召喚勇者の英雄譚 ――三人の勇者は、祝福を受け、しかし記憶を失った―― 作:霧島 高
コピア王国王都ダンジョン、第十層。
最下層。
上層、中層、下層とは違い、そこは迷宮ではなかった。
ただまっすぐに続く通路が、伸びていた。
罠はない。モンスターもいない。
勇者としてこの世界に召喚された三人の、その中の一人として。
そして唯一、生き残った一人として。
この王国の民ではない隣国の、ヴァンパイアの姫君と。
僕は並んで歩いていた。
僕の親友、大凱。
その恋人で、僕の双子の妹、深祝。
死んでしまった大切な二人と、この世界の冒険者三人と共に進み始めたこのダンジョンは、そのほとんどを呑み込んでしまい。
僕は、最初のメンバーではなかったシェリーと共に、最奥へと挑むことになった。
たった二人で。
長く伸びた通路は、静まり返っていて、ただ僕だけの足音が微かに響く。隣を歩くシェリーはどんな時も静かに、音を立てずに歩くから。
「ねえ、シェリー」
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
「ヴァンパイアの国にも、勇者召喚は存在するの?」
そのきっかけは、僕と大凱と深祝の三人が、勇者としてこの世界に召喚されたことだ。
でも、そもそも勇者召喚とは、なんなのだろうか。
バルタザール氏によれば、それは王国に伝わる秘術であり、女神の慈悲により授けられたもの、らしい。
そう、女神によってだ。
けれどシェリーは言っていた。
ヒューマンが女神によって創られたのに対し、ヴァンパイアは魔神によって創られたのだと。
ならば、魔神族であるヴァンパイアの国に、はたして勇者召喚は。
「ない。それは魔神ではなく、女神の祝福だから。魔神は自ら産み出した種族自身の手で、試練を受けることを望んだから」
女神の祝福、か。
例えば、僕たち勇者が召喚されたとき、最初から上級ジョブを授かっているのもその一つだろう。
けれど、果たして、女神の祝福とはそれだけなのだろうか。
おそらく、その程度じゃない。
「シェリーが知っていることを、全部教えてくれる?」
そして僕は、それを知るべきだろう。
僕たちは、これから最後の戦いに臨む。今それを知っておかなければ、きっと後悔する。もうそれを知る機会は訪れない。
なぜならシェリーは、この戦いに勝ったとしても、この国から姿を消すだろうから。
彼女は自分の国へと、静かに去ることを望むだろうから。
「それは、あなたには、つらい話になる」
「……いまさら、だよ」
シェリーはこれまでずっと、その話を伏せていた。明らかにその話を避けていた。そして僕もこれまで尋ねようとしなかった。
なぜ彼女はそれを隠していたのか。
シェリーの祖国、ヴァンパイアの国であるクラギス王国にとって不利になるから?
いいや、彼女の悲し気な瞳を見れば、そうじゃないことなんてすぐにわかる。
それはきっと、僕にとって、とても苦しい話だからだ。
そして彼女がそれを言い淀んだのは、僕のことを想ってだ。
「……遥か昔、一度だけ勇者召喚がこの国で行われたことがある」
それは、どれぐらい昔のことだろうか。
少なくとも百年単位ではないだろう。二百年前のダンジョン制覇では、勇者召喚は行われていないのだから。
「その時に召喚された勇者は……、六人だった」
パーティメンバーは六人まで。これがダンジョン探索の定めであり、魔神が課した掟だ。
それを越えたものは、ダンジョンへ侵入できず取り残される。ダンジョンの中で合流しようとも、いつのまにかはぐれている。そして一人だけはぐれたものが、無事に脱出できる可能性は低い。
もし女神による勇者召喚が、魔神系種族に比べ脆弱である女神系種族に対する恩寵であるならば、それは六人であってしかるべきだろう。
「……でも、どうして、僕たちは三人だったのかな?」
質問した僕自身、その答えは、もう予期できていた。
