ばす。
…少年にできたのは、最後の力を振り絞って放った蜘蛛の糸でその瓦礫を僅かに反らす程度。
パトカーに叩きつけられた瓦礫は、少年と警官を分断してみせた。
「おチビな蜘蛛さん、的当てはしたことあるか!?せいぜい歯を食いしばれェ゙!!」
「──────!!」
地面から引きずり上げられると同時に、逆さ吊りにされた少年の口から血が溢れる。
見れば、地面から突き出していた鉄筋が腹部に突き刺さっており、そこから赤黒い染みが広がっていっていく。
ああ、と。
少年の心の中で、小さな声が漏れる。
それは、きっと。
何度も感じてきた、自分が急速に死に向かって落ちていく寒気。
死の予感。
助けは来ない。
なぜならここに、少年は一人で来たから。
前のように、勇気を出して少年の背中を押してくれる誰かも、守るべき誰かも存在しない。
誰かと一緒に戦うのは嬉しい。
誰かを守るためなら頑張れる。
でも、誰でも彼でも巻き込んでいいわけでもない。
銀行強盗。
それは、人目を忍んで行われる。
人質はいない。
ここにいるのは、少年と犯罪者だけだ。
少年は、夜闇で独り。
「ストライクだぁハハハハ!!!」
ゴミクズのように少年の身体は宙を舞い、世界はあっという間に色を失う。
身体が分厚いコンクリートにめり込み、その壁に描かれた『赤いスパイダーマン』の壁画諸共に、その巨大な悪意の突進が破砕した。
分厚い鉄の鎧と、人間離れした少年を更に上回る危険な怪力。
まさに暴力の権化と呼ぶに相応しい小さい嵐に為す術なく、少年は。
「………ま…だ…!」
それでも。
「…ま………」
立ちあがろうと、して。
「お熱いのは好きかァ?」
ガスタンクに叩きつけられて、今度こそ意識を手放した。
衝撃で、火花が散る。
爆発。
爆発、爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発爆発───炎。
黒。
少年の全てを飲み込む爆発が、米花町に咲いた。
●
「ん──────」
少年が見上げた先にあるのは、見慣れない天井だった。
「二度目だな」
「……けほっ、ぁ…」
声をかけられ、そちらに目を向けた少年はそこで、固まった。
…自分の視界がいやにクリアだ。
ガラスで覆われているはずの目元に、開放感がある。
さぁ、と。
顔が青ざめ、遅れて手で顔を隠そうとして、自分の腕が持ち上がらないほどの重体であることにようやく気付く。
「悪いけど、マスクは外させてもらったよ。じゃなきゃ頭と顔を治療できなかったからね…」
「…そっか」
少年は鉛のように重たい自分の身体をなんとか持ち上げて上体を起こすと、観念するようにゆるゆると息を吐き出した。
顔を上げた先には、なぜか暗い顔をする金髪の男性がいる。
…前回のスコーピオンの時といい、たぶん彼が夜の屋上で会話をしていた誰かなのだろう。
体格から何まで全く違うが、それだけお互い正体を頑なに隠してきたわけだ。
そんな正体をあえて自ら見せるというところに、彼の真面目さと精一杯の誠意が見て取れた。
「…ありがとうございます」
「取り乱さないのかい?」
「…けいかんは、ふたりめ」
「その
「そのときはそのとき。それに…」
少年は、焼けた感触のある喉に集中しながら言葉を探す。
「きこえてた。さそりのときも、こんかいも」
少年は知っている。
己の正義と善性の間で葛藤しながら、彼がそれでも少年の手を懸命に握っていてくれたことを。
祈るように、呼びかけてくれたことを。
「爆心地で君を見つけたときは血の気が引いたけどね…この短期間で何度も何度も…本当によく死にかける」
「いつものこと」
「………!」
正体がバレたことは仕方がない。
そもそも、警官と密会を続けていればいつかは遅かれ早かれだっただろう。
彼に拾わなければ、もっと多くの人に顔を見られていただろうし。
問題があるとすれば。
「それより、ききたい」
「なんだ?」
少年の心の方だった。
「どうやったら、たすけられる?」
少年は思い出す。
ライノに吹き飛ばされる前の会話を。
迷って、戸惑って、結局捕まえることも手を取ることも何もできなかったその女性のことを。
『───ねぇ、お願い。見逃して。妹のためなの』
その女性を見て確信した、誰かの言葉を。
『ねぇ。いつか…姉のことを助けてほしいの。私はもうどこにも行けないけど…姉さんだけは…』
宮野エレーナとその研究。
少年を蝕む呪いは、それでも。
誰かとの繋がりなのだ。
過去は消えない。
●
「たすけてほしいといわれて。そのあいてがつみをかさねてて…そのつみがだれかのためなら…いったい」
一体何のために戦えば、と。
震える子どもに、なんて返せばいいのか。
降谷は、無垢な正義に断罪されることへの恐怖から思わず目をそらした。
「…それでも、助けたいのか」
「……うん」
「それがたとえ犯罪者でも、助けるために飛びこむのが君だったな…」
いつかの屋上での会話を思い出す。
あのとき少年は、犯罪者であっても命を奪う可能性のある方法に反感を覚えていた。
