暗黒生命体調査計画   作:彼岸花ノ丘

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繁殖活動

 人型の、崩壊してバラバラになった身体が浮かんでいる。

 生命活動は停止していた。通常の暗黒生命体ならば八つ裂きどころか肉片にされても再生しただろうが、人型は優れた戦闘能力を得るため高度な身体構造をしている。高等化した身体とはつまり分業化の進んだ身体。筋肉は食べ物を消化せず、胃袋は血液を送らない。臓器同士の繋がりを失った肉片では、生命維持は不可能。強くなったが故の弱点だ。

 尤も、停止しているだけで死んではいないが。放置すれば皮膚細胞辺りが全能性を再獲得し、身体の復元を試みそうな気配がある。それが可能なのは流石暗黒生命体と言うべきか。

 しかしいくら機能的に可能でも、環境がそれを許さない。今までナオミ達の戦いのエネルギーを吸っていた小型暗黒生命体が、一斉に人型の肉片に群がる。戦いのエネルギーだけで繁殖出来るとはいえ、やはり暗黒生命体の肉の方がエネルギーは豊富。安全に食べられる『死骸』を、暗黒生命体達が見逃す筈もない。

 

「……………」

 

 彼に止めを刺したナオミは、ゆっくりと亡骸へと近付く。集まるイモムシ型を手で払い、漂う肉片の中でも一際大きなもの……辛うじて原型を留めている頭部を両手で掴む。

 頭部に意識はない。ナオミに対し、威嚇も何もしない。

 理性を完全に失っていたとはいえ、元々は同じ作戦に参加していた仲間。変化した顔から個人を特定する事は出来ないが、バイオロイド(同胞)である事は間違いない。

 その亡骸を前にしてやる事なんて、一つだけ。

 

「はぐっ!」

 

 思いっきり口を開けて、その肉に食らいつく事だ。

 暗黒生命体化が進んだ事で、ナオミの口内の歯は退化している。なので唇で押し潰しながら、人型の顔の肉を削ぎ落とす。ナオミの細胞に侵食された頭部の中身はどろどろに溶けていて、皮膚を破ればその中身が溢れ出す。

 出てきた中身をじゅるじゅると吸う。吸い込んだ肉のうち、半分は人型のもの、もう半分は増殖したナオミの細胞だ。

 ナオミの細胞は体内に入ると、そのままナオミの身体の仲間入り。分化が進んでいない細胞なので、何処からでも身体の一部に戻る事が出来る。人型の肉は体組織の細胞達が寄り集まって分解酵素を放出。エネルギーになるまで分解し、身体の材料にしていく。

 この戦いで、ナオミは多くの傷を負った。

 人型よりもずっと暗黒生命体に近い身体をしているナオミにとって、手足の損失や内臓の貫通程度は致命傷になり得ない。だが再生にはエネルギーを使う。いくら暗黒生命体の生命力が強くとも、エネルギーなしで再生は不可能。

 人型の屈強な、多くのエネルギーを使って生成された肉は、激戦後の栄養補給に最適だ。

 

「くちゃ、くちゃ、んっく……ふぅ」

 

 頭を一欠片も残さず食べたら、ナオミは一息吐く。これで戦いによって損失した分のエネルギーは補えた。

 けれども彼女は食べるのを止めない。

 次に左足を食べ、左腕と右腕も食らう。それでも足りないとばかりに、中身の殆どがナオミの細胞に置き換わった尻尾……男性器を元にしたであろう人型の生殖器も、噛み付き、喰らい、飲み込む。

 止まらない。

 止めようという気にもならない。そして今のナオミを突き動かすものは、エネルギー補給を求める食欲なんかではない。

 次世代を生みたいという気持ち。

 自分の遺伝子を増やすという、暗黒生命体の根源的衝動だ。

 

「(生みたい、生みたい生みたい生みたい生みたい生みたい生みたい)」

 

