楽しかった?
爆発が白い蜘蛛を捕らえ、毒が蝕み、砂が地面へと叩き落とす。
轢き潰すような犀の突進を受け吹き飛んだ子どもが、有機的な動きをするロボットアームを持つ何者かに串刺しにされる。
毒だけではない。
幻覚が、少年を蝕んでいた。
それは蹂躙だった。
それは地獄だった。
それは孤独だった。
爆炎で毒で砂で怪力で幻覚で刺突で行われる狂乱は止まらない。
他者の介入を許さず、街の平穏を揺るがし、容赦なく命を脅かす。
「なんだこれは!美しくない!よくそれで俺の弟子を名乗れたものだな!!消し炭にしてやる!!」
少年は、人を助ける理由を知った。
だが。
少年のせいで今、多くの人が巻き込まれている。
「元はちゃちな泥棒だった。でも、ふふ。今の私はこんなにも輝いてる!」
少年は、一人で戦わなくてもいいと学んだ。
だから。
少年を殺すために、敵が徒党を組んでいる。
「何度も邪魔をした、その報いを受けろスパイダーマン!」
少年は、人を助けながら戦うすべてを身に付けた。
それでも。
助けることも戦うことも許されないほどに蹂躙されていた。
「ハハハ!俺様をずっと閉じ込めていられるとでも思ったのか!?全て、壊してやるぅ゙!!」
少年は犯罪者すら助けてみせると誓った。罪を償わせることと、見逃すことは違うということを知った。
だというのに。
かつて力尽くで社会から叩き出したヴィランだけじゃない、刑務所に入っていた多くの犯罪者が街に出て暴徒と化している。
火をつけ、金を奪い、命を脅かしている。
「壮観ね。でも仕方ないでしょう?名付け親として、あなたを生かしてはおけないの」
そして、ドクターオクトパスと呼ばれるその女を、少年はよく知っていた。
フラスコの中から生まれ落ち、まだ視界すら定まらなかったとき。
まだ試験管番号で識別されていた、未熟な命だったとき。
そんな少年に名前を与えた、黒の組織の幹部───ベルモット。
…バスジャックの時に感じた懐かしい気配は、やはり彼女のものだったらしい。
何よりも過去を刺激する彼女の気配は、少年の内側を鋭利に抉り、刺激する。
有機的な動きをするロボットアームを背負いながら、その美貌をマスクで隠すその女を見上げる少年に、できることはもう多くない。
そんな少年を嘲笑うように、金魚鉢を被り、光学装置と幻覚剤によって精神を蹂躙していたミステリオが手を広げる。
「さぁ。これより先は悪の最前線!お子様な正義感など淘汰してあげようじゃないか!」
自分の身体から、生命が加速度的に喪われていく。
そんな馴染み深い死を前にして、五感が鋭敏になっていくのを感じていた。
街の悲鳴が、いつもより近くで聞こえる。
不快だ。
苦しむ人の声が、怨嗟が、脳内に溢れかえっていく。
まるで、脳内を虫が這いずり回ってるようだ。
聞きたくなかった。
吐き気がする。
偽物の自分なんかに、助けを求めないでほしかった。
───もう疲れた、と。
少年の心が言う。
もう痛いのは嫌だと、もう苦しみたくないと、少年の心が叫んで喚く。
責任なんて果たせない。
敵に立ち向かうなんて怖すぎる。
血が流れるのは辛い。
瘡蓋と痣だらけの身体が大嫌いだ。
ずっと痛くて苦しい身体でなんて生まれたくなんてなかった。
こんなちっぽけで、成長しない身体に何の意味がある。
他の子どもは、親に説教をされて不貞腐れるらしい。
他の子どもは、お小遣いをもらって駄菓子を買うらしい。
他の子どもは、他の子どもたちは。
うざったいとすら思っているその親に、守ってもらえるらしい。
なんて幸せで、なんて輝かしくて。
なんて、妬ましい日々を送ってるのだろう。
自分だって、ただ庇護される存在として、安寧に抱かれていたかった。
普通の子どもでいたかった。
でも、それは許されない。
なぜなら、少年はスパイダーマンを真似する怪物だから。
フラスコから生み出された、不死身の化け物だから。
同級生はいつも楽しそうで、そこに交じるのは慰めになった。
でも、交じっても、交わっても、無垢な子供になんてなれやしない。
───死なせてくれ、と。
少年の口が弱音を吐いた。
だが。
ああ、それでも。
ここ最近
奴が目を覚ますのが、いつもよりも早い。
あれだけ苦しんだ蠍の毒も、握り潰され、へし折られた骨も、陥没した頭蓋も、失った永久歯も、もう見えなくなった瞳の光も。
全てが、時間を巻き戻すように回復していく。
街に付けられた傷は未だ生々しくて、暴徒は蔓延ったままで、助けを求める声は消えなくて、それでも。