「召喚に必要なものが、充分には用意できなかった、足りなかったから、だと思う」
この国に、足りないものといえば、それだから。
「魔石、だろうね」
「たぶん、そう」
もしも、なんて考えたところで無意味だけど、どうしても考えてしまう。
もしも、その六人が今回も揃っていれば、ダンジョン探索はもっと上手くいったのかもしれない。
もしも、そうであれば、大凱と深祝は死なずに済んだのかもしれない。
もしも……。
けれど、それは、現実ではない。
現実とは程遠い、もしもの話でしかない。
現実には、三人しかいなかったのだから。
そして、本来六人の勇者がいるはずだったと、あらかじめ僕たちが知っていたところで。
きっと僕たちがやるべきことは変わらず、だから現実に起きたことは、何も変わらなかっただろう。
「六人の勇者は、ウォーロード、パラディン、ファントム、ホークアイ、セイント……」
シェリーが一人ずつ挙げていくそれは、女神系上位ジョブ、そのすべてと。
「そして、セージ」
混沌系上位ジョブであるセージ。
六人の勇者の中で、唯一黒魔法が扱えるセージ。
魔神の力を扱うことができるセージ。
だからこその疑問を、僕は口にする。
「……気になることがあるんだ」
彼女は、その理由を果たして知っているだろうか。
おそらく、知っているだろう。
「過去の勇者も、僕たちと同じく、記憶を失くしていたのかな?」
もうそれは、ずいぶん前のことのように感じる。
勇者として召喚されたばかりの頃を思い起こせば、僕たちが記憶喪失となったことは、バルタザール氏も想定しなかったと言っていた。
でも、もしかしてそこには、寿命の短いヒューマンだからこそ、伝わっていない話があるのではないか。
そして彼女は、不老のヴァンパイアの一族。
シェリーは、すっと前に出て、僕を振り返った。
僕もまた、立ち止まる。
僕は、こちらを覗き込む、その綺麗で真っ赤な瞳を、見つめ返した。
そうすれば彼女は、桜色の唇から、その答えを紡ぎ始める。
「女神の祝福」
祝福とは、一体何か。
「それは、女神系種族であれ、魔神系種族であれ、この世界に暮らす者たちのためにある」
女神と魔神が創り上げた、この世界のためにある。
つまり。
「異世界から召喚された勇者のためじゃない」
それは。
「召喚された異世界の勇者は、女神の祝福により、確かに強大な力をもつ」
召喚された者ではなく、召喚した者たちへの祝福。
「でも、元の世界の常識、知識、理念、それが邪魔になる。だから、女神の祝福はそれを消す。そして同時に、ただダンジョンを制覇しなければならないと、そんな使命感だけを残す」
召喚された勇者を、召喚した者の道具として扱うための、誰にも知られざる仕組み。
「けれどこれは、過去の勇者のうち、ただ一人が語っていたという、与太話に過ぎない」
「与太話……」
「誰一人として、そんなことを信じなかった」
「……それは、どうして?」
「だって他の勇者は、何も思い出すことがなかったから」
つまり、その勇者だけが、記憶を取り戻したということ。
そして僕には、その勇者が誰であるか、わかる。
いや、正確には、その勇者のジョブがなんであったか、だ。
「その勇者はセージ、なんだね。僕と同じように、その勇者だけが思い出したんだね」
シェリーは、無言でただこくりと頷いた。
そして、その瞳が悲し気に曇っていることに、僕が気付かない訳などない。
「でも、どうしてなんだろう。なぜ、セージだけが思い出すんだろう?」
当然の疑問が浮かぶ。
でもその答えは、単純で。
それはセージだけが、他のジョブと違うからだ。
「そうか。女神の、祝福だからなんだね。そしてセージは混沌系であり、魔神の力を扱える。だとしたら……」
女神と魔神は互いの力を合わせ、この世界を創った。
それでもその力は、対等であり、かつ正反対でもある。