 食べれば食べるほど、暗黒生命体の細胞が増えるほど、思考が繁殖一色に染まっていく。新たな世代を、自分の遺伝子を、生み出したくて仕方ない。

 されどこれは性欲ではない。

 暗黒生命体に性欲なんてものは存在しない。単為生殖で『自分』を増やす彼女達に、他者を求める気持ちなど欠片も存在しないのだ。加えて繁殖に必要なものが何かは、全て暗黒生命体の遺伝子(本能)が教えてくれた。

 まずは十分なエネルギー。他の生き物を食べて、体内へと取り込む。これは人型の肉を食べる事で得られる。

 次に必要なのは身体。今のナオミの身体は、まだ暗黒生命体化が不十分だ。完全な暗黒生命体にならなければ繁殖は行えない。

 

「ぐ、う、が……!」

 

 人型の身体を全て食べ終えたところで、ナオミは苦しむような声を漏らす。

 しかし痛みはない。今の声は、未だ体内に残っていたバイオロイドの痕跡……気管や肺が潰れ、分解された際に漏れたもの。体内にあるものは一通り分解され、暗黒生命体に相応しい、液状の体組織が満たされた。

 変化はまだ止まらない。今度は体表まで暗黒生命体化が及ぶ。人類らしい色合いの肌だった胴体が、どんどん暗黒に塗り潰されていく。暗黒は胴体から手足の付け根、更には顔まで広がっていく。

 宇宙の深淵よりも深い黒が、ナオミの全身を覆い尽くす。細い女豹のように美しい肢体は全てが漆黒へと置き換わり、一切の色彩を失った。手足の指先は鋭い爪のような形で硬質化し、人間ではなく虫を想起させる形状と化している。背中から生える翅は三メートル近い大きさまで成長。飛翔能力の向上が窺えるだろう。

 頭部も変化する。今まで硬質化しつつも人間的形状を保っていた目が、黒い複眼へと変貌。口は人間の形を保持しているが、食道は液体の体組織に直接通じている。鼻は小さくなって微かな痕跡が残るだけ。耳も縮小・吸収されて消失してしまう。代わりに耳の上にあった触角が肥大化し、十五センチを超える高度な感覚器へと成長した。

 顔付きも変化し、かつてよりも麗しく可憐な面持ちとなる。毛髪は生えているがやはり黒く、背面を覆うまで伸びた。黒い表皮は一見して柔らかく、顔には人間的な表情が存在している。尤もその肌は人類文明のどんな刺突武器も刺さらない頑強さと、自由に曲げられる柔和さを併せ持つ、超剛柔繊維により形成されているが。

 そして臀部から生える尻尾。

 否、ナオミの生殖器官。厳密には腹部の一部が長く伸びたものだ。人型の生殖器と異なり、こちらは暗黒生命体の遺伝子から作られたもの。根本より先端付近の方が太い形をし、尻尾というよりも昆虫の腹に近い形状となった。

 

【ハァァ……】

 

 口から吐き出す声は完全な電磁波に置き換わる。最早人語を発する器官は残っていない。

 だがたとえ声がなくとも、人型をせずとも、人を超越した美しさに誰もが魅了される。そんな外見の暗黒生命体にナオミは変化した。姿形に人の面影は残っていても、体組織に人類の細胞は一欠片もない。肉体的には完全に人類から逸脱した存在へと至る。

 唯一残るものがあるとすれば、ナオミの自意識だけ。

 

【(繁殖したい! したいしたいしたい!)】

 

 ただしその自意識は、暗黒生命体の衝動に飲み込まれていた。

 

【(増えたい増えたい増えたい! 私の遺伝子をもっと! もっと増やしたい!)】

 

 空腹も性欲も睡眠欲も、全てを塗り潰して消し去る衝動。考えるよりも前に、衝動を実現するために身体が動き出す。

 繁殖する。

 身体の準備が整ったものの、この変化をするのに多くのエネルギーを使った。子孫を生むには新たなエネルギー補給が必要だ。これを得るためにナオミは背中の翅を力強く羽ばたかせ、暗黒生命体が支配する宇宙を飛ぶ。

