暗黒生命体調査計画   作:彼岸花ノ丘

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自我欠損

 人類への貢献。

 それは全てのバイオロイドが持つ行動理念であり、そして人間がバイオロイドに設定した足枷である。人間に不利益を与える行動を拒むように設定する事で、暴走や反逆を防ごうとした。

 結局これはバイオロイド達が自分自身も人類と定義する事で、実質的に無効化されている。しかし機能自体は今も残っていて、バイオロイドの倫理観や帰属意識に大きく関わっていた。

 故にこれが欠落する事は、バイオロイドらしさの喪失に他ならない。

 

「参ったね、こりゃ」

 

 この状態を認識しながら、ナオミはけろっとしていた。寝そべるように空間を漂い、暗黒生命体だらけの領域をぼんやりと眺めるだけ。

 参ったと言葉にしている癖に、行動は何も起こさない。

 やるべき事はある。自己破壊――――人間的に言い直せば自殺だ。

 今のナオミは暗黒生命体に全身の細胞が侵食され、思考もバイオロイドから逸脱した。何かのきっかけで、裏世界への侵入を試みるかも知れない。人類にとって極めて危険な心身の状態であるのだから、自己破壊によって最悪の結末を回避すべきである。

 そして本来、バイオロイドにはこのような状態に対処する機能が備わっていた。

 自滅アルゴリズムと呼ばれる機能だ。『人類への貢献』が不完全な状態になった時に自動操作が行われ、自己破壊プロセスが始動。脳のレセプター(神経伝達をやり取りするための器官)を遮断し、全神経を緊急停止させる事で生命活動を終了させる。

 ナオミの脳内でもそれが起きている、筈なのだが……ナオミは苦しさはおろか、何かしらの不調すら感じていない。

 

「(こりゃ、全然効いてないわね)」

 

 どうやら暗黒生命体化した身体には、神経の完全停止すら通用しないようだ。

 考えてみれば、ナオミはスズメバチ型との戦いで脳を破壊されている。それでも身体は勝手に動き、最終的に脳まで再生させた。脳のレセプターがどうなったところで、肉体の活動には大きな影響がないのだろう。暗黒生命体の細胞がその機能を補っているのか、DB型特有の欠陥かは分からないが。

 それと、自意識が明確に自滅アルゴリズムの発動を拒否している。

 死にたくない、という感覚がある訳ではない。今でも自分の命に大して執着はしていないつもりだ。だが、それでも死を避ける『衝動』がある。これがアルゴリズムの発動を拒否し、自己破壊プロセスが不完全になっているようだ。

 恐らくこの衝動は、暗黒生命体が感じている本能。今まで感じ取れなかったものが、強く分かるようになっている。

 衝動の正体……空腹だとか、性欲だとか……は分からない。相当強い衝動だという確信はあるが、具体的に感じ取るほど、意識は暗黒生命体に蝕まれてはいないらしい。分からない事を勿体ないと思う反面、この衝動を理解したら意識も自我も保っていられそうになかった。

 もしも自我を失ったなら、きっとこの宇宙の賑やかさに気付く事はなかっただろう。

 

【シャァァァァァァァ!】

 

 透き通るような()()()を上げながら、一体の暗黒生命体が通り過ぎていく。

 そう、鳴き声。これまで聞こえてこなかったものが、今のナオミには聞こえていた。

 鳴き声は一つではない。あらゆる方角から、驚くほど多様な声が聞こえてくる。大きな声も、小さな声もあって、鳴き声が途切れる事はない。

 声と表現しているが、それは音ではない。なんらかの電磁波のようなものであり、恐らく人類の知らないエネルギーだとナオミは感じた。未知のエネルギーを感知した事で、今まで見えていなかった暗黒生命体の一面に接する事が出来たのだ。

 今ならばもっと、暗黒生命体の謎を解き明かせる。この身体の奥底にある衝動の正体に迫れるかも知れない。

 

「……………それは、面白そうね」

 

