ずいぶん長いこと泣き続けていた詩音がようやく落ち着いたのは、陽も落ちかけた頃だった。
「えへへ……勇気だして、よかったです」
土手の斜面で膝を抱えて、恥ずかしそうにはにかむ詩音。
頬の熱をさますように手をあてて、涙の跡を隠そうとする仕草にどこか『女の子』を感じてはっとしてしまう。
「……でもさ、ずいぶん唐突だよな」
それを誤魔化したくて、茶化すような調子で声をかけた。
「自分でもそう思います。……お姉たちみたいに、煮詰まっちゃうのがイヤだったんでしょうね、きっと」
詩音は苦笑ぎみにそう答えたが、
「魅音たち?……っていうと」
素で返したら、途端に呆れ顔になる。
「はぁ……同じクラスでいつも近くにいて、なにも気づかないんですか圭ちゃん。それってある種の才能ですよ?」
詩音の言っていることがさっぱりわからない。
「お姉とレナさんですよ。去年からずーっと悟史くんを挟んでどっちも動けずにいるじゃないですか」
……え、魅音とレナが……悟史を?
「分校を卒業すれば一年は余裕があるからとかいっていつまでもぐずぐずしてるお姉を見てたらもう、こっちがイライラしちゃって。ああいうの苦手なんですよ」
物凄く意外な話を聞いちまったぞ……。
そんな身近なところでいわゆる恋愛模様が進行していたなんて思いもよらなかった。
まさか、あの魅音と、あのレナがねぇ……。
どっちも恋愛沙汰に関わるようなイメージが一切無いんだけど。
それだけ悟史が魅力的だってことなんだろうか?
「……まぁ私も、まさか梨花ちゃまと睨み合うようなことになるとは思いませんけど、この先どんなライバルが現れるかと思うと気が気じゃなかったってわけです☆」
冗談めかして照れ隠しをする詩音だがさっきから顔が緩みっぱなしで、自分の唐突な告白が思いもよらず成功したことに詩音自身も驚き喜んでいるのは間違いなかった。
「でもまぁ、思い立ったら即行動ってのも詩音らしいよ」
フォローのつもりでそう言ったら余計に困った笑みを浮かべ、それでも嬉しさがあふれてくるという様子で、
「あはは……、自分では計画的な性格だと思ってるんですけどね~。ホント、圭ちゃんを好きになってからの自分はわけがわからなくて困ってるんです」
自分で自分が可笑しくて仕方ないとくすくす笑い続ける詩音は……なんというか、凄く可愛らしくて困る。
「ひゃ☆」
高ぶりそうな感情を流すために詩音の髪を撫でることにした俺と、大人しく撫でられてほわっとした表情を向けてくる詩音とは、川辺の風が冷たくなりだすまで時間を忘れてそうしていた。
同じ頃、そう、ひぐらしのなく頃に……その上流わずか数百メートルの場所でいったい何が行われているかなんて、初めての恋の手触りに戸惑いながら笑い合うだけの俺たちには、想像さえもできなかったんだ……。
「圭一……、この世界は、もうダメです」
夜になって呼び出され訪れた神社の境内で、梨花ちゃんは落胆しきった調子でそう切り出した。
期待していただけに失望も大きいのだと、その表情が雄弁に物語っていた。
「……ダメって、なんだよ!?」
諦めないと誓い合ったはずの、運命に抗う同志である梨花ちゃんの口からそんな悲しい言葉は聞きたくなかった。
「鷹野さんを倒すのはこれからじゃないか。みんなに打ち明けて、魅音がきっと作戦を立ててくれる。レナはきっと優秀なアタッカーになってくれるぜ。沙都子のトラップも山狗にだって通じるはずだ。俺と悟史だって……ん、普段はたよりないかもしれないけどさ、やるときゃやるぜ!」
百の言葉を尽くしても梨花ちゃんを奮い立たせられるわけがなかった。
梨花ちゃんはすでに、俺の知らない残酷な真実を思い知らされていたのだから。
「羽入が、見つけました……ダム現場で」
ダム現場……レナが宝探しに行く場所だ。
そこで何を見つけたっていうんだろう。
レナの喜びそうなかぁいい物でも見つけたっていうのか。
そんなものを捜しまわるなんて、オヤシロさまってのも案外暇なんだな。
「間宮リナの死体を」
ざわっと背筋に悪寒が走る。
聞いたことのない名前、知らない名前、なのに俺はそれを知っている。
その忌々しい名前がもたらした破滅を、世界の終わりを知っている。
「……死体、だって?」
かすれた声で俺がようやく口にできたのは、そんな意味も価値もない一言だった。
「そうなのです。……多分、彼女を殺したのはレナです」
梨花ちゃんからまた、驚愕すべき言葉が飛び出す。
レナ。
……あのレナが?
いや、前の世界でも見たあの鉈さばき、いざというときの冷静さと度胸を考えれば……不思議と納得してしまう。
「ボクの見てきたいくつかの世界で、レナは彼女を殺しているのです」
梨花ちゃんはレナによる間宮リナ殺しについて、かいつまんで話してくれた。
レナの親父さんが美人局に騙され、その相手が間宮リナと、なんとあの北条鉄平。
追いつめられたレナは仲間に相談することもできぬまま、リナと鉄平を殺してしまい……それによって雛見沢症候群を発症。
鷹野さんのスクラップ帳の説を真に受けて学校を占拠、俺たち分校の生徒もろとも爆死するという結末だった。
「圭一が知っているよりさらにひとつ前の世界では、圭一が捨て身の説得でレナを正気に戻しました。……でも、その世界も結局、ボクは鷹野に殺されて……」
……梨花ちゃんのこれまで目にしてきた世界が、どれだけの血と惨劇にまみれていたのかを改めて実感する。
「だからもう、この世界はダメです。逃れられない惨劇の歯車が軋みながら回り始めた。誰かが暴走し、誰かが殺される、血塗られた世界の始まり……それは、もう誰にも止められないのです……」
俺の沈黙をどう解釈したのか、梨花ちゃんは静かにそう続けたが……俺には到底、そうは思えなかった。
「……違うな」
はっとしたように梨花ちゃんが顔を上げて俺を見る。
「梨花ちゃんにとってここが最高の世界じゃなくっても、そんなのは俺の知ったことじゃない」
他の世界の記憶を受け継ぐなんて奇跡がそう何度も俺の身に起きるわけじゃない。
俺にとっては、もうこの世界こそが最後にして唯一の世界。
「誰にも止められないなんてのは、止めようともしない奴の言い訳に過ぎないってことを、俺が証明してやるぜ!」
だから……俺は、この世界を諦めない。
俺の言い方に、一瞬むっとした表情を浮かべた梨花ちゃんだが……すぐにその表情を消して、まっすぐに俺を見た。
「……他の誰かがそう言ったのなら、ボクも言葉を尽くして反論します。でも、前の世界で逃れられないはずの惨劇から沙都子を救い出し、その前の世界で暴走したレナを止めてみせた圭一にだけは、そう言う資格があるのです」
そして静かに微笑んだ。
「圭一、私はもう一度あなたを信じる……あなたの起こすとびきりの『奇跡』を信じるわ」