 暗黒生命体化が完了した今のナオミに、かつての限界など通過点でしかない。

 光速の一千数百億倍もの速さで飛ぶ。目まぐるしく変わる景色、数え切れないほど飛び交う暗黒生命体を全て視認し、細胞全体で見えるもの全ての情報を片っ端から解析していく。

 そうすれば、今までの自分は目を閉じていたのではないか? と思えるぐらい鮮明に『世界』が認識出来た。遥か彼方を泳ぐ小型種の群れ、数百光年彼方から飛んでくるレーザーの雨、瞬時に数千回変動する重力源、一メートルで六十億回転する時空間、原子と分子の存在が崩壊する領域……暗黒生命体の世界は、なんと賑やかな事か。

 命溢れる世界の中で、ナオミは一体の暗黒生命体に狙いを付ける。

 体長三十センチはある、イカのような姿形をした暗黒生命体だ。翅はなく、頭から触手を十二本生やした、細長い体型の種。イモムシ型とは形態的に大きく異なるそれは、何万匹にもなる群れを作って空間を飛んでいた。群れの進行方向百メートル先で、体長十メートルの巨大犬型種が、体長五メートルの魚型種を襲っている。この二種の戦いで生じるエネルギーを吸いに行くのだろう。

 その群れのど真ん中にナオミは突っ込む。

 横から飛んできた亜空切断波(十光年彼方のクモ型暗黒生命体が放った攻撃だ。放った生物はセミ型に食われたようだが)を、殆ど水にひらりと回避。何事もなかったように群れへと突入して、最初から狙っていた一匹を襲う。両手で抱きかかえるように捕まえようとすれば――――イカ型はひらりと身を翻し、これを躱す。

 

【シャアッ!】

 

 その躱したイカ型に向けて、口から吐き出したのは超振動波。時空間を揺さぶり、どんな物体をも破壊する『大咆哮』だ。

 攻撃は直撃。しかしイカ型はこれで死なず、むしろエネルギーに換えたのかより力強く泳ぐ。

 遠距離攻撃は無駄と判断。ナオミは即座に標的を切り替え、別のイカ型に襲い掛かる。二匹目、三匹目も簡単には捕まらずに逃げたが、四匹目でついに両手がイカ型の身体を掴む。

 暴れるイカ型は力強い。だが今のナオミはこの獲物を逃さない。長く伸び、硬質化した指先をイカ型の身体に突き刺して固定。イカ型の身体は他の暗黒生命体同様エネルギー吸収能力を持ち、迂闊に触れればこちらの身体が吸い取られてしまうが、ナオミも同種の力を用いる事で中和する。

 イカ型の抵抗を抑え込んだら、そのまま噛み付く。

 

【ハフッ、ンッ、グァ】

 

 夢中で、他のものなど気にせず、ひたすらに、イカ型の身体を貪り食う。歯はなくとも顎の力だけで肉を削ぎ、飲み込んだ肉を体組織の細胞全体ですり潰す。

 三十センチもある身体を瞬く間に噛み砕き、小さな肉片も残さず吸収。ぺろりと平らげてしまう。

 そうして取り込んだエネルギーを臀部から伸びている、長大な腹部へと向かわせた。

 エネルギーを受け取った細胞は、ただちに分裂を開始。分裂した細胞は本来なら体組織の一部となるが、今回は違う。体組織から離れると、独自の組織として分裂・成長を始める。ある程度成長すると分裂した細胞同士で集まり、より大きな塊を形成した。

 成長した細胞の塊は三十個。大きさ五センチまで育ったその塊は、液状となっている体組織の中を泳ぐように進み、腹部の末端まで運ばれていく。

 そして腹部末端の肉を押し広げて、外へと飛び出す。

 産卵だ。暗黒生命体における『卵』というのは、体組織から分離した細胞の塊だったのである。イモムシ型のような、頻繁に食べられる種は細胞数個〜十数個で産卵してしまう。短期間に数万と産卵出来るのも、未熟な細胞塊で生むためだ。

 ナオミの場合はもっと大きく育てた、けれども地球生命からすれば卵とも言えない肉の塊を排出する。それで問題はない。卵は排出後すぐに成長し、ナオミによく似た、妖精のような姿の独立した生物になるのだから。