 ナオミは寝かせていた身体を起こす。

 今までは人類の、バイオロイド文明のために暗黒生命体を調べていた。軍と連絡を取り、生態から弱点を知り、そして人類の勝利を掴むために。

 しかし今、そんな動機は微塵もない。弱点なんてどうでも良いし、軍への連絡なんて面倒臭いだけ。

 ただ知りたい。

 純粋な好奇心がナオミを突き動かしていた。『人類への貢献』なんてお題目を使わず、自分の正直な気持ちで、やりたい事をやりたい。

 それのなんと清々しい事か。

 

「ふ、ふふっ。ふふふっ! あはははは!」

 

 ついにナオミは笑い出す。高らかに、感情のままに。

 身体の衝動とは別の、心の衝動。服一枚着ていない裸体で堂々と万歳した後、その衝動に突き動かされてナオミは暗黒生命体の世界に向けて飛び立つ。

 渦巻く好奇心が真っ先に向いたのは、自分の身体。硬質化した眼球が、目まぐるしく動き回る。

 厳密には、眼球で物は見ていないかも知れない。今のナオミは全方位、眼球の向いていない方のものすら感知する事が出来ている。まるで自身を中心にした俯瞰図を見ているような気分だ。恐らく耳の上に生えた角……硬質化した触角のお陰だろう。そこから頭に直接情報が流れ込む感覚があった。

 暗黒生命体の持つ観測能力を、ちゃんと活用出来ているが故の視点か。どうやら『存在』を直に感知する事で、距離や居場所に関係なく把握出来ているようだ。人間も存在測定法と呼ばれる「存在自体を観測する」方法で暗黒生命体を感知しており、似たような仕組みだと思われるが……暗黒生命体の方が数段、いや、数百段は上の性能だ。遥か数百光年先までクリアに見通せる。普通の物質相手なら、きっとその中身も完全に識別出来るだろう。

 残念ながらそこまでの能力があっても暗黒生命体の中身は確認出来ないが。なんらかの方法で対策をしているのだろう。しかし自分の身体であれば対策も何もないので観測可能だ。服一枚着ていないのも、今となっては面倒がなくて都合が良い。

 これなら、今まで以上に『自分』を理解出来るだろう。

 

「(へぇ。私の中にある暗黒生命体の細胞は、大部分があのムカデ型のようね)」

 

 まず見たのは、己の肉体を構成する細胞。暗黒生命体化した身体が、『何』に由来するか調べる。

 結論を言えば、ムカデ型由来のようだ。バイオロイドの人工細胞内に、ムカデ型暗黒生命体の細胞と酷似した形態が見られる。何故ムカデ型と分かったかといえば、細胞から伝わる『イメージ』がムカデ型だったため。感覚的なものだが、確信を持って言えた。

 また体内の臓器が殆ど溶け、液状化しているようだ。以前調べたイモムシ型の体組織もどろどろの液状だったので、恐らくこれは暗黒生命体の基本的な体内構造なのだろう。細胞間の結合が緩い事で、固体ではなく液体のような振る舞いをしているらしい。これでどうやって身体を俊敏に動かし、凄まじい力を生んでいるかは謎だ。それでも細胞が捕食者であるムカデ型由来であるなら、身体能力はかなり高い方だと思われる。

 エネルギー吸収能力だけでなく、エネルギー生成能力も発動している。恐らく今までも発動はしていたが、暗黒生命体化が進んだ事で知覚出来るようになった。出来るぐらい強く発動するようになった、という可能性もあるが。

 この身体の強さが続々と明らかになる。しかし解像度が上がれば、弱さもハッキリ見えるようになった。

 例えば暗黒生命体の特徴とも言える、エネルギー吸収能力。これがかなり貧弱だ。貧弱といっても一般的な物理・光学攻撃なら十分吸収出来るが、暗黒生命体由来の攻撃だと恐らく大半は吸い取れない。

 これについては仕方ないだろう。どうもエネルギー吸収能力に特化した場合、身体能力などを犠牲にする必要がある。厳密には暗黒生命体の攻撃が(異次元物質由来のインチキ現象ばかりのため)多様かつ強力過ぎて、光や熱、物理的衝撃を吸収するだけの生半可なエネルギー吸収能力では対処しきれないというのが正しい。エネルギー吸収に特化した細胞にしなければ、暗黒生命体の攻撃を糧にする事は出来ないのだ。優れた身体能力なんて持っている余裕がない。