たが同時に、迷いはなかった。
いつだって助けられなかった人数ばかりを数える、孤独で未熟なヒーロー。
そんな少年は、今変わろうとしている。
「…子どもの成長は早いな…」
「?しんちょうなら2せんちのびた」
「そうか…そうだよな…」
風見の言葉は、確かに正しかったのだろう。
彼は、普通の子どもだ。
迷いながら、それでも勇気を振り絞っているただの子ども。
「僕から出せる案は一つだけだ。しかも、あの化け物をどうにかする案じゃない。…君がやつを倒す前提の、そんなちっぽけなものだ」
「…じょうとう」
その力を正しいことに使いたいという少年の瞳を、降谷はまっすぐに見返す。
宮野明美。
犯罪に手を染めた普通の女性を救う。
そんな無謀な戦いが幕を開けた。
●
東都に消えない傷痕を残したライノ一味。
その一味とされる自分の顔が、風に飛ばされてきた新聞に乗っているのを見て、宮野明美は後戻り出来ない自分の末路を、静かに飲み込んだ。
都合のいいことを言っている。
妹のためだ、なんて。
あんな小さな子をあんな目に合わせて、どの口が言うのだろう。
「志保…」
目を焼くような閃光と、耳を劈く轟音。
明美は昨日の夜地獄を見た。
燃え盛る工場地帯で雄叫びをあげるライノこそが、自分が強盗一味に引き込んだ男。
つまり、自分のせいで生まれたのだ、目の前の光景は。
新聞の見出しは『スパイダーキッズ死亡か』。
遺体こそまだ見つかっていないが、爆心地にいたとされる彼の生存は絶望的だと書かれたその記事に、心を痛める資格はきっとない。
「おちこんでる?」
「……え?」
「こうかいしてる?」
気づけば、目の前に白いスーツを着たスパイダーマンがいた。
片目が砕けたそのスーツの下には包帯でぐるぐる巻になった素肌が見えていて、全身に焦げ跡が見て取れる。
それでも、確かな存在感を持ってその子どもは目の前にいる。
「…生きて…」
「よゆう。…それより、こたえは?」
真っ直ぐな瞳が、明美を射抜く。
それに気圧されながらも、明美は彼をまっすぐ見返した。
「後悔はしてる。落ち込んでもいるわ。…でも、やめる気はない。もう止まるつもりはないの」
「とまれないんじゃなくて?」
「ええ。私は」
明美は、大きく息を吸い込む。
「私の意思で罪を犯した。もう見逃してなんて言わない」
「…あたりまえ」
「うん」
「だから、たすける。つかまえて、とめてみせる」
少年はそれをまっすぐに見返して、決意を口にする。
そうだ。
少年はもう決めている。
罪を重ねた相手でも、助けるということを。
助けることと、罪を見逃すことは違うということを。
少年は、誰に教えられるでもなく、理解した。
『僕ができるのは、君が…相手を倒して、止めたあと。後悔しない手伝いだけだ』
そんな、頼りになりすぎる大人の声に背中を押されるようにして、少年は明美の背後に向かって駆け出した。
「───まだ、壊れてなかったかァ!ならもう一度遊べるなァ゙!?」
「あんな程度で?冗談よしてよ!お昼寝すればピンピンさ!」
「なら、何度だって壊してやるぅ゙!」
「やってみろ、ノロマ!!」
轟音を奏でる死の嵐が、白い蜘蛛へ襲いかかる。
爆発に巻き込まれ、未だに完治していない身体で、少年はそれを迎え撃った。
唯一勝っている素早さと、死にかけたことで全開になっている
「まけ…ない…!」
その小さな身体をライノの角が貫いたときは、固唾を飲んで見守っていた多くの人間が悲鳴をあげた。
カメラは少年を映し続ける。
血を噴き出し、破れたマスクの下で歯を食いしばる小さなヒーローの姿を。
吹き飛ばされ、腕をへし折られてなお立ち上がるスパイダーマンの姿を。
「いい加減にィ゙…!」
「するのは、そっち…!!」
スパイダーマンは、何度だって立ち上がる。
負けても。
折れても。
その力の責任を果たすために?
いいや、ちがう。
「───たすける!!!!」
結果として、ライノ一味は一晩で壊滅する。
素早さで翻弄するスパイダーマンと、警官の援護がライノをねじ伏せ、最後は鉄の鎧の装甲を溶かし中の人間を引きずり出したことで決着がついた。
「宮野明美…君を、逮捕する」
無論、ライノ一味である宮野明美も逮捕される。
数日後、偽装工作による彼女の獄中死が報じられることになるのだが、彼女の生存という真実を知るものは多くない。
ただ。
瀕死の重傷から回復した少年が唯一の肉親であるシェリーに真実を伝えるべく、彼女の研究所へと忍び込んだがときはすでに遅く。
「しぇりー…?」
宮野志保は、組織の目すら欺いて、姿を消した。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。
見返した作者「なんでこんな可哀想な目に合わせるんだ!言え!」
内なる闇の作者「スパイダーマンは喪ってこそ」
ちなみになんですが、ここより暗くなるのはたぶんクライマックスだけなのでご安心ください。
次回からいつもの雰囲気に戻ります。