 

【(増えた! 私の遺伝子が増えた! ああ、嬉しい嬉しい嬉しい!)】

 

 本能からの衝動が、ナオミの意識を掻き立てる。堪らず両手を頬に当て、光悦とした表情を浮かべた。

 同時に、この悦びを感じているのが自分だけなのも実感していた。

 普通の暗黒生命体は、繁殖した時に嬉しさや快感なんて感じない。そもそも感情自体が備わっていない。演算によって思考する彼女達は、ただ数学的に行動の優先順位が付けられるだけ。繁殖の優先度が一番高く、故に全ての行動が繁殖と紐付いている。繁殖を実現しても今の優先順位を達成しただけで、再び優先度の高いもの――――繁殖行動を再開するのみ。

 ナオミは違う。ナオミは元バイオロイドであり、人間の遺伝子を持つもの。暗黒生命体と化す過程でその遺伝子は取り込まれ、自分の身体を動かすメカニズムは暗黒生命体の細胞に解析された。そしてどうすれば繁殖させられるかも解明され、行動を支配する方法も見抜かれた。

 それがドーパミン分泌だ。ドーパミンは神経伝達物質の一種で、主に意欲や快楽を生み出す。ナオミが繁殖に結び付く行動を取ると、暗黒生命体の細胞はドーパミン(厳密にはそれに似た異次元物質)を大量に分泌。これによりナオミの意識は、繁殖行動に強い意欲と快感を覚えるようになったのである。

 薬物中毒者が薬に抗えないように、美食に人が取り憑かれるように、快楽と意欲は人を容易く狂わせる。

 

【(次の繁殖がしたい! もっと私の遺伝子を増やしたい!)】

 

 産卵を終えるや、ナオミはまた動き出す。新たな自分の子孫を生み出すために。

 しかしこれは簡単な事ではない。獲物が豊富であるのと同じように、危険も多いのが暗黒生命体の生態系だ。

 何処かから飛んできた無数の針が、ナオミの身体を貫く。

 半径数十キロを消滅させる光線が、ちょっと前までナオミのいた場所を薙ぎ払う。

 体長三百メートルもあるクラゲ型暗黒生命体が、その身体の下から伸びる何百もの触手で、ナオミ含めた暗黒生命体を次々と襲って食べていく。

 何度も何度も死にかけた。バイオロイドだった頃なら致命傷だった傷も負った。だがそれすらもナオミは嬉しい。「生き延びた」事でまだ繁殖出来ると、それすらも暗黒生命体は繁殖行動と認識してドーパミンを分泌したからだ。

 ほんの僅かな間に、ナオミの思考の全てが、自分の遺伝子を増やす事に費やされるようになった。

 ――――もしも僅かでも理性が残っていれば、彼女は暗黒生命体について更に多くの事を知れただろう。何故なら自分の体細胞に存在する暗黒生命体の遺伝子、そこに刻まれた『過去の記録』を読み取る事も、心身が一体化した今ならば可能だからだ。

 例えば、暗黒生命体の『起源』さえも解き明かせる。

 記録されている情報曰く、暗黒生命体は遥か大昔にとある種族から分岐した。種族の名はネビオス。誰がそう名付けたのか、それは分からない。だが、何処かの誰かはそう呼んでいた。

 ネビオスそのものの情報は不明。いや、理解出来ないという方が正しいか。高次元や神などという、人の認知能力で作られた言葉では表現出来ない存在だからだ。強いて言うなら途方もない時間と、途方もない生存競争を経て、途方もない進化を遂げた生命体。個体数も測定不能。或いは、測定という概念が使えない、無限さえも超えた『数』に到達しているかも知れない。

 そんなネビオスは幾つもの血筋に分岐している。起源である故郷の宇宙から、様々なきっかけ(戦闘時の事故や別宇宙からの召喚、或いはネビオスの暮らす世界自体の『分裂』による)で別宇宙に進出した個体群がいるからだ。しかしネビオスの力はあまりに強大過ぎて、故郷以外の宇宙では維持出来ない。故にネビオスは進出先に合わせて力を退化させ、様々な種へと進化した。