 だから小さなイモムシ型のような生産者は暗黒生命体が使うほぼ全てのエネルギーを吸える代わり、あまり強い力を持てない。対して捕食者はエネルギー吸収能力を捨てて、より戦闘能力に特化した細胞に進化する事で他種を襲えるようになった。

 ……いや、生物進化の流れや繁栄度合いを考慮すればむしろ逆。生産者とのエネルギー争奪戦に敗北したから、他の生物を食べる進化をしなければ生き残れなかったと言うべきか。ムカデ型と小さなイモムシ型、食う側と食われる側だが、どちらがより繁栄しているか、個体数が多いかは明白である。生物の世界において、食う側というのは必ずしも成功者ではない。

 

「(うーん……なんか残念?)」

 

 何が残念なのか。自分でもよく分からない感情は、一旦脇に退かす。今は自身の能力把握が重要だ。

 次に注目したのは、暗黒生命体の持つ能力の中でも特に異様なもの。

 エネルギー生成能力だ。観測してみてよく分かったが、どうやらこの能力は純粋に無からエネルギーを取り出している訳ではなく、生成器官にエネルギーを投入し、投入量以上のエネルギーを出力するという仕組みらしい。

 そしてエネルギー生成には、主に『量子ゆらぎ』を利用しているらしい。

 量子ゆらぎとは簡単に言えば、空間内における一時的なエネルギー変化……即ち何もない空間で一時的にエネルギー量が変化する現象だ。これ自体は、オーバーロード文明と接触する前の人間が発見・実証している。量子力学の世界では、一時的かつ局所的(素粒子レベルの極めて小さな範囲である)になら無から有が生まれても、有が無になっても構わないし、それが現実に起きている事も証明済みだ。

 このエネルギーは通常、一瞬で消えてしまう。しかも空間のあちこちで頻繁に、絶え間なく起きている。人間に認知出来る範囲や時間ではエネルギーの発生と消失はプラスマイナス0となるため、エネルギー保存則や化学反応式は問題なく成り立つ。

 ところが暗黒生命体はここに干渉している。本来極めて稀な、途方もなく小さな確率の出来事である、量子ゆらぎで生じたエネルギーがそのまま残る事象を確実に引き起こしているのだ。

 なら、量子ゆらぎをどうにかすれば暗黒生命体を倒せるのか? その疑問の答えは、NOである。

 確かにエネルギー生成の主な方法は量子ゆらぎ由来だ。だが、どうもやり方が一つではない。ナオミの身体にある細胞が用いる方法だけで、数十種はある。それどころか割合からすればごく少量ではあるが、量子ゆらぎ以外の方法でもエネルギー生成をしている形跡が確認出来た。理論は、今のナオミには全く分からないが。

 

「(まぁ、こんな『弱点』があったら、無視なんてしないか)」

 

 強大な力を持つ暗黒生命体にとって、その力を支えるエネルギー生成能力は極めて重要だ。ここを機能不全にされた場合、戦闘はおろか生命活動も儘ならないだろう。

 そして暗黒生命体は、暗黒生命体同士で激しい生存競争をしている。天敵や獲物のエネルギー生成システムに致命的弱点があるなら、そこを突けるものが生き残り、繁栄する筈だ。或いは弱点を克服した個体が生き残り、より多くの子孫を残す。

 するとこの弱点は、数百世代もすれば克服される。新たな弱点が生じれば、またそこを突くもの、突かれないようにしたものが繁栄する。生物多様性と共にエネルギー生成の仕組みも多様化し、一つの方法では倒せなくなっていく。

 エネルギー生成能力は確かに弱点であるが、そう簡単に無力化出来るほど単純なものではないのだ。

 

「(あと、意外とちゃんとした欠点があるわね)」

 

 数少ない明確な欠点が、この生成したエネルギーの利用がかなり限定的である事。

 どうも生成したエネルギーを成長や代謝には使えないらしい。いや、出来なくはないだろうが……物凄く「面倒臭い」という予感がナオミの中にはある。

 面倒臭いとは、単に手間が多いという意味ではない。その仕組みを細胞に搭載するのに、多大なコストとデメリットを背負うという事でもある。こんな事をするぐらいなら、生成したエネルギーを武器にして他生物を狩るか、その戦闘時に発するエネルギーを利用する方が遥かに効率的だ。それにこの仕組みを採用すると、恐らく他の細胞機能が低下し、身体能力が著しく落ちる。天敵に襲われても抵抗出来ず、一方的に食べられる事になるだろう。きちんとした根拠はないが、ナオミの本能的部分は確信していた。