僕に掛けられた女神の祝福は、僕の中の魔神の力が増すほどに、効果を失っていったということだろう。
そしてその分だけ、僕の記憶は次第に戻っていったのだ。
でもセージは、女神の力も併せ持つ。この世界に目には見えないけれど、実際にはレベルというものがあったとして、そのレベルが上がるというならば、おそらくどちらの力も同時に増していくはずだ。
だとしたら、魔神の力だけが増す条件が、何かあるはずだ。
その答えもまた、簡単だった。
「……黒魔法」
それは当然の帰結だ。
黒魔法の呪文を唱え、魔神の力を引き出すほどに、僕の記憶はきっと戻っていたのだろう。
もし、そうならば。
そうならば。
「ごめんなさい。もっと早く伝えていればよかった。そうすればきっと、あなたはもっと早くに、記憶を取り戻すことができていた、はずなのに」
先ほどからシェリーが目を伏せている理由はそれだ。
そう。
もし僕が、大凱と深祝のことを、彼らと自分との関係を、もっと早くに思い出すことができていれば。
彼らが命を落とす前に、それができていれば。
いいや。
それは、意味のない仮定だ。
おそらく、それは。
だって、それを僕だけが思い出したところで……。
かつてのセージと同じことになっただろう。
そのことを信じてもらえず、それに対してどうにもならない無力感を抱いたことになっただけだろう。
だから。
「君のせいじゃない」
僕はシェリーをそっと抱きしめた。
彼女は、僕が記憶を取り戻すために、何が必要かを知っていた。
けれど、当然だけど、その記憶が何かまでは知らなかった。
だから、僕がその記憶を取り戻してしまえば、もしかすれば僕がダンジョン制覇を諦めてしまうのではないか。
そう考えたのかもしれない。
だからこそ、女神の祝福は僕たちの記憶を消すのだから。
そしてこれは、僕の憶測に過ぎないのだけれど。
もしそうであるのならば、彼女もきっと、ひどく後悔している。
彼女は、彼女自身のために、僕が記憶を失っている事実を利用したのだと、そう悔やんでいるに違いないのだから。
僕は、そっと抱きしめていた腕に力を込め、彼女をぎゅっと抱きしめ直した。
……。
「……進もうか」
「……うん」
長い抱擁の後。
僕たちは。
最後の戦いへと、挑む。
敵は、たった一人だった。
そう、一人だった。
一体、ではない。
それは黒く塗りつぶされた、人だった。
ただ真っ黒な人型。
でも、それが……。
「大凱……」
誰を象っているのか、僕にはわかってしまった。
大凱は、もう死んでしまったのだ。
だからこれは、偽物に過ぎない。
それはわかっていた。
そしてそれが。
魔神のダンジョンが、僕たちに用意した、最強の敵なのだ。
「くっ……」
ブンッ! ガキンッ!
対峙するシェリーは、その攻撃を回避し、あるいは黒剣で逸らす。
敵はあまりにも速く、その武器を振るう。スピードが武器であるシェリーにしても、攻撃を仕掛けることができないほどに。
大凱の偽物が振るう、その武器は。
白く輝く大剣。
失われたはずの、聖剣だ。
大凱の持っていた、エルフの秘宝。
そして、大凱と深祝を、死に至らしめた、その原因の一つでもある。
もしも、深祝が。
強力な武器を持って味方を切り捨てていく大凱を前にして。
その状況に何もできず、ただ朽ち果てていくしかなかったとしたら。
彼女の抱いた絶望は、どれほどのものだっただろうか。
そしてこの敵は醜悪にも、その状況を再現し、同じ絶望を僕に味わわせようとしているのだろうか。
「魔神よ、彼の者を縛る鎖を放て……《バインド》」
けれど、僕は決して、そうはならない。
そんなことは、絶対に、させたりしない。
「魔神よ、彼の者に弱化の呪いを与えよ……《ウィークネス》」
この敵の名は、ドッペルゲンガー。
僕の親友の大凱を騙る、偽物。
けれどその力は、本物で。
おそらくシェリーが、まともに一撃でも食らってしまえば、すべて終わってしまう。
ガンッ! ザシュ! ブンッ!