 ある時は、とある宇宙で『究極の生命』と呼ばれた。

 ある時は、とある宇宙で全てが凍り付いた星として漂った。

 ある時は、とある宇宙で絶対的支配者として恐れ崇められた。

 その生き方は千差万別。繁栄の程度も血筋によって違う。どうやってそれを知ったかは記録されていないし、これが全てではないだろうが、ネビオスの遺伝子は自らの繁栄をよく把握していた。

 暗黒生命体はこれらよりも遥か未来、ごく最近ネビオスから分岐したものの一つだ。最近といっても、ナオミ達バイオロイド……それを作り出した人間の暮らす宇宙に進出するまでに、ざっと三百億年は経過しているようだが。それに分岐したと言っても、ネビオスの『本流』から分かれた『支流』と呼ばれる小さな集まりの一部からである。それでも超越的な力を有している事に違いはない。

 人間達の故郷である宇宙へと進出した理由は偶然。分布を広げる中で、偶々辿り着いた宇宙の一つに過ぎない。更に言えば『地球』についても、襲うのはこれが初めてではない。数多の平行世界やパラレルワールドに暗黒生命体(及びネビオスの血筋)は進出し、全てを食い尽くして支配している。

 人間文明の滅亡など、暗黒生命体にとっては見慣れたイベントの一つに過ぎない。

 

【(生まれる! 生まれる! 私の遺伝子!)】

 

 この重要な事実を、ナオミは一切気にしなかった。暗黒生命体化した今、人間の存亡などどうでも良い。

 それよりももっと子孫を増やしたい。それだけが今のナオミの望みだ。

 ただし、望みが叶うとは限らない。

 適当な暗黒生命体を一体捕まえ、食べて、エネルギーが補給出来たので二度目の産卵を始めた時の事。

 

【キュルルルルルルルゥー】

 

【キュリルルルー】

 

 ナオミの周りに、暗黒生命体達が集まり始めたのだ。

 種類も数も一つではない。大きさ十センチ以上ぐらいしか共通点がない、何千体もの暗黒生命体がナオミの周囲を飛び交う。

 そして彼女が今生んだ卵を、次々と食べ始めたではないか。

 

【ギャシャアアアア!】

 

 折角生み出した自分の遺伝子が食べられてしまう。その嫌悪からナオミは吼え、手を振り回す。だがちょっと身体を引き裂いたぐらいでは、暗黒生命体は死なない。

 攻撃などお構いなしに暗黒生命体達は卵を食べ尽くし、そそくさとこの場から去っていく。

 生んだ卵の数は三十個。その全てが、一瞬で食べられてしまった。

 原因は単純だ。産卵数が少な過ぎるから。ナオミに含まれていた遺伝子、つまり人間の遺伝子が行ってきた繁殖戦略は、大きな子供を少数生むというもの。大きな子を産めば同種間における競争力を高める事が出来、更に脳を大きく発達させられるなど有利な点も多いが……生み出す子の数が少ないため、ある程度子供の生存率が高くなければ成り立たない。子の九割が死ぬ環境で、一人二人しか生まないようでは次世代が絶えてしまうという事だ。

 暗黒生命体の生態系は苛烈だ。何万、何十万と生んだ子供の大半が食われて死ぬ。いくら他より大きめの卵を生んだとしても、たった数十個程度では生き残る事など不可能である。初めて産んだ卵達は食べられる前に成長したが、その後も生き延びているかは分からない。というより、十中八九食われているだろう。

 

【(どうしよう。折角生んだ卵が全部食べられちゃうなんて嫌だ)】

 

 生んだ子が死ぬ事自体はどうでも良い。しかし生み出した遺伝子が減るのは不快。少しでも遺伝子を増やすため、ナオミは久しぶりに理性的な思考を巡らせる。

 まず、子育ては論外だ。自分より強い生物種がいくらでも、それこそ無数にひしめく世界で、子供を守るなんて現実的ではない。その手間とエネルギーを次の産卵に回す方が合理的だろう。暗黒生命体がどれも大量の卵を生むのは、それが遺伝子を増やす上で一番効果的なやり方だからだ。

