「遊びは終わりです、ベルモット」
ミステリオが、ライノが、スコーピオンが、グリーンゴブリンが、サンドマンが、もう街から排除された。
抑圧された期間が長かったからか、想定していたよりもシンビオートの活性化が著しい。
「あなたは派手にやりすぎた」
そうだろうか。
自分に向かって銃を向けるバーボンを見ながら、ベルモットは首を傾げる。
───ロボットアームを引き千切られ、脚をへし折られてるとは思えないほどに、その仕草はあまりにも日常的だった。
果たして本当に、やりすぎだったのか。
人を殺し、殺戮の限りを尽くし、それでもなお喜悦に牙を歪めるあの化け物を排除するためには、仕方なかったのだけど。
むしろ、足りなかったくらいだ。
スパイダーマンとしての彼を限界まで追い詰め、殺害すれば、奴が出てくるのは既定路線。
シニスターシックスなんて名前をつけてその気にさせていた犯罪者たちが敗北することも、計画外ではあるが、想定外ではなかった。
だが、奴が出てきてから、それでも誰も黒い毒蜘蛛を攻撃しようとしないことだけは想定外だった。
彼の本性が顕になれば、街の警官すら味方になってくれると思っていたのに。
グリーンゴブリンに至っては、警官に取り押さえられている。
どうやら、爆弾処理のスペシャリストが彼のカボチャ型の爆弾を完全に無意味なものに変えて、刑事たちが抑え込んだらしい。
街が、息を吹き返している。
スパイダーマンがいない東都が、地獄を押し返している。
彼を攻撃させ、毒蜘蛛の気を引かせるという囮役を担わせようとしていた、足手まといたちが、奮起している。
なんなら民間人に手を出させ完全にスパイダーマンとして終わらせようとすら考えていた、名もなき誰かたちが、最前線で踏ん張っていた。
「最近組織に無断で米花町にドラッグを流していたことがバレた、ピスコと同じです」
「あんな老人と一緒くたにされるのは心外だわ」
Venom。
そう名乗る、街に巣食う毒蜘蛛を駆除しようとしただけなのに。
かつて。
組織のボスにいずれベルモットの抱える秘密を解決する可能性を発見をしたと教えられ、はしゃいでいたころがひどく懐かしい。
赤子に気まぐれで名前を与えて、その時を今か今かと待ち望んでいた自分が馬鹿みたいだ。
…一向に研究成果をあげない研究員たちへの抜き打ち検査をしよう、なんて建前で。
早くシンビオートを試したいという、クリスマスが待ちきれない子どもみたいな理由で軽率な行いをしたことを、今でも後悔している。
カメレオンになろう、と。
そう決めた。
『カメレオン』という産業スパイは、ボスにすら教えていない自分のもう一つの顔だった。
組織とは関係ない、ただの興味を探るときに使う、ベルモットが生み出した架空の人物。
彼になりすませば、仮に潜入がバレてもベルモットがやったとバレることはない。
そんな楽観的な危険予測で、研究所へと足を踏み入れたあの日に、その期待はすべてが絶望へと色を変えた。
『ねえ、待って!私ベルモットよ!』
『ほー!さすが、変装の名人。噂に違わぬ見事な演じ分けだ。…だがね、組織の幹部であの方のお気に入りである彼女が、わざわざ変装して潜入なんてするわけない…とまでは考えつかないんだね』
『ちが…!』
『さぁ、カメレオン。変装ではなく、変身の時間だ。擬態を繰り返す君はもしかしたら、人類の希望になり得るのかな?…さぁ、シンビオートを解放しよう。仲良くしてくれたまえ』
痛かった。
苦しかった。
頭の中を、自分のものではない声が満たしていく。
寄生生物だった。
共生なんて、できるはずない完璧な寄生だった。
自分の肉体の支配権を失い、自分の心の内の加虐性を掻き立てられ、その圧倒的な力に肌が泡立つほど快楽を感じる。
気が付けば、瀕死の青年が目の前にいて。
『よかった。助けられて』
『なんで…』
『君が苦しそうな顔してたから。…それだけさ』
彼の命と引き換えに自分は救われていた。
黒い毒蜘蛛が、最後は彼を葬ったと知ったとき、どれほどの怒りがベルモットの中に溢れたか。
同時に。
自分が引き起こしたことだと、後悔を重ねて。
スパイダーマンの真似事をしてることだって、白く偽ることだって彼女は許した。
だけど、1年前見つけた
『わけなんているのかよ?』
懐かしくて尊い光を、見せてくれた彼のそばに。
『人が人を殺す動機なんて知ったこっちゃねーが…人が人を助ける理由に、論理的な思考は存在しねーだろ?』
黒い毒蜘蛛が巣を張っていた。
殺さなくては、と思った。
そこに深い理由はない。
あの快楽に抗えるわけないとか、あれと共生している時点で人格は残っているはずはないとか、二度とシンビオートを使った実験が行われないようにしなくてはならないとか、後からなら幾らでも理由は思いつく。