それでもシェリーは、連続で振るわれる聖剣の刃を紙一重で避けながら、僕の呪詛魔法により弱体化したドッペルゲンガーの、その僅かな隙を狙って斬りつける。
僕の前に立って。
それは、本来の彼女の立ち位置ではない。
なぜならば、僕たちには。
いかなる攻撃であっても大いなる盾で防ぎ、後衛を護る役目のパラディンも。
遠くから狙い澄ました矢で敵を穿ち、その動きを牽制する役目のホークアイも。
聖なる力で邪悪なる敵を退け、慈愛の光にて味方を癒す役目のセイントも。
巨大な武器を自在に振るいながら、真っ向から叩き潰す役目のウォーロードも。
このパーティにはいないのだ。
そこにいるのは、たった二人だけ。
自らの気配を断ち、敵の死角から強力な一撃を加えて仕留める役目のアサシンであるシェリーと。
敵を攻撃する力を全く持ち得ず、ただ味方の能力を向上し、そして敵の動きを妨害することでしか、役に立てないセージの僕が。
ダンジョンの最後の砦たる、最強の守護者と。
二人だけで、挑んでいる。
「傷がもう塞がってる」
シェリーの呟きは冷静なようでいて、そこには微かな不安と焦りが含まれているのを、僕は感じた。
僅かな隙を突き彼女がドッペルゲンガーへと与えた傷跡は、次の一太刀を与えるよりも前に塞がってしまっていた。
「ウォーロード……」
思わず口を突いて出てしまったそれは、大凱のジョブ。
このドッペルゲンガーは、大凱の偽物である以上、そのジョブを宿しているに違いない。
ウォーロードは、敵と真っ向勝負を仕掛けるジョブだ。それを支えるのは高い自然治癒力であり、傷を受けることなどお構いなしに相手を粉砕していく。
それは、アサシンにとっては、対極に位置する。
決してまともに対峙すべき相手では、ない。
だけど僕の存在が、シェリーをその場に立たせていた。
ならば、僕が、彼女を優位に立たせるしかない。
「魔神よ、彼の者に脱力の呪いを与えよ……《イグゾースト》」
その方法は、少しでも敵の力を削いだ上で。
「女神よ、彼の者を護り給え……《プロテクション》」
あらゆる物理攻撃を弾く、結界魔法だ。
成長した僕が張る結界の強度は、最初の頃に比べれば、何倍にも増している。
これならば……!?
パリンッ。
増していたはずなのだ。
なのに、聖剣は、たった一撃でそれを破壊してしまった。
「……ぐ」
シェリーはそれをどこまで予期していたのだろうか。寸前で後ろに下がって回避したものの、彼女の右腕は浅く切り裂かれていた。
彼女は、結界が剣を弾く瞬間を狙い、懐に飛び込もうとしていた。そこに想定外の一撃が叩き込まれ、判断が遅れた、というわけだ。
もしその判断がもっと遅れていれば、次にやってきた斬撃が、そのまま彼女を両断していたとしても、おかしくなかった。
ガキンッ、ガンッ!
しかし利き腕が傷つけば、当然その動きは鈍くなる。
その後に続くドッペルゲンガーの激しい斬撃に、シェリーは防戦一方に押し込まれ、じりじりと後退していく。
「女神よ、彼の者の傷を癒せ……《ヒーリング》」
それを放置しておくことはできない。
彼女はヴァンパイアという種族であり、その自然治癒能力は高い。しかし、ウォーロードとしての能力を持つドッペルゲンガーに劣るのは、火を見るよりも明らかだった。
つまりこのままでは、ただこちらが疲弊していくのみ。
それでは、勝ち目はない。
それでも、全てを尽くすしかないのだ。
あらゆる手を使って。
「魔神よ、彼の者を闇で包め……《ブラインド》」
その状態異常は、抵抗を受けることなく、確かにそれを暗闇に閉じ込めた。
けれども。
ガンッ、ガンッ!
その斬撃は、一つも狂うことがなくシェリーに襲い掛かり続ける。
ただ黒く塗りつぶされたその顔に、視界などというものは存在しない。
「魔神よ、彼の者に戒めを……《パライズ》」
これもまた成功し、その能力を封じることができた。
ガンッ、ガンッ!
だが振るわれ続ける刃の軌跡は、その凶悪さに一粒ほどの陰りさえ見せない。
その状態異常が封じるのは能動的な技能のみであり、特殊な効果のないただの斬撃を阻むことなどできないのだ。
「魔神よ、彼の者に安らぎを……《スリープ》」
これが無駄なのは、わかっていた。
ガンッ、ガンッ!
この敵は、スライムと同じ、魔法生物なのだろう。
不定形であるからこそ、今は大凱の姿を模しているのだから。
「……っ」
時折苦しく息を詰まらせながらも、彼女はなんとか踏み止まっている。
先ほど受けた傷は、僕の回復魔法と彼女自身の治癒力のおかげで何とか塞がっていた。再び剣をしっかりと振るう彼女は、ドッペルゲンガーに一方的に押されることはなくなっていた。
ブンッ! ザシュッ!
