暗黒生命体調査計画   作:彼岸花ノ丘

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調査失敗

 そこは、何もない空間だった。

 空気がない。光もない。液体もなければ固体もない。何一つ存在しない暗闇の空間が、何処までも続いている。

 そんな何もない空間に、一つだけ存在するものがあった。

 大きな建物だ。或いは、人工衛星のようなと表現すべきか。全長三十メートルほどの大きさがあるこの建物は、円錐を二つ、底面部分で繋げたような形をしている。地上で安定して立つ事の出来ないデザインだが、重力さえもないこの空間では関係ない。大きさと質量に似合わない、ふわふわとした動きで漂う。

 建物の中には、様々な機械が設置されていた。施設全体を動かす発電機、大量の液体を濾過する浄化装置、有機物を固めて食料にする調理器具、何かを高速で処理している解析機……三十メートルという大きな建物内部の殆どが、高度な機械で埋め尽くされている。残りのスペースも、建物内の移動に使う細い廊下を張り巡らせるのに使われる有り様。生活空間と言えるような『余り』は、ほんの数メートルの範囲しかない。

 この小さな生活空間に、彼女はいた。

 

「準備完了」

 

 彼女はぽそりと、ヘッドフォンに備え付けられたマイクに向けて言葉を発する。

 長く伸びた黒髪は、ずっと洗われていないのか皮脂でベタついている。歳は二十代前半ぐらいだが、何日も寝ていない のか目許に濃いクマが出来ていた。顔立ちは間違いなく美人なのだが、据わった眼差しは誰も彼も怯ませるだけで、魅力的には思わせない。

 痩せ衰えた身体は簡易な、入院服のようなものを着ているが……何日も洗っていないのか薄汚れている。長い事不衛生な環境に留まっていると、一目で分かるだろう。片手を乗せているキーボードは新品だが、不潔な指で触れているため既に汚れが薄っすらと付着している状態だ。身体を預けている背もたれ付きの椅子も、少し黄ばんでいる。

 しかし彼女はそれを気にした様子もなく、目の前にあるモニターを見つめるのみ。

 モニターに映し出されていたのは、暗闇だった。この建物の外に広がるのと同じ、光も大気もない暗闇が何処までも続く。しかしこれはモニターが壊れているのではない。

 この建物の外に浮かぶドローンが、外の景色を映し出しているのだ。

 彼女は知っている。ドローンの大きさが一メートル程度の小さなもので、プロペラもジェット噴射口もない、丸い形をしたものであると。翼も何もないのに、ドローンは上下左右、あらゆる方向に飛行する事が出来る。それも凄まじい速さで。

 更に全方位を撮影する能力もあり、モニターを操作すれば彼女のいる建物も映す――――()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 

「第六〇六番実験、開始」

 

 彼女が再びマイクに向けて話し掛ける。

 合わせて、ドローンも動き出す。

 ドローンが稼働すると、モニターに映し出された景色が一変した。何一つ存在しない暗闇から、光り輝く洪水の中を進むような映像となる。それはドローンが凄まじい勢いで、何処かを目指して進んでいる事を示していた。

 ただし、この空間の話ではないのだが。

 

「目標座標到達まで十、九、八、七」

 

 ドローンから送られてくる映像を見ながら、彼女はカウントを進める。彼女は時計もタイマーも見ていない。だがその秒数は極めて正確で、機械のように狂いなく数えられていく。

 カウントが進むほど、モニターに映し出される輝きは強さを増していく。ドローンの速度が増しているようにも見えるだろう。

 

「三、二、一、ゼロ」

 

 そしてモニターの映像は、彼女がゼロを伝えるのと共に切り替わる。

 再び、黒い画面となる形で。

 しかしその黒い画面は、カウント前のものとも、ましてや電源が落ちたモニターとも違うものだ。まるで底のない穴を覗き込むような、何もかも飲み込む黒さ。一切の光を放たない、あらゆるものを逃さない、そんな暗闇。