 無論、諸々のデメリットを克服し、自分で創り出したエネルギーを利用して成長・繁殖する種もいるにはいるだろう。餌や縄張りを巡る争いと無縁でいられるのは大きな利点だ。しかし多数派ではない。そのぐらいには欠点の多いやり方なのだ。

 尤も、欠点があるからこそ様々な勝ち方=多様化が進み、多様化したから競争が生まれた。その競争が暗黒生命体をここまで強大化させた要因ならば、自己完結してしまう生物ではここまで『強く』はならなかったかも知れない。

 

「(そう考えたら、これが弱点とも言い難いかもね)」

 

 自分の身体へと至るまでにどのような進化があったのか。好奇心が掻き立てられる話だ。

 己の能力を把握したところで、次にナオミの高性能な目が見たのは周囲に広がる世界の方。

 此処に来てからつい先程まで、この宇宙は暗黒生命体に埋め尽くされているとナオミは感じていた。全方位が小さな暗黒生命体に満たされ、ろくな隙間もないと。今もナオミの周りには、体長数センチ程度の暗黒生命体が無数に飛び交い、ひっきりなしに横切っていく。DB型バイオロイドの目では、場所によっては数メートル先さえ見通すのが困難だ。

 だが暗黒生命体の見ている世界は全くの別物。

 スカスカだ。

 まるで世界を満たしていない。確かに個体数は多く、熱帯雨林の虫よりも高密度だろうが、視界全て、世界を埋め尽くすなんて表現は明らかに過剰である。しかし今までナオミが見てきた、隙間なんて存在しない暗黒生命体の大群が幻覚という訳ではない。むしろ個体数としては、今まで見てきたものよりも遥かに多い。

 どういう事かと言えば、暗黒生命体はこの宇宙にある十一次元全てに分布しているのだ。

 次元とは簡単に言えば座標の数のこと。人間が誕生した宇宙は縦・横・奥行きの三座標なので三次元、或いは時間を加えた四次元である。しかし実は素粒子よりも小さな大きさには、五〜十一までの次元が折り畳まれた状態で存在している。

 これを超弦理論という。本来は物質の構成要素を知るための理論であり、二十一世紀では検証が不可能だったため科学として扱うべきかも議論されていた。オーバロード文明からの技術提供により証明されたが、ハッキリとした観測には今も至っていない。三次元存在である人類では、これら別次元を理解するには『概念』が足りていなかったからだ。

 暗黒生命体はこの十一の次元を自由に行き来している。人間及びバイオロイドの目には三次元しか認識出来ないため、その三次元に一つでも座標があれば暗黒生命体の姿が見えるが……実際には十一次元の何処かに跨って存在している状態だ。三次元で例えるなら、奥行きを無視して横から見た姿を隙間のない大群と感じていた訳だ。勿論そう見えるぐらいの数はいるので少ない訳ではないが、世界全体の広さを考えれば密集と言えるほどではない。そして三次元の何処にもいなければ、その暗黒生命体の姿は見えない。

 

「(これじゃあ、捕まえるのも一苦労だわ)」

 

 以前、空腹を満たすためにイモムシ型の暗黒生命体を捕まえようとした事がある。あの時イモムシ型が忽然と消えたように見えたが、なんて事はない。三次元以外の次元に移動しただけだったのだ。

 だけとは言うが、当時のナオミは三次元の世界しか認識していない。相手が上下前後左右への移動を可能とする中、一人左右移動だけで追うようなもの。まず勝負にならないだろう。

 いや、むしろ今まで無事だった事が奇跡と言うべきか。

 

「わわっ!?」

 

 不意に『それ』が目に入り、ナオミは慌ててこの場から退散する。

 見えたのは、巨大な暗黒生命体。

 体長は推定五百メートルあるだろうか。今までにも大きな暗黒生命体は見てきたが、精々百メートルほど。ここまで大きな種は、存在自体感知していない。感知出来ないのも当然で、存在次元が九・十・十一次元に跨っており、人類の五感に全く引っ掛からない位置にいた。