自分の身体だけは疵がなくなって。
そして。
『───HEY BABY.いい目覚めだ』
一度も忘れたことがない、声がした。
少年の心にずっと巣食う、その声は、ざりざりと不快な笑い声で誘惑する。
『人間ごっこは楽しかったか?』
ああ、楽しかったとも。
もしかしたら、自分が人の振りをうまくできてるんじゃないかと錯覚するほどに。
痛いくらいに、楽しかった。
友だちと放課後に遊んで、アイスを食べて、一緒に悪党に立ち向かって、2人だけの秘密ができて、心配してくれる友だちができた。
十分だ。
この先の人生、この温もりだけを抱えて生きていける。
もう十分だ。
これ以上、決して埋まらない溝を眺めてるほど惨めな日々はない。
『じゃあ、もう未練はないな?』
わからない。
わからないけれど。
もう、スーパーヒーローでは居られない。
後悔はある。
理想がある。
だが、力がない。
この地獄を覆す、大いなる力が。
『なら答えは簡単だ。そうだろう?幸せの青い鳥はいつだってそこにある』
そうだ。
いつだって、力だけはそこにあった。
生まれたときから、フラスコの底で揺蕩っていた頃から、ずっと。
その力は真っ黒で。
歪で。
罪の証しで。
責任とは無縁の、破壊の暴君で。
痛みとして、ずっと傍にあって。
それを拒絶したくて。
過去の罪を償いたくて。
もう、何のためかも思い出せないほど、必死にやってきたけれど。
───全てが無駄だった。
所詮偽物には、大いなる責任を果たすことは出来ない。
真似事では、大いなる力には及ばない。
犯罪者を生かすことは、未来の脅威の種を植えること。
守るという形の限界がこの惨状だ。
『さぁ、久しぶりの外だ!愉しませろ!!!叫べ、吠えろ!殺戮の刻を鳴らせッ!!』
黒に染まる。
黒に呑まれる。
自分から、その先へと堕ちていく。
旧S・S・S。
Synthetic Soldier Series。
本来は万能細胞を生み出し人類の希望にするはずだったその研究を歪め、フラスコによって兵士を生み出そうとして、結局宮野エレーナに凍結されたその計画の略称を受け継いだ新たな研究。
〝Symbiote〟 Soldier Series。
胎児の時から宇宙から飛来した寄生生物と共生させることで、生物として安定を保つ悪魔の計画。
「We are…」
その寵児が、外殻を放棄して咆哮する。
「Venom!!!!」
蹂躙が、始まった。
●
「…おい、なんだよ…!あれは!!」
街を蹂躙する暴徒と凶悪なヴィラン。
唐突に始まったその地獄は、ツインタワービルを中心にまたたく間に東都を飲み込んでいた。
そこに、たった一人で立ち向かっていたスパイダーマン。
助けに行こうにも、直前まで富士山と画家にまつわる殺人事件に巻き込まれていたコナンは、反対側のビルの屋上で行われるリンチを外野として見ていることしかできていない。
爆発炎上するビルに取り残された多くの民間人が、自分の命を心配して固唾を呑んで戦いを見守っていた。
…否。
闘いなんてものではない。
蹂躙だった。
命の冒涜だった。
彼が積み上げてきたものを陵辱する、最低な狂乱だった。
だから、白いスーツが血で染まり、動かなくなるのも時間の問題で。
ただ、己の無力を噛み締めるしかないと、思っていたのに。
「■■■■■■■■■■■ッ!!」
気が付けば。
小さくてか細いヒーローはそこにいなくて。
気が付けば。
触手を蠢かせ、牙を鳴らし爪を研ぐ、黒い怪人がそこにはいた。
「あれは…」
「おい、何か知ってるのか灰原…!?」
黒い化け物が、ミステリオと呼ばれるヴィランのヘルメットを踏み躙り、腹部に凶悪な触手を突き立てている。
ひどく非現実的な、まるでコミックの1シーンのような、悪夢がそこにあった。
「ぐ、ぁ…が…ドクター…?話が違うぞ…!!なんだ、これは!!!なんだこのばけものは!!??」
「お前が一番不愉快だ…!幻覚を見せるな…過去など、俺たちには必要ない!!」
ぐちゃり、と。
遠く離れている筈なのに、命が終わる音がした。
スパイダーマンが戦っていた時には、決して聞こえなかった不快な合図。
あれはスパイダーマンではないのだ、と。
真実を見通す青い瞳と聡明な頭脳は理解した。
「死ね、金魚鉢」
ゴミクズのように血塗れの肉体が吹き飛び、コナンたちのいるフロアの窓を突き破った。
───覚悟なんてない。
辛くないなんてことはない。
痛いのは嫌い。
だから、誰か。
たすけてください。
言えたじゃねえか…。
書けて良かった(最悪)。