 もしくは暗黒と表現すべきか。

 自身の汚れにさえ無頓着な彼女が、顔を引き攣らせた。身体全体を強張らせ、噴き出す汗が服をますます汚す。尤も、そうした反応はほんの一瞬で終わりとなる。

 モニターに映し出された暗黒は、瞬きする間もないうちに終わったのだから。後に表示されるのはただの黒い画面。恐ろしくもなんともない、普通の黒一色が映し出されていた。

 それはなんらかの理由により、ドローンとの通信が途絶えた事を意味する。

 

「……実験終了。データ及び記憶送信」

 

 何も映さなくなったモニターを見つめながら、彼女は淡々とそう告げた。片手で、目を向ける事もなく傍に置いてあったキーボードを操作。

 ずっと装着していたヘッドフォンが、微かに明かりを放つ。

 そこで一区切り、とばかりに彼女は一息吐いた。狭苦しい室内で控えめに肩を回し、天井を仰ぐように見つめる。ほんの少しの休憩を挟んだところで、席から立ち上がろうとする。

 直後、けたたましい警報が室内に鳴り響いた。

 

「……もう勘付かれた? 前よりも大分早いわね」

 

 警報を聞いた彼女は、慌てる事もなく再び椅子に座り直す。

 キーボードをささっと指で叩き、警報を止めた。更に入力を行うと、目の前にあったモニターが動き、その裏にある窓が彼女の前に姿を現す。

 窓が映し出すのは、この施設の外の景色。

 先程までと変わらず、何もない空間だ。真っ黒な、果てのない景色が彼方まで続いている。とはいえ窓は開閉可能な構造をしており、今は少々厳重ながら手動解除可能なロックが掛けてあるだけなので、開けて外に出る事も不可能ではない。

 その上で、彼女は何かする事もなくのんびりと窓を見つめる。

 何もする気がないのではない。

 何もしてはいけないし、何も出来ないから、何もしないのだ。

 

「個体群が違う筈だから、学習しているとは思えない。或いは、この周波数帯は奴等にとって辿りやすいのかしら……まぁ、それは上層部が調べる事ね。だけど」

 

 ぼそぼそと呟かれる独り言。その言葉が最後まで続くのを待たずに、『終わり』はやってくる。

 何もない空間に突如『穴』が開き、黒いものが流れ込んできたのだから。

 何もない、空気も光も重力もない空間よりも、間違いなく濃いと感じる黒がどんどんこの場に入り込む。ドローンとの通信が途絶える前に映し出された、ほんの一瞬だけ見えた黒……いや、あれよりも遥かに濃密な、モニターでは拾えない暗黒が確かに見えた。

 無よりも濃密な黒。物理的にあり得ない色彩なのに、本能で納得させられてしまう。そんな色を前にした彼女は笑った。

 

「……ああ、成程。目視じゃないと、あれは()()()()()()わね」

 

 全てに納得した彼女は、満足気に頷く。

 頷く彼女を、やってきた暗黒は飲み込んだ。

 彼女を狙ったのではない。彼女のいる建物ごと飲み込んだだけ。けれども建物は一秒と経たずに分解され、中身を露出させる。彼女の身体も無の空間に放り出され、しかし苦しさなどを感じる間もなく暗黒に包まれた彼女は跡形もなく消え去る。

 建物も彼女もいなくなったが、暗黒は消えない。それどころか暗黒同士で纏まり、蠢き、膨張していく。

 ――――もしも、暗黒を見通す事が出来たなら。

 その暗黒が小さな『虫』のようなものの集まりだと気付く事が出来ただろう。イモムシに翅を生やしたようなもの、甲虫に力強い脚を付けたようなもの、カマキリを更に攻撃的にしたようなもの……ある程度のグループ分けは出来るものの、千差万別な形態をした虫達は、食う食われるの関係を続けながら循環している。

 循環しているだけの筈なのに、虫達は少しずつ数を増やしていく。暗黒の総量はどんどん増加し、群れ全体は巨大化している。まるで無から生まれ出るかのように。暗黒の量が増えるほど、数の増加は加速していく。

 いずれ、この小さな無の空間は暗黒に満たされるだろう。

 暗黒達が元々いた場所――――人間発祥の星である地球が存在していた、あの宇宙のように。

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