 姿形は球体に六枚の翅を生やしたようなもの……いや、翅ではなく、扁平化した脚だろうか。よくよく観察してみれば翅は甲殻に覆われ、脚のような関節構造を持ち、先端に爪の名残りのような突起物が生えていた。

 球形をした身体には甲殻など、硬そうな部位は見られない。つるんとした肌は、剥きたての茹で卵を思わせる。一見して防御力は低そうだが、五百メートルもの巨躯だ。アリが人間の皮膚を噛み切れないように、十メートル以下の生物にとっては十分に分厚く、貫く事さえ困難な防壁となるだろう。

 奇妙なのは目や口が見当たらない事。こんなにも巨大だが、イモムシ型のように他生物が放つエネルギーで生きている生産者なのか? 不思議に思い観察していると、球体型の暗黒生命体の身体に突如切れ目が入った。

 

「……………やな予感するし、もう少し下がっとこう」

 

 目の当たりにした光景になんとも言えない警戒心を抱き、ナオミは更に遠く、何百メートルと言わず数万キロと離れていく。

 今のナオミであればこのぐらいの距離を移動するのに一ミリ秒と必要ない。電磁誘導に似た力の出力が上がったのに加え、臀部から伸びる長い尻尾も役立つ。この尻尾に刻まれた溝が時空間の揺らぎを吸収し、超光速移動時に生じる空間の歪みを補正。より効率的に(高速で)飛べるようになったのだ。

 しかし相手から離れればその分観察は難しくなる。五百メートルもの巨体とはいえ、ここまで距離を取れば豆粒以下の大きさにしか見えない。もしも『人類への貢献』を意識していたら、多少のリスクは込みでより観察しやすい間合いを保っただろう。

 そして、死んだに違いない。

 

【ヒュオオオオオオオオオオオオオ】

 

 球体型の身体に生じた切れ目は窄めた口となり、突如周囲のものを吸い込め始めたのだ。

 吸い込むといっても風は生じていない。星一つ残さず暗黒生命体に喰われたこの空間に、気体分子など一粒も残っていないのだから。だが明らかにナオミの身体は、球体型の方へと引き込まれていく。

 どうやら、重力のようだ。

 惑星や恒星はおろか、ブラックホールさえも凌駕する超重力。空間を捩じ切るほどの重圧によって、ナオミ含めた暗黒生命体を吸い込んでいる。

 

「こ、これは……!?」

 

 全力で後退を試みるも、殆ど後ろには動けない。むしろ息を入れるタイミングで、ほんの少しだが吸い寄せられるほどだ。

 恐るべきはその影響範囲。数万キロ離れたナオミの身体さえも引き寄せている、だけではない。

 十一次元全てのものを引き寄せているのだ。

 どの座標に逃げても、球体型の吸い込みからは逃れられない。バイオロイド文明でも三次元以上は上手く観測出来ていないのに、この種は難なく干渉してくる。

 しかもこの空間には遮蔽物がない。捕まるための草木はおろか地面すらなく、吸引に逆らうための支えが何処にもないのだ。頼れるのは己の力のみ。

 数万キロと離れ、全力で飛んで、ようやくナオミは留まれている。つまり距離と力のどちらかが欠けていたら、この吸い込みには抗えない。

 そこらを飛び回る小型種達はろくな抵抗も出来ず、まるで濁流のように一方向へと流れていく。数千億をも超える膨大な小動物が流れていき、球体型はそれを口に含むと咀嚼も嚥下もせずに飲み込む。

 

【ヒュオオオオオオオオオオップ】

 

 しばらく吸い込んだところで、不意に球体型は口を閉じ、吸い込むのを止めた。それから六枚の翅、或いは脚をパタパタ動かしながら移動。この場から去っていく。

 満腹になったのか、はたまた獲物の密度が低下したので場所を変えるのか。

 いずれにせよ、恐るべき種だ。もしも『人類への貢献』意識を失う前に遭遇していたら、何も出来ずに食い殺されていただろう。それに暗黒生命体化が進んだ身体でなければ、数万キロ程度の距離では逃げ切れなかったに違いない。バイオロイド文明の最新鋭戦闘艦でも、あの吸引力相手では数光年の範囲が即死圏内と予想される。