けれどいくら彼女が敵に斬撃を加えようとも、その僅かな手数では、相手の治癒力の前には無駄なのだ。
この状況を打破する方法は、たった一つだけ。
「シェリー」
だから僕は、彼女に呼び掛けた。
それだけで僕の意図は、伝わるはずだった。
「……」
だけど呼びかけたシェリーからは返事がない。
息つく暇もなく、相手と刃を交わしているから。
……ではない。
ドッペルゲンガーの斬撃は速くとも、その体の動きはずいぶんと遅い。
彼女が一旦距離を取れば、そこに合間が何度も生まれている。
つまり。
彼女は、僕に返事をしたくないのだ。
「シェリー!」
それでも、あるいは、だからこそ僕は。
もう一度強く、彼女に呼びかけた。
「……ダメ」
でも、彼女は静かに否定した。
……僕たちは、この最後の戦いに挑む前、あらゆる状況を想定していた。
敵が多数である場合の、戦い方。
敵が魔法を使う場合の、戦い方。
そして、強大な、ただ一体の敵である場合の、戦い方。
二人しかいない僕たちが、取り得る選択は少なかった。
「シェリー……」
だけどシェリーは取るべき唯一の、その選択を拒否していた。
その理由は、僕にもわかっていた。
でも、それでも、やるしかないのだ。
「シェリー。お願いだから」
僕たちの勝利は、細く険しくとも、その先にしかないのだから。
「……っ」
その時、彼女は前を向いていて、その表情を僕は読み取れなかった。
もしかしたら、苦悶に歪み、唇を噛んでいたのかもしれない。
でも。
ゆっくりと。
彼女は。
「……わかった……」
低く小さく、呻くように、そう呟いて。
僕の前から、すっと掻き消えた。
「女神よ、我に完全なる護りを与え給え……《パーフェクト・シールド》」
それは、黒いミノタウロスとの戦いの、再現だ。
シェリーがその全力を発揮しきるためには、そうするしかない。
僕が前に出て、支えるのだ。
ガンッ! ギンッ!
聖剣が、魔法の盾を、何度も叩きつける。
僕は、魔力の続く限り、これを全て弾き返す。
そしてその間にシェリーが、このドッペルゲンガーを打ち倒すのだ。
あの時と同じく。
だけど、あの時とは、違っていた。
聖剣の一撃はとても重い。
ガギンッ! ガキンッ!
僕を護る結界は、それを通さない。
「ぐっ……」
だけど。
ビシッ……、ザクッ……。
一撃ごとに、灰色のローブが切り裂かれていく。
皮膚が切り裂かれて、そこから血が滲んでいく。
「これぐらいっ!」
その痛みは僅かだ。
だから僕は魔法を、維持し続ける。
ザクリ……。
魔力の盾を貫通して、僕に攻撃が届いていた。
それは、わかっていたことだ。
だからシェリーは、この方法を拒否したかったのだ。
ザクッ……。
「まだまだっ!」
彼女に掛けた《プロテクション》が一撃で破壊されたとき、僕は気付いたのだ。シェリーだって気付いたのだ。
その時、彼女が右腕に受けた傷は、聖剣自身によるものではなかった。
聖剣の斬撃は止まっていた。
でも、余波がすり抜けていた。
聖剣に込められた魔法の力が、彼女を切り裂いたのだ。
ザッ! ザシュ! ギンッ!
