「…………」
「…………」
ぺらり、と。
雑誌をめくる音が部屋に響き渡る。
「…ふふっ」
「……………………」
少年はもうかれこれ3時間程、自分の背中にかかる重みをどうすればいいのか、正解を出せずにいた。
というかそもそもなぜ彼女はここにいるのだろう。
自分の背中に頭を乗せ、雑誌を読み耽るシェリー…改めて灰原哀。
彼女は別にF.E.A.S.T.に住んでるわけでもないというのに。
そしてここは少年に許された数少ないプライベート空間のはずなのに。
───朝。
昨日は珍しく大きな事件もなくて平和だったな、と部屋でだらだらすることを決めた少年は、とりあえずいつも通りの行動を開始した。
眠い目を擦りながらF.E.A.S.T.の共有スペースまで行き、すれ違うホームレスのおじさんだったり、ボランティアのお姉さんだったり、住み込みのスタッフだったりと挨拶を交わす。
最後に厨房で朝食を作る施設長に挨拶をして、そのままお手製のホットドッグを受け取って、共有スペースのテーブルに腰を下ろした。
「あ、ベルくんおはよー。今日も可愛いね」
「せかいのたから」
「あはは、すごい自信」
エプロン姿の訳ありさん。
本名宮野明美が少年の頭をなでる。
彼女は現在、執行猶予という形で社会に出てきており、同時に公安の協力者として今後は訳ありが頻繁に転がり込んでくるF.E.A.S.T.の監視も兼ねてここに住み込みの従業員として働きに来ていた。
最初こそ罪悪感に押し潰されそうになっていたが、妹再会して1週間ちょっと。
以前に比べたら圧倒的に笑顔が増えてきている。
そのことが、少年からすれば何よりも嬉しい事実だった。
「にしても平和だったねー昨日の夜は。よく寝れた?」
「…げーむしてた」
「もー!いくら夏休みだからってあんまり不健康な生活しちゃだめだよ!」
まぁ、彼女の本当の仕事は新しく転がり込んでくる訳ありよりも少年の監視のほうがメインなのだろうが。
明美が口にしない事実について、少年はあれやこれやと追求するつもりはなかった。
まぁ、明確に口にしない以上わざわざ正直に答えてやるほど少年も素直ではないのだが。
露骨にすっとぼける小学生と、それにむくれる成人女性という絵面は、最近F.E.A.S.T.でも評判で定番な、朝のやり取りだった。
「…うわ、またJ・J・J見てる。変わってるよねほんと」
「えー?」
少年がわざわざ共有スペースのテレビのチャンネルを変えて、ホットドッグのお供に選んだチャンネルを見て明美が顔をしかめる。
「メインリポーターの水無玲奈ってスパイダーマンの根っからのアンチでしょ?私なら見てられないな〜」
根っからのアンチと言うか。
なぜか愛憎入り混じってると言うか。
少年が忘れてしまいそうなほど小さなミスすらあげつらう様は、むしろファンよりも熱心だった。
「むしろおもろい」
「…子供の感性ってわっかんないなぁ…」
画面のなかではもはやおなじみのアナウンサーがスパイダーマンの活躍をこき下ろし、失敗を粒立てるような解説を大手を振って行っている。
それを少年はまるで映画を観るような面持ちで画面を眺め、彼女が憤怒の顔を浮かべるたびに吹き出していた。
「ウケる」
「いやクソガキなだけかも…」
マスクを外した少年の小学生っぷりに呆れていた明美は唐突に、ぽん、と手を打った。
「そういえばし…じゃなくて、哀ちゃん来るって」
「ふーん」
相変わらず仲いいなぁ、と。
自分ではなく当然姉の明美に用があると思っていた少年は、その場を後にした。
だから、そこにいるわけがないのだ。
「あら、お邪魔してるわよ」
「……ときとめ…?」
おじゃま虫はクールに去るぜ、などとその気になっていた少年の姿はお笑い草だったぜ、と。
そう言わんばかりの態度で、灰原哀が少年のベッドで寛いでいた。
ザ・ワールドか。
あるいはキングクリムゾンか。
どちらにせよ味方ではなく敵ボスの攻撃を食らったかのような言いしれぬ衝撃が少年へと襲いかかってきている。
「…ふほうしんにゅう」
「ふふ、いずれは私の部屋にもなるわ」
「……?」
「あなたが18になるときがその時よ」
「??????」
…脚を組み、嫣然と微笑む姿は、その見た目の年齢にそぐわない色気がある。
ノースリーブのニットに、ショートパンツ。
髪を耳にかける仕草だけでも大人っぽい。
…気になる異性が自分のベッドに腰掛けているという、男子なら誰もが喜ぶシチュエーションに加え、見せつけるように何度も座り直している哀に少年は思わず赤面した。
幼児化というファンタジーで危機的な状況を利用して、少年の目線を釘付けにする危ない女は満足気に鼻を鳴らす。
「あなた、内科検診サボったそうね」
「…うらぎりものだらけ」
前回のバスジャック事件のときに少年のジェームズ・ボンド発言といい、内科検診サボタージュといい。
最近少年の周りには保護者面する同級生たちが増えてきている気がする。
「まぁ、それはいいのよ。私としても、万が一にでもあなたの秘密が明るみに出る可能性がある以上回避するのは賛成だし」
