召喚勇者の英雄譚 ――三人の勇者は、祝福を受け、しかし記憶を失った―― 作:霧島 高
タイガのパーティが、帰ってこなかった。
彼らは、中層の奥にいた守護者、あのスライムたちの親玉を打ち破り、下層へと到達した。
その後、一旦地上へと転移してその場で簡単な報告をし、その日そのまま再度下層へと進んでいたのだ。
意気揚々とした、自信に満ちた行動だったのだろう。
けれど、いくら待てども、その日のうちに彼らが戻ってくることはなかった。次の日にも音沙汰はなく。
そして遅れること二日、僕たちもまた、その大扉の前に辿り着いた。
「この先にいるのは、大量のスライム。守護者がいるはずなんだけど、中は暗くてどこにいるかわからないんだ。それから、スライムの中に、体を分割して飛ばしてくる厄介なのもいる」
僕は焦っていない。焦ってはいけない。
タイガとシンジュに何かあったとして、それを確認するために僕は仲間を危険に晒すわけにはいかない。
三日間が救出の期限だ、なんて記憶が蘇っていた。それがこの世界で通用するとは思えない。けれど、それでも望みを捨ててはいない。
「一体ずつ、素早く倒す」
シェリーが黒剣を抜き放ちながら言った。
彼女がもつそれもまた魔法武器だった。タイガが持っていた聖剣は、エルフの国から入手した業物だ。その刀身は白く輝いていたけれど、彼女の持つそれは反対に、吸い込まれそうな闇色だった。
聖剣に比べれば、そのサイズはあまりにも小さい。
しかしそれがシェリーの手に収まると、奇妙なことにそれがとてもしっくりときて、とても頼もしく感じられる。
たとえ僕がそう信じたいだけだとしても、どちらにせよ通常の攻撃ではダメージを与えられないスライムには有効だ。
「魔神よ、彼の者に雷の力を与えよ……《サンダーウェポン》」
オズマとブリギッタには付与魔法を行使し、僕たちは意を決して扉を開いた。
ザシュッ! ズシュッ!
シェリーが素早くスライムたちを切り刻んでいく。タイガに比べればその威力は低いが、元よりスライムの耐久力は高くない。敵を減らす速度としてはシェリーのほうが上回っていた。
タイガの扱う聖剣は、スライムのようなモンスターを倒すには、過剰に過ぎたのだろう。
「気を付けて。色の違うスライムがいる。そいつが体を飛ばしてくる」
そしてもう一つ重要なことがあった。彼女は、それに気付いた。
薄暗い中で、それはほんの僅かな違いだ。普通のスライムは若草色をしている。それよりも濃い色をしたスライムが混じっているのだという。
僕にはその違いが判らなかった。少なくともすぐ見分けることはできなかった。
けれど。
「あいつさね!」
シッ!
