【キュロオオオオオオオ!】
人型は歓喜していた。歓喜しているように見える、大きな咆哮を上げたという方が正しいかも知れないが。
人型の生殖器はナオミの腹部を穿ち、体内へと侵入。簡単には抜けないようにするためか、今までなかった『返し』のような突起物を生やす。
人型自身はその間周囲を警戒。ナオミの打撃ではダメージを与えられない、というのもあるだろうが、この無防備な瞬間を大型の暗黒生命体に狙われたら一溜りもないのが一番の理由か。
ある意味ナオミは自分の事に集中出来る状態。だが、その思考は完全に乱れていた。
「嫌ッ! いやぁっ!?」
叫び、蹴り、暴れて、どうにか引き抜こうとするばかり。
自分の遺伝子が汚される。
『人類』であっても、極めて不快な状況だろう。ましてや男性器を元とした器官によって成されるなど、強姦も同然である。恐怖と嫌悪を抱くのは当然だ。
だがナオミの抱いた感覚は、それらの比ではない。強烈な、頭が真っ白になるほどに吹き出す不快感と拒否感。しかも『合理的』で感情など持たない、暗黒生命体から発せられる信号からその感覚を抱く。
暗黒生命体の細胞自体が、この事態を最大限の脅威と認識している。そこまで強烈な感覚によって、ナオミはついに自覚する。
自分の身体の奥底にあった、最後まで掴めなかった衝動の正体を。
「(いやっ! 変わりたくない! 変えられたくない! 私の、遺伝子を……減らしたくない!)」
暗黒生命体の細胞が求めていたもの。
それは「自分の遺伝子を増やす事」だった。次世代を残すでも、自分が生きる事でもない。
自分の遺伝子の増殖こそが、暗黒生命体が求める本能。
成長も、捕食も、休息も。全てが自分の遺伝子を増やすための行動。それ以外の一切に興味も、関心もない。ただ増える事だけを目的とした生命……それが暗黒生命体なのだ。
だから人型の行為は受け入れられない。注入された遺伝子が、自分の身体を構成する遺伝子を侵食するなんて許せない。突然変異でさえ九十九パーセント以上は自分の遺伝子と変わらず、より繁殖出来る可能性というメリットがあるからギリギリ許容しているのだ。自分と全く違う遺伝子が増えたところで、暗黒生命体としては何もメリットはない。強烈な拒否感と不快感を抱くのは、それを拒絶するための本能だった。
しかし人型も自分の遺伝子を増やしたがっている。彼もまた暗黒生命体なのだから。そして自分だけでは繁殖出来ない彼は、このやり方でしか遺伝子を増やす事が出来ない。
ナオミの抵抗を無視して、ついに人型は生殖器の先から遺伝情報の注入を始めた。
「こ、こんな、もの……!」
腹部に力を入れて締め出そうとする。だが人型が送り込む遺伝情報は、特殊な粘液と細胞に包まれていた。粘液は粘り気が強くてこびり付き、細胞は人間の精子と同じく自力での運動能力を持つ。どちらも簡単には排出出来ない。
注入された人型の細胞は、周りにあるナオミの細胞に入り込もうとする。
免疫機能で排除しようとするが、異物の認識が出来ない。同じ『人類』から生まれた身体であるのに加え、粘液に含まれる成分に免疫回避の仕組みがあるのだろう。細胞自体を動かして逃がそうとするが、遺伝情報を包む人型細胞は運動性に特化した形態だ。一時的なら兎も角、何時までも逃げ続けるなど不可能。
やがて細胞は捕まり、人型の遺伝子が入り込む。
侵入してきた人型の遺伝子は、ナオミの細胞に含まれる遺伝子の半分だけを排除。失われた遺伝子を補完するように、自らの遺伝子を差し込む。これは人間の受精を再現しているのだろう。本来人間の卵子と精子には自身の遺伝子を半分だけ乗せ、その半分同士を合わせる事で一つの遺伝子を作り出す。人型はこれを、半分になっていない体細胞の遺伝子で強引にやっているのだ。
遺伝情報が半分変わったところでナオミの生命には一切影響がない。というより影響があって困るのは人型の方だ。自分の子孫を残したいのに、それで死なれては意味がない。だからこそ魚型が襲ってきた時には、危険は承知でナオミを守った。
しかし
「(どうしたら、どうしたら……!)」
必死に考える。考えるが、答えには辿り着かず。
ナオミの細胞に群がる、人型の遺伝子を乗せた細胞達。細胞一つ一つが自身の遺伝子を残そうとしているのだろう。仲間を押し退け、蹴散らし、自分だけがナオミの細胞に入り込もうとする。ナオミの遺伝子を穢し、自らの仲間に引き込もうとする。
【キュロロロロロロロロ!】
自分の遺伝子が増殖する瞬間。暗黒生命体にとって唯一無二の目標が達成されるのを体感したであろう彼は、更に遺伝情報を送り込もうとしてくる。
