北条悟史。
俺より1年上の先輩で、魅音と同学年にあたる。
……悟史について、俺が持っている情報は少ない。
沙都子の兄で、野球をやっていたこと、部活のメンバーだったこと、沙都子と違って穏やかな性格だったこと。
そう、どれもこれも過去形でしか知らない。
同じ学校に通い、同じ教室で学び、同じ部活で遊んでいた人間なのに、俺が悟史を知らなかった理由はただひとつ。
俺が転校してくる一年近く前に、彼が失踪していたからだ。
……そう、雛見沢連続怪死事件、通称『オヤシロさまの祟り』第4の事件の犠牲者として。
正直、興味はあった。
誰にでも好かれる温厚な人柄でありながら、一説には沙都子を守るために叔母を撲殺したと言われる少年、俺の前に俺の立ち位置にいたはずの部活メンバー。
なにかと悟史と比較されることの多い俺が、悟史の人となりに興味を持っても不思議なことではないだろう。
「圭一のいた学校は、ずいぶん勉強が進んでいたんだね」
授業中、悟史は俺のノートを覗き込んで感心する。
「学校っていうか、塾だけどさ。でも悟史も結構進んでるみたいだから、魅音の世話は悟史に任せるよ」
「ちぇ~だ、なにそれ。いくらなんでも、下級生の圭ちゃんの世話にはならないよ~」
魅音はむくれるが、すくなくとも前の世界ではレナと同じ進行速度で俺が教師がわりをしていたのだ。
……いまも悟史の前にレナと机を並べているのだから、内実はそんなに違わない気もする。
「あっはは、魅ぃちゃん、頑張らないと悟史くんと同じ学校に行けなくなっちゃうよ~」
「わ、わわ、わかってるよ~! ちゃんとやるよ!」
レナにからわかれて、慌てて教科書とにらめっこを始める魅音。
悟史も微笑んで、自分の勉強に戻っている。
「圭一、圭一、ここ教えてほしいのです」
梨花ちゃんがノートを俺の机に寄せてくる。
レナと魅音の勉強を悟史が見ているので、俺と机を並べているのは梨花ちゃんと沙都子だった。
もっとも沙都子は、ほとんどの時間席を立っては悟史に話しかけたり勉強を教わろうとしているのだが……。
「ん……」
梨花ちゃんはノートの余白になにか書き付けていた。
『圭一はさとしのいない世界を知っていますのですか?』
イメージよりも乱れた筆跡だったが、なんとか読みとれた。
……どうやら、予想どおり梨花ちゃんは前の世界の記憶を持っているらしい。
『もし意味がわからなければ、きかなかったことにしてくださいです』
たぶん今朝、俺が悟史を目にしたときの様子で、前の世界の記憶を持っていると判断したのだろう。
俺は自分のノートの余白に、走り書きをした。
「ここは分母と分子をひっくり返すんだよ。こう……」
『知ってる。俺の覚えている前の世界では行方不明になってた。なんでここには悟史がいるんだ?』
「みぃ……算数は苦手なのです」
梨花ちゃんはごしごしとさきほどの文章に消しゴムをかけちまちまと字を連ねる。
『ボクにもわからないのです。こんなことははじめてなのですよ。圭一、ほうかご、神社に来てください』
内緒話をしたいってことか。
確かに、この状況では梨花ちゃんは俺にとって唯一の同志と呼べる存在だ。
『わかった』
短く返信を書いて、筆談を切り上げる。
沙都子や勘の鋭いレナに不審に思われてはいけないからな。
とりあえず授業が終わるのを待ち、放課後。
魅音はバイトに行くと言うから今日は部活はないらしい。
そもそも俺はまだ部活に誘われていないのだが。
ダム現場に向かうらしいレナと別れて、俺は梨花ちゃんとの約束通り古手神社へと向かった。
この世界では行ったこともない場所だが、前の世界では何度も往復しているから問題ない。
石段を上がると、ひと気のない境内を抜けていつだったかみんなでお弁当を食べた高台へ。
「梨花ちゃん、待たせたな」
「圭一……どれくらい、覚えていますか?」
前置きもなしに梨花ちゃんが切り出す。
俺はかいつまんで前の世界のことを話し、鷹野さんに射殺されたところで記憶が途切れたと告げた。
「そうですか……では、前の世界だけなのですね」
梨花ちゃんは俺がなんとなく感じていたとおり、これまで何度も同じ世界を繰り返していて、そのたびに殺されてきたらしい。
だが、百年にも及ぶ試行錯誤の中でも、昭和58年6月に悟史がいる……つまり、俺と悟史が同じ教室にいる世界など覚えがないというのだ。
「……悟史がいることにどういう意味があるのかは、羽入にもわからないようなのです」
羽入っていうのは、梨花ちゃんの地獄巡りの道連れで、またの名をオヤシロさま。俺には見えないけど、いまも梨花ちゃんの横であぅあぅ言っているらしい。
「単純に仲間が一人増えたって思えばいいのかな……?」
「それならいいのですが……みぃ」
梨花ちゃんは素直に喜ぶ気にはなれないようだった。
その理由は俺にもわかる。
今回も同じ条件のゲームなら、以前のゲームに負けた経験を持ち越しているぶんだけ俺たちは有利になるはずだ。
だけど、この世界は違う。
前の世界では詩音があの教室にいて、悟史はいなかった。
詩音がいまどこにいるかはわからないが、会うことさえできればたぶん味方になってくれると思う。
あいつが沙都子を大事に思っているのは間違いないし……あれ?
「……なあ、詩音って悟史との約束で沙都子の世話をしにきてるって言ってなかったっけ」
カボチャを食べさせるときなんか、よく『悟史くんに任されているんですから』って口癖のように言ってたはずだ。
「はい。詩音がいないのはそういう理由だと思うのです」
なるほど……悟史がいるから、悟史に沙都子を任されることもない。
だから詩音が雛見沢に転校してこない、か。
「あれ、そうすると……沙都子は?」
「はい。悟史と一緒に北条の家で暮らしているから、ボクとは住んでいません」
ちょっと寂しそうに言う。
悟史というイレギュラーな要素がひとつ入り込んだだけで予測もつかない方向に進んでいるのがいまの世界。
あの優しげな悟史が俺たちに害を及ぼす存在だとは思わないし、いつもどこか寂しそうだった沙都子が楽しそうにしているのは正直見ていて嬉しい、だけど。
鷹野さんや山狗部隊を打ち破り、惨劇の6月を超えようとするいまの俺たちにとっては、先の読めなくなる不安材料が出てくるのはできれば遠慮してほしかった。
悟史がいなければ、とはもちろん思わないのだが……。
「……まいったな」
「……まいったのです」
俺と梨花ちゃん(と羽入)は途方に暮れるしかなかった。