僕の隣でブリギッタが矢を放つ。狙いは違わず、遠距離から酸の体を飛ばそうとしていたスライムを一体、蒸発させた。弓を扱う彼女は、きっととても目が良いのだろう。あるいはだからこそ、彼女はハンターというジョブなのかもしれない。
思い起こせば、彼女は前回ここに来たとき、僕を護るために短剣を握っていた。今回はそれを弓に持ち替えることで、遠距離から厄介なスライムを排除できているのだ。
「おっと、通さねえぜ」
盾を構えたオズマが、彼女や僕といった後衛を、スライムの体当たりから護っている。盾にへばりついたスライムを、オズマはスモールソードと呼ばれる細くやや短めの剣で突き刺していた。
僕たちは、着実にスライムの数を減らしていく。だがそれでも広間の奥からは、どんどんと新手がやってくる。
やはり、その奥にいる親玉を倒さない限り――。
「ミナト、おかしい」
「え?」
シェリーが目の前に迫るスライムを素早く倒しながら、広間の奥を、剣を持たない左手で指差した。
「親玉なんかいない。どこにも小さいスライムしかいない」
「どういうこと? ……いや」
ああ、つまり、そういうことか。守護者というからには、てっきりあの巨蜘蛛と同じかと思っていたけれど、そうではなかったのだ。
「奥にいるスライムが、どんどん分裂していってる」
その時、ちらりと視界に映った彼女の赤い瞳が、その輝きを増している気がした。
近くに見えているスライムは、こちらに攻撃を仕掛けてくるだけで、分裂はしていない。理屈はわからないが、彼女の言う通りならば、おそらくこの広間は、そういう仕掛けなのだろう。
もしかすれば、いまこの場にいるスライムたちも、暗がりに入ってしまえば分裂するのかもしれない。そうしていることを悟らせないように。
それならば、僕に一つ、策があった。
「魔神よ、彼の者たちに戒めを……《エリア・パライズ》」
僕は暗闇に向かって、呪詛魔法を唱えた。
これは状態異常を与える魔法だ。ただし、魔法生物であるスライムは眠ることもないし、目があるわけでもない。
だからこれは、唯一それらに効果のある状態異常。
「分裂が遅くなった」
麻痺。
「今のうちに減らそう。また分裂が早くなったら教えて」
「わかった」
状態異常の付与魔法は、最初の頃、抵抗されることも多かった。けれどダンジョンを進むにつれ、僕の魔法はより強くなっていた。
僕は元の世界におけるゲームのことを思い出していた。
もしかしたらこの世界には、経験値やレベルといったものが実はあるのかもしれない。あるいは魔法を使えば使うほど、熟練度のようなものがあって強くなるのかもしれない。
どちらにせよ、群体であるスライムは、個としてそれほど強くないのだ。
「ミナト、もう一度」
「わかった。……魔神よ、彼の者たちに戒めを……《エリア・パライズ》」
また一つ、僕は思い出した。
僕は学校という場所に通っていたのだ。
そこでは、名前はおろか顔すらも思い出せない友人たちと、いろんな話をしていた。僕はそれほどゲームというものに詳しいわけではなかったけれど、みんながいろいろ教えてくれたんだった。
「……魔神よ、彼の者たちに戒めを……《エリア・パライズ》」
学校とは、机を並べて皆で学ぶ場所だった。そこで知識を蓄え、社会常識を学び、将来のために役立てる場所だった。
けれど、そこで学んだことは、果たして、いまこのとき役に立っているのだろうか。
「これで、終わり」
ズシャッ!
最後の一体が、シェリーの黒剣により貫かれた。
「ふぅ……」
僕は安堵のため息を吐きながら、考える。
元の世界で学んだことは、あまり役に立っているとは思えなかった。
それに、いくら考えても、あの友人たちは何という名前で。そして、どんな顔をしていたのかが、やはり思い出せない。
一緒にいろんなことを成し遂げたはずなのに、思い出せない。
……でも、それを思い出したところで、何だというのか。
そうしたところで、僕のやることは何も変わらないじゃないか。
なぜなら、この国の未来が掛かっている。
だから僕は、このダンジョンを制覇しなければならない。
あるいは、僕たちは。
タイガとシンジュ、そしてその仲間たちが、無事でいてくれれば。
今度こそ、協力し合えるのではないか。
きっと、あの頃のように。
友人たちの中に、あの二人もいたはずなのだ。
だって、みんな、揃いの制服を着ていたのだから。
けれど、下層は。
「〇※▽Γ……」
まさしくその名に相応しく。
「女神よ、我らをあまねく包み給え……《エリア・ヴェール》」
「……◇■!」
漆黒のローブを羽織ったスケルトン――リッチが放つ理解不能な言語ともに、僕たちの周囲が炎に包まれる。
シュゥ……。
しかしそれは一瞬の後、掻き消える。言語は理解できなくとも、魔力の流れを読めば何の魔法かはわかった。《フレイム・ピラー》と呼ばれる、広範囲を焼く火炎の攻撃魔法は、僕の結界魔法により阻まれたのだ。
だが。
シッ!