もっと自分の遺伝子を増やし、繁殖するために。
「……ああ、そっか」
その時、ナオミはぽつりと独りごちる。
次いで身体から力を抜く。まるで、全てを受け入れるかのように。
更に打ち込まれた人型の生殖器を両手で掴み、ぎゅっと自分の方に引き寄せる。もっと奥に、もっと中に、あたかも求めるかの如く。
招き入れられた人型。自分の生殖器が更に深く侵入した事を理解した彼は――――慌てて、引き抜こうとした。
だが、抜けない。
ナオミが両手で彼の生殖器を掴んでいるのに加え、ナオミの手から伸びる肉が植物の根のように絡み付いているのだから。
【キュ、キュロ……!】
警戒心を露わにする人型を見るため、ナオミはゆっくりと顔を上げる。
上げた顔は、笑っていた。
不敵に、獰猛に、嬉しそうに。
「あなたは強い。ええ、とても強いわ。戦闘ではとてもじゃないけど勝てない」
笑いながら認める。
冷静に考えるまでもない。向こうは戦闘特化の性別なのだ。直接戦闘で勝つ事は、絶対に無理とは言わずとも、一か八かを狙うにはあまりに微かな希望と言わざるを得ない。
人型は途轍もなく強い。性別を持たない暗黒生命体からすれば、隔絶していると言えるほどに。実際に魚型との戦いで、その強さを示してみせた。
だからこそおかしい。
何故暗黒生命体に雄がいないのか。雄という性別が、雄の肉体が生存と繁殖に有利であれば、暗黒生命体の中にも雌雄を持つ種がいる筈だ。地球生命も最初は性別などなかったが、互いの遺伝子を交換する有性生殖を獲得し、多細胞生物化に伴う配偶子の発達などを経て雄雌を得ている。暗黒生命体にそれが出来ないとは考え難いし、人間の遺伝子を利用したとはいえ人型は雄の機能を獲得している。そして地球では人間含めた雌雄別体の種が多数存在し、何億年も繁栄しているのだから、雄自体は決して劣っている生存戦略ではない。
つまり暗黒生命体が支配する生態系では、雄という性別はなんらかの理由により不適応なのだ。ではその理由とは何か? 答えは暗黒生命体という生物と、雄という性別の差にある。
暗黒生命体の生態を観察してきたナオミには、すぐに答えが見えた。
「でもやり過ぎたわね。その身体、暗黒生命体としては複雑過ぎるでしょ」
強さというものは、単に
例えば発達した筋繊維がなければ、強大な力は生み出せない。高速戦闘に対応するには、その速度に対応した神経系が必要となる。表皮の強度を増すなら細胞自体を強固にするか、或いは衝撃を緩和する構造になっていなければなるまい。そしてこれらの機能が十分働くために、栄養やエネルギーを送る血液、その血液の大量輸送を可能とする心臓などの器官も不可欠。全身を支える骨や外骨格もあると良い。
ところが暗黒生命体に、これらの器官はない。
暗黒生命体の身体は極めて単純だ。ナオミが調べた範囲の話だが、いずれも体組織が液状で、内臓などの高等器官を持ち合わせていなかった。大型の捕食者なら神経系は発達していそうだが、暗黒生命体の大部分がイモムシ型と近縁だと思われる事からして、大した違いはないだろう。これでは人間の雄が誇る高い戦闘能力を生み出せない。いくら男の姿をしていても、そこに骨も筋肉もなければただのハリボテなのだから。
だとすると比類なき強さを発揮している人型の中には、きっと暗黒生命体には存在しない屈強な筋肉や発達した内臓があるに違いない。しかしこのような高等器官には、共通した欠点がある。
再生能力の退化だ。
高度に発達した細胞は、生成するのに資源とエネルギー、そして多大な時間が必要となる。分裂の手間が掛かり、すぐには欠損分を補えない。また専門作業に特化する過程で全能性を失い、同じ細胞からしか再生出来ない(指の皮が切れる程度なら再生しても、指自体を失えば元には戻らない)事も多い。
人型の高い戦闘能力を見るに、
無論これはただの推測だ。だがナオミは人型の姿もよく観察している。全身を覆っていた甲殻が失われてから大分経つが、未だ再生する様子が見られない。人間やバイオロイドよりは優れているだろうが、人型の再生能力は極めて低いと考えて良いだろう。
「私は違う。暗黒生命体により近い私の再生能力は、あなたよりずっと上」
手足が千切れようとも、頭が損壊しようとも、ナオミの身体は再生する。その生命力は未だ生粋の暗黒生命体には及ばなくとも、間違いなく、人型よりは優れている。
力では敵わない。それは認める。
だが、細胞同士の戦いならばどうだろうか? あまり再生しない細胞と、次々と再生していく細胞、どちらが『強い』か?