 しかし暗黒生命体化したとはいえ、人間を大元にしているナオミの身体は、少産少死を前提とした身体機能となっている。多少であれば子供の大きさを減らす事で『融通』も利かせられるが、数十倍にも産卵数を増やす事は出来ない。

 

【(天敵がいない場所、或いはみんな大して強くない環境なら、生き残りやすそうだけど)】

 

 そんな都合の良い場所が、果たしてあるのだろうか。どうにもそんな場所があるとは考えられない。

 そう思った矢先の事だ。

 ナオミの脳裏に突然、一つの『アイディア』が浮かんだのは。

 

【(……へぇ。そうなんだ。私達はこうやって、増えてきたのね)】

 

 アイディアに納得する。まるでその考えが、誰かに耳打ちされたかのように。

 ナオミは浮かんだ考えに従って、ふわりと飛び立つ。背中の翅を羽ばたかせながら、今までよりもゆったりとした速さで。

 するとナオミの周りに、次々と暗黒生命体が集まってくる。

 種類は様々。大多数が生産者であるイモムシ型だが、体長数センチのムカデ型や魚型なども見られた。しばらくすると数メートルもある角イモムシや、百メートル近い巨獣も姿を現す。

 瞬く間にナオミを中心にした、巨大な群れが出来上がった。その光景はかつてナオミが見たものと同じ。

 暗黒生命体達が別宇宙へと移動する時の大群だ。

 

【(やった! やったぁ!)】

 

 『仲間』の集結。それを感じ取ってナオミは歓喜する。何故なら、これこそが暗黒生命体が繁栄した理由の一つだから。このやり方ならば自分の遺伝子を増やせると、暗黒生命体の遺伝子が教えてくれている。

 ――――ネビオスから分岐したばかりの頃、暗黒生命体はあまり繁栄した血筋ではなかった。

 その理由は強過ぎるため。祖先であるネビオス(の『支流』)は極めて強大な力を持つ。否、強いという言葉さえ適切ではない。人間には理解さえ出来ない、超越的なものだ。宇宙さえも、ネビオスの前では塵芥にも満たない。分岐した直後の暗黒生命体の祖先もネビオスと同程度の力を有し、進出した先にあった無数の宇宙を、何が起きたかも分からないまま消滅させている。

 だが強い力には代償がある。

 エネルギー消費の激しさだ。正確には全く違うが、人間に理解出来る表現を使うとそう言わざるを得ない。

 ネビオスは途方もない力を有していたが、その力の維持に膨大なエネルギーを消費する。一呼吸で無数の宇宙が滅ぶほどの、とんでもない消費量だ。このエネルギーが得られなければ、基礎代謝が賄えずネビオスは餓死する。当然、そんな豊かな宇宙は滅多に存在しない。そもそもネビオス達が暮らす『世界』でさえ、彼女達を生かす豊富なエネルギーは彼女達自身の性質……無からエネルギーを生み出す力により蓄積したものだ。長い歴史の果てに育った世界と同等の宇宙など、何処にも存在しない。

 このためネビオス、そしてその血筋が他の宇宙に進出する事は極めて困難だった。幸運にも超高エネルギーを有した宇宙に辿り着いた個体以外、たちまち飢えて死んでしまう。進出直後に身体機能の大部分を休眠・退化させて生き延びた血筋もいるが……奇跡的に適応出来ても優れた能力の大半を失った状態であり、繁殖力旺盛とは言えない。優秀だからこその弱点と言えよう。