「ちっ!」
ブリギッタの放った矢は、リッチには届かず、その前を護る牛頭の巨人に防がれてしまう。僕の知識によれば、それはミノタウロスと呼ばれるモンスターだろう。
「▽●●Φ……」
「女神よ、我らをあまねく祝い給え……《エリア・ブレス》」
「……※■!」
リッチが続いて唱えるこの魔法は、僕があのスライムに放った呪詛魔法だ。魔法職ではない者たちの能力を封じる、麻痺の状態異常を起こさせるもの。けれど、それに抵抗するための僕の結界がそれを阻害し、効果はない。
「どりゃあ!」
ドン!
オズマがミノタウロスに大盾を押し当てながら突進する。ミノタウロスは大斧を振り下ろそうとしていたが、オズマの行動によりそれは未然に防がれた。
ザシュッ!
それに合わせ、シェリーがその首元に黒剣を突き立てる。
シッ!
畳みかけるように、その額にブリギッタの放った矢が刺さり、それがトドメとなったのか、ミノタウロスは消えていった。
ザンッ! ザシュッ!
前衛を欠き、残った一体のリッチは、二本の短刀に持ち替えたシェリーの手により手数で圧倒され、魔法を使えぬままに倒れる。
「魔法ってのは、敵にすると厄介だねえ」
ブリギッタの呟きに、おそらく皆が同意した。
消えていくリッチの姿を見ながら、同時に僕は考える。
魔法使いとは、誰かに護られなければ、何もできないのだ。
魔法という理外の力を扱うその代償は、究極的な脆さ。
「……進もう」
僕は杖を握り直した。
そして、このパーティの魔法使いは、僕だけだ。
下層の地図は存在しない。
少なくとも、今のダンジョンにおけるそれは存在しない。
なぜならば、ダンジョンは最下層に辿り着いた者によって制覇されると、その構造がすべて変わってしまうからだ。
前回、このダンジョンが制覇されてからおよそ二百年が経過し、その間に下層が探索されることはなかった。
ダンジョンの構造変化には時間がかかる。最初は上層部のみしか到達できず、やがて中層ができあがった。そうして中層の奥に守護者の間が出来た、つまり下層の一番上である第七層が出来たと推定される頃には、百五十年経っていたそうだ。
そしてその後五十年の間に、中層を抜けた冒険者はいなかったという。
これは冒険者ギルドに残る記録による、現在のダンジョンの歴史なのだと、ダンジョンへと挑む前の講義で、バルタザール氏が雑談として教えてくれたことだ。
そう、これは、勇者である僕には、関係のない話だ。
なぜなら、それを知っていようと知っていまいと、ダンジョンを制覇しなければならないことに変わりはないからだ。
知っていなければならないのは、下層が未探索の領域であるという事実のみ。
「この先、罠がある。別の道を行く」
シェリーの言葉に従い、僕たちは少しずつ地図を埋めていく。
「でも、どうしてこれまで誰も下層に降りようとしなかったのかな」
ふとした疑問だ。なぜ冒険者は皆、中層に留まっていたのか。
その答えを知っていたのは、ベテラン冒険者であるブリギッタと、そして国一番の冒険者と呼ばれたオズマだった。
「下層じゃ魔石が取れないってのは、よく知られてる話だからねえ。それぐらいの伝承は残ってたのさね。ま、下層には財宝が眠ってるらしいけど、そいつは眉唾もんさ。それに、普通の冒険者は中層で魔石を集めてるだけで充分だったのさね。国がいくらでも買い取ってくれたからねえ」
おそらくブリギッタとかつての仲間たちは、冒険者の中でも上澄みだったのだろう。その彼女たちでさえ、下層を目指すことはなかったのだ。
「オズマは進もうと思わなかったの?」
「俺は第六層までいったんだが、そこでパーティが解散しちまったんだ。おっと、勘違いするなよ。まあ、家族を持ったりすればみんな考え方も変わるってもんだ」
「オズマの旦那は結婚して、ダンジョン探索はやめちまったのさね。もっとも地上にもモンスターはいるし、旦那みたいな有名な冒険者はどこいったってひっぱりだこさね」
殺伐としたダンジョンにいると、つい忘れてしまいそうになるけれど、この王国には地上で暮らすたくさんの人々がいる。