試す前から、ナオミは確信している。
恐らく人型も、確信してしまった。
【キュ、キュロオオオオオオオ!】
危険を感じた人型の拳が、ナオミの頭を打つ。
ぐしゃりと顔面が潰れる。脳も潰された。だがナオミは、潰されてからにやりと笑う。
今更こんな傷、どうという事もない。
人間にとっては致命傷を受けながら、ナオミが意識するのは自身の腹部。打ち込まれた人型の生殖器、その先端にある『穴』から自分の細胞をどんどん送り込む。
人型の外皮は強靭なため、簡単には細胞を体内に注入する事は出来ない。いや、今までの攻撃で掠り傷すら付けられていないナオミでは、不可能と断じて良いだろう。しかし生殖器であれば、その穴の先には精巣に該当する器官……内臓が存在する。外皮よりも遥かに柔らかく、栄養素を送るための血管などのルートもある筈。ここからであれば体内への侵入は容易だ。
そして純粋な暗黒生命体化が進んでいる細胞は、単独で演算能力を持つ。その演算能力を用いれば、ナオミの理性が下した指示を理解する事も可能。ナオミが求めた通り、生殖器から精巣への侵入を試みる。
人型の方も簡単には侵入を許さない。体内に入り込んできたナオミの細胞を異物と判断し、免疫細胞を送り込んでくる。外敵を排除する事に特化した、攻撃的な細胞だ。鋭い突起を生やし、ナオミの体組織細胞へと突撃。刺突により串刺しにしていく。
だが問題はない。
破壊されたナオミの細胞を、まだ生きている細胞が食らっていくからだ。食べた細胞はたちまち分裂。失われた数を即座に回復させる。
そして数を殆ど減らす事もないまま、ナオミの細胞は人型の体内深部へと突き進む。免疫細胞と戦おうとはしない。戦闘特化の細胞を倒すのは手間が掛かり、尚且つあれらは生命活動には直接関与していないからだ。仮に免疫力が一切なくとも、病原体が十分に増殖し、様々な症状が出るまで生命体は元気に生きている。生憎ナオミは人型が病で倒れるのを、悠長に待つ気なんてない。
免疫細胞の猛攻を強引に突破し、人型体内の奥深く――――精巣に該当する器官に入り込んだナオミの細胞達。生殖を司るこの器官に、戦闘能力は一切備わっていない。
勢いよく細胞達は突撃し、人型の生殖器官に食い込んだ。
「(行け。破壊しろ)」
細胞に命じるように、ナオミは意識する。
その声は、身体から切り離した細胞達には届かない。だが自発的に演算する、暗黒生命体の細胞は合理的に動く。
故に人型の生殖器官を形作る細胞を、徹底的に貪り食う。
生殖器官の中には、未成熟な細胞も多数存在していた。これから人型の遺伝子を乗せ、ナオミの体内に入り込もうとしていた精子状細胞……しかし未成熟な今ならただの餌。
ナオミの送り込んだ細胞達は勢いよく精子状細胞に張り付くと、大量の消化酵素を分泌。未成熟な細胞にこれを耐える力はなく、呆気なく溶解していく。溶けたものを細胞達はエネルギー吸収能力の応用で吸い取り、身体の材料へと変換する。
そうして十分なエネルギーを得たら分裂を始め、総数を増やす。
一旦増えればこちらのもの。増殖したナオミの細胞は精巣中に広がり、未成熟な細胞、更には精巣そのものを食い散らかしながらまた増殖する。
増えに増えて精巣全体を掌握したところで、管のようなものを確認した。これは血管だ。暗黒生命体の液状体組織は小さなエネルギーで流動させられるが、身体中に拡散しているため高速で大量の栄養を運ぶには不向き。血管を持ち、強い圧力で体液を押し出す方針にすれば効率的に栄養を運べる。
