放課後の部活を終えて、分校からの帰り道。
詩音は最近、なぜか俺の家の前に迎えの車を待たせているので帰り道が一緒になる。
今日は沙都子が梨花ちゃんの家へ遊びに行き、魅音と悟史がレナの宝探しに付き合ってダム現場へ行ってしまったので俺と詩音の二人きり。
「……圭ちゃんってもしかして、物凄くストライクゾーン低くないですか?」
珍しく不機嫌そうな様子の詩音が、俺に向かって唐突に言い放ったのはとてつもなく失礼な一言だった。
「はぁっ!?」
拗ねたようにあさっての方を向きながら、
「だって……ときどき神社で梨花ちゃまと密会してるって聞きますし、言われてみるとたまーにこっそり目配せしてたりしますよね。なにかあるのかって思っちゃいますよ」
なにかあるのかと言われればなにかあるのだが、そのなにかを洗いざらい話すにはまだ時期尚早な気がしている。
俺と梨花ちゃんの抱える問題というのは非常にデリケートで、話を持ち出すタイミングを誤ればなにもかもが徒労に終わりかねないのだ。
しかも梨花ちゃんは近頃悟史の出現を肯定的に捉えていてこれを最後の世界にするのだとはりきっているだけに、俺の一存で事を動かすわけにはいかなかった。
だが詩音のとんでもない誤解を放置するのも俺のちっぽけなプライドにとっては存亡の危機だ。
だから……、言った。
「それは違う、違うぞ詩音!……この俺、前原圭一のストライクゾーンは、甲子園球場よりも広いだけだッ!」
「うわぁ」
……しまった、シリアス風味が台無しな発言をしてしまった!
でも、ひぐらしならこの程度はアリかなとも思う俺がいるのも事実だった。
「……いやその、そうじゃなくてな。別に梨花ちゃんとはなんでもないよ」
あたふたと取り繕う。密会云々は、例によって例のごとく雛見沢の情報網を掌握する魅音からのいいかげんな情報だろう。いくら雛見沢の人口密度が異様に低いといっても、俺が神社へ向かう道すがら誰ともすれ違わないってわけにはいかないし、入念な打ち合わせのためにそれを数日とおかずに繰り返しているのだから魅音に話が伝わっていてもおかしくはない。
ならその事実を肯定したうえで、なるべく嘘にならない言い方を心がけなければならない。
「ちょっと内緒の相談事を受けてるだけだって……みんなにもそのうち話せると思うから、それまで……!」
言葉を切ったのは、さっきまで不機嫌そうだったりあからさまに引いた様子をみせていた詩音が、可笑しそうにころころと笑っていたからだ。
「冗談ですよ、圭ちゃん。反応が面白すぎです」
安堵と憤慨がないまぜになった複雑な気分だったが、詩音の楽しげな笑い声が、ともすれば焦燥に圧し潰されそうないまの俺にとっては一服の清涼剤のように心地よかった。
「……すこし不安だったのは事実ですけど、まぁそれは忘れてあげます」
詩音は笑いをひっこめて、気を取り直したように咳払いをすると、先に立って歩いていく。
「おーい、待てよ。ったく、冗談にしちゃタチが悪いぜ」
追いついて隣に並んだ俺は、はっと息を呑む。
……詩音の横顔は、さっきまでの軽やかな笑顔が嘘のように強張っていたからだ。
「……詩音?」
呼びかけると、詩音がひとつ息をして足を止めた。
そして長い髪を揺らしてこちらへと振り返り、どこか熱のこもったまなざしで俺を見上げてくる。
すぅ、と息を吸い込む音がやけに近くに感じた。
「圭ちゃん。……私、圭ちゃんのこと、大好きです!」
すこし上擦った声で、詩音は、そう言った。
「……え?」
耳から入った言葉の意味が脳に浸透しない。
なのに、何をどう理解したのか心臓だけがいきなり跳ねた。
「ちょっ……」
咄嗟に遮ろうとした俺をさらに詩音の声が遮る。
「好きです、大好きですっ!」
いきなり抱きつかれて、一瞬で脳が沸騰しそうになるのを必死でこらえた。
……待て。いまのは、なんだ?
いつものクールさを失った俺の頭脳が鈍く回転を再開し、もっとも高い可能性をはじき出す。
いわゆる愛の告白。
……いま、告白されたのだ。前原圭一が、園崎詩音に!
おいおい、待て待て待て!
クールになれクールになれ、クールになれ前原圭一。
詩音が俺を好きだって?
おかしいじゃないか、詩音はたしか……ええと、沙都子にねーねーって呼ばせたがってたくらいだから、悟史が好きなんじゃなかったっけ?
いやいや、違うぞ圭一。あれは前の世界の話だろ。詩音はこの世界では悟史とこの前出会ったばかりで、でも俺とも出会ったばかりといえばそうなるし、だけど言われてみれば手料理をご馳走してくれたりとか、あれって詩音なりのアプローチだったのかもしれない。
意外すぎてなにをどう考えたらいいのかよくわからないがいまの俺にいえることはただひとつ、目の前でおそるおそる顔を上げた詩音がさっきよりも、いや最初に出会った不良どもに囲まれていたときよりも格段に不安そうな顔をして涙のあふれる目で俺を見上げているということだ。多分こんなタイミングで告白するつもりなんかなかったのに、感情を抑えきれずにこういう結果になったのだろう。
……安い同情? あぁ、そう言いたければ好きにするがいい、目の前で自分のために泣きそうになってる女の子を笑顔にしてあげたい、俺の言葉ひとつ、覚悟ひとつでそれが成し遂げられるなら嘘だって本当に変えてみせる、それこそ口先の魔術師と呼ばれた俺の真骨頂。
目の前で震える瞳を、愛おしいと思えるこの感動。
それが好きって感情でなくてなんなんだ?
それが愛情を名乗ったからって誰が困るというんだ?
ああ、認めるさ、認めるとも……!
「……ありがとな。詩音」
できるだけ優しい声を出したつもりだった。それになにを感じたのか、詩音はきゅっと目を閉じた。
たまっていた涙が、白い頬を伝い落ちる。
まるで痛みに耐えるようなその仕草がひどく儚いものに思えて、俺は詩音の背中にをそっと抱き寄せた。
「ッ……!」
そのわずかな力にこめた気持ちが、どれだけ伝わったかはわからない。
……結果として、俺は失敗した。
詩音の笑顔を見たかったのに、詩音は泣き出したからだ。
俺にすがりついて、わんわんと、子供みたいに泣きじゃくった。それは、これがあのしたたかな園崎詩音かと疑いたくなるような変貌ぶりで、そのめったに見せない顔を俺に見せてくれたことが……すこし、嬉しかった。