## 陥る天秤、顔壁の枷
「あ……はは……見たか、きい……! これが、私たちの、努力の成果だ……ッ!!」
激しい血を吐き、コンクリートの壁へとへたり込むきいを見下ろし、私は荒い息を吐いた。
隣に浮かぶたくまの天秤、その漆黒の質量から突き出た前髪のない顔も、因縁の宿敵を完全に圧倒した確かな手応えに、鋭い瞳をぎらつかせている。
あかり先輩、太一、ほのかの3人も「やった……! 三将レベルの化け物を押してる……!」と歓声を上げ、勝利を確信しかけていた。
だが、その一瞬の「歓喜」こそが、最悪の死角だった。
「——あはは。油断しすぎだよ、まい」
壁際に追い詰められていたはずのきいの瞳が、不気味に歪んだ。
ドッ、と不自然な呪力の加速。きいは自らの身体にかかる重圧を無視し、文字通り骨を軋ませながら、私たちのグループの最後尾にいたほのかへと一瞬で肉薄した。
「え……? きい、ちゃん……?」
ほのかが恐怖に目を見開いた瞬間、きいの細い指先が、ほのかの肩へと深く触れる。
バリバリバリ、と肉と骨が異常な速度で引き延ばされる、生々しく悍ましい音が地下通路に響き渡った。
「嫌、いやぁああああああッ!!」
ほのかの悲鳴は、瞬時に歪んだ肉塊の奥へと掻き消された。
きいの『人間の形を変える』術式。
ほんの一瞬の隙を突かれ、逃げ遅れたほのかは、きいの肉壁ならぬ『顔壁(かべ)』へと変貌させられてしまったのだ。
「なっ……ほのか……ッ!?」
太一が絶叫する。
私たちの目の前に立ちはだかったのは、肉厚で巨大な『盾』の形に変形させられた、異様な肉塊。そしてその中心には、ほのかの顔がこれでもかと巨大に強調され、恐怖と激痛でボロボロと大粒の涙を流しながら「痛い、痛いよお、まいちゃん助けて……」と泣き叫んでいた。
「あははは! 最高! 新しいお友達コレクション、『ほのか盾(たて)』の完成でーす!」
きいは、泣き叫ぶ巨大な『ほのか盾』の後ろへと完全に身を隠し、その死角から歪んだ笑顔を覗かせた。
彼女は、自らの身体の一部となったほのかを完全に人質にしたのだ。
「さあ、まい! たくま! 攻撃してきなよ! ほら、さっきの凄いやつ(因果傾転・螺旋)で、この『ほのか盾』ごと私をブチ抜いてみせなよ!!」
きいの下劣な挑発が、最下層の通路に響き渡る。
「……っ……、くそ、動けない……ッ!!」
私は拳を血が滲むほど強く握りしめ、その場に凝固した。
攻撃すれば、ほのかの肉体が完全に粉砕されて死ぬ。かと言って、引けばほのかの感覚を持った意識は、あの悪趣味な盾の中に閉じ込められたまま、きいの道具として消費され続ける。
あかり先輩も太一も、武器を構えたまま一歩も動けない。
修行を経て、完璧なシンクロを遂げたはずの私とたくまの天秤が、人質という最悪の不条理を前に、何もできないままピタリと動きを止めてしまった。
『まい、たくま、落ち着くんだ……! 敵の術式を解除する方法を、今、本部のデータから検索している! 挑発に乗るな!』
インカムの向こうから、私たちの視界を共有している神原司先輩の、焦燥しきった叫びが響く。
隣に立つハツカや奏(かなで)も、この最悪の膠着状態に、中性的な顔を微かに歪めてチッと舌を打った。
泣き叫ぶ『ほのか盾』の悲鳴と、きいの高笑い。
二級へと駆け上がり、あと一歩で宿敵を討てるはずだった私たちの前に、再び泥濘(ぬめり)のような絶望が這い寄っていた。
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