この血管を使い、ナオミの細胞は人型の全身へと散らばっていく。
拡散した細胞は次々と人型の体内器官を攻撃する。攻撃といっても消化酵素のバラ撒き程度だが、人型の器官はこれに耐えられない。
何故なら血管や内臓は、ダメージを受ける事を想定していないから。物理的な攻撃は外皮が、細菌類の攻撃は免疫細胞が、毒素などは消化器官が、それぞれ受け持つ器官が存在する。だったらそれら器官に『戦闘』は任せ、他の器官は戦闘能力を放棄した方が効率的だ。戦えもしないのに武器を持ったところで、無駄にしかならない。しかしそれ故に、全ての守りを突破された場合為す術がなかった。
守りのない組織はどろどろに溶け、ナオミの細胞は全てを吸収し、爆発的勢いで増殖。瞬く間に人型の身体を蝕む。
【ギ、ギュ、ロ、ロォ……!?】
人型の身体が内側から膨らむ。ナオミの攻撃では傷一つ付かなかった肉体が、血管からの圧力で歪に歪んでいく。複眼が飛び出し、口から泡を吹く。
今や人型の体内はどろどろに溶け、半壊しているだろう。たとえ今ここでナオミの細胞を全て駆逐しても、再生能力が低い人型はすぐに立ち直れない。イモムシ型に纏わり付かれ、じっくりと分解されて終わりだ。
「ん、んん、んぶぇっ」
その終わりを確認してから、ナオミは口から肉の塊を吐き出す。
その塊は人型に注入された遺伝子に汚染された、最早自分のものではない遺伝子を含む細胞の集まり。人型と違いナオミの身体は何処を失っても活動に支障はなく、いくらでも再生する。臓器の一つ二つを丸ごと捨てても生命活動は継続可能だ。
邪魔な細胞がある範囲を一回り大きく切り取り、そのまま吐き出す。たったこれだけで、人型による遺伝子汚染を排除出来た。
「……本当に、運がなかったわね」
余裕を取り戻したナオミの口からは、同情の言葉が紡がれる。
運がないというのは、ナオミに負けた事だけではない。仮に、人型がナオミを使って繁殖に成功したとしても……種が繁栄する可能性はなかったからだ。
暗黒生命体の生態系は、兎に角生存競争が激しい。
その激しい争いに『戦闘能力』で挑む事は、正解と言い難い。確かに圧倒的な力で捻じ伏せるのは有効な手だが、暗黒生命体にとっては戦い方の一つに過ぎない。
ナオミが遭遇した暗黒生命体だけでも、角から切断ビームを出す種、物理運動を操作する種、重力を操る種などがいた。他にも様々な能力を持つ種がいるだろう。物理法則に縛られない異次元物質で身体を構成する暗黒生命体に、能力の制限があるとは思えない。中には単純な戦闘能力では全く勝ち目のない、相性の悪い種もいる筈だ。
しかも暗黒生命体は数が多い。十一次元全てに跨るほどの範囲を行き交いながら、その全てを埋め尽くしかねないほどに増えている。これだけ数が多いと、勝ち目のない相手と鉢合わせる事もあまり珍しくないだろう。そもそも頂点捕食者でもない限り、自分より強い奴なんていくらでもいる。それも圧倒的な、どう足掻いても勝ち目がない絶対的差がある事も多い。
どうやっても勝ち目のない相手との戦いが、生涯に何回も起きる。そんな環境で、たった一回傷を負ったぐらいで死ぬようでは生き残れない。戦闘能力を下げてでも、再生力を限界まで強化して、負傷後も生き残れる方が遥かに生存率は高いだろう。
更に『巻き添え』も考慮しなければならない。消費するエネルギーから見れば、暗黒生命体の戦闘能力は高くない。だが消費エネルギー量自体が膨大なので、その攻撃は極めて苛烈。有効射程が数光年に及ぶ事もある。
