俺が梨花ちゃんに出した指示はもうひとつあった。
園崎家の地下を通って、裏山に逃げ込むこと。
だから、仲間たちがすでに警察に囲まれたその場所にいないことはわかっていたので小此木相手に強気に出ることもできた。
だが、交渉が決裂したレナたちに期待していたのは、沙都子のついでに梨花ちゃんも守ってくれる程度のことで、ここ、つまり山狗の本拠地に乗り込んでくるのまでは予想外だった。
「……詩ぃちゃんがね、死人が欲しいなら自分の命をあげるから圭一くんを助けてって……でも、そんなのいらない、い~らない!」
小此木が拳銃をレナに向けるが、レナはその細い腕のどこにそんな力があるのか、鉈の先で会議机をひっかけてはね上げ、盾にして小此木の視界を塞いだ。
「私が欲しいのは、みんなとの未来だもの!」
身を低くしながらの蹴りで、会議机はそのまま小此木めがけて倒れていく。小此木は撃つのを諦め、身をひねってそれをかわしつつ、床を転がるしかなかった。
「あはははははは、遅いよッ!」
勢いよく振り回した鉈が別の机を引き倒し、机の天板がまるで断頭台のように床に転がった小此木の手首を正確に直撃する。
「ぐッ!?」
さすがの小此木も銃を手放してしまい、戸口から飛び込んできた悟史がそれを素早く蹴り飛ばす。
間髪入れず鉈の峰を振り下ろしてくるレナの追撃を、小此木は身体のバネだけで飛び上がってかわし、同時に振り回した裏拳がレナの顔面を撃つ。
「がッ……!」
軽い体はたった一撃で吹き飛び、レナは会議机を巻き込んで床に転がった。
「ガキどもが……! 保安要員は何をしてやがる!」
山狗の主力が山狩りと園崎家包囲に回っている今、本拠地であるこの診療所は最低限の人員しか残っていない。その手薄になった本部を、レナたちは強襲した。……この迅速かつ一分の容赦もない用兵は、おそらく魅音の策!
「レナを、よくもぉっ!」
悟史が吠え、金属バットを振り回す。だが、すでに拳法めいた構えをとっていた小此木に隙はなかった。
「はぁあっ!」
身を沈めてバットの急襲をかわすと同時に、床に手をついて悟史の足元を払う。
「うわっ!?」
倒れかけた悟史に、床から跳ね上がった反動で間合いを詰め、その髪を掴んで膝を叩き込む。
「が……はっ」
崩れかけたところへ正拳の一撃が決まり、悟史も壁まで吹き飛んだ。
……このオッサン、強い!
「この……!」
遅れて駆け込んできた魅音が冷静に構えをとるが、その表情は一瞬にして焦りへと変わった。
レナを見習ったのかは知らないが、小此木はパイプ椅子をひっつかむなりそれを振り回して魅音に叩きつけたのだ。
「うぁ……!」
素手との対決を想定していた魅音は、これにはたまらず後退を余儀なくされる。
「なにしてるんですか、お姉っ!」
そこに駆けつけてきたのは、詩音。どうやらあの場所から無事に裏山に逃げ込み、みんなと合流できていたらしい。
だが俺が内心で安堵するのもつかの間、小此木が机を踏み台にして空中へ跳び、詩音の顔面めがけて蹴りを放っていた。
「……えっ!?」
一瞬の出来事に目を見張った詩音は身動きする暇すらなく、重い蹴りが直撃する。
「がぁっ!」
「け、圭ちゃん!?」
首をスッ飛ばされそうなその一撃を食らったのは、詩音ではなく、足の痛みを無視して全精力を振り絞り、その眼前へと飛び込んだ俺だった。
あやうく一発で意識が飛びかけるが、まだダメだ。
負けられねぇ……!
詩音に支えられてかろうじて踏みとどまり、着地する小此木を睨み据える。
「っ、このガキ……まだ動けたのか」
「これ以上……大事な仲間を、傷つけさせるかよ……!」
顔面、腹、足、全身のどこもかしこも痛みを訴えて、いますぐ横になって休めと命令してくる。だが、そいつは聞けねぇ相談だ……レナの言うとおり、こいつはめったにないくらいの楽しいお祭りなんだからなぁ!
「はっははぁ! テメェの負けだ、三下ぁ!」
痛みを、痺れを、恐怖を、悪夢を……笑い飛ばすッ!
「いいかげん認めやがれ! テメェは俺に負けたんだよ! ガキ一人始末できない特殊部隊なんざ、この前原圭一にとっちゃ山狗どころか仔犬も同然、出直してこいやぁあッ!」
「黙れぇえっ!」
小此木の鉄拳が、半死半生の俺の身体へと突き刺さる。
一撃でも肉をえぐり骨を折るような強烈な打撃が、二撃、三撃と俺に叩きつけられる。両腕が使えない俺はガードすることすらできずに喰らうしかない。
「け、圭ちゃんっ!」
「貴様らをここで全員殺せば、俺の勝ちだっ!」
「わっかんねぇ奴だな……!」
内臓破裂しそうな渾身の一撃が、俺の腹に吸い込まれるその瞬間。
「ひとりも殺させねぇって、言ってんだろうがぁッ!!」
完全な奇襲、カウンターで頭突きを顔面に叩き込む。
「ぁ、がっ……!」
血飛沫をあげながらのけぞる小此木。
その隙に、立ち直った魅音が駆け寄って腕をとり、床へと小此木の身体をひねり落とす。
「ぉあっ!」
腕を即座に折られながらも、無事な腕を振り回して魅音をとらえようとする小此木だが、それを上回る速度で魅音が飛びさすった瞬間、まるで入れ替わるような鮮やかなタイミングで小此木の背後へと踏み込んだ詩音が、がら空きの首筋にスタンガンを叩きこむ。
青白い火花とともに小此木が一瞬跳ねて、床に倒れ落ちた。
「「いぇいっ☆」」
見事なコンビネーションを決めた双子は小此木の上でぱんと手を打ち合わせると、魅音は悟史のほうに、そして詩音は俺へと駆け寄った。
「大丈夫、圭ちゃんっ!」
「いや、かなりヤバい……はは」
さすがに限界を感じて俺は、すとんと膝を落とす。詩音はとっさに俺を抱き留めて、壁によりかからせてくれた。
「もう、無茶ばっかりして、バカぁっ……!」
ぽかぽかと拳を胸に叩きつけられるのだが、それだけでも内臓に響いて意識が跳びそうになるのは内緒だ。男には黙って耐えなきゃいけないときがあるらしい。理不尽だが。
「レぇナぁ、悟史は私が手当するったら……!」
「魅ぃちゃん、こういうのは早い者勝ちだよっ!」
「む、むぅ……」
ふと見れば、悟史もレナと魅音に先を争うように介抱されていて、互いの視線が合うなりどちらからともなく苦笑いを浮かべてしまう。
「ほんとにもう、皆様、詰めが甘くて世話が焼けますわね」
「まったくなのです」
と、いつの間に入ってきたのか、沙都子と梨花ちゃんが呆れた口調で言いながらまだ動けずにいる小此木をトラップ用のワイヤーで縛りあげていた。……いや、面目ない。
……ひとまずは、一件落着のようだった。