「二百年前は、どうやってダンジョンを制覇したのかな。やっぱり勇者を召喚したのかな?」
元の世界の知識を得たからだろうか。僕はこの世界についてもっと知るべきだろうと考え始めていた。
あるいは、この世界そのものに疑問を持ち始めた、といってもいいかもしれない。
「ダンジョンを制覇した、あるいは制覇を目指すやつは勇者と呼ばれてたって話だが、召喚されたとは聞いてねえな」
「え?」
「なんせ俺のご先祖様もその一人らしくてな。もっとも、それこそ本当かどうかわかんねえ。けど、この鎧と盾がその証なんだとよ。だから、ある程度の魔法を防いでくれるってわけだ。ここでやっと役に立つぜ。過信は禁物だけどな」
つまるところそれは、ダンジョンの制覇に勇者の召喚は必須じゃないということだ。
「僕たちが召喚されたのは、それだけ王国は切羽詰まってるってことなんだね。でも、どうしてもっと早く手を打たなかったんだろう」
「さてな。そもそも俺だって魔石が取れなくなるなんて知らなかったんだ。国の連中は知ってたかもしれんが、だとしたら王国は魔石の使い道を誤ったんだろう。ほら、お前さんが持ってる帰還装置も魔石を使うだろう? そいつはダンジョンを進むんだったら必須の魔道具だわな。そういうのをもっと作って、ダンジョン探索を進めるべきだったんだ。だがな、魔道具ってのは産業の要だ。農地を耕すのにも、街道や街そのものを整備するのにも使う。軍隊の兵器にもな」
これは僕の予想だけれど。
もしかすれば、国が発展しすぎたせいで、ダンジョンの探索のためではなく、国の産業のために魔石を使わざるを得なくなったのではないだろうか。
それに魔石の需要が高まりすぎて、ブリギッタが言った通りいくらでも国が買い取るならば、それに伴い、冒険者が魔石の取れない下層へと赴く理由がどんどん失われていったのではないか。
「あと、それにな……」
オズマは少し肩を落としながら、続けた。
「いままでは、どこからともなく勇者がやってきて、ダンジョンを制覇してきたんだろう。召喚なんぞしなくても、伝説的な冒険者ってのは、本当かどうかはともかく今も語り継がれてるんだぜ。俺なんか足元にも及ばねえような、すげえ奴がな。だから、今回もなんとかなるだろうって高を括ってたのかもしれねえ」
その言葉に、僕の記憶が刺激された。
僕の知識に、それをまさしく表す言葉があった。
正常性バイアス、というやつだ。
次もうまくいくだろう、今まで何とかなっていたんだから大丈夫だろう、と僕たちは自然に考えてしまうのだ。
だがそれこそ、もはや事が起こってしまった状況で、その危険性を語ったとしても、何の意味もなさない。手遅れなのだ。
だからこそ、緊急手段として、勇者として僕たち三人が召喚されたわけだ。
そういえばと、僕は思う。
タイガたちは下層へ至るための守護者であるスライムたちを、どのように倒したのだろうか。
決まっている。難なく倒しただろう。
簡単に倒してしまっただろう。
そしておそらく、それが原因で……。
「止まって」
けれど僕の思考はそこで中断した。一斉に皆が静かになる。
シェリーが小さく静かに言葉を続ける。
「この先にいる。間違いなく強い」
小さな扉が見える。
このダンジョンに複数ある似たような扉の向こうは、たいてい小部屋になっていて、そこでモンスターが待ち構えているのだ。
だから僕たちはそれぞれの装備を入念に準備してから、そこへ突入した。
しかし、そこにいたのは、たった一体のモンスターだった。
シッ。
「だめかい」
ブリギッタが、敵が動くよりも先にその眼をめがけて矢を放った。しかし素早く動いた敵の腕がそれをはじき返した。
たった一体。されど一体。
シェリーが評したように、間違いなくそれは強い。
禍々しく、醜悪な姿。
ヤギの頭に黒い翼、筋肉質な人のような、けれど暗く染まった身体。
そして巨体だ。その背丈は人の倍以上。
それを表す言葉は、悪魔。すなわちデーモンだ。
「魔神よ、彼の者に脱力の呪いを与えよ……《イグゾースト》」
ガンッ!