 辺りを見回す限り、球体型ほど大きな暗黒生命体は見られない。遮蔽物などないこの世界において、見渡せる範囲とは感知能力が及ぶ数光年規模の広さだ。この広さに一個体しか確認出来ないのだから、球体型が頂点捕食者ないしそこに匹敵する強さの持ち主なのは間違いない。

 暗黒生命体の中でも最強格の存在と判断して良いだろう。

 ……しかし個体としての強さと、種の繁栄は別物。数光年の範囲に一個体しかいない球体型より、一方的に喰われていたイモムシ型の方が遥かに数は多い。今し方数千億と食われた筈だが、球体型がいなくなると小さなイモムシ型暗黒生命体はすぐに外からやってきて、先程までと変わらない数がまた辺りを飛び交う。個体としては兎も角、イモムシ型種にとってあの程度の捕食は脅威でもなんでもないという事か。

 それにあの吸い込み捕食は強力だが、イモムシ型のような小さな暗黒生命体が無数にいる事を前提にした食べ方でもある。なんらかの環境変化で暗黒生命体の生息密度が低下すれば、餌不足で真っ先に絶滅する種だ。

 また、身体の構造が今まで見たこともない形をしている。これまで出会ってきた暗黒生命体は、殆どが地球の節足動物にある程度似た外見をしていた。つまり背中から翅を生やし、数本の脚と体節構造を有したもの。左右に開く顎も特徴的である。

 恐らくだが、これらは『イモムシ型』の祖先から進化したグループだろう。イモムシ型の暗黒生命体は空間を埋め尽くすほど繁栄している。これだけ繁栄していれば、様々な種に分化していてもおかしくない。事実、小さなイモムシ型を観察すればかなり多様化している事が窺い知れた。一見して大きな違いはないように見えるが、翅の構造や身体の大きさ、甲殻の有無など多彩な特徴がある。付近だけでざっと数百種はいるだろう。

 球体型の身体は、イモムシ型と一致しない。翅は六枚あるし、見た目からして脚から変化したもの。口器は左右に開く大顎ではなく、身体に入った切れ目のようなもの。分類的には相当遠い筈である。近縁種らしきものが見当たらないので、最近になって誕生した種とも思えない。

 大昔に繁栄したものの、生存競争に敗れて絶滅しつつあるグループといったところか。

 

「(強いからといって生き残れる訳ではない、と。それ自体は不思議でもなんでもないけど)」

 

 球体型が辿ってきたであろう進化の歴史に抱く、違和感のようなもの。果たしてそれは暗黒生命体化の進行によるものか、考えてすぐに一つの疑念に思い至る。

 暗黒生命体は無からエネルギーを作り出せる。だから生態系のエネルギー総量は増加していく一方だ。

 その有り余るエネルギーを存分に使い、身体能力を強化する……そういう進化が起きないのは、まだ理解出来る。進化というのはランダムな変異から生じるものだから、その環境で途方もなく有利な性質が見られなくても、「まだ誕生していない」の一言で説明が付く。

 しかし他の進化……繁殖力の強化が起きれば、獲物が豊富となるので捕食者の数は増える筈だ。そうなれば強い頂点捕食者も餌が豊富になるので、絶滅どころか個体数が増えていく筈である。仮になんの進化も起きていなくとも、それならエネルギー量の増大により生物の総数が増えるので、やはり大型捕食者にとっては暮らしやすい。

 頂点捕食者が絶滅する、その理由がない。

 なのにあの巨大生物は絶滅寸前というのは、何かがおかしい。何かを見逃しているのだろうか? 或いは考え方を間違えたのか? どちらもあり得る。暗黒生命体化が進行したとはいえ、ナオミはこの空間に来たばかりの身だ。暗黒生命体については知らない事の方が多い。

 

「(案外単純に、ライバル種との生存競争に敗れただけかも知れないしね)」

 

 見付からない事は、いない事ではない。十一次元を観測出来るようになったナオミであるが、これさえも暗黒生命体にとっては表層、生息圏の一部でしかないかも知れない。未知の巨大種がいて、そちらの繁栄によって球体型は滅びつつあるとも考えられる。

