目を開けると、かすかに洞窟の中が明るくなっているのがわかった。肩にもたれて眠っている詩音を起こさないように壁によりかからせ、そろそろと顔を出してみると、木々の間から薄明の空が顔を覗かせている。もう夜明けが近い時刻だ。
うとうとしている間に山狗に見つからなかったのはありがたいが、楽観視もできないようだ。
そう遠くない場所に人の動き回る気配や、無線で会話しているとおぼしき声がある。どうやら俺たちをこのあたりで見失ったことまでは突き止めているらしい。
「まずいな……」
この洞窟が見つかるのも時間の問題だし、だからといってここから出て動き回ればたちまち見つかるだろう。山中のこの時間では発砲を躊躇う理由は存在しない、奴らに見つかれば俺も詩音も命がない。
「……詩音、詩音」
さっきのところまで戻った俺は、小さな声で詩音を揺り起こす。服が乾くまでということで俺のTシャツを着て丸くなっている詩音はいつもより子供っぽく見えた。
「は……れ、圭ちゃ……?」
寝ぼけた声をあげていた詩音だが、状況を思い出したのか身を起こして頭を振る。
「ごめんなさい、寝ちゃってましたか……えと、状況は?」
「今は夜明け前くらいだな。外に山狗が何人かいそうだ」
それを聞いて詩音が顔を曇らせる。
「強行突破……ってわけにはいかないですよね」
「だな。リスクが大きすぎる」
ここが見つからないことを祈ってじっとしているか、イチかバチかで出ていくかの二者択一。
だが俺はもう、どうするべきかを決めてしまっていた。
「もう服、乾いたよな。後ろ向いてるから、着替えてくれ」
「え?……あ、はい」
詩音が着替えをすませて、俺にTシャツを返してくれる。
「よし、詩音。これから俺が出ていくから、詩音はしばらくここに隠れたあとで逃げてくれ。だいぶ明るくなってるから、方向はわかるはずだ。裏山までいけばどうにかなる」
「け、圭ちゃ……!?」
大声をあげそうになった詩音の口を手でふさぐ。
「大丈夫だ、なにも殺されにいこうってわけじゃない。俺は口先の魔術師だもんな、ちゃんと生け捕りにさせるさ」
「奴らに捕まるってことですか……? そんなの、危険すぎます! それなら、私も……」
俺は首を横に振った。
「俺ひとりなら、どんな拷問をされたって大事なことは口を割らない自信がある。でも、詩音が一緒にいたらダメだ。詩音が目の前で酷い目に遭えば、黙っていられない」
「だからって……!」
「わかってくれ、詩音。富竹さんたちや梨花ちゃんにとっても、人質は二人より一人のほうがいいんだ」
人質を使った交渉というのは、よほど有利な側が持ちかけるのでない限り一人では機能しない。その一人を殺してしまえばそれ以上交渉できなくなるのだから当然のことだ。
二人いれば、どちらかを殺してしまえるから強気で交渉ができる。人質自身にとっても……一人のほうがずっと生存率が高いのだ。
「でも、でもっ……」
なおも泣きじゃくる詩音を抱き寄せ、そっと唇を重ねる。
「……っ!」
最初は強張っていた詩音の身体からゆっくりと力が抜け、唇を離すと恥ずかしそうに俯いた。
「こういうの、ずるいです……」
「俺を信じてくれ、詩音。絶対、お前のところに戻ってくるから。いなくなったりなんかしないから」
詩音の不安の根源には、別の世界での悟史の失踪という悲しい記憶があるように思える。本人に自覚はないようだが目の前から思い人が消え去ってしまうことの恐怖は、詩音の魂にしっかりと刻みつけられているに違いない。
それは他の世界での悟史が詩音の中にそれだけ根を下ろしていることの証明だから、今の俺にとってはすこしばかり悔しいものでもあったが、いつかは超えてみせるという自信もある。……そう、この先も続いていくこの世界では、いくらでも時間はあるんだからな。
「行ってくる。……なにがあっても、絶対出てくるなよ。鷹野さんと富竹さんは必ず東京に連絡をつけてくれる。俺たちの勝利条件は、それまで生き延びることだけだ」
最後に詩音の頭を撫でてやると、俺は振り返らずに洞窟を出た。
物陰から物陰へ、詩音の隠れている場所から少しでも離れた場所へと移動する。何度か木の根に足をひっかけそうになったが、どうにか見つからずにすんだようだった。
いったん息を整え、洞窟のあるほうに目をやる。
頼むからいまは生き延びることだけ考えてくれ……詩音。
それから息を殺し、気配さえ消して、耳を澄ます。いや、耳だけではない。視覚聴覚嗅覚、五感の全てを研ぎ澄ませることで薄闇の向こうを知覚し、直感でその情報を統合し洞察によってそこに潜む者たちの息遣いと思考とを分析し推測しその機を計る。
……結論は、すぐに出た。
決して緩慢でない動作で、一番近い山狗の視界を横切ろうと動く。かすかなつまずきさえ演じてみせた。
「……! 待て、動くな!」
単純な人間心理だ。逃げる相手ならば撃ちたくなる。向かってくる相手ならばやはり身を守るために撃ちたくなる。一定の距離を保って横切ろうとしたからこそ、まずは声をかけてきた。
「っ!」
咄嗟に立ち止まり、落ち着かないそぶりで左右を見渡す。
これも誘導。自分が知覚していて相手が知覚していないという事実は、相手の心に余裕と冷静さを与える。
いま山狗の目に見えているのは、見つけ次第射殺すべき危険な敵ではなく、自分の姿をとらえきれずに狼狽える無力な少年の姿であるはずだ。
「こっちだ、動くなよ。動くと、撃つ」
いつでも料理できる相手だからこそ、猶予を与えられる。この場面で即座に射殺されないために、俺はそれだけの演技を必要としたのだ。
「ま、待って、撃たないでくれ……死にたくない、死にたくないんだッ!」
怯えた声をあげ、相手の心に罪悪感さえも呼び起こす。
でもこれは嘘じゃない、俺は……死にたくない。
この世界の結末を、そんな形では終わらせたくないのだ。
「わかってる、おとなしくしてれば撃たない。その場で手をあげて頭の上で組み、右を向いて膝立ちになるんだ。……おい、ほかの仲間はどうした」
指示に従いながらも、すこし間を置く。
「……と、途中で、はぐれたんだ。……本当だ、本当だから、殺さないでっ!」
かすかな疑念の種を蒔いておく。
この情報戦の勝敗の鍵を握る富竹さんや鷹野さんの居場所を確実に知っていると思わせるのも、知らないと思わせるのも今の俺には不利になる。なら、どっちつかずの余地を残して尋問されたほうが時間稼ぎになる。
「よし、そのまま動くなよ……」
直後、俺の背中に電流が走り、視界が弾けて、急速に意識が遠のいていく。
「こちら雲雀13、少年1名を確保。これより連……」