「まい、たくま。二級呪術師としての初警備だ。場所は神奈川県、横浜市のみなとみらい一帯。時間は定刻通り、今から六時間だ。……くれぐれも油断しないでくれ」本部の管制室から、神原司先輩の冷静な声がインカムを通じて脳内に響く。二級に昇級したことで、私たちに課せられた週に一回の定期警備。夕暮れの大観覧車が赤く染まる中、私は漆黒の天秤となったたくまを伴い、潮風の吹く港町を歩いていた。前髪のないたくまの顔は、周囲の残穢(ざんえ)を敏感に察知するように、鋭い視線で周囲のビル群を睨みつけている。私たちの意識のシンクロは完璧で、新技『因果傾転』の準備もいつでも整っていた。しかし、その「初陣」は、私たちの想像を遥かに超える絶望によって塗り替えられる。「——ほう。これが最新の『二級』か。ずいぶんと脆そうな天秤だな」みなとみらいの赤レンガ倉庫の影から、不気味に空間を歪めながら現れたのは、悍ましい呪力をまとった異形の怪物だった。その姿を見た瞬間、インカムの向こうの司先輩が「しまっ……特級呪霊だ!?」と驚愕の声を上げる。司先輩の解説通り、その怪物は人間と同じ言葉を流暢に喋り、高い知能を有していた。レグウィスの『将システム』における『四将』——すなわち、本部の特級下位レベルに匹敵する化け物。「キシャアアアアッ!!」特級呪霊が地を蹴った瞬間、みなとみらいのコンクリートが一瞬で爆散した。速すぎる。「たくま、因果傾転ッ!」私は叫び、たくまの防衛意識と呪力を同調させて天秤の皿で一撃を受け止めた。凄まじい衝撃の質量が皿に蓄積され、倍返しの螺旋となってたくまの顔を射出する。しかし、知能を持つ特級呪霊は、その超音速の倍返しを完全に予測していた。「浅いな」怪物はたくまの顔を空中で叩き落とすと、そのまま私たちの死角へと回り込み、容赦のない呪力の奔流を叩き込んできた。ドガァアアアン!!!「が、はっ……!?」防ぎきれなかった衝撃が私の身体を直撃し、私は血を吐きながら地面を激しくバウンドして転がった。たくまの天秤の身体もひび割れ、前髪のない彼の顔が、苦痛と私を守れない焦燥で激しく歪む。圧倒的な格の違い。このまま戦えば、次の連撃で確実に死ぬ。視界が真っ赤に染まり、意識が遠のきかけた、その時——。「おっと。ボクの可愛いファンを、そんな風に汚さないでくれるかな?」鈴を転がしたような、中性的な声が響いた。次の瞬間、特級呪霊の巨体が、何もない空間から放たれた目に見えない呪力の束によって、一瞬で遥か彼方へと吹き飛ばされた。煙の向こうから歩み出てきたのは、妖しい笑みを浮かべた中性的な美貌の男。新勢力『K』の一員であり、東京の超高級タワマンに住む男——ハツカだった。「ハ、ハツカさん……なんで、ここに……」「たまたま神奈川に用事があってね。君たちの初警備を見守っていたのさ」ハツカは私を優しく抱き起こすと、ボク、と胸に手を当てて微笑んだ。ハツカが放った圧倒的な呪力の前に、あの喋る特級呪霊は分が悪いと察したのか、忌々しげに闇の中へと逃げ去っていった。命を救われた。しかし、ここはまだ警備の担当区域だ。時間はまだ数時間残っている。「……助けてくれて、ありがとうございます。でも、私たちはまだ警備の任務中なので……」私が息を整えながら言うと、ハツカは私の服の汚れを優しく払いながら、中性的な顔を近づけて悪戯っぽく囁いた。「分かっているよ。ボクは今、君たちの『仲間寄り』だからね。このまま君たちの警備に付き合ってあげるよ。怪我をした君たちだけじゃ、またさっきの化け物(特級呪霊)が来たら危ないしね」ハツカはそう言うと、隣に浮かぶたくまの天秤を興味深そうに眺めた。「ただ、この警備が終わったら、君たちに少し『話したいこと』があるんだ。……Kの事、それから『一将』の事についてね。いいかい?」ハツカから漂う、怪しすぎる雰囲気がみなとみらいの潮風に混ざり合う。本部の司先輩の視野共有は、ハツカが放つ独自の呪力のせいで完全に遮断され、ノイズしか聞こえない。状況次第では敵になる、危険な劇薬。しかし今は、私たちの命を守る最強の護衛。ハツカを隣に従え、まいとたくまの、奇妙で緊迫した神奈川の6時間警備が続いていく。