ドッペルゲンガーの背後から、幾重もの斬撃が響いてくる。
シェリーが、一刻も早く敵を倒そうとしているのだろう。
「ぐぅ……」
その時、ピシリと、僕の頬が切り裂かれた。
完全結界魔法である《パーフェクト・シールド》は、使用者自身にしか効果が及ばず、そして使用者はこの魔法に専念する必要がある。
けれど、それだけの制限を伴うこの結界は、物理であれ魔法であれ、すべての攻撃を無効化できる。
はずなのだ。
だから、もしかしたら、あの聖剣の余波だって防げるかも、なんて甘い期待を……。
僕は一切、抱いていなかった。
「ぐぁ……」
左目に激痛が走る。
直後、視界が半分血で染まり、そして僕は片方の視力を失った。
でも、視力なんて、もう必要ない。
魔法使いは、そんなものがなくとも、魔力を感じることができる。
だから僕は、聖剣から飛んでくる余波の、その性質を見抜いていた。
「ははっ、さすがに女神の力を、遮ることは、できないよね」
人間は苦しいときには、笑うものらしい。
あるいは嗤う、か。
それは、精一杯、強がるために。
こんな程度で倒れたりしないと、自分自身を鼓舞するために。
それにしたって。
魔神が創り上げたダンジョンで、魔神の創ったモンスターが、女神の聖剣を振るい、それが女神の完全なる結界をすり抜けてくるなんて、冗談にも程があるだろう。
ははっ、本当に、笑い
「まだまだ、この程度、いけるさ」
ああ、もしかしたら、これが女神の力ではなく、魔神の力だったならば防げたのだろうか。
聖剣ではなく、シェリーの持つ黒剣ならば、防げたのかもしれない。
彼女が、僕に剣を向けるところなんて、想像したくはないけれど。
そんなことを思い浮かべるなんて、思考が、おかしくなって、きているのだろうか。
シュッ! ザシュッ! ザッ!
ドッペルゲンガーが切り裂かれる音と。
ガンッ! ガキンッ! ギンッ!
結界が叩きつけられる音だけが。
延々と、響き続ける、その中で。
「は、ははっ……、あははっ……」
キンッ……、ザシュッ……。
やがて、いつしか、その響きが、
すべての音が、遠く、はるか、向こうに。
朦朧とした意識は、それを微かに、拾うだけで。
もはや、体中に蔓延る、無数の傷が吐き出す痛みすら、感じず。
奪われた視界は、何物をも、映すことなく。
魔力の動きだけが、僕の感じる、世界のすべてとなり。
敵は未だ、僕に剣を、振るい続け。
シェリーは、それでも、諦めることなく、連なる斬撃を。
「あ、ああ……」
そして立つことも、ままならず、膝をついた、僕は。
手に握る、杖の、感触を頼りに。
それを前に、延々と同じ、魔法を、繋ぐのみ。
なんて、なんて、簡単な、役目だ。
これぐらい、できなくて、どうする。
これ、ぐらい、でき、なくて。
これぐら、い……。
「……あ……」
カラン……。
近くで、何かが、響いた。
僕の、両手は、感覚を、なくし。
僕は、自分の、それが枯渇した、と理解する。
魔力は、もうない。
僕は顔を、上げた。
見えない視界で、見届けようとした。
ドンッ!
何かが僕を、貫き。
衝撃のままに、のけぞるように、倒れた。
「ミナトっ‼」
その叫び声が、はっきりと、耳に残った。
「は、ははっ……」
だから、僕は、乾いた笑い声を、上げた。
だって。
敵の気配が、消え。
僕たちは、ダンジョンを制覇、したのだから。
「ミナト、だめっ‼」
あるいは、彼女が、成したのだ。
ああ、ならば、よかった。
これできっと、彼女は救われる。
僕は、彼女を、救えた。
ならば、もう。
大凱……。
深祝……。
いま、そっちに……。
真っ白に、染まっていく。
清浄なる、聖なる色へと。
でも、なぜか。
その、純白を。
乱す、漆黒が。
僕の、唇から。
流れ、それは。
熱く、暖かで。
とても、愛おしく。
「お願い……受け入れて……」
その声は、美しく。
「湊詞。まだ、だろ」
「湊詞。まだ、だよ」
とても大切な、二人の声が。
幻聴となって、聞こえ。
それが、僕の手を動かした。
僕は、それを抱きしめた。
そう、僕は。
彼女を受け入れた。
※
その時代。
神代より、数千年という時を経て。
ヒューマンが統治するコピア王国に、存亡の危機が訪れた。
彼らは見誤っていたのだ。
神の創り上げたこの世界を。