だが、その時思ったのはただ一つ。
殺さなくては、と思ったのだ。
ただそれだけのために、複数の刑務所に潜り込んで、暴徒たちを街に解き放ったのだ。
毒蜘蛛が咆哮をあげている。
「でも、そうね」
責任は取るわ、と。
ベルモットは自分の心臓を、拳銃で撃ち抜いた。
●
江戸川コナンの証明は終了した。
降谷から明美に託された殺人事件の資料。
灰原に託された研究資料。
江戸川コナンが見てきたベル・パーカーとしての姿。
それらをつなぎ合わせ、過去に何があったのか。
彼は何者なのか。
たった一つの真実は解き明かされた。
だが、届ける方法がなかった。
「…そこは、私にまかせてちょうだい」
「お前…!」
「あら、なに?ただ私が泣いて縋るだけの女だと思った?悪いわね、私は…」
ツインタワービルの最上階で、風に煽られる灰原は決意を込めた瞳でコナンのことを見返して、宣言する。
「私はシェリーよ。黒の組織の元女幹部。誰よりも、彼の身体に詳しいんだから」
「じゃあいくぜ、お二人さん!!」
暗闇を、白が引き裂く。
東都を拠点に活動する、スパイダーマンのコインの裏。
白い怪盗紳士が、2人の子供を抱えて飛ぶ。
彼がここにいることに、ご都合主義はない。
怪盗紳士はいつだって、スパイダーマンを気遣い、見守ってきた。
…だからこそ、コナンたちがいなければ一人ででも飛び込んでいたであろう大人の一人だった。
とはいえ、とある女性にあるものを託されたキッドは、その思いを名探偵へと預け、自分の役割へと集中することにしていた。
「■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」
ビルの反対側の屋上では、ドクターオクトパスを吹き飛ばしたヴェノムが雄叫びを上げており、その隙をつこうとしたサンドマンが屋上のプールに叩き落とされ、原型が残らないほど粉微塵にされていた。
危険地帯だ。
東都において、今、一番死の匂いが強い場所だ。
何度もヴィランを追いかけるように屋上と街を行き来していると言うのに、怪物の勢いに衰えはない。
どころか、血を浴びてより力を増しているかのような様子すらあった。
それでも。
「やぁ、ベル!久しぶりだね!!」
「スパイダーマン!!!!!なぜそこにいる!お前は!俺たちが…俺が殺したはずだろうが!!!!!」
3人は怯まない。
赤いヒーローに化けた怪盗紳士を目掛けて、全ての余裕をかなぐり捨て、ヴェノムが襲いかかる。
その動きは、今日一番の速度を記録していた。
空中に躍り出て、その爪を突き立てようとしたその瞬間に、しかし。
「まきしまむ◯ほるもんがすきなんだって?なら、たんと聞きな!!」
「■■■■!!!っ゙ッ゙ザか゚嗚呼ああ───!!!?」
指向性を持った音波が、怪物の鎧へと叩きつけられた。
灰原がずっと用意していた、対シンビオート用の兵器。
それを受け、無防備になった化け物が空中で身をよじる。
落ちる。
墜ちる。
オチテイク。
ただ虚空へと手を伸ばし、月を望むかのように拳を握りしめ、ただ一人で重力に囚われる。
必死に活路を探す、怪物は。
見た。
「ねぇ、ベル」
月光を背に、淡く微笑む女を。
「約束を果たしに来たわ。…殺してあげる」
「SHELLY……!!!」
かつて、彼女は言った。
死にたくなったらいつでも私のところに来なさい、と。
少年は彼女との約束を守って、命がけで姉を助けた。
だから。
彼女がその選択をするのは、ある意味必然で。
「でも、一人ぼっちは寂しいでしょう?だから───」
その女が、ビルの屋上から命綱なしに身を翻したのを。
見た。
怪物は。
ヴェノムは。
ベル・パーカーは。
気づけば/手を伸ばして/いて。
身を委ねてからずっと使ってなかった、スパイダーマンへの擬態が、再び始まる。
ウェブシューターはない。
だけど、シンビオートならある。
スーツもマスクもない。
だけど、3年間ずっと積み上げてきた経験がある。
身に纏っていた鎧が糸へと転じて屋上へと伸び、同時に風に煽られながらどんどんと加速しながら落下する灰原へと糸を伸ばす。
空中での加速の仕方。
人を安全に助けるやり方。
そんな、もう何千回も繰り返してきた動きは、精神が摩耗して、力に振り回されて、唐突に意識を繋ぎ直した今でも身体が覚えている。
「つか、まえ…」
「ほら、やっぱり」
「た!!」
「あなたに、悪役なんて似合わない」
地面に叩きつけられる、ほんの直前。
シンビオートを使い果たして、屋上と少女をギリギリで繋ぎ止める泣き虫な少年を。
灰原はただ、抱きしめていた。
少年の音楽趣味とか、実は伏線とも呼べない程度ながら用意はしてました。
哀ちゃんはやると言ったらやる女。
そして少年は、結局どこまでいっても。