これに暗黒生命体の膨大な個体数が加わるとどうなるか? 破局的な攻撃が宇宙全体、十一次元全座標から、無数に飛んでくる事になるのだ。実際ナオミもこの宇宙に来たばかりの頃、他種の狩りや大型種の闘争に巻き込まれて危うく死ぬところだった。
地球の生態系であれば、取っ組み合う生き物の傍に寄らなければ巻き添えを心配する必要はない。ぶつかるような位置にでもない限り、被害は精々小石が飛んでくる程度だろう。しかし暗黒生命体の火力と射程は、数光年離れていても十分な殺傷能力を持つ。
誰かの攻撃に巻き込まれる事態は、暗黒生命体の世界では珍しくもない。それが致命的な一撃となる事も、だ。出来るだけ避けるか防ぐかしたいところだが、暗黒生命体の個体数と多様性を考えると現実的ではない。
こうなると「一発食らうぐらいは仕方ない」と割り切る以外にない。そして防げない攻撃を受ける以上、防御や回避ではなく、ダメージを回復させる性質が不可欠となる。
一対一の対決でも、単なる巻き添えでも、ある程度の再生能力がなければ話にならない。それが暗黒生命体の生態系なのだ。
「暗黒生命体の世界じゃ、あなたの強みは活かせない。いいえ、あなたの性自体が不適応」
そもそも雌雄異体、雄と雌が分かれている状態が有利になるには、ある程度の『余裕』が必要だ。
理由は複数ある。一つは、雄が子孫の数に寄与しないため。雌雄同体で交尾すれば、一体が十匹の子を生むならそれぞれが十匹ずつ生んで合計二十匹の次世代が生まれる。だが雌雄異体だと雌しか子を生まないため、交尾後に生まれる子は十匹だけ。雌雄同体の半分しか次世代が生まれない。単純に考えれば繁殖力が半減してしまう。
もう一つの理由は、繁殖行為自体のコストが高い事。単為生殖であれば繁殖相手を探さず、この世に自分しか生き残りがいなくても子孫を残せる。雌雄同体でも、同種と出会えれば繁殖のチャンスはある。だが雌雄異体は、同種かつ異性を見付けなければならない。同種と出会う事さえ自然界では難しいのに、更に性別まで限定されては中々繁殖のチャンスがない。繁殖期には必死に歩き回るか、フェロモンなど分泌して呼び寄せるか。いずれにせよなんらかの
天敵が少なくて種内競争に専念出来る環境なら、これらの欠点を補うだけの余裕もあるだろう。だが暗黒生命体の生態系は違う。あらゆる場所に敵がいて、巻き添えで何時死ぬか分からない環境で、種内競争どころか異性探しの余裕なんてない。成熟次第繁殖を始めなければ次世代を残せない……
加えて、得られるエネルギーが豊富なので暗黒生命体は多産であり、突然変異頼りでも十分遺伝子に多様性が生じる。雌雄異体のメリットに、互いの遺伝子を混ぜ合わせるため子孫の形質が多様になり、環境変化や病原体に強くなる点が挙げられる。だが暗黒生命体は単為生殖でこのメリットを得られる。これでは雌雄異体に強みはないも同然。故に単独で繁殖する、単為生殖が一番効率的かつ適応的となる。
これらが、暗黒生命体に雄がいない理由になるだろう。人型が一時的に繁殖したところで、苛烈な自然淘汰によってあえなく滅びた。何をしたところで、彼の血筋は残らないのだ。
だから、という訳ではないが。
「私が代わりに栄えてあげるわ」
ナオミは彼を殺す事に、なんの躊躇もなかった。
人型の身体が一気に膨れ上がる。表皮がギチギチに張り、裂けた肉からナオミの細胞が溢れ出す。ここまでボロボロになっても悪足掻きを止めず、人型は両腕を持ち上げ――――
それを振り下ろすよりも、身体の構造を維持する組織の崩壊が早い。手足と頭と胴体と生殖器が、腐り落ちるように崩れた。