僕の呪文の直後に放たれた怪力の拳が、オズマの盾を大きく鳴らす。
「なかなか、だな!」
僕の魔法の効果が弱いのか、あるいはデーモンの力がそれをもってしても強すぎるのか。オズマは余裕そうな声を上げたが、おそらく言葉ほど余力はないだろう。
僕はオズマの背中に隠れながら、さらに呪文を唱える。
「魔神よ、彼の者を縛る鎖を放て……《バインド》」
だがデーモンは一体だ。ならばいくらでもやりようはある。
もちろん油断できる相手ではないが、少しずつ着実に相手の力を削いでいくだけでいい。僕たちはこれまで通りの戦いをすればいい。
ガン! キンッ!
「硬い」
突入と同時にいつもの如くふわりと消えたシェリーは、いつの間にかデーモンの背後に回っていた。その手に握る二本の短刀でその体を連続して斬りつけるものの、鋼を叩くような音がするだけで、それを傷つけることは叶わなかった。
ならば。
「魔神よ、彼の者に弱化の呪いを与えよ……《ウィークネス》」
シッ!
呪文を唱え終えると同時、横からブリギッタの矢が飛ぶ。オズマと力比べをしているデーモンはそれを防ぐことはできず、その矢は胸元に突き刺さった。とても浅く。だが突き刺さりはしたのだ。
ザシュ!
であれば当然、シェリーの連続斬りもまた、浅くその皮膚を裂き始める。
その様子に、もしここにタイガがいれば、その聖剣でこの硬いデーモンですら一刀両断していたかもしれないな、なんてふと考えた。
まさに、その時のことだ。
「〇※▽Γ……」
敵が呪文を唱え始めた。
その魔法は、リッチが使ってきた炎の攻撃魔法だ。
「女神よ、我らをあまねく包み給え……《エリア・ヴェール》」
だから僕はそれを防ぐための結界魔法を唱えた。
「◇■!」
僕の魔法は間に合い、遅れて相手の魔法が放たれる。
シュゥゥ。
「ぐっ……」
だがその魔力はリッチのそれよりも強大であり、僕の結界魔法では防ぎきれず、その一部が通り抜けてしまう。
しかしほんの一部であって大したダメージはなく、炎はすぐに消え失せる。
けれど僕は、ほんの一瞬だけ、そのことに気を取られた。
その隙にヤギの頭から、続けざまに別の呪文が紡がれていたというのに。
「♦□Σ○……」
その呪文へ対抗する結界は。
「女神よ、我らをあまねく祝い――」
僕の油断によって。
「※▽!」
間に合わなかった。
ザクッ。
「うぐ……」
そして僕は、背中に痛みを感じ、振り返った。
……そういうことか。
痛みは僅かだ。それを堪えながら、僕は呪文を唱える。
「女神よ、彼の者の霧を晴らせ……《キュア・イリュージョン》」
「くっ……。すまない、ミナト」
僕を短剣で切りつけていたのは、ブリギッタだったのだ。
敵の唱えた魔法は、状態異常を与える呪詛魔法だった。
幻惑を見せつけ、同時に極度の緊張感を与えるその状態異常により、彼女にはきっと僕が何かのモンスターだと見えたのだ。そこを反射的に切り付けたのだろう。
同じく魔法の範囲にいた僕とオズマは抵抗に成功し効果がなかった。おそらく僕の着ているローブと、オズマの鎧のおかげだろう。
しかし彼女には通ってしまったらしい。
やはり、一筋縄ではいかない。
デーモンは見た目からわかる腕力や体力だけでなく、その魔法もまた強力ということだ。
だから、僕はじくじく痛む背中を治癒するのは、後回しにした。これぐらい、どうってことはない。
「魔神よ、彼の者の声を奪え……《サイレンス》」
しかし抵抗される。元から一度で成功するなんて思っていない。
シッ! ザシュッ! ガン!