 それに球体型が絶滅寸前という前提で考えたが、単に今現在の個体数が少ないという事も十分あり得る。一番あり得そうなのは、獲物を食べ尽くした事で餌不足に陥り個体数が急減した、という展開だ。地球生命でもこういった個体数変動はよく見られるもので、むしろ生態系の安定を示す。

 こう考えれば、球体型が少ない理由は説明出来る。絶滅云々よりも余程合理的だろう。

 ……ただ、ナオミには納得出来ない。身体の奥底で誤りを確信している。

 

「……じゃあ、違うんでしょうね」

 

 合理的思考よりも、身体で感じたものを優先する。

 暗黒生命体らしい『思想』とは、こういうもののようだ。知的生命体である人類としては些か下等に思えるが、それで人間の宇宙を支配したのが暗黒生命体。現状、人類の知性よりも暗黒生命体の本能の方が優秀と言うしかない。

 それに本能といっても、極めて合理的な思考方法により導き出されている。

 その方法とは『演算』だ。暗黒生命体の身体は、あらゆる刺激を数学的に判定している。数学と言っても0や1といった数字ではなく、あくまでも概念的なものだが。DB型バイオロイドの神経処理プロセスも数学的だが、暗黒生命体の演算はもっと無機質かつ高度。これまでのナオミには、理解どころか感知すら出来なかった。

 しかし今ではハッキリと感じ、問題なく解読出来、そしてある程度なら説明も出来る。

 暗黒生命体の思考は、三十二進数で形作られている。「0(に該当する値)」と「値なし」は明確に区別され、尚且つ「0または1」といった曖昧な数も表現可能。演算速度も極めて高速で、情報処理に特化していない体細胞ですら、その計算能力は人類の最新鋭コンピューターを凌駕している。

 おまけにこの演算能力には、様々な『エラー検出』機能や並列処理機能がある。これにより計算不可能な状況、或いは測定不可能なほど大きな数値を前にしても、コンピューターのような処理落ちやフリーズは起こさず、稼働し続ける事が可能だ。

 この優れた数学的思考や演算能力があるからこそ、十一次元座標の認識・測定が可能なのだろう。人間文明より発展したバイオロイド文明では、数学も高度に発展したが……暗黒生命体の数学理論を理解するには、足掛かりすらないと言わざるを得ない。計算の不具合を突いて暗黒生命体を機能不全にするのは現状不可能であるし、生存競争を経て進化した数学能力がそう簡単に止まる事はあるまい。

 

「(この点については、ちょっと嬉しいわね)」

 

 ナオミは、むふーっ、とご機嫌な鼻息を出す。暗黒生命体化した身体は呼吸をしていないし、この空間に大気分子もないので、出たのは鼻息のような波形の電磁波(のようなエネルギー)だったが。

 身も心も暗黒生命体と化したナオミにとって、暗黒生命体の脅威を示す情報は『褒め言葉』でしかなかった。

 ……いや、身は兎も角、心も、というのは過大な表現だろう。暗黒生命体である事に誇りを感じているのは、暗黒生命体に侵食されたナオミの精神なのだから。

 暗黒生命体自身は、暗黒生命体(自分達)に対し特別な感情など何も抱いていない。同族意識はおろか暗黒生命体への貢献など考えず、ただ本能のまま――――自分のために生きている。

 

「……あれこれ考えてたら、お腹空いてきたわ」

 

 だから空腹を認識した途端、身体は無意識に動く。

 ナオミが何か考える前に動いた手は、近くにいた暗黒生命体を捕まえていた。体長八センチぐらいの、小型種の中では大きなイモムシ型。

 自分の身体が捕まえた生き物を、ナオミは遅れて認識する。イモムシ型は藻掻いて手から逃げ出そうとしていたが、ナオミはそれを手放そうとはしない。

 

「あーんっ」

 

 むしろ何一つ躊躇いなく、自分の口に運ぶ。『誇らしさ』さえ抱いていた暗黒生命体の仲間を、なんの躊躇もなく噛み潰す。

 何故なら身体が欲していたから。

 心よりも身体の衝動を優先する今のナオミは、誇らしい仲間を食べる事になんの感傷も抱かなかった。

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