この世界に存在する、ダンジョンとは何かを。
そこを、魔石が無限に産み出される場所だと、ただ考えていたのだ。
幾度となくダンジョンが制覇されてきたがゆえに。
伝説的な冒険者がいつの間にか現れ、常にダンジョンが制覇されてきたがゆえに。
だからダンジョンに関する伝承は断たれ、王国は冒険者が持ち帰る魔石を、ただ買い上げるだけとなった。
そしてその魔石を使い、国の基盤を整え、王国は発展し、拡大し続けることができた。
それでよかったのだ。
それまでは。
けれど、その時代。
伝説的な冒険者は、ついぞ現れなかった。
そしてダンジョンは枯渇し、魔石を得る手段はなくなった。
王国は総力を挙げ、その対策を模索した。
そして苦心の末、ようやく見つけ出したのだ。
勇者召喚の秘術。
女神より授かりし、その聖なる儀式を今一度。
過去にたった一度だけ、行使されたというそれを再び。
されども。
一刻の猶予も許されない。
伝承にしか存在しない勇者召喚とはなんであるか、それをすべて調べ上げる時間はないままに。
それは実行に移された。
けれど女神の奇跡には、代償が必要だった。
高純度の魔石が、大量に必要だった。
伝承に従い、王国はでき得る限り、それを集めた。
だというのに。
召喚された勇者は、
けれど王国に、選択の余地はなかった。
勇者たちをダンジョン制覇に向かわせるのは、当然として。
その裏で王国は、王国が生き残るための、もう一つの選択をしなければならなかった。
隣国への侵略。
ヒューマンの王国に隣接している国はいくつかあった。
東にあるエルフの国と、北にあるドワーフの国。
しかしヒューマンと同じ女神族であるこの種族たちとは、長らく友好的な関係にあった。どちらもヒューマン程には大きな国ではないが、その関係を壊すことは、国家を更なる危機へと陥れよう。
なぜならどちらの国も、勇者召喚とそれに伴うダンジョン探索に対し、多大な援助を申し出ていたからだ。もはや魔石の取れないこの王国に、貴重な高純度の魔石をいくつも提供したのは、この二つの国だった。
ならば、選択肢は少ない。
南にあるのは、獣人の国だった。
彼らは、砂漠の広がる劣悪な地で暮らす魔神族。
しかし、彼らだからこそ生活が成り立っているその場所は、脆弱なヒューマンが暮らすことは困難だ。その土地を奪い取ったところで、維持することなど到底できぬ。
であるならば。
残るは、西しかない。
そこは起伏の激しい、山々が連なる土地だ。
しかし、その合間には、僅かにヒューマンであっても暮らせる場所がある。
だが、そこを支配するのは、恐ろしき種族。
魔神族、ヴァンパイア。
そこは、クラギス王国と呼ばれていた。
その王国の広さは、コピア王国の一割にも満たない。
そんな小国に過ぎなかった。
しかし、そこには小さくとも、紛れもないダンジョンがある。
それを奪い取ることさえできれば。
その魔石を手に入れることさえできれば。
コピア王国は延命できる。
その間に、枯渇したダンジョンを制覇し、魔石が新たに産み出されることになればよし。そうでなくとも、新しく手に入れた小さなダンジョンを制覇できれば、それは更なる猶予を生むことだろう。
コピア王国の国王は、決断を迫られた。
思慮深い筆頭王宮魔術師は、召喚された勇者を信じ、彼らへのできうる限りの支援をもって、ダンジョンの制覇に専念せよという。
けれど、新たな魔石の産出地に近い西方を統治する領主たちは、その計り知れない恩恵のために、クラギス王国への侵攻を支持した。
国王は、深く思案した。
それまで女神族と魔神族は、お互いほぼ干渉せずに暮らしてきた。
生活様式の違いゆえに、それに伴い必要とするものも異なり、敢えて交流などしなくてもよかった。
けれど、はたしてその状況で、ヒューマンのコピア王国が、ヴァンパイアのクラギス王国に侵攻してしまえばどうなるだろうか。
南の獣人族は、きっとこう考えるだろう。
次は、自分たちが攻められるのではないかと。
こちらにそのつもりがなくとも、たとえヒューマンが砂漠地帯で生きることが難しいとしても、それを彼らが信じるとは限らない。
そしてクラギス王国の西には、オークの国があるという。
ヴァンパイアたちは、きっとその国に助けを求めるだろう。