その合間にも、再び弓を取ったブリギッタの矢が飛び、シェリーの絶え間ない斬撃が放たれ、オズマの鉄壁の盾が僕を護る。
「魔神よ、彼の者の声を奪え……《サイレンス》」
だから同じことを繰り返す。
「魔神よ、彼の者の声を奪え……」
「〇※▽Γ……」
「《サイレンス》」
「……!」
そして魔法を封じさえすれば、あとは仲間がなんとかしてくれる。
ドンッ! ザシュ!
最後にオズマのシールドによる体当たりで体勢を崩したデーモンは、その喉笛を後ろからシェリーの黒剣により貫かれ、消えた。
「ふう……」
僕は息を一つ吐き、その時背中の傷の痛みを思い出した。
それを癒そうと呪文を唱えようとしたとき。
「……ミナト」
シェリーが、部屋の奥を指差した。
「……え?」
だから、その呪文を唱えることは、できなかった。
そこに冒険者が一人、倒れていた。
知らない冒険者だ。黒いローブを着て仰向けに倒れている。
右肩から大きく袈裟に斬られ、床に血が飛び散って黒く固まっていた。
さらに奥、もう一人の冒険者がいた。フルアーマーが砕けて散らばり、その胴体を深く横なぎにされて絶命していた。
「レーナ……、サンドラ……」
ブリギッタの苦しく呻くような呟き。
その二人は折り重なるように倒れていた。サンドラは腹を、レーナは胸を裂かれていた。
サンドラの持っていた盾が、真っ二つに割れて転がっていた。
レーナの持っていた短剣が、刃の半分ほどを失い落ちていた。
そして。
そうならば。
もはや。
「シンジュ……」
純白のローブが、黒く染まっていた。
俯きに倒れる彼女の周りに、血だまりが黒く拡がっていて。
それはまるで、怨嗟のごとき呪縛にて、彼女を穢し続けているようだった。
「タイガ……」
彼もまた真っ黒だった。
その全身は焦土のように荒れ果てていて。
それでもシンジュに向けて、彼女を救おうと手を伸ばし、それが叶わぬと絶望しているようだった。
「あ、ああ……」
二人の死に。
ドクン、と心臓が跳ねた。
もう、すべては、遅いというのに。
いまさらだというのに。
僕は頭を抱え、蹲る。
「ああ、うああ、ああああああ!」
ああ、僕は。
そう、僕は。
すべて。
思い出した。
思い出した。思い出した。思い出した。思い出した。思い出した。思い出した。思い出した。思い出した。思い出した。
やっと、思い出したんだ。
記憶が。
奔流する。
そう、僕は。
忘れていた。
忘れていた。忘れていた。忘れていた。忘れていた。忘れていた。忘れていた。忘れていた。忘れていた。忘れていた。
どうして、忘れていたんだ。
「うわああああああああああ!」
絶叫と共に、涙が溢れる。
とめどなく。尽きることなく。
どうして忘れていた。
こんなにも大切なことを。
どうして最後まで思い出せなかった。
もっと早く。
最初に思い出す、べきだろう。
どうして?
どうして!?