じゃあなんだってんだってばよ。
と首を傾げる少年の頭にポン、と手を極上の笑みを浮かべながら置いた少女は、いよいよもって、本題を口にした。
「検査をするわよ。前回から一ヶ月は経過してるし、ライノのせいで爆発に巻き込まれ、ミステリオとかいう金魚鉢の妖精にもぼこぼこにされてるし…あなたも、必要だってわかってるわよね?」
「まぁ…」
理論整然と、誠にもっともな理屈を捏ねて少年に躙り寄る悪の女研究員に向かって、少年は覚悟を決めて頷いてみせた。
「そう…だから、検査をするわ」
「───だがことわる!」
少年は夏休みだった。
ゆえに、解放されたクソガキだった。
病院なんて嫌いだし注射も嫌だし、薬を飲まされてイタズラされた前科もあるし(正論)。
何より今日はだらだらすると決めていた。
シリアスなんてない。
いらない。
蝕まれてる体とかどうでもいーから。
そこのコンビニポテト半額だったし(意味不明)。
「…いいわ。そこまで言うならじゃんけんをしましょう?私が勝ったら今から検査、あと枕になるの刑。あなたが勝ったら検査はしないし私のことを好きにしていいわよ」
「よゆう」
じゃんけん。
なら余裕だ。
少年は不敵に微笑む。
なぜなら少年はその有り余る(銃弾すら至近距離から回避できる)動体視力と反射神経で、相手が出す手を見てから自分が何を出すか決めれるのだ。
たかが小娘に負けるわけないだろ(慢心)。
勝ったなガハハ。
「ただ」
「ん?」
「グー以外出したら犯すわ」
「えっ」
少年は無力だった。
●
…今日はキャンプ。
昨日はえらい目にあった。
いや、ほんとに。
反則じゃんあれは。
そんな意外と負けず嫌いな少年の内心を見通したかのように隣でほっぺをつついてくる灰原にされるがままになりながら、チョコレートを口に運ぶ。
「キャンプキャンプ、またキャンプ!明日もキャンプ、明後日もキャンプ!」
天気は晴天。
昼の首都高から見えるツインタワービルの反射光に目を細めながら、少年はこれからの時間に胸を高鳴らせていた。
「…楽しそうね」
「たのしい。きのうより」
「あら、つれないのね」
助手席と運転席の間の席の座り心地も案外悪くない。
「それにきょうはかれー。さいこう」
「そう…ふふ。ほんと、そういう風にしてるとただの子どもね」
「む」
頭を撫でられ、猫のように喉を鳴らす少年を哀は心底愛おしそうに眺めている。
「身長も私より小さいし…うん。あなたはちゃんと食べなさい。博士の分まで」
「哀くん?……ベルくんもそんな曇りなき眼で見つめないでほしいのぉ…」
隣でぎょっとした顔をする博士のお腹を無言で少年は見つめる。
少年のスーパーアイは冷酷にも、その腹部が以前よりも大きくなってることを見通していたが、無言を選ぶ。
真実は時に残酷なのだ。
「なんの話ししてんだ?」
「ちょっと元太くん!あんまり動かないでくださいよ!」
「彼が小さすぎるって話よ」
「たしかにー歩美と身長変わんないもんね!」
「はは…」
真実は時に残酷だった。
身長2センチのびたし…あれからまたうんともすんとも言わなくなったけど…まだ成長期だし…。
その夜、大食漢の元太と競うようにカレーをかき込む少年がいたとかいないとか。
「あ、おいあんま無理すんなよ!?」
「まだいふぇる」
「口にもの詰め込んだまましゃべるなって!ほら口拭いてやるから!」
「あはは、ベルくんかわいー」
「でしょう?」
「なんで灰原さんがドヤ顔するんですか?」
少年探偵団の笑い声が、キャンプ場に響き渡る。
そんな/夏の/小さな───
「HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!」
だから。
「今度こそ、殺すわ」
だって。
「叩き潰してやるよォ゙!!!」
でも。
「死ね、スパイダーマン!」
もしかしたら、って。
「久しぶりね、ベル。会えて嬉しいわ。さぁ、返してちょうだい。あなたの全てを」
そんなもの、ないって知ってたのに。
「さぁ、とびっきりの悪夢を始めよう!博士を迎え入れた我々の名は」
絶望は何度だって未来を閉ざす。
ああ、そうだ。
過去は消えない。
それは、当たり前の話だ。
夢でも、甘いお菓子でも、希望でもなく。
過去こそが、人を形作るのだから。
「…We
are
───」
完成されたヒーロー、そんな虚像は脆く崩れる。
未熟さに甘んじることも、もうできない。
覚悟を決めた振りも、弱さを乗り越えた振りも。
日常を楽しんだ振りも。
全て手放して。
「Sinister Six!!!!!」
少年の前に、強大な敵が立ち塞がった。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。
…なんか最終章長くなっちゃってェ…需要ないけど書きたくなっちゃってェ…。
てな感じなので、すみませんがどうぞ少年の日常が崩壊する様を一旦よろしくお願いします。