 しかし暗黒生命体は幸運にも、弱点を克服しつつ長所を残せる、画期的な進化を遂げた。

 それは『生態系統合意識』という性質。暗黒生命体は自身が属する生態系全体で、自己とは別の、もう一つの意識を共有している。

 ネビオス及びその血筋は、ごく一部を除いて自らの遺伝子を増やす事が行動指針となっている生物。仲間意識はおろか血縁意識さえもなく、群れや家族を作るのも『自分の遺伝子』を残すための仕組みでしかない。究極の個人主義生物であり、自己の利益(遺伝子の繁殖)しか考慮せず、全体を考える意識など持ち合わせていない。

 暗黒生命体もそれは変わらない。他個体を食い殺す事になんの罪悪も抱かず、自身の遺伝子が繁殖する過程で他種が滅びても気にしない。だが、同時に生態系全体での合理的行動を考慮し、生態系を増やすための行動を起こす。

 例えるなら自己と会話可能な、全体的無意識を有しているようなもの。大抵の場合自己の利益が追求されるが、自分に利益があるとなれば生態系全体での意思も考慮する。

 これにより、種を問わず大量の暗黒生命体が別宇宙を目指すという行動を取れるようになった。暗黒生命体は無からエネルギーを生み出せる。その生活基盤は恒星などの外部環境ではなく、自分達が形作る生態系そのもの。つまりある程度大きな纏まりの生態系ごと別宇宙に移動すれば、エネルギーの少ない宇宙でも安定して定着可能なのだ。

 しかしこの移動に参加する暗黒生命体は、基本的に『非力』で繁殖力も弱い。

 何故なら強大で繁殖力の強い暗黒生命体は、別宇宙へと進出するメリットがないから。暗黒生命体が支配する宇宙であれば、暗黒生命体同士の生存競争で多量のエネルギーを確保出来る。対して新天地は暗黒生命体のようなエネルギーを生み出す種がいない限り、遥かに痩せ衰えた世界だ。いくら生態系ごと移動しても、得られるエネルギーはどうしても少なくなってしまう。

 エネルギーが少ないという事は、生み出せる子孫も減ってしまうという事。

 より多くの遺伝子を残すのであれば、エネルギーが豊富な、生存競争が苛烈な環境ほど好ましい。たとえ大部分の子が死のうと、それよりも多く卵を生めばより多くの遺伝子を残せるのだから。故に優れた身体能力を持つ個体は、暗黒生命体が支配する宇宙に留まる。

 確実に生き残れないぐらい弱い、或いは繁殖力が低いならば、競争相手のいない別世界に侵入するメリットがある。行く先が生息に適した環境かは分からない。強大な敵がいる世界に繋がってしまうかも知れない。だがどうせ子孫を残せないのであれば、一か八かの賭けに出るのが『合理的』だ。

 これこそが、かつてナオミが抱いた疑問の答え。暗黒生命体がエネルギーに溢れた世界にいながら『強大』に進化しなかった理由だ。強いものが元の世界に留まり、弱いものが外へと出ていく……他の世界に進出してきた時点で、その暗黒生命体達は非力な個体群なのだ。強大化する形質を失った個体の末裔であり、身体能力を高めるような進化は極めて起こり難い。むしろ弱体化しやすい形質の持ち主と言えるだろう。

 ナオミが始めた別宇宙に向けた移動、それに追随してきた暗黒生命体達も弱者である。単純な戦闘能力ではなく、生存能力という意味での。人間の遺伝子を取り込んだが故に、生粋の暗黒生命体ほどの生存能力がなくなってしまったナオミも同じ立場と言えた。

 ただし他の暗黒生命体と違い、ナオミは好ましい新天地の場所を知っている。

 

【(十分集まってきたかな? これなら向こうでも生態系が出来るかな)】

 

 大勢の仲間が集まった事を感じ取ったナオミは、生態系全体……共に新天地へと進む仲間達に問う。

 合理的な暗黒生命体達は、淡々と準備完了の信号を告げてきた。故郷への哀愁などなく、死への恐怖もない。ただ子孫を、遺伝子を増やすために、より確率の高い選択肢を選ぶのみ。

 

【(じゃあ、行くよ!)】

 

 ナオミの合図と共に、周囲に集まっ暗黒生命体達は新天地へと向かう。

 生き残った人類がいる、裏世界を標的にして――――

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