ああ、そんな。
だって。
タイガは。
大凱は。
僕の親友。大切な親友で。
小さなころから、ずっとそうだった。
そして、シンジュも。
僕は、幼い頃から知っている。
誰よりも彼女のことを、よく知っている。
なぜなら、シンジュは。
深祝は。
僕の……。
双子の、妹だ。
「ああ、うわあああああああ!」
※
「よかったね、大凱」
「へへっ、ありがとうよ、
高校生活もあと一年となった春休みのこと。
幼馴染の大凱が、ついに深祝に告白した。
「まあ深祝が断るなんてこと、絶対ありえないけどね」
「あ、ちょっと。その先は言っちゃだめ、湊詞」
「ははっ、わかったよ、言わないから」
そして二人して、僕に報告をしにきた。律義なことに。
そもそも、二人が両想いなんてことは、ずっと前から知っていたんだ。だって二人して、それぞれ僕に相談してくるんだから。
それにね、相談される前から気付いていたよ。
三人で遊びに行けば、二人の視線がどこに向いているかなんて、一目瞭然だったんだから。
「これから、二人で遊びに行くんでしょ? 早く行っといでよ」
「いいや、湊詞も行くんだよ」
「うん、そう。湊詞も来ないとダメだよ」
「え~? どう考えたって僕邪魔じゃない?」
「邪魔なもんか。ほら行くぞ!」
そしてそれは、僕にとっても最高の春休みで。
でも、春休みが終わって、始業式の日。
僕たちはこの世界に来て。
すべてを忘れてしまっていたのだ――。
※
王都のはずれに、僕は来ていた。
あのあと、小部屋の向こうに階段があり、僕たちは第八層に到達した、らしい。
僕はそれを覚えていない。
過去の記憶の奔流に呑まれ、すべてを喪失した悲しみが押し寄せ、遅きに失した後悔が、僕の心を支配してしまったから。
「大凱……、深祝……」
一つの墓標を前に、僕は座り込んで、ただ涙を流す。
彼らの遺体をダンジョンから持ち帰ることはできない。
ダンジョンとはそういうものだ。そしてしばらくすれば、モンスターが消えるのと同じく、彼らもダンジョンへと吸収されてしまう。
だからその代わりに、シェリーが二人の遺髪を一房ずつ、持ち帰ってくれていた。それを、この墓標の下に、同じ場所に埋めた。
二人が共にいられるように、と。
「僕は、どうすれば、いいんだ……」
もう、二人は答えを返してくれない。
だって、二人を助けられなかったのだから。
「ああ、どうして、こんな」
もっと早く思い出していれば、こんなことになりはしなかったのだろうか。
そうなら、僕はもっと強く、二人を引き留めることができたのではないか。
あるいは。
そうであっても、できやしなかったのだろうか。
ああ。
どうして、僕は思い出してしまったのだろうか。
知らないままのほうが。
そのほうが、よかった――。
ザッ。
「……シェリー?」
足音に振り返れば、銀髪の少女が、感情の見えない赤い瞳で、僕を見つめていた。
「ミナト」
彼女は僕の傍に寄ってくる。もう足音はしない。僕にわざと気付かせたのだ。
「……」
彼女は黙ったまま、座り込んで泣く僕の頭に、その小さな掌を乗せた。
「ねえ、シェリー。僕はどうしたらいいのかな」
そのまま優しく撫でられ、静かに慰められていれば。
その言葉が自然と口をついて、彼女にも同じ問いかけをしていた。
「親友も、妹も、もういない。それでも僕は、まだ戦わないといけないのかな」
僕の中からは、ダンジョンを制覇し、この国を救わなければという使命感が、残らず消え失せていた。大切な二人を救えなかったという、その喪失感と共に、無くなってしまったのだ。
「ミナト……」
シェリーは僕の頭を撫でるのを、ぴたりとやめた。
でもその代わりに、彼女は僕の頭をその胸に抱き、僕を優しく包み込んだ。
その温かさに、涙がもっと溢れ出てしまう。
「ミナト。あなたに、謝らないといけないことがある」
どうしてだろう。
シェリーは僕に、同情したりするのではなく。
そんな言葉を口にした。
「わたしは、ミナトに、黙っていたことが、ある……」
僕は、彼女の声が、震えていることに気付いた。
「どうするかは、それを聞いてから……、決めてほしい」
はっと見上げれば、彼女の瞳が、迷いに揺れていて。
だからこそ、僕は。
彼女の話を、聞くことにした。