ヒューマンの国が、同じ女神族のエルフの国とドワーフの国と友好関係にあるように、魔神族にもお互い友好関係があるに違いない。
そうなれば、これまで、暗黙の元に保たれていた女神族と魔神族の均衡は、一気に崩れてしまう。
筆頭王宮魔術師は、その懸念を何度も口にし。
そしてコピア王国の国王にも、それはわかっていた。
わかっていたとしても、なお……。
そして、そこに決定的なことが起きてしまう。
召喚された三人の勇者のうち、二人が命を落としてしまったのだ。
六人揃うはずだった勇者が、一人しかいないのではどうにもならぬ。
国の将来を、その背に担う国王は、そう結論付けた。
すでに進められていた準備を元に、ついに兵力が西方へと集められていく。
相手はたかが小国一つ。
ヒューマンに比べれば、その国力があまりに乏しいことは明らかだ。
とはいえ、数少ない資料が示すのは、それが油断ならぬ相手だということ。
伝承に聞くヴァンパイアは、ヒューマンに比べて優れた身体能力を持つ、夜の種族だ。
しかもその王国は山々に囲まれ、天然の要害でもある。
一気呵成に、絶え間ない、大量の兵力を投入せねばならない。
だが、そのとき奇跡は起きた。
ダンジョンが、制覇されたのだ。
けれど、それを成した勇者の姿はなく。
ただ、ダンジョンの入り口に。
血で濡れた聖剣が落ちていたという。
しかし。
ここまで来た以上、王国の侵攻は止まらなかった。
少なくとも、すぐには。
※
「バルタザール、それはまことか」
「はい。少なくとも、王都内ではすでに出回っております。そして、おそらく冒険者ギルドを通じて、王国内にもすでに行き渡り始めているかと」
それを聞いたコピア王国の国王は、椅子に深く座り直した。
皺の刻まれたその表情が、意識せずとも思案顔に曇る。
「僭越ながら、勇者ミナト殿がその命を賭してダンジョンを制覇したことは、すでに誰もが知るところ。いまさらそれを否定など、到底できませぬ。彼を英雄として称えるよう、絶えず布告を出しておりますゆえ」
国王はそれを聞いて、かつてのことを思い返す。
勇者召喚にあたり、国王は考えたことがあった。
先のことを、召喚された勇者が、ダンジョンを制覇した後のことをだ。
彼らを英雄として祀り上げるのは、いくらでも構わない。
しかしそのような素性の知れぬ者たちを、政治に関わらせるなど言語道断だ。だから名目上の地位だけ与えて、できるならば王都から遠ざけなければならないと考えていた。
無論、彼らを利用するだけ利用した上、そのような処遇とすることに、心が痛まないはずもない。それにそう考えていることを、悟られることも避けたかった。
だからすべてをバルタザールに一任して、自分は彼らには会うことはなかったのだ。
だからこそ。
ダンジョンが制覇され、それと引き換えに勇者が命を落としたことは。
国王にとって僥倖だった。これ以上ないほどに。
いくら栄誉を与えようとも、死した英雄は、それ以上何も要求することはないのだから。
「であれば……、兵の間にも、すでに広まっておろうな」
「いかにも、仰る通りにございます」
勇者ミナトは、コピア王国にとって、救国の英雄。
老若男女を問わず、それは誰もが知る英雄譚。
それが、いつの間にか――。
クラギス王国から、コピア王国に届いた書簡には、こうあった。
『此度、我がクラギス王国の孫姫が伴侶を迎えるにあたり、コピア王国へとお伝えする。彼は、コピア王国に由来深きものであるがゆえ、我らより一言お断りを、と。その孫姫なのだが、過日、身分を偽りつつ、コピア王国のダンジョン探索に協力していたとのこと。お転婆ゆえの無鉄砲で申し訳ないが、何分ご容赦願いたい。とはいえ、そこで運命の出会いを果たした者こそ彼であり、しかしその彼が重傷を負ったため、我が国へと連れ帰り懸命の治療を施していたという訳である。彼は先日回復したものの、我が孫姫はいたく彼のことが気に召したようで、彼もまた孫姫を愛すると誓い、共に歩むことを承諾したものである』
更に、その書簡はこう続いていた。
『その彼の名を、ミナト、という。コピア王国の英雄を、我が一族に迎え入れられることの稀なる慶びを、ここに言祝ぎにてお伝えする』
そして、国王は、軍を退いた。
「祝賀に沸く国を攻めるなど、あってはならぬ」
表面上は、そう語っていたとされる。